13白き脅威
♪前回までのあらすじ♪
アイゼンと心菜が地図を探している頃、町にソルという青年がやってきた。
彼は暴虐の限りを尽くした後、説得に応じる姿勢を見せたが、とある人物の登場によりさらに暴走する。
資料室でのこと。
アイゼンは言われた通りにベルを鳴らしたが、誰も迎えに来なかった。時間をあけて数回鳴らしてみるも反応がない。
『気をつけて! ……来る!』
「え――」
突如足元が揺れ、アイゼンは踏ん張った。幸いそれほど長く続かなかったため、すぐに体勢を整えられたが、取り付けの悪かった絵画がいくつか落下した。その中には少年と少女の絵も含まれていた。
揺れが落ち着いてからアイゼンは安全確認のために外に出ようとした。落下した障害物を飛び越え、案内がなくてもアイゼンと心菜の二つの記憶を頼りにして玄関まで向かう。
不可思議な地震に驚いてもよいだろうに、資料館は異常なまでに静かであった。外に出ようとしたのはアイゼンだけだったのか、誰ともすれ違わなかった。
今まで感じたことのない恐怖に背筋が凍りつき、アイゼンは足を止めた。足元から上がってきた震えは靴の裏を地面に縫い付け、泳ぐ視線とともに頭も揺れる。歯がかちかち鳴っても、もう自分の意思ではどうにもならない。
『どうしたの? 怖い?』
「…………ん」
『大丈夫だよ、ボクがついてる』
下を向いていたアイゼンは心菜の優しい声を聞いて隣を見た。そこには誰もない。温かさは隣からではなく背中から広がってきた。
子供の細い足は再び動き始めた。やっと玄関にたどり着き、外に通じる扉をゆっくり開け、目に飛び込んできた光景にアイゼンは息を呑んだ。
荒らされた街、壊れた露店に人の姿はなく、ひとっこひとりいない。
ふと視線を感じ、アイゼンは狩猟を思い起こした。やらなければやられると素早く心菜を抜いて構えた。
心臓の早鐘がうるさく、己の耳が役に立たない。呼吸だけは極力コントロールし、警戒を続ける。
上空で何かがきらりと光った。
鳥か矢か、ただの見間違いか。
アイゼンは頭を上げて、心菜の叫び声に目を見開いた。
『アイゼン!』
「………っぐ!」
真正面から襲ってきた閃光に視界を奪われた。
何がどうなっているか考える余裕はなく、見えないながらも生にすがりつこうと無我夢中で心菜を振った。すると何かにぶつかって鈍い音が鳴り響き、がちがちと心菜が震えた。
徐々に視界を取り戻し、アイゼンは見た。
光に見えたのは人間の拳だった。心菜の刃は襲撃者の拳を守るグローブを切り裂けず、気を抜いたら押し負けそうであった。心菜と拳が拮抗し、最終的に初撃は受け流せたものの、次の一撃も受け流せるかどうか自信はなかった。とはいえ噛みつかなければやられる。
アイゼンの胸に火をつけたのは、生き残って姉を探すという宿願だ。
そして彼女の火を守り続けているのは、彼女を守護する存在だ。
『大丈夫。ボクが受け入れる』
二撃目は受け流せず、アイゼンは後方に吹き飛ばされた。背中が建物の壁にぶつかり、壁の破片が背中に食い込んでうめき声を上げる。
不思議とどこも痛くなかった。顔を上げ、己を襲ってきた存在を認め、アイゼンは唇をかみしめた。
「へぇ、すげーな。まだ立ち上がれんの」
髪と瞳に属性が表れるならば。
見方によっては太陽のような黄金色をまとう青年――ソル。閃光とともに距離を詰めた彼は白属性に違いない。白というのだから、雲にとけ込んだり降り積もったりする雪を想像していたが間違いであった。
「踏みつけたらどうなるんだろうなァ?」
ソルの口からは毒が流れ出ている。一度でも浴びてしまうと全身が緊張したり痙攣したりする、厄介な毒だ。
毒に耳を侵されないよう感覚を閉じ、アイゼンは震えつつもよろよろと立ち上がった。
「…………おお? よく見りゃ、血みてぇな真っ赤なヤツにそっくりじゃねぇか」
ぽつりと漏れたソルの言葉に、アイゼンの肩がぴくりと動く。
警戒と好奇心で彼女の赤い瞳が揺れた瞬間をソルは見逃さなかった。
「隙を見せたな!」
好機を逃さんとソルが足を振り上げた。
アイゼンは急いで逃げようとするものの、壁にぶつかった際の瓦礫に囲まれ、逃げ場がない。
振り下ろされるソルの足がスローモーションに見え、そのかかと落としで受ける苦痛を想像してしまい、アイゼンの頭の中は真っ白になった。
万事休す。歯を食いしばり、来るであろう衝撃に耐えようとする。
ただ数秒待っても攻撃が来ないため、ゆっくり目を開けたところソルの頭上から土砂が降っていた。
「ぺっ……クソ、邪魔しやがって。誰だ! 殺すぞッ」
口に入った砂を吐き出し、ソルは叫んだ。弱き者を委縮させるハウルに、強き者さえも足元をとられる。隠れながら恐る恐るソルを窺っていた者たちも思わず身を乗り出してしまった。
「あァ、そこにいたのか」
獲物を見つけたソルの瞳は歓喜のあまり細められていた。再度砂を吐き、飛び立とうとアイゼンに背を向けた。
ほぼ同時に、アイゼンもソルの視線の先に人がいると気付いた。距離があるゆえ大人か子供かさえもわからないけれど、あの土砂降りのおかげで少しだけ命拾いした。どんなに蛮勇であったとはいえ、隠れ見ていた人のおかげでアイゼンはつなぎ止められた。
――視界は良好。思考も良好。
「心菜!」
『よっし、任せて!』
契約者の求めに応じて、心菜は弓に姿を変えた。
その弓を持ち、アイゼンは弦に魔力を乗せて射ようとする。
狩猟の際には矢の残数にも注意を払わなければならず、魔力を矢にして飛ばすことも度々あった。
目指すのはソルの背中。深呼吸をして、アイゼンは赤い矢を放った。
「…………こんのガキッ!」
ソルの背中に向かって飛んだ矢は、危機を察知した彼の手に握りつぶされた。魔力で作られた矢なので、跡形もなく消失した。
隠れていた人間に飛びかかろうとしていたソルは攻撃を受け、標的をアイゼンに戻した。
「あとで美味しく料理しようとしたっつーのに、先に食べられたかったかァ?」
のそりのそりと近寄ってくる足音は死へのカウントダウンのようだ。
睨み合える距離になっても、アイゼンはソルから目を離さなかった。
「ケハッ……死ね」
ソルの足が振り上げられ、アイゼンは静かに目を閉じた。これは終わりでないという奇妙な高揚感に包まれながら、心は凪いでいた。あるがままを受け入れる心構えもできていた。
『お疲れさま。頑張ったね』
――おやすみなさい。
心菜の声に緊張が抜け、アイゼンの体は崩れ落ちた。
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前半部はもう少し続きます。