森長可という男
「姉ちゃん、ただいま!」
……おかえり?
「なんで疑問形なんだよ?今日の晩飯、何?ああ、カレーって言ってたよな!俺、自分の分はよそうよ!」
うん、ありがと……
「俺さ、今度の大会、先発メンバーで出られるんだ!親父喜ぶかな……あっ、母さんにも知らせてくる!」
ちょっと夏樹、食事中に席立たないの!騒がしいんだから……
あれ?ちょっと待って。
私……
*
「気がつきましたか?」
あれ?
目に飛び込んできたのは木目がはっきりした天井。私の家は木造じゃない。それならここは……どこ?
目の前には大人しそうな女の人。艶やかな黒髪が部屋に入って来る日光に照らされて輝く。袖の短い浅葱色の着物がよく似合う。
「城主様の御命令で貴女のお世話をさせて頂きました。ひろ、と申します」
一重まぶたの垂れ目を細めて笑うとえくぼが目立つ。貴女は三日三晩うなされておりましたよ、と教えてくれた。人当たりが良さそうな人だなあ。私もひろさんにとりあえず名乗った。
「あの……付かぬ事をお聞きしたいんですけど」
「何なりと」
ひろさんはまた優しい笑顔で応える。
「ここってどこですか……?」
「美濃兼山城本丸御殿でございまする」
笑顔のままひろさんが即答した。兼山城ってつい最近聞いた気が……ああ、あの黒猫が言ってたんだ。そうそう、長可さんって人のお城……お城⁉︎
私は慌てて障子を開けて廊下を出る。大きな屋敷で、なんか私が考えてたお城とは違う。
殿様ってあの何重にもなってる天守に住んでるかと思ってた……
憎たらしい程澄み渡った雲一つ無い青空、爽やかな西風に揺れる青く生い茂った木々。明らかに不機嫌そうな足音……ん?
今、完全におかしなナレーションが入ったような……
いや、やっぱり聞こえる。静かな景観に割り込む雑音が。ドスドスと、それはもう怒ってますとベタな表現の足音。
結い上げた癖っ毛の黒髪、色白の肌、赤く鋭い光を放つまつ毛の長い瞳。
美青年という言葉が最適なその人は、せっかくの整った顔を怒らせて私の目の前で仁王立ちした。
眉間にシワを寄せ、怒りに顔を歪ませた森……長可さんだった。
「下がれ」
ドスの効いた長可さんの低い声に、ひろさんは短く返事をして部屋をそそくさと出て行った。
着物の袖から見える長可さんの腕には無数の傷跡が見える。切り傷だったり痣だったり……この人、やっぱり本物の武士だ……!
じゃあ、あの槍も腰に付けてた刀も本物……?
いやぁ、実は私も昔はちょっとヤンチャしてた時期があったけどさすがに刃物は持ってなかったなあ……!
長可さんは赤い光を放って鋭い目つきで私を睨んでくる。まずい、顔が引きつってるのバレバレかも。
「あの……助けてくださってありがとうございました。えっと……ながよし、さんで合ってますよね?」
私がそう言った途端、周囲の空気がざわめいた様な気がした。ざわついたというか、殺気づいたというか。
まさか、さすがに私でもあんなに印象的な場面で聞いた名を、ついさっき聞いた様なことを忘れたり間違えたりはしない。
すると「失礼仕る」と落ち着いた声の人が1人、膝をついて襖の影から顔を出した。優しそうな男の人で、年は見た目からして20前後。物腰の柔らかさが声色にも出ている。薄縹色の着物と白練色の袴を身に纏っている。
「引っ込んでろ、小次郎」
ドスの効いた長可さんの怒声にも物怖じせず、小次郎と呼ばれたその人は少し頭を下げて微笑みながら口を開いた。
「恐れながら、その娘の着物や持ち物からして、何やら事情がある様子。話を聞くのも一興ではないかと」
小次郎さんの言葉に徐々に眉間にシワを寄せて怒りが顔に露わにする長可さん。それに対抗するかのように小次郎さんはニコニコしている。
「例えば記憶が無いとか……何やら重い事情が無ければ、殿の諱をお呼びするようなヘマは致しませんでしょう?」
ヘマ?今、ヘマって言った?「いみな」?
「あの、もしかして名前間違えました?」
私が食い気味に小次郎さんに聞くと、小次郎さんは少し驚いたような表情をした。しかしすぐに微笑んでいいえ、と答えてくれた。
「諱をお呼びすることが最上の敬意を表する場合もございますから」
おそらく彼なりのフォロー。しかし小次郎さんの言葉を聞いた長可さんは大きく舌打ちした。
「貴殿のお名前を聞いてもよろしいですか」
小次郎さんに言われて、私はすぐに名前と一応年を答えた。
「榎本こころです。えっと……今は17歳で……」
他に何を言えば信用を得るか迷っていた所、含み笑いが目の前から聞こえた。今笑うところあった?小次郎さんは「お気になさらず」と言い、次に1番聞かれたくない事を聞かれてしまった。
「ご自分の名と年が分かるのであれば記憶が無いという訳ではなさそうですな……榎本殿はどこに住んでおられるのですか?」
「今のところ無いです」
これはもう隠しようが無い事であり、即答すると一度だけ、ふむ、と小次郎さんは黙した。
「苗字があるのであればそれなりの家の方かと思ったのですが……殿、野放しにするのもお可哀想ですし、ここはしばらく面倒を見る、というのは?」
長可さんからの返答は無い。というか、さっきからずっと目を合わせてくれない。私も今のところ住む場所が無いし、馬小屋でもいいからしばらく身を寄せる場所が欲しいところだ。その為なら現代で培った技術知識全て使ってでも衣食住を充足してみせる!
「面倒を見てもらう訳には……!あの、せめて私何かします!家事料理できますし、なんなら戦場にも行きます!」
すると苛立ちが限界に達したのか、長可さんが襖を殴った。衝撃で破れた襖から大きな音が響いて、襖が廊下へ倒れる。そこにはこの時代へ来た時、長可さんといた家来さんも含め、ざっと20人くらいの男の人が。ぱっと見、長可さんと同い年ぐらいか、10か20歳は上のおじさんまで様々。……成る程、そこでずっと聞いてたのか。
「女子供が戦場にいたら邪魔なだけだ。女の癖に二度とその口から戦なんて言葉出すんじゃねぇよ」
長可さんが凄みを増して私を睨む。それに負けないように布団から出て、正座をした。
「てめぇみたいな出所も分からん奇妙な女、面倒見たくもねぇよ」
長可さんの言葉に少しカチンと来た。確かに、この時代の人からすれば私の制服は変だし、常識外れかもしれないけど……
「そ、そりゃあ……そっちからすれば奇妙かもしれないですけど……分かりました、二度と戦うとかは言いません。お金も何もいりません。でも今の私には何もないんです。大人しくしてるのでここで働かせてください!」
「だったら城下でも村の連中にでも言えばいいだろ」
うっ、正論……!しかしこれも何かの縁だから、と私も引き下がらない。だって農家の生まれでもない私が村に行っても農作業ができるかも分からない。町へ行ったってお金の儲け方も分からなければ、この時代のお金も分からない。
そもそも、こんな「奇妙な女」の言葉を聞いてくれる人がいるのかも分からない。
なら、(心で何を思ってるかは分からないけど)まだ話を聞いてくれる人がいるここなら安全だ。しばらくして独立できるようになったらすればいい。それに現代へ戻る方法も探せるかもしれない。
「お願いします!ここがいいんです!」
「しつこい女だな……!俺もこんな所で時間食ってる暇はねぇんだよ!女なら生きる方法は幾らでもあんだろうが!」
「殿、失礼ながら言って良い事と悪い事が……!」
小次郎さんが険しい顔で膝を立て、長可さんに言うが長可さんは聞かず、逆に小次郎さんは蹴飛ばされてしまう。小次郎さんは胸を思い切り蹴られ、家来さん達の群れに飛ばされる。着物から見えたけど、あんな白くて細い足のどこにそんな馬鹿力が……
でもその足には、数えきれない大小様々な傷があった。
しかし、そんな事は私には既に関係無く、私はしばらく胸の内に潜めていた堪忍袋が切れた音がした。いくらイケメンだからって性格が悪ければ価値は下がるし好感度は下がる。
「さっきから聞いていれば女は何だ、女の癖にって……じゃあ腹を痛めて貴方を産んだ人は何だったんですか⁉︎」
私が勢いで立ち上がると、家来の人達はギョッとした顔で私を見ていたのが横目で分かった。数人青ざめているのも。
「ええ、じゃあそこまで女が嫌いで私をここに置いておきたくなければ私はここにいる女の人全員連れてどこかへ行きます!それでもいいんですね⁉︎」
「てめえ……」
「貴方がそう言ったんですよ、女なら幾らでも容易く儲けられるだろって!でも考えてみてくださいよ、逆に男の人は良いですよね、何もしなくてもお金が入るんですから!」
長可さんの眉間に青筋が入るのを見逃さなかったが、もう後には引けないし、引く気もない。
「例え私だけここから出て行く事になっても、私はここで使わなかったどんな手を使ってでも生き残ってやりますよ!最初はきっと辛いと思ってます。この先もずっと私はこの時代で生きることは辛いと思います。でも、女を『女だから』と言って縛られた考えの貴方よりは幸せなのは確かです!」
「この糞女……!」
最後は、自分が何を言っているのか分からなくなったけど言いたいことは全部言ってやった。
長可さんが私の腕を掴んだ。その手は私の手より遥かに大きくて力強い。逃げる事も叶わないだろう、でも言いたい事は言ったし、殺される覚悟は……できた。
弟や父さんには悪いけど……
待った、やっぱこんな辺境の地で誰にも知られずに死ぬのはちょっと……!
思い直した途端、目の前に眩しい光と共に無数の桜吹雪が渦を巻きながら舞い上がった。それは長可さんを包んでいて、長可さんを見る私の目線は上から私の目線より少し下へ。
そこには3日程前にあの場にいた美少女がそこにいた。
ああ〜〜……そういえば忘れてた……確か、私と長可さんが頭突きして……
「くっ……あはははは!も、もう限界です……!」
突然、背後から聞こえる大笑い。振り向くと小次郎さんだけ、目尻に涙を溜めて爆笑していた。家来さんはやめろと小次郎さんを見て呆れている。
「小次郎てめー!だからお前は引っ込んでろと‼︎」
女の子になった長可さんは小次郎さんを指差して可愛い声で怒鳴る。心なしか涙目だ。
嗚呼、私の必死の抵抗が台無しに……私も自分の目頭が熱くなるのを感じた。
「成る程……ふふ、各務殿の言っている事がようやく理解できましたよ……それにしても殿、可愛らしいお姿で……ふふっ」
目に溜まった涙を拭いつつもまだ笑いが止まらない小次郎さん。長可さんは槍を持って、私や小次郎さんに向かって「貴様を殺して俺も死んでやる!」と叫んでいるも、家来さん達に抑えられている。
「しかし……殿、よろしいのですか?榎本殿はここから出て行くと仰っておりますが……」
「勝手に出て行けばいいだろ!」
「殿は本当、頭だけ弱いんだから……」
ん?待て待て、今めっちゃ失礼なこと聞こえた気がしたような……小次郎さんは咳払いをして、話を続ける。
「殿がその様なお姿になってしまう事は『弱点』でありましょう。それを独立した榎本殿が城下や、はたまた隣国をはじめ敵国にも口外してしまったら……よもや殿が崇敬するあの御方の耳にまで入ってしまったら……どうなるでしょうな」
あれ?もしかして小次郎さん……!
長可さんは反論の言葉が出ないのか、口をパクパクさせて顔を蒼白させている。長可さんが崇敬する人?誰なんだろう……長可さんより身分が上のお殿様かな?
「それに女を殺してしまっては殿の面目も潰してしまうでしょうな。また城下で一揆が起こるやもしれませぬ。しかも殿が毛嫌いする女子供の血がその愛槍に付くとなると……」
「わ、分かった!わかったから‼︎」
長可さんがもうやめろと言わんばかりに悲鳴を上げた。長可さんが完敗すぎて何も言えない。いや、長可さんが単純すぎるのか否か。
「覚えてろよ、てめえ……」
「そんな口聞いても良いのですか?」
小次郎さんのトドメが刺さり、長可さんは力が抜けたように家来さん達の腕に身を委ねた。ちょっと可哀想だけど、まあいっか!一件落着。ここに住めるみたいだし、とりあえず衣食住は確保した!
「うちの殿がとんだ無礼を働いてしまい申し訳ない」
小次郎さんが私に頭を下げて申し訳無さそうに笑う。私は勢いよく首を横に振り、私こそと謝った。自分の為だけにおこがましいことをしてしまったし、何より仮にも私より大分偉い人にとんでもない口を聞いてしまった。
「いえ、こちらの名も言わず、女子に向かって無礼をしたのはこちらです。特に殿が」
小次郎さん、家来の1人なんだろうけど絶対長可さんのこと敬ってない。完璧に嘲ってるし遊んでる。いつもこんな調子なんだろうか。
「遅くなりましたが、私の名前は林小次郎為忠。どうか通称の小次郎とお呼びください。それと以前、貴殿が殿とお会いした際、共にいたのは各務兵庫助元正殿。あそこにいる如何にも頭弱そうな筋肉です」
「いちいち一言多いんじゃ、てめーはよぉ!」
長可さんが可愛い声で突っ込む。それを羽交い締めにしながら「兵庫とでも呼んでください!」と長可さんの怒鳴り声に紛れて聞こえた。
「おい女!この姿どうにかしろよ!」
突然の無茶振り。でもこの前、私が気を失う前には元の長可さんの声が聞こえたような……?
「戻し方なんて知らないですよ!」
「お前の腕掴んだからこうなったんだろうが!」
もしかして、私と長可さんが触れると変身しちゃうのかな……?じゃあ、もう一度触れば戻るかもしれない。こっちから触られるのは長可さん嫌がりそうだけど。
「おい、テメー何してんだ!」
長可さんの鈴の鳴るような可愛い声で正気に戻ると、知らぬ間に私の手は長可さんの頭に。そんな、無意識に撫でてたなんて……!
「あれ、何も変わらない……?」
「いいから撫でるのやめろよ!仮にも男だぞ!」
ジタバタしながら抵抗する長可さん。しかし姿が女の子なので全然怖くも何ともないし、むしろ撫でたい衝動が一層強くなる。子犬みたいだなあ……
そこにまた1人、家来さんが早足で歩いてやって来る。前髪が長めで、眼鏡に少しかかっちゃってるけど見えてるのかな……いかにも読書家で参謀役って感じで、長可さんとは正反対そう。
その人は目の前の光景に一度固まったが、ヤケクソ気味に口を開いた。
「えっと……殿?御目通りを願う者が門前におりまするが……いかが致しましょうか」
辺りを見回して、状況からしておそらく目の前の羽交い締めにされている女の子を長可さんだろうと理解したらしく、膝をついた。
その家来さんの言葉に長可さんは力強く首を横に振る。
「阿呆か!今日は帰せ!こんな姿で会えるか!もし御屋形様や若殿からの使者だったら……!」
怒りで紅潮していた長可さんの顔が一気に青ざめる。表情が豊かな人だなあ……女の子になってる影響なのかもしれないけれど。
しかし家来さんは、「それが……」と言いにくそうに続ける。
その時、家来さんの言葉を遮るように屋敷の庭の方から声がした。
「折角、此度は真正面から来てやったのだから少しはお相手して頂きたく存じますのに」
その声は以前聞いた、黒猫から聞こえた女の声と同じだった。
白くて柔らかそうな布を被り、着物は改造してて露出が高め。それよりも印象的なのは綺麗で整った顔の右半分を覆う大きな眼帯。
「何奴!」
「ここを何処と心得ておる!」
他の家来さん達が次々に槍やら刀を手にして女の人に向ける。なんか時代劇でよく見るシーン……!
女の人は家来さん達には目を向けずに長可さん一点を見つめている。
「その額の桜紋……やはりあの老いぼれの術に間違いない……!」
女の人が指を鳴らすと、その手のひらから前と同じような黒い影が、小さな炎のような形を取り、やがて大きく人影のように変化した。
家来さん達が武器を各々振るうも、空気を切っているように攻撃が通じない。普通の武器では倒せないようだ。
「退け、あの女は俺が殺す!」
自分を抑えていた人達を退け、長可さんは荒い足音を立てて庭に出る。
女の人は待ってましたと言わんばかりに不気味に笑う。
「この前はよう世話になったと思ってな……見よ、お主のせいで妾は動きにくくなってしまった」
女の人が眼帯を外すと、顔の右半分は焼け爛れたような傷が占めていた。右目は義眼なのか白く濁った玉のようで、一層怖く見える。私は我慢できずに唸って口を手で押さえた。
「ほざけ!次は目ん玉だけじゃなくて心の臓にも風穴開けてやる!」
長可さんは怖がることもなく、人影のような敵に突っ込む。長可さんに応えるように、薄紅色の光を放つ槍が長可さんの前に現れ、それを手に取る。
「あのお姿を見てどう思いますか、榎本殿」
呆然としていた私に、小次郎さんが少し離れた所から手招きして話しかけてきた。たしかに少し離れた方が今は安全だろう。
小次郎さんは女の子の姿になった事を聞いてるのかな。私が口を開こうとすると、それを遮るように小次郎さんが困ったように笑う。
「ああ、少し言葉が不足していました。女子姿ではなく、あの戦っているお姿のことを聞きたくて」
そう言われてもう一度長可さんを見ると、女の子になっても物怖じなどせず、身軽に自分の背丈よりも長い槍を使いこなして人影を倒していく姿が見えた。それは全く疲れを感じさせず、むしろ楽しんでいるようにも見える。
「今の敵は人を象っていても本当の人間ではないのでしょうが……殿はあの槍捌きを戦で、生身の人間で躊躇いなく使うのです。女子の貴女からすればあまり良い印象は受けぬでしょうな」
なんだか、現実味が無い話だ。確かに初めて長可に会った時も返り血まみれの鎧も重みがこちらにまで伝わってくるような槍も、それにさっき見た傷だらけの手足も大分頭から離れないけど……
それより思ったのは、長可さんは思っているよりも遥かに感情表現が下手な人だということ。私に対して放った言葉も、家来の人達への行動もそれで合点がいく。
「大きな声では言えませぬが……私や各務殿など一部の家臣を除き、殿はまだ若さ故に身内にも敵の多い御方。それに殿お自ら頑固な性格が故に、自分しか信じられぬのでしょうな」
口は悪いんだけど、きっと根は優しい人なんだろうな。その証拠に、さっきまで女の子の姿で嫌々言ってたのに、今は何もできない私達に代わって、何も言わずに1人で戦っている。
少なくとも、今は怖くない。
「私は……」
ようやく口を開いた私に、小次郎さんは答えは必要ないと言うように首を振った。
「いつか、殿に直接仰って差し上げてください」
そう言って小次郎さんは優しく微笑んだ。
「くそ、キリがねえな……!」
少し疲弊した長可さんの声で私は現状を思い出した。1人で戦う長可さん対して、向こうはどんどん影を量産していく。
遂に長可さんは不意打ちを取られ、影から攻撃を受けてよろめく。
「長可さん!」
私は我慢できずに長可さんのいる庭の方へ駆け寄る。後ろから兵庫さんの声が聞こえたが、もう後戻りはできない。
女の人はこちらを見て、目を見開いた。
「お前が力の根源か……!」
その手は私へ向かって伸びてくる。その右目に見つめられて足がすくんだ私はそこから動けず、強く目を閉じた。
するとここで、鈴の音と猫の鳴き声が聞こえた。目をおそるおそる開けると、私の目の前に毛並みの整った青い目の白猫が1匹、女の人へ向かってもう一鳴きした。その鳴き声を聞いた途端、頭を抱えて唸り始めた。
「ぐ、う……この、しぶとい老いぼれ陰陽師め……!」
女の人は苦しさに顔を歪めて一歩退いた。長可さんはもう一度槍を構えて私の前に立ってくれた。女の子の姿で、私より少し背も低いけど、すごく安心した。
「おのれ……次は、次こそは貴様を殺す!我が名は果心居士、この世に闇をもたらす者……!」
「さっさと失せろ、クソババア」
すごい言い様だ。「かしんこじ」と名乗ったその女は含み笑いをして長可さんを指差した。
「森勝蔵長可……貴様は己の苛烈さと秘めた繊細さにいつか必ず身を滅ぼすだろう……いい事を教えてやろう、貴様の命はあと十年、十年後に貴様は死ぬ運命なのだ!そう妾が呪いをかけたのだからな!」
女はそう言って甲高く不気味な高笑いをして姿を消した。後には黒い花弁が散って、やがて消えた。
私が長可さんに声をかけようとすると、その前に長可さんが「気にするな」と振り向かずに言ってきた。聞いたこと無いほど優しい声色だった。
「ただの脅しだ」
その声はだんだん低くなって、姿は桜の花弁と共に元の姿にようやく戻った。華奢だが大きく見える背中が目の前に現れる。その後は何も言わずに、部屋へ戻っていった。
少し間を置いて、ひろさんが私に駆け寄って心配してくれた。あと、私への感謝も。
「こころ殿のあのお言葉、とてもかっこよかったですわ。でも、どうか誤解なさらないで。……殿はあれで、女中を含めたこの城の者を、誰よりも私達を想ってくださっている優しい御方なのです」
最後の方は、私の耳に小声で教えてくれた。本人には聞こえないように。
私の中にあったさっきまでの負の感情が嘘のように消えてしまった。
森勝蔵長可という男は、とっても不器用で難しい。心を開いてくれるまで前途多難だろうけど、それでも辛いだろうとは思わない。
しばらくここで頑張ってみよう。きっと私は長可さんが本当はどんな人か、知りたいのだ。