日記
パンをひとつもらった。
そのパンは噛みきれないほど固かったが、それでもゆっくりと時間をかければ食べられないほどではなかった。
服をもらった。
町を歩けるほどきれいなものではなかったが、冬の寒さを超えることはできそうだ。
「今日からここがお前の家だ」
そう言われて男の人に招かれた。大きな家だ。白黒の服を着た大人の人達はその男の人に頭を下げている。気がつけば新しい服、食べ物、そして名前が自分の物になった。
ペンをもらった。
学校という場所ははじめてだ。みんなが勉強している。そうか、ここはそういう場所なのかと理解して勉学に励むことになった。
初めて褒められた。
学校の成績で一位をとれたからだ。先生やあの男の人に頭を撫でられ、不思議な気分になった。このまま良い成績を取り続ければまた褒めてもらえるのかな。
恋人ができた。
もう随分長い間学校の成績では一番以外をとった記憶がない気がする。そんな折、自分に好意を抱いてくれる人が現れた。会ってすぐに仲良くなり気が付けば恋人同士になっていた。あの男の人に言ったところ、とても嬉しそうにして頭を撫でてくれた。「もうすぐだ」彼は言った。
恋人が殺された。
激しい雨が降った夜の次の日、学校への通り道、裏路地で腹部から血を流して倒れている恋人を発見した。見つけた時にはもう手遅れだった。恋人の体は冷たく、ただこの世には存在しなくなったということだけを訴えていた。
家に帰ると突然誰かに襲われ、意識を失ってしまった。
目が覚めた時、自分の体に違和感を覚えた。
周りが真っ暗だ。でもここは見覚えがある。家の地下室だ。今までなんのために存在していたのか分からなかった檻の中に入れられている。状況が飲み込めないままとりあえず助けを呼ぼうとする。しかし上手く言葉を紡ぐことが出来ない。
話せない。舌が根元から切られているから。
指が動かない。そもそも肘から先の腕がない。
立てない。膝より先がない。
傷を塞ぐ包帯から血が滲んでいるのがとても痛々しい。それでも痛くはない。現実感がない。
3日ほど経った。
パンをもらった。飢えに支配されそのパンがどんな高級な料理にも勝る食べ物に見えた。肘を使って食べようとするが、上手くいかず何度もパンを落としてしまう。何度か繰り返していると、あの男の人の笑い声が聞こえてきた。
「なんでこんなことをしたのか聞きたそうな顔してるな」
返事をする手段がないことを知っているのに質問を投げかけ、男は続ける。
「俺、なんていうかたまに完璧な物を壊したくなる衝動に襲われるんだ。今まで色んな、ありとあらゆるものを壊してきた。で、ある時ふと思ったんだ。完璧な人間を壊したいって。でも世の中に完璧な人間なんていない。俺は考えたよ。じゃあ俺が完璧な人間を作ればいいんじゃないかってな.......そう、お前だ。スラム街で死にかけてるお前を見た時は雷が落ちた。神からの贈り物だとも思ったね。頭が良く、愛を知っていて、幸せも絶望も知る、そんな人間中々いないからな。その顔だ。その怒りと絶望の表情が見たかったんだ。ああ、最高だよ」
睨みながら檻に頭をぶつける様を見て、さらに続ける。
「いやあ、ありがとう。あとは自分を壊せば人生満足だよ」
男は銃を取り出し、自身のこめかみに向けて放った。
それからしばらく経った。
何度夜を迎え何度朝を迎えたのか、くらい地下室では何もわからない。生まれて何年経ったのかももう知ることは無い。自分の命が尽きるとしたらきっと今日だ。決して長いとは言えないような人生を思い出し、頭の中で思った。
「ああ、これが私の人生か」