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阿鼻叫喚の校庭


 折り畳みの小さな傘の面積で二人分の雨を凌ぐにはかなり厳しい。可能な限り傘のセンターに寄らなければ、傘を差しているにも関わらず、お互いずぶ濡れになってしまう。


 かつて人類の祖先は石を削り、狩りを行い、火を灯して明かりや暖、調理を行った。そんな原始時代から発達してきた文明はその後、光の速さのごとく急成長し、今や人類は空を飛び、その先の宇宙にだって行けるようになった。

 にもかかわらず、雨を凌ぐ方法は古来より未だに変わっていない。この未進化の部分は今後の課題ではないかと思う。


「先輩、もう少し寄らないと雨に濡れますよ?」


 全学年で一人しかいない後輩JKと相合傘で下校。そんなとんでもない神イベント進行中にあたり、精神を安定させる為、俺はただただひたすら哲学的な事を考えながら歩いていた。


 しかし相手は更なる強行手段に打って出てきた。自身の体を更に寄せ、胸にある膨らみを傘を持つ俺の腕に押し当ててきたのだ。

 ただ、想像していたよりも柔らかさは感じなかった。制服とブラの布地のせいであろう。人の柔肌感には程遠い。弾力は十二分に感じたが……。


 この行為、世の男が女性にされたい所作ベスト10にはランクインするものだと思ってる。

 

 当然向こうさんから仕掛けてきたので完全に確信犯なのだが、本人にとっても慣れてない挙動なのか、クールビューティなお顔が随分と赤くなってる。


 そんな中、俺はこの至福の状況に鼻の下を伸ばしてる? 否。これ見よがしにこちらからも腕を押し当て返してその先の更なる未知の感触を得ようしている? 否、否。


 この雨であちらこちらに溜まった水溜まりが俺の血で染まらない事を祈りつつ、顔面蒼白にしながら歩いてる。


 何度も言うが、男子校における開闢の始神なの、貴女は。なぁ~に、自分からお胸を押し当てて照れてるんですかっ!?


 見ました? 密着して相合傘で校門の前を通った時、ところどころで傘も差さずに空に向かって嗚咽する人や、地面に手を付けて咽び泣く男子高校生達を?


 ほんと生きた心地しませんでしたよ? 達也がお偉いさんとやらに声かけてくれてなかったら絶対に門前で刺されてましたからね?


 そして俺、阿鼻叫喚の図って初めて見ましたよ? まさに噂通りの地獄絵図でしたよ? 大の高校生が傘もささずに無気力に雨に打たれ、あっちこっちで嗚咽漏らしてんだもん。甲子園で熱戦の末に敗れた高校球児よりも激しく。

    

 そんなこの世の終わりの風景の中、達也の傘を借りてバイトに向かったのだが、当の達也はビニール傘を差して手を振って見送ってくれた。


 ちなみに傘をパクったことを注意すると『この傘はちゃんと頼んで貸してもらった正当な物だ』とニヤつきながら凶悪な面構えでそう答えてきたが、絶対にノーを言わせない態度で迫ったに違いない。

 まじでちゃんと後日、謝って返すようには言い聞かせておいた。



 男子校の姫との相合傘で寿命を大幅に削り倒され、その小さな対価として雨に濡れずに済んでいる。それに折り畳み傘なので完全には雨は防げていないし。まあ、この程度ならすぐ乾くと思うけど。しかしかの有名な等価交換の原理がまるでお仕事していない。こちらの代償が大き過ぎる。


 そしてなにより明日が来るのが怖い。俺の机に『死ね』とか『学校来るな!』落書きとかされていなかだけが心配だ……。そんな漫画みたいな露骨な事は流石にしてこないと願いたい。


「着きましたよ」


 明日の事を思い、胃がキリキリと痛む現状に耐えていたところであったが、安藤さんの言葉で我に返った。いつの間にやら目の前には俺のバイト先である純喫茶があった。


 店先からふんわりと漂う豊潤な珈琲豆の焙煎された香りに、古風な造りの店構え……。とは言ってもまだ高校生なので詳細な事までは分からないが、それでも独特の雰囲気からノスタルジックさを感じる事を禁じ得ないお店となっている。


 その店内には珈琲と軽食が美味しいと評判のマスターが居る。


 お歳を召していらっしゃるようでその髪は白髪となっているが、背筋はピンと伸び、非常に姿勢が良い。そのおかげか、非常に若々しく見える。

 その上、全てを包み込むような優しい笑みすら見せてくれるのだ。


 包容力の化物と言って差し支えない。白いシャツにベストが似合うナイスミドルな男性である。


 この店との出会いは、田舎から出てきて今のアパートに住むようになり、街をブラブラと散策している時に偶然出会った店だった。


 その店構えに何か惹かれ、まるで吸い寄せられるかのように店に入ってしまった。

 

 店内にはたまたまお客さんは誰もおらず、明らかに場違いな俺を嫌な顔をひとつせず、カウンターに招き、色々とマスターの方から話しかけてくれた。


 マスターは男の渋みと優しさを兼ね備えたような性格であり、俺の憧れの人になるまでに時間はかからなかった。


 そんな人を目の当たりにして、俺はここでバイトとして働きたと願い出たのが高校一年の春の事だ。


「あの……どうして俺のバイト先を知ってるのですかね? ま、まあいいや……とにかくこれ、家の鍵です。俺、今からバイトなので先に帰ってもらえますか?」


 鍵を差し出すと、安藤さんは首を二度ほど横に振った。


「御心配には及びません。私も今からバイトですから……ここで」


 はい?


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