02旅立ち
朝の訪れとともに火の勢いは衰えた。
いつもと同じ時間に目覚めたアイゼンはぐしゃぐしゃの赤い髪を荒く整え、前髪を手ですくい上げながら隣が冷たいことに気付いた。
一緒に寝ているはずのランゼンがいない。姉の名を呪文のごとく唱えながら家の中をさまようも見つからない。
「ランゼン……? どこ?」
一心同体であったはずの姉の姿がなく、胸にぽっかりと穴が開いていく。おはようからおやすみまで一緒だったというのに。いや正確に言えばアイゼンを寝かしつけてから寝るくせに、朝はアイゼンよりも早かった。
もしかしたら先に外に出ているかもしれないと、寝間着のまま、アイゼンはおぼつかない足取りで家を出た。
体操でもしているのかな、という期待はすぐさま打ち砕かれる。
村人とすれ違うたびにランゼンの居場所を尋ねるも、顔をしかめるだけで明確な答えは得られない。
ようやく見つけた集会は物々しい雰囲気に包まれていた。話の腰を折れず、アイゼンが視線を巡らせていると。
「あっ、アイゼンちゃん……」
一人の呟きが波紋を生む。
普段ならばランゼンがアイゼンを守るように立っていた。それが今日は視界を遮るものがなく、たくさんの注目を浴びてアイゼンは戸惑った。哀れみの念。今までも彼らは苦しそうな瞳で双子を見つめていたのだろうか。
逃げ出したい気持ちをこらえて、ランゼンについて聞き出せるまでアイゼンは待った。
「アイゼンちゃんは無事だったんじゃねぇ。ほらほら皆、アイゼンちゃんは無関係じゃ。このまま村に置いてもよかろう」
識者の発言に他の大人も同意を示した。
誰もランゼン本人については話題に上げなかった。集会にいた両親に近寄るも、心待ちにしていた知らせはなく、「アイゼンはあいつのようになるなよ」と釘を刺されて終わった。
無情に胸が苦しめられる。誰よりも尊敬していた人が厄介者のように扱われて、じっとしてはいられなかった。
アイゼンは意を決し、昨日の行動をなぞった。恐らく昨日、ランゼンを揺るがす何かがあったと仮説を立てて、一つ一つの行動を細かいところまで再現した。
自宅の探索はすでに終了しているため、石碑のところにやってきた。
肌を刺すぴりりとした緊張感に、アイゼンは再び近寄るのをためらった。けれどもこのままではいけないと深呼吸を繰り返した。
石碑には神々しい光が満ちていた。近寄るだけで肉体の疲労や胸の苦しさが和らいでいく。そのまま身体を任せたい気持ちと、得体の知れない感覚を忌避したい気持ちがせめぎあいながら、足を踏み出す。
アイゼンの勇気を讃えるようにして、突如光が弾けた。
目元を手で覆い、光が落ち着くのを待ってから目を開けると、石碑の上空に一振りの剣が浮かんでいた。
息を呑むほどけがれのない真剣にアイゼンは目を見張る。豪奢な飾りはないといえど、狩猟のために武芸を嗜む身として、一目で剣が名高い一品であるとわかった。
目を奪われる。心を奪われる。
石碑へ抱いていた恐怖を忘れて、剣へと手を伸ばした。
『詩を継ぎし片割れよ。わが名は心菜。キミを契約主として認めよう。――さあ、キミの輝き(名)をボクに教えて?』
剣の背後に年端もいかない、アイゼンと同い年ぐらいの少年の姿が浮かび上がった。彼は薄笑いを浮かべ、アイゼンが応えるのをゆらゆら待っている。
「……アイフェンゼ。みんなアイゼンって呼ぶ」
『よーし、アイゼン。契約は結ばれた。旧き友人の遺志を継ぐ者よ、今度こそ行く道に光あらんことを!』
剣が鞘に仕舞われ、アイゼンの目線までゆっくり降りてきた。
アイゼンが鞘に手を触れると、不思議なことに剣のサイズが一回り小さくなり、子供でも扱える刃渡りになった。
『これが心菜の特性だよ。剣以外にもなれるから、有効活用してね!』
少年の声が砕けたものになり、空気に溶けていく。
しゃべる剣など聞いたこともないアイゼンであったが、ランゼンのこともあって麻痺していたのか、受け入れ始めていた。
帰宅して部屋の片付けをすると、ランゼンとの思い出はいっぱい出てきた。両の手で抱えきれないそれらを持っては行けない。選別して、髪飾り用の紐や巾着袋といった小物を野宿用の袋のすきまに詰め込んでいく。
『お金は持ってる? まさか無一文で行く気? ハハハ』
心菜に馬鹿にされ、むっとしながら壷の中から銅貨を数十枚取り出した。この姉妹の共有財産が一枚も減っていないということは――。
アイゼンは胸元でぎゅっと手を握りしめた。
『うわー、壷。壷だって! せめて鍵のかかる箱に入れなーい? しかも銅貨じゃこころもとなーい。まあ足りなくなったらボクが作り出すよ。へへん』
感傷に浸るアイゼンをよそに、心菜は見えるもの一つ一つに文句をつけていく。突っ込まずにはいられない性格なのだろう。
とめどなく押し寄せる冷やかしを右から左へ流して、アイゼンは袋の紐を縛った。
村の特産品である布の衣服に二本の剣を差す。片方は狩猟用の短剣で、もう片方は心菜だ。弓矢の心得もあるが、村の備品であるため持ち出し厳禁である。必要に迫られたら自作するしかない。
十年も暮らした住居に対して、アイゼンは寂しさをちっとも抱かなかった。別れの挨拶はせず、置き手紙も書かずにひっそりと村を出た。心菜の道案内のおかげで誰にも会わずに里から脱出できた。
「ランゼン……どうして」
姉の幻影を追い求めて、少女は旅に出る。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
次話より旅の話が続きます。よろしくお願いします。