旅立ち
月日は流れ、気が付いた時にはもう出発の日だった。午後九時の便だったため、余裕がついてたのか準備が全くできていなかった。いつもながら私はその日にやらないと気がすまない体質なのだろうか。ホラー映画という仮想の芝居にはビビるが、現実のスリルには興奮する。言ってる途中で気付いた、私は変態なのか。さておき私は朝十時ごろに起き、荷物の用意を始めた。あらかじめ服は畳んでおり、それを入れるだけ。シンプル・イズ・ベスト、私のモットーだ。人生はあまりにも短い、なら深く考えずただ目の前のことに集中してればいいではないか。そういいつつ、後先のことを考えないから失敗例も過去にある。学習しない人とは誠に渡しのことだ。
荷物が収まったところでちょうど午後一時がまわった。ちょうどそのころにまたあのうるさい男から連絡が届いた。外にいるとのことで、言われるがままに私はヨルゴからの連絡通り、外で待ってる彼と合流しそのまま彼の父の家へと出発した。
自分家から車で二十分のところに家があり、運よく渋滞が少なかったため、又しても余裕を持った私たちは途中で昼飯をとることにした。全ては順調、こんなにすらすらとした日常を送っていいくらいなめらかな一日を過ごしていた。だが知ってるかい、こういう場面でこそ異変が起きる。
ヨルゴ宛てに一本の電話が入る、ジョンからだ。ジョンは私の親友のなかでも一番長い付き合いのある知り合いだ。幼児部から知っており、高校、大学は違くとも中学までは共に人生を送ってきた、数少ない友達だ。ヨルゴが彼を招いた理由は彼が私たちのなかで頭のきれるやつだったから。どんなピンチでも「彼がやってくれるだろう」ととても正義感の強い味方だ。それに加え話が上手く、どんな人にでも懐き、どんな人にでも懐かれる性格からとても便利な友達だ。ちなみに私は人と話すのが苦手なため彼がかわりに喋ってくれる、唯一無二の大切な親友だ。
「ジョン、なんだって?」
「あー、予定変更。父さんの家で落ち合うはずだったが、彼の用事が予定より早く済んだため、一旦家に戻って、彼の父親が迎えに来てくれそうだ。」
ジョンは私の数少ない友達のなかで知ってる限り唯一、父親との関係を大事に保っている人だ。私の友達は皆とはいいがたいが、ほとんどが父親との関係を途絶えている。簡単に説明すると、離婚や死、単身赴任するなどの原因で思いのほか父親との関わりが少ない人たちが多い。似た者同士、話が噛み合うのも同然、こうして長く友情を分かち合える関係を続けることができているのも、もしかしたらすると皆同じ経験を味わっているからではないだろうか。自分の喜びは皆の喜び、他人の悲しみは自分の悲しみへと、時間がちゃんちゃんと過ぎるうちに友情が成り立ってくるものなのでしょうか。家族同等の関係、心底この人たちと出会えて、私は幸せだといつも思う。
「じゃあ早く飯済まして行こっか。」
「そうだな。」
普通なら十分かかる高速道路もヨルゴにかかれば五分で到達地点に着く。彼の運転には毎回ヒヤヒヤする。ちゃんとシートベルトを着用し、ドライブするのはいつも彼が運転してる時のみだ。ヨルゴの家の前に車を停めた瞬間にジョンと彼の父親がやってくる、しかもベンツで。なに?エスコートなの?落ち着いて考えてみるとこっちじゃ普通なんだよなぁ。日本では絶対に見かけない光景だ。荷物をヨルゴの車か移し、彼の父親の家へと向かう。
空港に行く前に彼の父親、マニーの家に行くには理由がある。実はギリシャ、サントリー二島のスーパーは全て高額であり、アメリカから持ってくるのが妥当だと聞かされている。だから、おやつや朝ごはんなどを自分のスーツケースやらカバンに詰め込むのが効率よく金の温存ができる、マニー秘伝の恒例作業だ。マニーは驚くほど金の使い方がうまい。何と言っても自営業の社長だからな、加えてサントリーニ島での別荘はなんと島の最高峰にあり、そこから見る景色はいつ見ても飽きないという、とても楽しみだ。
時間の流れにつられ、気づけば出発まで三時間きっていた。空港、改札口、そしてゲートまでの道のりはイラつきと憂鬱で浸っていた。渋滞やら、人が多いやら、ゲート変更するは、短気な私からすればいっそこのままギリシャに行かなくてもいいやと一瞬思った。我を失いかけた私は現実逃避するものの、そこは我慢した。人を待たせるのも、人を待つのも嫌う私はスピートを第一に優先してきた結果、気づいたらこんな短気な性格になっていた。めんどくさいあまり、怒るのも時間の無駄だと感じた私は呆然と生きていたが、私が絶対に許せない人の仕草が二つあり、一つは歩くのが遅く、自意識過剰に真ん中の通路を平然と歩く愚か者。もう一つは、口を開け、音を立てながら食べる下品な人たち。正直に言おう:不潔だ。
時刻が午後十時をまわったころ、ようやく飛行機に乗り、やっとの思いで席についた瞬間皆、睡魔に襲われた。無理もない、多数の移動の結果爆睡直前だった、私を除いては。友達と一緒に旅行するのは初めてだが皆実は普通に寝るのだと初めて知った。勘違いされると思うが、私は飛行機で起きている派ではない。ただ単に寝れないのだ。家のベッドでも普段寝るのに時間かかる私だが飛行機の場合、なおさらひどい。昔起こった出来事なのだが未だに覚えてる。小さい頃、初めて日本に行った時、夢とジェット音が共鳴し、白黒の絵の中にいる小さい女の子が叫んでいる夢を見た。今となってはくだらない夢だと思わんばかりだが、当時はあの叫び声の音量があまりにもうるさく夢から起きてしまうほどだった。よって飛行機のなかでは寝るのがトラウマとなり以後、飛行機ではずっと起きている羽目になった。トラウマが治ったか試しに去年の夏に日本へ帰った時に寝たのだが、今度は違う夢で目が覚めたのだ。自分でもなにが起こっているのか分からないまま、途中からずっと起きていた。もちろん、十三時間かかる帰りの便でもだ。私はこういう出来事を「暗い過去シリーズ」と名付けている。誰でも思い出したくはない記憶は一つや二つ持っているはずだ。だがいくら喚いても仕方がない、起こったこと事実は起こってしまったのだ。その経験をするのも、その経験から学ぶのも、人生の一貫として自分への成長へと繋がる。自分の嫌な思い出と自分でいいこと言ったなと自慢している中、飛行機はもう離陸しており、ジョンとヨルゴは案の定ぐっすりと眠っていた。長い旅になると察した私は、イアフォンをして自分の音楽を聴き始めた、それも音量は最大で。ジェット音を塞ぐためならば妥協はしなかった。絶対に。
言い忘れていたがサントリーニ島への直便はない。アメリカからでは乗り継ぎでいかなければ、たどり着けないのだ。というわけで私たちはおよそ九時間の飛行とともにスイスへと着陸した。二時間後の乗り継ぎの便に備えて私たちは空港で待機した。初めてのヨーロッパに私は貫禄を受けていた。空港の窓から見える緑豊かな自然、絵本から飛びでてきたような家、見たことない景色や風景、知識のない通貨などであふれていた。さすがヨーロッパ、格が違う。こんなに影響されているなか、最も驚いたことはアメリカで普通に売ってるハンバーガーがスイスではその倍の値段であったこと。それ以上に驚いたことは、マニーがそれを人数分買っていること。ちなみに合計七人分だ。この人絶対に買い物しているときに値段見ないタイプだ。
長く思えた二時間もあっという間に過ぎ、サントリーニ行きの便に乗ろうとした瞬間、飛行機に異常が見えたため、乗り降りを繰り返し三回、ようやく飛行機に乗ることができ、出発した。