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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そしてあなたにデッサンを

作者: ピッチョン


宇佐見(うさみ)ちゃん、私の絵のモデルになってくれないかしら?」

 地元の高校に進学し、美術部に入部して少し経ったある日、部長の御園(みその)茉里奈(まりな)先輩にそうお願いされて私は二つ返事でOKを出した。

 御園先輩はどこかのお嬢様かと思うような美しい女性だ。艶のある長い黒髪に憂いを秘めた整った顔立ち。絵筆を握りカンバスに向かう姿は、額に飾りたくなるくらい絵になっている。

 美術部員のみならずほぼ全ての女生徒の憧れである御園先輩に声を掛けられて、舞い上がらないわけがない。

 私はるんるん気分で日曜日に部室へと向かった。そうして笑顔で出迎えてくれた御園先輩は衝撃の一言を口にした。

「じゃあ、あそこのパーテーションの裏にタオル用意してあるから、前は隠したままであの台の上に座ってね」

「……え?」

「つらくなったら休憩とるからすぐに言って。他は何か必要なものとかはある?」

「いや、あの、絵のモデルですよね?」

「そうよ」

「ちょっとの時間座ってるだけって言ってましたよね?」

「えぇ。そこに座るだけよ」

「ふ、服は?」

「もちろん脱ぐわ。ヌードデッサンだもの」

「ぬ、ぬうど……」

 てっきり制服のままだと思っていた。あからさまに渋い顔をした私に御園先輩が手を合わせて頭を下げる。

「ごめんなさい。話したつもりだったのだけど、私伝えてなかったかしら。本当にごめんなさい」

「あ、いいんですいいんです! 私がちゃんと聞いてなかっただけかもしれないし」

 謝られるのが申し訳なくて私は気にしてないと笑ってみせる。

「ならこのままモデルをお願いしても大丈夫?」

「えっとそれは、服のままでもオッケーな感じでしょうか……?」

「それじゃあ私の求める絵にならないの」

「でもそんないきなり裸だなんて。私なんて貧相な体だし」

 脱ぐのが恥ずかしいというのは羞恥もあるが、なによりも御園先輩に見せられるような体ではないと思ったからだ。

「そんなことないわ。宇佐見ちゃんの首筋や手、指を見ただけでピンときたもの。あぁ、この子が私の探していたモデルなんだって」

 御園先輩の手が私の首から肩、腕をなぞり手の指へと降りていく。私の指先が御園先輩に遊ばれる。

「あ、や、先輩」

 くすぐったい感触に背筋がぞくぞくとする。御園先輩は私の反応を見てくすりと笑ってから、ふと手を離した。

「そうね。ひとりで脱ぐのはやっぱり恥ずかしいものね。なら私も裸になります。それならお風呂とおんなじで恥ずかしくないでしょう?」

 御園先輩はそう言うと自分のブレザーを脱ぎ捨てて胸元のリボンを取り、ブラウスのボタンを外し始めた。

「え、御園先輩、ま、まってください!」

 私の制止もむなしく、御園先輩はあっと言う間にブラウスを脱いでしまった。白い肌着の下にブラがはっきりと見えている。

 御園先輩が肌着の裾に手をかけたところで、私はようやくその手を掴んで止めた。何故こんなに慌ててしまっているのか自分でも分からないまま、口が勝手に言葉を喋る。

「せ、先輩は脱がなくていいです! 脱ぐなら私だけが脱ぎますから!!」

「本当? ありがとう、宇佐見ちゃん」

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。満面の笑みで私の手を握る御園先輩に、私は引きつった笑顔で頷くことしか出来なかった。


 いくらカギを締めてカーテンを閉じてはいるとは言っても、ここは学校だ。

 校庭で部活動に励む運動部の声や、それを盛り上げるような吹奏楽の調べ、そしてときおり廊下から聞こえる話し声が否応無く人の気配を私に伝えてくる。

 制服を脱ぎ、周囲を確認しながら下着も外し、最後の一枚も脱ぎ捨てて私は生まれたままの姿になった。万が一にも誰かに見られたらという不安と、いけないことをしているような背徳感で体がふわふわと浮いている気分だ。

 用意されていたタオルは体に巻き付けるには不十分で、前側を隠す最低限の面積しかない。私が隠し方を試行錯誤しているとパーテーションの向こうから声が掛けられる。

「準備は出来たかしら? 手伝いは必要?」

「い、いえっ、大丈夫です! 今行きますから!」

 答えてから私は意を決して踏み出した。歩いたその風圧でタオルがめくれそうになり、慌てて端を押さえる。情けない中腰姿でよちよちと歩く私に御園先輩の心配そうな声がいてくる。

「本当に大丈夫?」

「だ、だいじょうぶですっ!」

 なんとか台までたどり着き、上にあがろうとして気が付いた。

(これ、足あげたら見えちゃうんじゃ……)

 呆然と立ち尽くす私に御園先輩がイーゼルを移動させながら言う。

「背中側をこっちに向けて座って、足は楽な体勢で台の上に乗せてちょうだい。右手を支えにするといいと思うわ」

 なるほど、とシーツの敷かれた台にまず後ろ向きで腰掛けて、回転するようにして両足を台の上に乗せた。タオルは左手でしっかりと押さえながら御園先輩を振り返る。

「こんな感じでいいですか?」

「もう少しだけ角度こっちに向けて。背筋も猫背になりすぎないように、顔は横を向いたままで。うん、それで完璧。それじゃあ私は描き始めるから、何かあったら言ってね」

「あ、はい」

 御園先輩はイーゼルの前に腰を降ろすと、真剣な表情に変わり鉛筆を動かし始めた。

 一切の雑念のないその表情に、私はそれまでの自分の発言や思考を思い出し反省する。

 あくまで御園先輩は芸術と真摯に向き合っているだけなのだ。たかだか同性に裸を見せることになんの羞恥があるだろうか。

 私だって美術部だ。裸婦画だってこれから描くこともある。そのモデルをして、絵になるところを身近で観察できるのだからこれ以上の経験はない。

(でもそれなら描いてるところを後ろから見た方が勉強になるかな)

 ふと考えつき、私は御園先輩に話しかける。

「描いてる途中すみません」

「何かあった?」

「あ、いえ、こういうヌードデッサンって結構してたりするんですか?」

「それは、どうして?」

「もしまた機会があれば、私も見学させて欲しいなぁと」

 御園先輩が手を止めた。

「私が個人的にお願いしたのは、宇佐見ちゃんが初めてよ」

「え、そうだったんですか? 自分で言うのもなんですけど、私よりも綺麗な先輩や可愛い同級生なんてたくさんいると思うんですが。どうせ描くならもっとデッサンしがいのあるモデルの方が――」

「宇佐見ちゃん」

 御園先輩が私の言葉を遮った。

「自分よりも綺麗・可愛いっていうのはどういう基準で誰が選んだものなの?」

「え?」

 御園先輩の鋭い視線とぶつかり、私は慌てて頭の中を整理した。

「き、基準はよく分からないですけど、色んな人を見て私が私と比べてそう思った、はず、です……」

 途中から自信を無くし萎縮する私に、御園先輩が優しく微笑みかける。

「ごめんなさい、詰問するつもりじゃなかったの。宇佐見ちゃんの答えは間違ってないわ。美意識というのは自分で判断するもの。何が綺麗で何が可愛いのかは人によって違うのが当たり前。だからね、宇佐見ちゃん。私は私があなたと他の人を比べて、あなたの方が可愛くて魅力的だと感じたから、デッサンしたいって思ったの」

「……あ、え?」

 御園先輩が再び鉛筆を走らせ始めた。シャッシャッと音が聞こえる度に、先程のセリフが脳内でくりかえし再生され、顔が熱く火照ってくる。

 嬉しいのか恥ずかしいのかその両方か。頭の中の小さな自分が手足をバタバタとさせて暴れるのを感じながら、姿勢だけは崩すまいと耐え忍んだ。

(御園先輩はどういうつもりで言ったんだろう。ただ私のことを可愛いって言いたかっただけなのかな。それとも……)

 いや、そんなことはどうでもいい。憧れの先輩が私を選んでくれたというだけで満足だ。だから今はモデルとしての役割をしっかりと果たそう。

 私は気合を入れ直してから背筋を伸ばして集中した。


 途中何度も休憩を挟みながら、間もなく開始から2時間が過ぎようとしていた。

 御園先輩が鉛筆を置いて顔を出す。

「そろそろ終わりにしましょうか」

「もう完成したんですか?」

「だいたいはね。細かいところは家で仕上げるつもり」

「なら最後まで描いてくださいよ。私ならまだ平気です」

「ダメよ。慣れない体勢で疲れたでしょう? 日が沈むと冷えてくるし、これでおしまい」

「……はい」

 平気とは言ったが正直お尻や足が痛くなってきていたし、おとなしく御園先輩に従うことにした。

 御園先輩が立ち上がって近づいてくる。その手にはスマホが握ってあった。

「その変わり、写真撮らせてくれないかしら。細部の参考にさせて欲しいの」

「しゃ、写真ですか?」

 前側を隠しているとはいえ裸をデータに残されるのはよろしくないのではないか。しかし、絵を完成させる為に協力すると決めたはずだ。

「う……誰にも見せないですよね」

「勿論」

「ネットに流したりもしませんよね」

「当然」

「絵が出来上がったら消してくれますよね」

「……」

「あれ、おかしいな。返事が聞こえない」

「じゃあ撮るわね」

「無視ですか!?」

「もう、わかったわよ」

 御園先輩が口を尖らせて不承不承と息を吐いた。

「絵が出来たら画像データは消します。これでいい?」

 私はコクコクと頷いた。とはいえ口約束だけでは心もとない。絵が完成したらしっかりとスマホをチェックしないと。

 御園先輩がカメラを起動し写真を撮り始めた。背中や腰、太ももや足の先を順番に撮影していく。カシャ、と音が鳴る度に体の芯がじわりと熱くなる。目で見られるのとは違った感覚にどうにもむずがゆくなる。グラビア撮影をする気分というのはこんな感じなのだろうか。

 スマホが私の横顔を捉えたとき、御園先輩が難色を示した。

「もっと色っぽい表情にしたいんだけど、出来る?」

「色っぽい、ですか……」

 そんなことを言われても色っぽい表情をどうすれば作れるのかなんて分からない。上目使い、あひる口、舌なめずり……どれもパッとしない。

「大丈夫、私に任せて」

 御園先輩はそう言うと、どこからか筆を取り出してきた。見たところ水彩用の筆っぽいが。筆を持った御園先輩の手が私の視界外へと消えていく。

「っひゃ――」

 その奇声が私の口から飛び出たものだと気付くのに数瞬かかった。首をねじり、私はその原因を見定める。

 御園先輩が筆先を私の背中に這わせていた。上から下に線を引くようにゆっくりと筆を滑らされると、痺れるような刺激が体を貫き「んんっ」と私の声が漏れる。

「な、なにしてるんですか!」

「何って、色っぽい表情になるお手伝い」

「だからってこんなのおかし――いっひっ!」

 筆が背中をのぼりうなじをくすぐる。そのまま顎のラインをなぞりながら御園先輩がくすと笑う。

「ダメじゃない、ちゃんとむこうを向かないと。さっきとおんなじ体勢のまま、動いちゃダメよ」

「そんな……んっひぁ!」

 耳の穴をくすぐられて変な声がまた出てしまう。さすがにこれはモデルへの要求としては逸脱し過ぎている。動くなと言われても拘束されているわけじゃない。振り払えば簡単に逃げられる。

 だけど、私は動けなかった。恐かったからか、身が竦んでしまったからか。違う、そうじゃない。動きたくなかったのだ。私は、心のどこかでこの行為を喜んでいた。御園先輩が私を求めてくれればくれるほど幸せを感じていた。

「ん――あっ!」

 首から肩の方へと進んだ筆がさらにくだり、タオルの横から侵入してきた。胸の小さな膨らみに沿うように毛先が踊る。

「ぁ……んっくぅ――」

 歯を食いしばってもその感覚に耐えられない。胸から発せられた信号は私の脳を犯し、四肢の指先を痺れさせる。自身を襲ういまだかつてない感覚は言い知れぬ不安となって無意識に目の前の相手に助けを請うてしまう。

「みその、せんぱぃ……」

 半開きになった私の口を、御園先輩の口が塞いだ。

「――――」

 その瞬間、私の思考は完全に停止した。

 何も考えられないのに聴覚だけはいつもより鋭敏で、筆が床に落ちて跳ねる音や野球のボールが打ち上げられる音、階段を下っていく足音がはっきりと聞こえてきた。

 唇を重ねたまま、何秒経ったのだろうか。息を吸うのを忘れていた私は咳き込んでしまった。それと同時に御園先輩は口を離した。

「……ごめんなさい。もう服を着て。片付けは私がするから帰って大丈夫よ」

 御園先輩はイーゼルの裏に隠れるようにして道具をしまい始めた。

 そのとき私は見た。御園先輩の横顔が耳まで真っ赤になっていたのを。

 日が傾きだしたといっても夕焼けにはまだ遠い。決して見間違いなんかではない。

 顔を赤くしてこそこそと片付けをしている御園先輩が可愛くて、いじらしくて、私は思わず笑ってしまった。これまで私が感じていた気恥ずかしさは、私だけのものではなかったのだ。

「御園先輩」

「なあに?」

 まだ御園先輩の顔はイーゼルで隠れている。

「結局私の表情、撮ってなくないですか?」

「撮らなくても描けるから大丈夫よ」

「それって目に焼き付けたから写真なんていらないってことですか?」

「……そうなるわね」

 返答に間があったのは即答していやらしいと思われたくなかったからだろうか。今更もう手遅れなのに。

 私は足を崩し、御園先輩の方に体を向けた。タオルはしっかりと持っているがもしかしたら下半身は隠れきれていないかもしれない。だけど私はもう気にならなかった。

「記憶を思い出して描くよりももっと効率のいい方法がありますよ」

「何のこと?」

「御園先輩の家に私が行って、私を見ながら続きを描けばいいんです」

 御園先輩の動きが止まり、また何かを考えるような間があいてから、さぐるような声が投げられる。

「言っている意味は、わかってるの?」

「意味? 憧れの先輩のデッサンのお手伝いです。後輩として協力するのは当たり前です」

「……そう」

 沈んだ返答に私はやきもきとする。どうして額面どおりに受け取るのだろう。ヌードモデルをしてキスまでした相手がこれからあなたの部屋に行きますよと言っているのだ。もっと手放しで喜ぶべきじゃないのか。

 なんと言えば伝わるだろうかと考えて、閃いた。

 私は天の岩戸に閉じこもった天照大神に呼びかけるように口を開く。

「私にも、デッサンを教えてくれませんか? それも人物画。モデルはそうですね、私が他のみんなと比べてみて一番綺麗だと思ってる先輩にお願いしたいんですけど」

 またしばらく間があった。イーゼルの後ろで躊躇うような仕種がちらちらと見えている。

 やがて御園先輩がひょっこりと顔を出した。

「その先輩って、私のこと……?」

 眉をハの字に曲げて小動物のように怯えたその表情は、いつもの怜悧で冷静な御園先輩とは正反対で、そのギャップがなおのこと可愛くておもしろい。

 私は台から降りて、服を着るためにパーテーションの裏に向かった。わざとらしい調子で御園先輩に答える。

「さぁ~、どうなんでしょうねぇ。多分ですけど、御園先輩のおうちに行けばわかるんじゃないですかね~」

 いまいちピンときていないのか首をひねる御園先輩。それを横目に見ながら私はくつくつと笑う。

 主導権を握れるうちは握っておかないと。どうせすぐ相手に取られることになるのだから。

 なんだか無性に絵が描きたくなった。描いてあげたいと思える相手が出来たからだろうか。

 今ならきっと、誰よりも魅力的にその絵を描ききる自信がある。なんて言うと名だたる画家の人達に怒られちゃうかな、などと思いつつ、私は制服に袖を通してから(いと)しい人のもとへと歩き出した。



            終

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