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良い小説を書くためには何を鍛えるべきか、なんてことは分かりきっている

 最近良く見かけるのは、一作目や二作目で満足しその作品を宣伝し始めるというパターンである。

 SNSやネットのサイトなどでよく見かけられるそれは、自分の自信作を宣伝し、沢山の人の意見や評価を受け取り、次の作品執筆のためのモチベーションにしたり自分の小説の改善点を見つけたりしている。なるほど、それだけ聞けば合理的な作業である。


 だが、内面は作者の欲にまみれている。自己顕示欲(じこけいじよく)という言葉をご存知だろうか。簡単に説明すると、自分の存在を多くの人に伝え認めてもらいたいという人間が持つ欲である。

 その欲を満たすために小説を書く、というのはとてもいいことだ。大いに結構。欲をエネルギーにして書きまくってほしい。

 自作品を他の人に読んでもらい改善点を見つけようとすることも、作者としての力を身につけることに繋がるだろう。


 だが、宣伝することはあまりおすすめできない。

 書籍化している作家は宣伝するべきだ。自分の収入に直結するのなら、少しでも宣伝し多くの人に作品を認知してもらう必要がある。面白い作品も、手にとってもらえなければ意味がないからだ。

 しかしなろうで書いている方の大半は、小説家として収入を得て活動しているという訳ではないはずだ。むしろ、趣味で書いてワンチャン有名になれれば程度の考えかもしれない。


 そんな方々に言いたいのは、初心者であればあるほど宣伝などするべきではないということだ。

 別に宣伝をすること自体が悪いと言いたい訳ではない。執筆のモチベーションを確保することも、小説家に必要な能力の内の一つだ。

 私は、宣伝することによって過去の作品に目を向けてばかりいることが悪いと言いたいのだ。


 辛辣な言い方になってしまうが、両手で数えきれないような作品数(短編ではなく中・長編、一作品が文庫本一冊分ほどの文章量)を書いているならまだしも、一、二作品ほどしか書いていない初心者は、宣伝などという過去の栄光――栄光と言うまでもない作品群――など見ていても何にもならない。


 よく考えてみてほしい。過去に活躍した文豪は、死ぬまでにどれほどの作品数を書き上げているだろうか? 森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、志賀直哉……。適当に名前を挙げてみたが、最低一人ぐらいは知っているだろうか。

 分かっている方も多いと思うが、どの作家も一つや二つではなく、何十作品もの小説を書いている。書き上げている。作品として完結させている。作品の発表から時が経った今の時代においてですら評価される作品を。

 現代のような恵まれた執筆環境が無い時代の小説家ですら、かなりの分量を執筆していたのだ。試行錯誤し、文章を書きまくり、やっとの思いで完成させるのだ。

 それを、一作二作書いた程度で過去作を宣伝だの発表だの、その上それが初めて書いた小説ともなれば、そんな宣伝は時間の無駄としか言えない。そんなことをしていても世の中は小説を認めてくれはしないし、小説が有名になることもない。宝くじの一等を狙って取れるようなものすごい超能力があるなら話は別だが、そんな能力は地球上に存在しない。適当な女性に告白してOKされる可能性の方がまだ高いだろう。


 宣伝しても、人に評価を求めても、現状以上の小説が生まれることは無いし、良い小説が書けるようになることもない。後ろを振り返って過去作を(かえり)みても何も始まらない。前進しない。停滞どころか、常に変化し続ける現代社会に置いていかれるばかりである。


 結局何が言いたいのかというと、良い小説を書くには、とにかく書きまくるしかないということだ。

 もちろん本を読むことも重要だ。だが、絵本や教科書などの書物が充実した今の日本では、やはりインプットよりもアウトプット、正確には文章を書くという行為がとても足りていない。日常生活を送る分には不自由しない程度の文章力が鍛えられているのだろうが、小説を書くというのなら話は別。文章を書く時間が圧倒的に足りていない。


 例えば絵を書くことを仕事としている人は、人の絵を見ていれば絵を書けるようになっているのか? 練習せずとも、絵をじっと見続けるだけで絵を書く力は上昇するのか? そんなことはないだろう。絵を書いて練習しなければ新しい絵を書くことなどできないし、人に認められるような作品も生み出せない。むしろ、人の絵を見る時間よりも自分の絵の練習をする時間の方が圧倒的に多いだろう。

 小説家も、人の作品を読むばかりでは何もできない。沢山の文章を書き、練習し、そしていい作品を、今までにない新しい作品をこの世に生み出していく。

 書くのだ。書いて書いて書きまくる。とにかく、他の全てを捨てると言わんばかりの勢いで文字を書きまくらなければならない。

 作品を書いて満足するな、宣伝して満足するな。そんな時間があるのだったら、次の作品に手をかけろ。思いつかないならとりあえず今の気持ちを文字にして書け。書け。書け! ただひたすら文章を、小説を書け!


 分かりきっているだろう。

 小説を書く力を付けるためには、ひたすら小説を書くしか無い。クソみたいな文章でも沢山練習して完成度を高めていけば、いずれは誰もが認める最高に面白い文章になっているかもしれない。それがいつになるのかは分からないが、それでも良い小説を書くにはそれしか無い。歩きにくいわけでもない、障害物があるわけでもない、ただひたすらに長いだけの一本道だ。ひたすら執筆するしかないのだ。

 悩んで疲れて休憩してもいい。執筆を一時休止してもいい。何かを理由にして休んでもいい。小説なんてもう書かない、と口に出して言ってもいい。


 それでも、書いて書いて書きまくれ。小説家はそういう生き物であるべきだ。

 文字で語れ。文章で語れ。本当に面白い作品は、なろうにアップしようがコンテストに応募しようが、結局人々が口を揃えて『おもしろい』と言い、有名になる。社会はそうなるようにできている。人は面白い作品を欲しているのだから、最高に面白い作品は宣伝などしなくとも、勝手に有名になって勝手に認知される。

 だから安心して小説を書きまくれ。


 一作品で満足するな。全然足りない。まだまだだ。そういう気持ちで初心を忘れず書きまくれ。

 良い小説を書くためには何を鍛えるべきか、なんてことは分かりきっている。書くしか無いのだから。

 分かっているなら、やるしかないだろう。

 小説は書かれるのを待っている。あなたの作品が完成しないのは、あなたのアイデア力が無いからでもなく、あなたの才能が無いからでもなく、ただ単にあなたが執筆しないからだ。

 さあ、あなたの小説を書こう。


『良い小説を書くためには何を鍛えるべきか、なんてことは分かりきっている』終

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