第十八話:氷極殿の封印
「アルトさん、すみません……。私が我がままを言ったばかりに、いろいろとご迷惑をお掛けしてしまい……っ」
ルーンはとても申し訳なさそうに、訥々と謝罪の言葉を紡ぐ。
「いや、気にするな。君のせいじゃないよ」
彼女は何も悪くない。
生まれ育った故郷を守りたいという思い、お母さんとの思い出の場所を大事にしたいという気持ち――この優しい心は間違いなく、ルーンの美点だ。
「ねぇ、アルト……。このディバラとかいう族長、なんかちょっとムカつくわ。とっっっても強力な召喚魔術で、ぶっ飛ばしちゃいましょう!」
昔から血の気の多いステラは、小声でとんでもない提案を口にした。
「さ、さすがにそれは……っ」
そんなことをしたら、ラココ族との関係は修復不可能。
下手をすれば、その場で全面戦争になってしまう。
そうなれば当然、封印の補強・修繕もままならず……明日にも神代の魔女が復活し、カルナ島が壊滅する。
(つまり、今求められているのは……ラココ族に迷惑を掛けず、ディバラさんが腰を抜かすような大魔術か)
そう言えば一つ、ちょうどいいものがあったな。
「ディバラさん、ここでは少しわかりにくいと思うので、外に出てもらってもよろしいでしょうか?」
「わかりにくい? ……まぁいいだろう。D級冒険者様がいったいどんな大魔術を見せてくれるのか、ある意味で楽しみだ」
それから俺たちは、村の中央部へ移動。
(……よしよし、みんなちゃんとこっちを見てくれているな)
ラココ族の村人たちは、依然として家の中に引き籠りながら、ジッとこちらを注視していた。
「――さて、『冒険者ギルドの秘密兵器』とやらのお手並み、そろそろ拝見させてもらおうではないか」
ディバラさんはそう言って、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「それでは――伝承召喚・天地鳴動」
俺が『空』の手印を結んだ次の瞬間、
「ぬぉ……!?」
天は甲高い鳴き声をあげ、地は激しく割り裂け、神々しい迅雷が降り注ぐ。
(……思ったよりも強力だな)
ラココ族の村で、大勢のラココ族に囲まれながら、ラココ族の伝承を召喚すれば、ちょうどいい大魔術になるかと思ったんだが……。
これは想像以上の出来だ。
天地鳴動が発動すると同時――ラココ族の村人たちが、一斉に家から飛び出してきた。
「こ、これは……ラココの真碑に刻まれた『天地鳴動』!?」
「もしやあの御方、言い伝えにあった『救世主』なのでは……!?」
「間違いない! 我らの舞踊と祈祷が、天に届いたのだ!」
驚愕に目を見開く者・歓喜に打ち震える者・祖霊に祈りを捧げる者――彼らはみんな両手を組み、俺の前に平伏した。
これは何やら、妙な誤解をされてしまっているようだ。
「あっ、あの……今のは伝承召喚という魔術であって、俺は決して救世主なんかじゃ――むぐ!?」
真実を打ち明けようとしたそのとき、背後からステラとルーンに口を塞がれてしまった。
「せっかくいい感じに勘違いしてくれているんだから、このまま『救世主』で押し通しましょう!」
「正直なのはとてもいいことですが、こういうときぐらいは強かにやるべきかと……!」
二人の吐息と小さな声が耳元に掛かり、背中には温かく柔らかい感触。
「わ、わかった……っ。言う通りにするから、ちょっと離れてくれ……!」
俺たちがそんなやり取りをしていると――。
「あ、あり得ん……! こんなものはトリックだ! ただのマヤカシに違いない……!」
酷く狼狽した様子のディバラさんは、
「儂は認めぬぞ! 貴様が救世主であるわけがないのだ! 絶対に認めぬからな……!」
絶対に認めない宣言を残し、自分の家へ駆け込んでしまった。
(う、うーん……。これはどうしたものか……)
村人からの大きな信頼は勝ち取れたけど、族長との関係は非常に険悪。
この後どのように行動すべきかを考えていると、
「救世主様、どうぞこちらへ――最長老様のもとへおいでください」
ディバラさんの娘に連れられ、村の最奥にある一軒家へ通された。
■
最長老様の御自宅は、古い大木が三本寄り添ってできた、非常に独特なものだった。
広い客間に通された俺たちのもとへ、温かいお茶が差し出される。
「私は族長ディバラの娘、ヒリン・マスティフと申します。ただ今最長老様をお呼びしておりますので、もう少々お待ちくださいませ」
お茶を運んできてくれたのは、ヒリン・マスティフ。
身長は160センチほど、おそらく俺と同い年ぐらいだろう。
黒い長髪を後ろで結った、清廉で落ち着いた雰囲気の人だ。
「先ほどは父が大変な失礼を働き、本当に申し訳ございませんでした。それと……守っていただき、ありがとうございます。救世主様の深き御慈悲に感謝を」
彼女はそう言って、謝罪と謝意を述べた。
「いえ、気にしないでください。本当に大したことはしていませんから」
俺はただ簡易召喚を展開しただけであり、頑張ってくれたのはうちの可愛いスライムだ。
そんな話をしていると――奥の方から、独特な気配が近付いてきた。
古びた襖がスッと開き、側仕え二人を引き連れた老齢の女性が、小さく頭を下げた。
「お初に御目にかかる。アルト殿、ステラ殿、ルーン殿。よくぞラココへいらっしゃった」
最長老様は木の杖を突きながらゆっくりと進み、一人掛けの大きな椅子へ腰を下ろす。
(……目が見えないのか)
両目はずっと閉じられたままだが、どこか不思議な貫禄を放っている。
ちなみに……ヒリンさんの話によれば、最長老様は今年でなんと御年170歳を迎えるそうだ。
「村の者から、アルト殿が伝承にありし『救世主』だと聞きました。それは真でございましょうか?」
「えっと、あの…………はい、そうなのかも、しれません……」
悩みに悩んだ結果――俺は仕方なく、嘘をつくことにした。
心がズキズキと痛むけれど……。
これも全ては、ラココ族とカルナ島に住むみんなのためだ。
「ふむ……御手を拝借してもよろしいですかな?」
「手、ですか……?」
「えぇ。古くより、手は口ほどにモノを語ると言います。友誼を交わすのも、術式を結ぶのも、心を汲むのも、全ては手を介して行われるのです」
「なるほど」
最長老様の差し出した右手に、自分の右手を重ねた。
「……おぉ、これはこれは……。慈愛に溢れた善なる心、そして――なんと懐かしき魔力であろうか。もはや間違いあるまい。この御方こそ、伝承にありし救世主じゃ」
「おぉ!」
「やはりそうであられたか!」
「あぁ……偉大なる祖霊の導きに感謝を……っ」
最長老様が太鼓判を押したことにより、村人たちの誤解は一層深刻になってしまった。
「――救世主殿、どうかこの老いぼれの話を聞いてくだされ」
最長老様は一呼吸を置いた後、ゆっくりと語り始める。
「今から千年以上も昔、この地に神代の魔女という化物が降り立ちました。其の者は邪悪な氷術を操り、カルナ島はおろかリーゼル大陸を丸ごと氷漬けにした。そうして『氷の大帝国』を築いた魔女ですが……その天下も長くは続きません。あまりに勢力を広げ過ぎた故、彼の大魔王に目を付けられてしまったのです」
……なんだか嫌な予感がする。
「大魔王はその圧倒的な魔力と神の如き術式をもって、神代の魔女を封印。氷の大帝国は一夜にして滅び、世界は――ラココ村は雪解けを迎えたのです」
「大魔王の封印……!?」
「わ、私も初耳です……っ」
ステラとルーンは、小声でそんなやり取りを交わす。
(ふぅー……。なるほど、そういうことか…)
脳裏を過ったのは、冒険者ギルドで交わされた、俺とマッドさんのあの会話だ。
『それほど強力な封印術式、いったい誰が構築したんですか?』
『えっ、いやそれは……ッ。あ、あー……すまない。ちょっとド忘れしてしまったみたいだ。あはは、いやぁ年は取りたくないものだね』
マッドさんは知っていたんだ。
氷極殿の封印を構築した術者が、あの大魔王であることを。
しかしそれをこちらへ伝えれば、『A級冒険者専用のクエスト』という『嘘』がばれてしまう。
だから、意図的に情報を伏せた。
まぁおそらくこれは、校長先生からの指示だろうな。
(しかし、神代の魔女……。あの大魔王が『殲滅』ではなく、『封印』を選んだほどの相手か……)
俺が警戒を強めていると――最長老様が、その後の歴史を語り始めた。
「我らが偉大なる御先祖様は、大魔王の封印術式を何百年と掛けて必死に解読し、それを族長相伝の術式として継承してきました。そうやって千年という長きにわたり、大魔王の残した封印を維持してきたのですが……。今より三年前、先代の族長ロンゾ・マスティフが流行り病で急逝。相伝の術式が、途絶えてしまいました」
彼女は複雑な表情で話を続ける。
「次代の族長に就いたディバラは、才気に溢れる稀代の大魔術師なのですが……。やはり相伝の術式なくしては、封印を維持することも難しく。今やもう、大魔王の封印術式は崩壊寸前となっております」
苦しい現状を語った最長老様は、瞼の降りた目を真っ直ぐこちらへ向けた。
「ただそれでも、ディバラは村を守るため、必死に精を尽くしております。この一週間なぞは片時も眠らず、毎日氷極殿へ赴き、自身の魔力で封印を補強しておるのです。『儂には学がないゆえ、こんなことしかできぬ』と涙をこぼし、焼け石に水とわかっていながら、それでも氷極殿で魔力を燃やし続ける。不器用で愚かな男ですが、その根は決して腐っておりませぬ。――先刻、あやつが救世主殿に無礼を働いたと聞きました。私の顔に免じ、どうか許してやってはいただけないでしょうか」
彼女が深く頭を下げたところで、玄関口の扉が荒々しく開かれ――ディバラさんが顔を出した。
「――最長老様。そのような偽物に、我が部族の歴史を語り聞かせる必要はございませぬ。ましてや貴方様が頭を下げるなど、あってはならぬことです」
「ディバラ。この御方は真実の救世主であらせられる。それをあろうことか『偽物』など……失礼な物言いはよせ」
最長老様は真っ白になった目をカッと見開き、凄まじい圧を放つ。
(……この人、相当お強いな)
齢170を越えて、この漲る大魔力。
現役時代は、さぞや凄腕の術師だったに違いない。
「…………儂はこのような余所者を、ましてやD級冒険者などを認めませぬ。認めはしませぬが……どうやらこの男、魔術の覚えはあるらしい。今夜決行する『封印決戦』、その端に置いてやってもよいと思っております」
おそらくは村人からの強い説得を受けたのだろう。
ディバラさんは不承不承といった様子で、封印への協力を認めてくれた。
「『端に置いてやってもよい』ですってぇ……?」
彼の言葉に引っ掛かったのは――もちろん、ステラだ。
「なんだ小娘、文句でもあるのか?」
「文句ありありよ! せっかくアルトが手伝うって、言ってくれているのに……『ありがとう』の一つでも言ったらどうなのかしら!?」
「す、ステラ……気持ちは嬉しいけど、俺のことは大丈夫だから……っ」
「父上! アルト様は遥か古より伝わりし救世主様でございます! 言葉遣いには、くれぐれもお気を付けください!」
俺とヒリンさんに窘められた二人は、
「むぐぐ……っ」
「ぐぬぬ……っ」
お互いに睨み合いながらも、ひとまず矛を収めた。
(ステラとディバラさんの相性は最悪だな)
この二人は、あまり近付けない方がいいだろう。
その後、俺たちは今夜の封印決戦に備え、綿密な作戦会議を始めるのだった。
■
作戦の決行は今夜零時。
なんでもその時間は、ラココ族の魔力が最も高まるそうだ。
作戦開始までの数時間、それはまぁいろいろと大変だった。
ラココ族のみなさんは、俺のことを救世主だと信じて疑わず……。
「救世主様、どうかうちの子の頭を撫でてやってはくれないでしょうか……!」
「救世主様、何か御言葉を賜れないでしょうか!?」
彼らのお願いを一つ一つ聞いていったら……思いのほかヘトヘトになってしまった。
そんな風にして時間は流れていき、夜の十一時三十分。
いよいよ氷極殿へ突入する。
封印決戦に臨むのは、総勢五十人。
俺・ステラ・ルーン・ディバラさん・ヒリンさん、その他大勢のラココ族の魔術師。
足の悪い最長老様は、家の中で祈祷を続けるそうだ。
氷極殿への入り口は、ラココ族の祠。
秘密の隠し扉を開け、静かな地下室を進んで行くと――極寒の冷気が吹き上がってきた。
「さ、寒……っ」
「これは冷えますね……ッ」
俺は武装召喚で炎獅子のローブと太陽神の法衣を取り出し、ステラとルーンの肩に掛けてあげる。
「俺のでよかったら使ってくれ」
「ありがとう、アルト。……あぁ、温かぃ……」
ステラは柔らかく微笑み、
「アルトさんの使った服……」
ルーンはなんと、においを嗅ぎ始めた。
「あ、あの……においを嗅ぐのはちょっと……っ」
「え……? あぁっ!? す、すみませんすみません……! 今のはつい魔が差してしまっただけなんです……! 別に冒険者学院の頃から、隠れてこっそりこんなことをしていたわけじゃありませんので……!」
彼女は顔を真っ赤に染め上げ、必死に両手を左右に振った。
「あ、あぁ、わかった」
俺の保管してある魔具は、使用した後はもちろんのこと、最低でも月に一度はちゃんと手入れしてあるから、多分変なにおいはしなかった……はずだ。
(というか、冒険者学院の頃から……?)
……いや、深く考えるのはよそう。
ルーンがここまで必死に「やっていない」と言うのだ。
大切な友達の言葉を信じなくてどうする。
そうこうしているうちに、あっという間に中層へ到着した。
「――これより先、大魔王の呪いによって、氷極殿はダンジョンと化しておる! みな、心して掛かるのだ!」
ディバラさんが警告を発し、先陣を切って突き進んで行く。
邪悪な魔力と不気味な瘴気を掻き分けていくと――B級モンスターの群れに遭遇。
(……この程度なら、『武装』もいらないかな)
俺が両手両足に魔力を込めたそのとき――。
「天道術・日輪!」
「潜影呪術・蟒蛇!」
「魔笛演舞・焔!」
ラココ族のみなさんは一斉に魔術を展開、迫り来るモンスターの群れをあっという間に片付けた。
(……不思議な魔力だな)
魔力というものは、人それぞれに特色があるのだが……。
彼らのものは、それがどこか濁っていた。
いや、正確には交ざっていると表現するのが適切だ。
(これは……なるほど、『降霊術』の一種か)
おそらくは、昼間行っていたという舞踊と祈祷の効果なのだろう。
彼らの魔力と身体能力は、祖霊の加護によって、大きく向上しているようだ。
その後、破竹の勢いでモンスターたちを蹴散らし、いよいよ最下層へ辿り着く。
眼前にそびえ立つのは、巨大な漆黒の扉。
この先に、神代の魔女が封印されているのだ。
ディバラさんはこちらへ向き直り、ゴホンと咳払いをする。
「作戦会議のときにも説明したが、もう一度周知を徹底しておこう。大魔王の封印は最下層全域に効果を及ぼしており、封印術・結界術の類は機能せぬ。特に防御の際、いつもの癖で結界術を展開せぬよう注意するんだぞ?」
全員が頷いたことを確認した彼は、静かに両手を扉に掛ける。
「――では、行くぞ!」
ディバラさんが勢いよく扉を押し開けた次の瞬間、
「「「~~ッ」」」
超高密度の魔力が吹き荒れ、ラココ族の魔術師たちが顔を真っ青に染めた。
「そ、そんな……『第四術式』までもが、完全に破られている!?」
「残すはもはや第五術式のみ。これではもう後一刻もしないうちに……ッ」
どうやら事態は、思ったよりもずっと深刻なようだ。
「狼狽えるな! 敵は所詮、封印に囚われし哀れな魔女だ! さぁ、すぐに持ち場へ――」
ディバラさんの号令に紛れて、透き通るような声がシンと響く。
「――血氷術・限久凍土」
刹那、とてつもない大魔力の込められた猛吹雪が、視界を真っ白に染めた。
「馬鹿、な……!?(まだ第五術式が機能している状態で、なんだこのふざけた出力は!? 迎撃――儂の展開速度では間に合わぬ。回避、不可。術式の範囲が広過、駄目だ……死――)」
「――異界召喚・下下炎獄」
敵の放った強烈な猛吹雪は、炎獄の熱波に呑まれ――世界が『純白』から『紅蓮』へと塗り替えられていく。
灼熱の業火が噴き上がり、煮え滾る溶岩が地を這う。
『下下炎獄』という焦熱の異界が、氷極殿の最下層を浸食していった。
「ホォ、イキナリ我ガ世界ヲ召喚スルトハ……。此度ノ相手、カナリノ強者ト見タゾ!」
凶悪な笑みを浮かべた炎鬼オルグが、下下炎獄の軍勢を引き連れて顕現。
すると――。
「ほぅ……。あの刹那で異界を構築するとは、中々に優れた術師がいるようだ……」
未だ先の見通せない雪化粧の奥、神代の魔女の声が不気味に響いた。
「俺が奴の足止めをします。みなさんは持ち場へ急いでください……!」
こうして神代の魔女との封印決戦が、ついに幕を開けたのだった。
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