活動報告へのコメント引用とそれに対する私の意見
場外乱闘
そこは正直申し訳ないと思ってる
── ──内今は削除された私の活動報告にコメントしたわいるどしー氏の文章からの引用です。
── 活動報告する際に
他人のことを
批判する必要は
果たして本当にあるのかな?──
あるかないかは私が決めます。
私の活動報告の内容を
指図しないで下さい。
あるのかなと言う反語的疑問系で
言外の否定を匂わすのは
止めてください。
そんなつもりはなかったと
おっしゃるなら
どんなつもりで訊いたのか
教えて下さい。
聞かなくても答えはおおよそ
“今一度よく考えてその上で
考え直して欲しかった”だと思いますが。
なんだソレ。
お前の意見が気に食わないから
自分の意見に沿うよう譲歩して
考え直せって
遠回しに遠回しに言ってるだけだよね?
── ネットトラブルを避けるため
言の刃を他人に向けないで──
ネットトラブル?
揉め事など存在していません。
反論すれば、または無視すればいい。
論争をなべてネットトラブルと
言ってしまえば
言論の自由は死に絶えるでしょう。
言の刃については認識の違いですね。
あなたにとっては私の言説は言の刃
私にとってあなたの言説は一酸化炭素
── 正直僕は
傷ついた
だからといって
傷つけ合うつもりもない。
キミの意見も
一理ある
けれど言い方は
気をつけよう?──
こんなに傷ついた!
でも寛大だから許すし言い分も認めるよ
許し認めたんだから譲歩しろ、か。
ありがとうございます
モラルハラスメントDVを
やらかす人の論法です。
── SNSの使い方
言の刃人に向けるのは
果たして正しい使い方?──
では、真綿で首を絞めるような
密室で一酸化炭素を発生させるような
言論を封殺する、言葉は凶器である
という定義を恣意的に振り回すのは
なんと言えばいいんだ?
── 言の刃で人が亡くなってるのに
使い続けるのはどうしてだい?──
さあ来ました。
SNSで一人対質、量とも圧倒的多数で
讒言を受け
心理的に追い詰められた人と
この、一対一のやり取りとを混淆する
つまり論理をすり替える、
典型的な遣り口ですね。
人が死んでいるんだぞと事の重大さで
恫喝しております。
── 敢えて言わせてもらう。
詩か詩じゃないかは
キミが決めることではない。──
そうかもね。
でもその理屈で言えば
あなたでもないんじゃないかな。
── 詩を書いた人が詩といえば
どんな形であろうとも
それは紛れもない一つの《詩》──
へーえ
まあ、自称会社員、自称社長、自称歌手
ネットでは珍しくない。
── 僕にとっては一つの《詩》
キミにとっては何でもないかもしれないけれど。───
まあ、それはあなたの自由だ。
憲法で保障されているあなたの権利だ。
好きにするといい。
但し私は決して認めない。