第十二話:王鍵と王律
大戦士ヘラクレス――。
確固たる自信と深い叡智に溢れた群青の瞳。
二メートルを超える巨躯には、隆起した筋肉が搭載されており、腰に差したる獲物は、神話の宝剣マルミアドワーズ。
威風堂々としたその立ち姿は、まさに大英雄然としていた。
(……よかった。なんとか間に合った……っ)
今回ばかりは、本当に危なかった。
後コンマ数秒でも遅れていたら、レグルスの幻想神域が完成してしまい、この召喚は成立しなかっただろう。
「はぁはぁ……っ。よくも、私の命々流転郷を……ッ」
奴は荒々しい息を吐きながら、キッとこちらを睨み付ける。
(……かなり消耗しているな)
神螺転生によって、先ほど千切られた右腕はもう再生しているが……。
レグルスの顔色は、非常に悪い。
(幻想神域は、途轍もなく膨大な魔力を消耗すると聞く……)
この消耗具合から判断して、二度目の幻想神域は警戒しなくてもいいだろう。
「――ヘラクレス、やってくれ」
「ル゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」
俺からの魔力供給を得た大英雄は、凄まじい勢いでレグルスのもとへ突き進む。
「……真正面から向かって来るとは、私も舐められたものですね。――神螺転生」
レグルスの右手がヘラクレスの脇腹に触れた次の瞬間、レグルスの腕はボコボコと膨れ上がり、黒い肉片となって飛び散った。
「な、ぜ……神螺転生が跳ね返って――ごはッ!?」
大英雄の強靭な右腕が、奴の顔面に突き刺さる。
「が……っ!? ぐぉ……ぎ……ッ」
レグルスはまるでボールのようにバウンドしながら、遥か後方へ吹き飛んでいく。
「――ネメアーの鎧。残念だけど、ヘラクレスに初見の魔術は効かないぞ」
遥か神代の昔――彼の大英雄は、神々から課せられた『十二の難行』を乗り越え、その褒美として十二の神具を授かった。
初見の魔術を問答無用で反射するネメアーの鎧をはじめ、ヒュドラの毒矢・ケリュネイアの金角・エリュマントスの皮衣などなど……。
真実、神々の力が宿ったその武具は、一つ一つがまるで奇跡のような力を誇る。
彼と契約を結ぶのは……本当に死ぬほど大変だった。
「なるほど……。ヘラクレスの逸話から推察するに、十二の難行に対応した神具を持っているというわけですか……。この召喚獣、ちょっと厄介過ぎますねぇ……っ」
その後、レグルスは神螺転生と結界術を駆使し、なんとか必死に食らい付くが……。
「グ゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」
「が、は……ッ」
ヘラクレスの圧倒的な力と十二の神具に押され、あまりにも一方的な蹂躙劇が繰り広げられた。
「はぁはぁ……困りました。今の私では、この召喚獣を殺し切れなさそうだ」
「……諦めたのか?」
「まさか! ただ……少しだけ『基本』に立ち戻ろうと思いましてね。召喚獣が強力な場合は、召喚士を叩く――召喚士対策の基本ですよ」
奴は肩を軽く回した後、小さく息を吐き出した。
「……正直に告白しましょう。私はアルトくんのことを正しく評価し、然るべき警戒をしていた……つもりでした。しかし実際のところは、心のどこかで侮っていたようだ。所詮は無知蒙昧な人間。ただの劣等種族に過ぎないうえ、まだまだ未成熟な十代の子ども。そんな油断や慢心が……今の醜態に繋がっている」
レグルスの纏う空気が変わる。
「――アルト・レイス。私はもうあなたを格下と思いません。『神代の大召喚士』と殺り合うつもりで、最後の魔術を放ちます」
これは……気を引き締める必要がありそうだ。
「――神螺転生」
次の瞬間、レグルスの頭上に魔力で作られた巨大な球体が発生し、それはどんどん小さくなっていた。
「球体内を満たす『空気』に命を授け、それらを自壊させていく。誕生と死滅を繰り返した果てに生まれるのが、この『絶対真空』……!」
あんなものをまともに食らえば、ただじゃ済まないだろう。
俺は静かに呼吸を整え、魔力の精錬に集中。
両者の視線が交錯し――レグルスが先に動いた。
「――神螺転生・崩真!」
天空の球体にヒビが入った次の瞬間、赤黒い閃光が凄まじい勢いで射出される。
(神螺転生・崩真は、『真空崩壊』という極大のエネルギー爆発に、ありったけの魔力と生命力を注いだ最強の一撃! これならば、ヘラクレス諸共、召喚士本体を殺れる……!)
眼前に迫る大魔術に対し、迎撃を開始する。
「ヘラクレス――宝剣マルミアドワーズを完全解放。全魔力を以って、目の前の敵を殲滅しろ」
ヘラクレスが天高く掲げた宝剣に、空間が歪むほどの魔力が集中していく。
「ウ゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」
振り下ろされた斬撃は、まさに『神話の一ページ』。
全てを断ち斬る究極の一撃は、神螺転生・崩真を食い破り、
「この、化物、め……ッ」
レグルスの胸部に、巨大な風穴をぶち開けたのだった。
■
「……ぜひゅ、ぜひゅ……ッ。神螺、転……生……っ」
「……驚いた。まだそんな余力があるのか」
全身の約七割を消失したレグルスは、息も絶え絶えと言った様子で再生を始めるが……その速度は非常に遅い。
おそらく命のストックが尽きてしまったのだろう。
「レグルス、お前には聞きたいことが山ほどある。悪いが、拘束させてもらうぞ」
『蟲』の手印を結び、食々蟲を召喚――粘性のある触手を利用して、奴の手足を拘束していく。
「……私はこの先、冒険者ギルドで尋問を受け、いずれは処分されることでしょう……。もはや大魔王様の力になることができない、そんな自分がどうしようもなく情けない……っ」
仰向けに拘束されたレグルスは、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「そこで、一度よく考えてみました。どうすればこの命を、吹けば飛ぶような風前の灯を、大魔王様のために活かせるか……。するとなんと、素晴らしい名案が浮かんだのです!」
奴は凶悪な笑みを浮かべ、おぞましい悪意を撒き散らしながら、けたたましい大声を張り上げる。
「――さぁさぁ、みなさんお立合い! レグルス・ロッドがお送りする、生涯最後の大悲劇が幕を開けますよォ!」
レグルスが左手で『爆』の手印を結んだ瞬間、モンスター化した冒険者たちの体が、ボコボコと膨れ上がっていった。
「ほらほら冒険者のみなさん、しっかりと目を開けてください! 醜いお仲間の最期をちゃんと看取ってあげましょう! この残酷で醜い死を! なんの意味もない空虚な最期を! しかとその眼に焼き付けようではありませんか!(――感情が揺らげば、魔力が揺らぎ、魔力が揺らげば術式が揺らぐ! さぁ怒れ! 傷付け! 己が無力を嘆け! その負の感情は、抉られた心の傷は、あなたたちの成長を阻む、大きな足枷となる……!)」
奴は満面の笑みを浮かべながら、高らかに術式を謳いあげる。
「――神螺転生・解!」
次の瞬間――静寂があたりを包み込む。
「「「……?」」」
そこには、あるべきはずのものがなかった。
弾け飛んだ無残な遺体・冒険者たちの悲鳴・二度と癒えぬ悲しみ――悲劇を構成するものが、何一つとして存在しない。
「何、故……? どうして、誰も弾けないのですか……!?」
目の前の光景が到底理解できないのだろう。
レグルスは声を震わせ、小さく首を横に振っている。
「残念だけど、レグルスの思い通りにはならないよ」
万が一、『最悪の事態』を想定したときの保険が――今ここで生きた。
「――王鍵・開錠」
第七地区に突き立てておいた王鍵シグルドに接続。
世界を走る不可視の『王律』に指を掛け――命令を下す。
「アルト・レイスの名において、当該対象の事象を――破却する」
次の瞬間――キィンという甲高い音が響き、世界が修正されていく。
「そん、な……馬鹿な……っ」
神螺転生によって、モンスター人間に改造された冒険者たちは、みるみるうちに元の体へ――人間の体へ戻っていった。
「マシュ、マシュぅ……! よかった。本当によかったぁ……っ」
「い、痛いよ、ティルト……」
ティルトさんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、緋色のブローチを付けた女性冒険者に抱き着く。
その他にも、あちらこちらで歓喜と感動の声が湧き上がった。
「あ、あり得ない……。こんなことは、絶対にあり得ない……! 神螺転生で壊した命は、どんな回復魔術をもってしても治せないはず……ッ」
「えぇ、アレは間違いなく、『不可逆の破壊』でした。回復魔術では、絶対に治せませんね」
「ならば、いったいどうやって!?」
食い気味に聞いてくるレグルスへ、とても簡単な答えを告げる。
「なかったことにしたんですよ」
「……は?」
奴は理解できないといった風に、ポカンと大口を開けた。
「『レグルス・ロッドが神螺転生を使って、冒険者をモンスターに改造した』――この事実をなかったことにしたんです」
レグルスに改造されたという『過程』が消えたのだから、冒険者たちがモンスター化したという『結果』も消滅する。
至極、当然のことだ。
「それは……過去を改変したということですか!?」
「はい、その通りです」
「ふ、ふざけないでください! 過去改変など、できるわけが――」
「――王鍵には、それができるんですよ。といってもまぁ、『王律の干渉』にはたくさんの制限があるので、思ったよりも使いにくいんですけどね」
王律で干渉できる範囲は、現在の時間から前後三日のみ。
『座標』である俺から離れた事象ほど改変が難しくなる。
『死』という『絶対的な収束』の破却は不可能。
他にも数多くの制約が存在するため、そう易々と使うことはできないのだが……。
オンリーワンの性能を持つため、はまったときの性能はピカイチだ。
(変幻自在の召喚術・摂理を超えた魔具、そして何より『無尽蔵の大魔力』……ッ。今、確信した。アルト・レイスは、いずれ必ず『幻想』の域に到達し、大魔王様に牙を剥く。……駄目だ。この少年は、あまりにも危険過ぎる……。なんとかして、他の復魔十使に伝えなければ……アルト・レイスという危機を、どうにかして伝えなければ……!)」
手足を拘束されたレグルスは、何故か今頃になって抵抗を始めた。
次の瞬間、
「――よかった。ギリギリ間に合ったみたいだね」
黒いローブを纏った男が、食々蟲を斬り裂き――レグルスの身柄を奪った。
(新手か……っ)
俺はすぐさまバックステップを踏み、謎の乱入者から間合いを取る。
突然の乱入者は、黒いローブを纏った背の高い男。
フードを目深にかぶっているため、その顔を窺い知ることはできない。
右手に古びた剣を握っているところからして、前衛職の可能性が高いだろう。
「もしかして、復魔十使のお仲間でしょうか?(なんというか、独特なプレッシャーを感じる……。多分この人、相当強いぞ……っ)」
「僕が復魔十使かどうか、ね……。難しい質問だけど、今のところはイエス、かな?」
何やら、随分と含みのある回答だ。
「つまり、仲間を助けに来たということですね?」
「一応、そうなるかな。レグルスの固有術式――神螺転生は『器』探しにもってこいだからね。今はまだ失いたくないんだよ」
「器?」
「うん、器」
男は同じ言葉を繰り返し、多くを語ろうとしなかった。
どうやらこの『器』という言葉については、あまり詳しく話したくないようだ。
「よし……それじゃ、僕はこの辺りで失礼しようかな。今はまだ、あんまり目立ちたくないしね」
「このまま逃がすとお思いですか?」
レグルス・ロッドは、とても貴重な情報源。
それをみすみす持っていかれるわけにはいかない。
「うーん、困ったな……。今はあまり戦いたくないし、見逃してくれると嬉しいんだけど……?」
「それは難しいご相談ですね。偶像召喚――」
俺が『獣』の手印を結ぼうとすると、
「――見逃がしてくれないかな?」
男はまるで別人のような冷たい声を発し――ほとんど全ての魔力を使い果たしたステラたちの方へ、スッと右手を伸ばした。
(な、なんだ……あのおぞましい魔力は……!?)
絶望・悲哀・諦観・憤怒・怨嗟――右手に込められた魔力は、『負の感情』がギュッと凝縮された、恐ろしく醜悪なものだった。
(……もしも俺がこのまま手印を結び、召喚魔術を展開したら……)
あの男は躊躇なく、ステラたちへ攻撃を開始するだろう。
「…………わかった。その代わり、ステラたちには手を出すな」
「ありがとう。君が優しい子で助かったよ」
黒いローブの男は柔らかい声色で感謝を述べ、転移術式を展開、その中へレグルスを放り込んだ。
「――おっと、忘れるところだった。それはそっちに預けておこうかな」
男が指さしたのは――大魔王の心臓。
あれだけ激しい戦闘があったというのに、いまだ玉座の上に鎮座している。
おそらくは特殊な魔術か何かで、座標が固定されているのだろう。
「大魔王の忌物……。復魔十使にとって、大切なものなんじゃないのか?」
「うん。だから、大切に保管しておいてほしいんだ。それに……もしかしたら、君かもしれないしね」
「……?」
「いいや、こっちの話だよ。……多分、君とはいずれまたどこかで会うことになるだろう。そのときは、もっと深く話せるといいね。――それじゃ」
謎の男は軽く手を振り、別の座標へ転移した。
「――アルトくん、どうする? 追うか?」
ことの成り行きを静かに見守っていたラインハルトさんが、すぐに意見を求めてくる。
「いえ、やめておいた方がいいと思います。あの男は、相当強い……。下手に追ってしまうと、手痛い反撃を食らうかもしれません」
「そうか、わかった。それでは、大教練場へ戻るとしようか」
「はい」
大魔王の忌物である『心臓』を回収した後、ティルトさんが転移魔術を発動。
前回は不発に終わったが、今回はきちんと術式が機能してくれた。
レグルスを倒したため、転移阻害の結界が消滅したのだ。
(ふぅー……。いろいろ大変だったけど、なんとか無事に終わったな……)
復魔十使レグルス・ロッドとの死闘、黒いフードを纏った謎の男の急襲。
今回突然参加することになったこの大規模遠征は……正直、トラブルだらけだった
だけど、モンスター化した冒険者たちはみんな元に戻せたし、戦術目標であった大魔王の遺物もちゃんと回収できた。
結果を見れば、俺たちの『完全勝利』と言えるだろう。
※とても大事なおはなし
『面白いかも!』
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明日も頑張って更新します……!(今も死ぬ気で書いてます……っ!)
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