ロイド・アンドーは異世界人である
落ちて行く。
白い空間の中を、背中に風を受けながら、上を見上げて落ちて行く。あの女の姿はもはや見えない。
状況からすれば、オレは今までガラスの板の上に立っていて。その足場が突然に消滅して真っ逆さま、といったところか。
今、オレの身体は時速何マイルで落下しているのだろうか? ココは高度何フィートだ? 何にせよ、このままじゃ俺の未来はトマトケチャップだ。
だからこの状況を打開しようと着地点を確認する為に下を見ようとしたのだが。どういう訳か、身体を捻って体勢を変えても背中からしか風圧を感じない。
つまりは、オレは自分が落ちる先すらマトモに見えない恐怖に曝され続けている。必死に藻掻くがどうあってもこの状況から抜け出せない。
仮に下を見れてもオレに何が出来るとも思ってないけどな。アメリカ人が生身で空を飛ぶ為には、全身タイツを着なければならないという古式ゆかしい条件を、オレは満たしていない。
「ふぁっ、フアァァァァッッッ○ッ! ユウウゥゥゥッ!!」
いや、失礼。オレもここまで盛大にクソッタレと叫んだのは初めてだ。だがまだ叫び足りないね、あと十ダースは吐かせて欲しい。あのクソアマァァッ!!
「巫山戯んなああぁぁ〜〜〜ぁ、ぁ、ぁ?あ? ……あ、お? あれ!?」
気が付けば、身体に叩きつけられていた大気のプレッシャーは消え去り。頬を撫でる微風が草木の音を奏でている。
背中に硬い感触。強張っていた四肢を投げ出せば、草原に大の字に寝転がって空を見上げるオレが居た。
空が、青い。
オレの身に一体何が起きた?
「………夢か?」
そうか…そうだな。随分と可笑しな夢だった。
クレイジーな恰好をした女がクレイジーな事を言ってオレにクレイジーな所業を下すのだ。どうかしている。
コレも興味本位で秋葉原なんかに行ってしまったのが悪かったんだ。見ている分には楽しかったが、オレも見た目は日本人だ。あの空間にブラザー認定されて変な夢に引きずり込まれてしまったんだろう。そうに違いない。
フーっと息を吐き額の汗を拭う。
ああ、日が眩しい。こんな所で寝ていたら、そりゃあ汗をかくってものだ。
ところで、オレには「こんな所」で寝た覚えがないんだが……。
ガサリッ、と音がした。
さらに続く音は草を鳴らしてナニかが近づいてくる音だ。だからオレは、そのナニかを確認する為に身を起こした。普通にな。
「……わぁお……」
驚きはしたんだけどな。取り敢えずの感想としてはそんな気の抜けた一言だ。
オレと目を合わせて驚いているソイツは……緑色だった。
背は低いな。ハゲてて耳が尖ってて肌に貼りがない。裸かよ、それに腰ミノって事は……ハワイか? つまりはヴァカンス中の宇宙の老騎士だ。光の剣の代わりに木の棒を持っている。
いやぁ、気合の入った仮装だな。ハロウィンか、確かにそんな季節だった。
「すげぇクールだな!」
片手を上げて挨拶をする。
この子もこんな所に人が寝ているとは思ってなかったんだろう。今は固まっているが、次には満面の笑みでこう言うはずだ。
「ゲギャアアッ!!」
「ホワッツ!?」
その子は選択を迫るでもなく、そのまま光の剣を振りかざして飛び掛かってきた。目は血走り、ツバを撒き散らして叫ぶ。
そのヤバい気配に、オレは地面に再び転がり距離を取って起き上がる。
オカシイ。確かにオレはお菓子は持ってないが、だからイタズラされるとか、そんな次元の話じゃない。
「待て待て待て!? おい止せっ、気は確かか!? やり過ぎだ! 今夜はブタ箱行きだぞフェスティバルにぃィオアっ!?」
緑色のガキは人の話も聞かずに狂った様に棒切れを振り回して襲ってくる。
それを何とか避け続ける。当たれば痛い、なんてモノじゃない。「痛い」だけじゃ済まさないつもりでオレを狙っている。
「……シット…ッ!」
狂ってる。
マトモじゃない。
……クソガキが。
舐めんじゃねぇ!!
「―――ハッ!」
オレが避けて棒を空振ったガキの腕を取って脚を払う。多少手荒でも構わない、後ろ首を掴んでそのまま地面に叩き付ける。
「グギャアギイィィッ!?」
「ガキがっ、暴れんじゃねぇ!」
クスリでもキメてんじゃねぇのか?なんて思いながら、ガキの腕を捻り上げて押さえつける。マジでクレイジーだ。
するとどうだろう。コイツは……臭かった、しかも犬猫以上に。これがケモノ臭いってやつか?
「……ジーザス。勘弁してくれよ……」
『貴方って、かなり口が悪いのね? それと浮気は関心しないわ』
……ッ!?
とてもイヤな声を聞いた気がして辺りを見回す。……誰も居ないな、気のせいか? そうだな、あんなクレイジーな女なんて夢の中だけで十分だ。
『……幻聴じゃないわ。今、貴方の後ろにいるの』
「ッ!?」
バッ、と後ろを振り向く……が、やはり誰の姿もない。ナゼだ、汗が出てきたぞ。
くそ、押さえつけてるガキが暴れやがる。大人しくしろってんだ。
『……ハァ〜〜〜……、面倒くさっ。なんでソレがゴブリンだって気が付かないのかしら? 日本人じゃないってだけで、こんなにも鈍いものなの? いえ、コイツが特別鈍いだけよね、きっとそうだわ。バカなのよアホなのよテンプレも知らない非常識人fromアメリカ』
………。
「おい、クソ女。居るんなら出て来やがれ。そんなに日本人がいいなら、オレが教えてやる。ママから教わった正座ってヤツだ。ついでにDOGEZAってヤツも手とり足取り教えてやる、みっちりとな。それでオレとアメリカとついでに日本人にも謝りやがれ」
ゴブリンって何だ、コイツか?
そんな知識が常識ってんなら日本人はみんな非常識だ。ママからだってゴブリンの「ゴ」の字も聞いたことは無い。先進国がそんなクレイジーであってたまるか。
『いえ、オカシイのは貴方だから。いい? 貴方が今押さえつけているソレはモンスター、害獣よりもっと危険なモノなの。貴方は今殺されるところだった。上手く対処したつもりでしょうけど、ソコからどうするつもり? 手を放したら、また襲ってくるわよ』
頭の中にあの女の声だけが聞こえてくる。その姿はどこにもない。
ただ、その話は気になった。頭に上った血が冷えるくらいにはな。
「……ゴブリン。……モンスター……?」
ゴブリン。
聞いたことは、ある。見たことはないが。
人々を襲う、邪悪な存在。又は、悪さをする邪魔な小悪党。物語の中ではだが。
ソレが……コイツ? オレの下で暴れているコイツが?
「……コイツがオレを殺そうとしたって? ……だったら、オマエはオレにどうしろってんだよ?」
『決まってます。―――殺られる前に殺りなさい』
………。
◇◆◇
結局オレは、ゴブリンを殺せなかった。
例えモンスターだろうが敵わない相手からは逃げ出すだろうと、適当に痛めつけるつもりだったんだが。
ゴブリンは蹴っても殴っても投げ飛ばしても、狂った声を上げて襲ってきた。埒が明かないとコッチが逃げ出せば、やっぱり追いかけてくるしな。
正直、もう体力の限界だった。
気が付いたらオレはゴブリンを地面に押し付けて、その首を締めていた。
目の前の醜い顔が、更に歪んでいく。
そこでオレは自分のしている事にハッとなり、手を放してしまった。
呆然と自分の手を見つめ、気が付いたらゴブリンの姿は何処にもなかった。きっと逃げ出したんだろう。
そうか、殺気と云うやつかな? 殺す気が無ければ、怖くはない…か。ゴブリンはオレの殺気を感じて、初めて逃げる気になったんだろう。
「……おい、クソ女」
『何かしら、ヘタレさん?』
「……日本人って、こう云うコトするのは平気なのか? オマエ、日本人がイイみたいなこと言ってたよな?」
『え、うーん? そうなんじゃないかしら、聞いた話だと。私の知ってる日本人も大体はアッサリやっちゃってたわ。あと、オススメもされたし』
「……オーマイガー……」
マジかよ、ママ。
オレは空を仰いだ。
『何かしら?』
オマエじゃねぇよ……。