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聖服

作者: 凛

   

 内密聖府機関セイント大会議室――――


「遂にこの時が来たか」

 円卓テーブル中央に位置し肘をつきながら黒手袋をはめている神風ハツゲンに冬月カゲロウがカップに手を伸ばし言い放つ。それでもハツゲンは微動だにしない。だが、彼はホワイトフレームの眼鏡越しに目を瞑っているのがわかる。

〝思考〟

 人間にとってなにより重要な要素であり、なくてはならない理の一種。それをハツゲンは重んじている。だからこそ無駄な動作はなく、無駄な言動すらない。

 カップを口につけ喉を潤したカゲロウはカップを卓に戻し再びハツゲンに視線を戻す。齢四十を超えるが彼の性格を象徴するのかのような維持されたクルーカットな黒髪。プレス行き届いたスリーピースのスーツにのりの効いた白のワイシャツにドット柄の紺のネクタイ。そして黒い手袋は、今から完全犯罪を目論むかのような威厳すら漂わせる。

「時期だからな」

 ハツゲンはシンプルに言う。瞬き一回。彼の動作は、瞬きと口の微かな動き。ただそれだけ。

「早い気がするが。やつらが生まれるのは」

 カゲロウの抑揚のない言葉にハツゲンは首を傾げる。

「あれから十二年だ。別段不思議ではないし、科学技術者たちの憶測通りであり、『シャイン』もそう言っていた。あとは『聖服』を扱える者が到着すればいいだけだ。準備はできている。準備なき者に勝者はない。違うか?カゲロウ」

 ハツゲンの感情を殺した声が二人のいる会議室に響き渡る。

「それはわかるが」カゲロウは言葉に詰まり、「まだ十四歳だぞ」と声を大にした。

「いや、もう十四歳だ」と全く姿勢を変えないハツゲンは、「その認識をはき違えてもらっては困る。思考の泉が湧き出す歳頃。申し分ない」と抑揚のない声で付け加えた。

「だが、よりにもよって自分の子を、息子を。会ってないんだろ?」

「所詮息子だ。母はいない。この少子化時代にあれを扱えるのは選ばれし者だからな。あいつには扱えるかはわからんが、試す価値はある」

 ハツゲンが始めて肘を楽にし黒革の椅子に深くもたれかかる。カゲロウは何かを言おうとした。

 が、内線モニターが緊急サイレンを鳴らし薄膜のスクリーンが映し出された。

『ハツゲン総司令官。緊急。悪使出現。繰り返します悪使出現』

 薄膜スクリーンから繰り返される士官からの緊急の言葉にもハツゲンは全く微動だにしなかった。

「状況は」

 仕方なくカゲロウが問う。

『ニュートウキョウに出現。人間の魂が喰われています』

 士官が切羽詰まった声で言う。それはそうだ。誰もがこの状況を始めて経験する。

「予想通りじゃないか」

 ハツゲンはにやっとした。この状況を楽しんでいるように。

『指示願います』

 副官のカゲロウは目の前に総司令官がいる立場上指示は仰げない。しかし事態は急を要する。

「ハツゲン!指示を」

 カゲロウは勢いよく立ち上がり、両手を卓の上についた。どん、とハンマーを打ち下ろしたような大きな音が響くが、ハツゲンは尚も微動だにしない。それが彼の不思議なところであり、薄気味悪いところでもある。

「慌てるな。カゲロウ。もう息子をニュートウキョウに帰還させてある。使いの者もいっている。それに悪使の狙いは、『聖服』だ。恐れるにたりん。否が応でもここにくる」

 ハツゲンは瞬きを一回もせずカゲロウに言い放った。瞬きぐらいすればいい、こんな状況なんだから動揺の一つぐらい見せるべきではないか、それがカゲロウの言い分であるが、そんなことを言ってみたところで状況は変わるわけではないし、無言の威圧感だけが漂うことは明白だった。

 それでもカゲロウは、「それでは国民の魂が」と身を乗り出して言った。

「十二年前に大半が死人と化したじゃないか、カゲロウ」

 ハツゲンは斜めに傾いていた椅子をカゲロウの方に向け、視線も向ける。

「しかしそれは」カゲロウは語気を強めたが、ハツゲンが右手で制した。

「それ以上言うな。愚かだったことはわかってる」

 ハツゲンはそれ以上何も語らなかった。



 ニューシコクから新幹線を乗り継ぎ、ニュートウキョウ第五街に神風ハジメは辿り着いた。同じ日本なのにニュートウキョウは温暖な気候が保たれている。ニューシコクとは大違いだ。ニューシコクは一年中、雨か曇り。人工的な太陽が二週間に一回もたらされるが、温度調整に難があるのか、今浴びている自然界の太陽とは桁が違う。ニュートウキョウとニューシコクは距離的に離れているとはいえ、なぜ太陽が届かないのだろう。全ては十二年前にとなる聖府機関の調査中に事故が起きたことが原因で世界の気候変動が起き、人類の大半は死亡したと昔教師に聞かされた。

 できれば、そのときに僕も一緒にあちらの世界に連れてってくれればよかったのに、とハジメは思う。

 学校も対して面白くなく、授業も退屈。生きがいを感じられずにいた。母はいない。だからだろうか。学校のみんなには母親というものがいる。しかしハジメにはいない。死んだ、というのを父の書面一枚と母の祖母から聞かされた。母が死んだのが物心つくまえだったこともあり記憶がない。どんな感じなんだろう、母親がいるって。とハジメは思うことがあったが、最近では何も感じなくなっていた。普通に日常をやり過ごし、時折笑顔を見せる。それだけしとけば周囲には迷惑をかけなくてすむからだ。なにか問題を起こすことはない。世間一般的に見れば、普通の学生であり、つまらない人間。それがハジメの自己分析である。声高に何かを主張することもなければ、なにかを積極的に行うこともない。

 それが一週間前に父親から突然手紙が届いた。相変わらず冷めた文章だった。この人の血を受け継いでいると思うと、心底嫌気がさす。感情がない。それはハジメ自身にも共通することだが、せめて人間というのは喜怒哀楽を表現するものだとハジメは思っている。思っているのと行動が二律背反し、その自己矛盾に彼は悩む。

 書面には、『ニュートウキョウに一週間後に上京しろ』

 ただそれだけだった。せめて、「久しぶりだな」だとか「元気にしてるか」とか文脈の中に挿入してもいいと思うのだが、父親の文は性格を反映している。手紙が鏡のようなものだ。

 冷酷、合理的。そして認めたくはないが心の強さ。父親には備わっている。

 本当は断ってもよかった。文面の最後に〝聖府命令〟とあったからだ。やはり、心の強さ、という父の認識を撤回しようとハジメは自販機でコーラを買いプルタブを捻り喉越しを潤しながら思った。所詮父親も聖府の飼い犬なのだと。所詮組織に所属しなければ、己、という個を認識できない。不安でたまらない。人は一人でいるときに真価が問われるとハジメは思う。無理して一人になる必要はない。それでもそういう人間もいる。ハジメがそうだ。学校になじめず、友達もいない。いや、いるにはいるが、友と呼べるかは微妙だ。今は楽しく会話しているが、なにかのきっかけで壊れ、修復不可能になり、別の方向へ飛び立つ。

 結局は浅い関係。

 ならば一人でいい。そうハジメは考える。

 歩きながらニュートウキョウ第五街を歩く。ビル群は無駄に高く聳え建っている。それでも人の数は少なかった。温暖な気候もあり、もちろん傘を差している人もいなく、人が少ないながらも表情は豊だった。どことなく気分は華やぐ。

 地図を確認するためにハジメは公園のベンチに腰掛けた。公園というのは遊具がたくさんあり、そこで子供が遊ぶ。だが、そこには子供は一人もいなかった。少子化の影響は所々に影響がでている。さらには十二年前の世界規模の事故により大人の数も激減。人口統計は戦国時代にまで遡っているという噂もあるが、公表はされていない。それでも科学技術はめまぐるしく進化し、人口太陽しかり、水蘇生法、食物復興、という人類に欠かせない技術は維持、確保されている。

 地図を眺め、目的の場所を確認する。目の前に有機アセットビルがあり、そのビルの目の前が『パーク第五』の所にバツ印が古典的な手法で記されていた。

 どうやら知らぬ間に目的地に着いていたらしい。ここにいれば『使い』のものが迎えに来るとのことだった。どうせ聖府筋の人間だから父親と同じような性格で陰険なタイプだろうと高をくぐる。

 遠くの方で甲高いエンジン音が聞こえた。それがだんだん近づいてる。確実にハジメがいる公園にエンジン音が近づいてくる。その方向にハジメは視線を向ける。青空とまん丸の太陽には不釣り合いな灰色の煙が空に浮上している。ただでさえ世界は環境が悪化しているというのに、なぜ人類は自然や生態系を悪化させるものを大量生産しているのだろう。なにか環境破壊に対する具体的なアイディアがないまま今日まで迎えている。

 それに電気自動車?

 やめてくれよ。石油依存を脱却したと思ったら、次は電気ときた。その電気もエネルギーを必要としているのに。地球の内部は人間という膿に食い尽くされている。ハジメの思考を停止するには充分なブレーキ音が『パーク第五街』の入り口で止まった。どうやら『使い』の者だろう。もっと豪勢な待遇を期待したが、どうやら一人らしい。それも、ハーレーダビッドソンで登場。バイクに乗っている人物は体型からして比較的若い人物とハジメは認識した。ヘルメットを被っているから性別は判別しないが男だろう。

 が、ヘルメットを外した瞬間、性別は判明し女性だった。紫のロングヘアーをポニーテールにしている。シュシュはハジメの好きな赤色だった。

 バイクを降りて、ハジメが座っているベンチに歩み寄る。堂々としていた。ファッションモデルのような流麗な足取りだった。背筋を伸ばしている。姿勢の良い子、に確実に選ばれるタイプだ。美人特有の大きい目。鼻筋が整った美しい顔立ち、そして意志の強そうな唇はピンク色に染まり強烈な存在感を放ってた、

「ハツゲン総司令官の息子の神風ハジメ君で間違えないかしら」

 美人はさっぱりとした声音で言った。砂漠の大地を彷彿とさせる乾燥さがあった。やはり大人というのはどこかあっさりとしている。かつての純粋さは歳を追うごとに無くなるんだ。

「なにかいいなさいよ。男でしょ」

 注意されたことがここ数年来ないハジメは、突然の指摘にびくっとなる。それも美人に注意されると、自分自身の不甲斐なさを露呈される形になり恥ずかしく情けない。

「そ、そうです」

 ハジメの一言に美人は頷き、そして彼の全身をシャツのアイロン掛けのように丹念と皺を伸ばすかの如く眺め回す。

「ふーん」と白ブラウスの胸ポケットから煙草を一本取り出し、古風なマッチをすり火をつけ、煙草の煙を吸い込み、空高くに吐き出し、「総司令官とは真逆ね。あなた自信なさすぎ。でも無愛想なところはそっくり」と言った。

「父と真逆で嬉しいです」

 ハジメは抑揚のない声で言う。人差し指と中指で煙草を挟んだまま美人は彼を目を細め見る。

「なるほどね。お父さんのことをあまり好意的に捉えてないんだ」と煙草を深々と吸い、吐き、「私、赤羽ノゾミ。二十六歳の独身で彼氏はいるかいないか微妙な関係。それでいてラーメンが大好きで、好きな動物はカメレオン。好きな音楽は断然ロック。ということでよろしくね」と快活な声を響かせハジメに右手を差し出した。慌ててハジメも右手を差し出す。女性と手を重ねるのは何年ぶりだろう。むしろ今まであっただろうか。もちろん行事であっただろうがプライベートとなると皆無に等しい。

「よ・ろ・し・く・でしょ!」

 ノゾミさんの間隔を開けた怒気が副流煙と共にハジメの全身を覆う。

「あ、よろしくお願いします」

「言われないと行動できないんじゃ、これから大人になったら大変よ。大人になると厳しいよ。私なんかは国家公務員で税金生活して悠々自適に暮らしてると思われてるけど、それは昔の話。言われたことをこなしてるだけじゃなくて、新しく何かを生み出したり、研究したりしなきゃいけない。疲れる、疲れる。まあ、今はどの職種も厳しい状況。人口は減り、環境は悪化。でもそれはある意味チャンスなのよ」

 よく喋る人だな、とハジメは感じ、「チャンス?」と訊いた。

 その問いを待ってましたと言わんばかりに、「そう」と吸い終えた煙草を携帯灰皿に押しつぶしパチンとケースを閉め、「既存が壊れたなら新規で生み出すしかないじゃない。だからこそ人間がいる。閉塞感漂う闇にさ、光が射し込んだら目立つじゃない。そういうこと」と言った。

 どういうこと?とハジメは思ったが、ノゾミさんの、〝そのために人間がいる〟という部分には疑問を持たざる負えない。むしろ人間がいるから環境が悪化し、住みづらい環境になっているのではないか。動物の大半は死滅し、今では数種類しかいないと聞く。動物に分類されるのかわからないが、一時期ゴキブリが大量発生し、「お前らはいらなない」と近所のおじさんが声を荒げていた。「犬よ、犬よ」と懇願していたときもあった。

 犬や猫やライオンや像などはデータベース図鑑でなら見たことがある。それにアクセスすれば立体映像で見ることができ、臨場感を体感できるが所詮機械、だ。どこか現実味に欠ける。

「まあ、でもあなたはハツゲンさんの息子だから徐々に才能が開花するのかな。でも私って才能って言葉嫌いなの。どちからというと地道にコツコツと自分の道を切り開いていく人が好き。人に流されず、自分の意志を持つ感じ。性格を抜きにしたら、あなたのお父さんのことタイプ、よ。私」

 ノゾミはしれっと言う。彼女の八重歯が太陽に反射したと同時にサイレンが鳴り響いた。

「え、なに、これ」

 ハジメはきょどる。

「え、このタイミングで」

 とは言うもののノゾミさんは落ち着き払っていた。

「緊急ってことですよね」

 ハジメは独り言のようにつぶやいた。誰に聞かせるためでもなく、ただの自己確認。そうやって自己を確認、その言動に対して肯定し、自己を防衛する。ハジメの処世術。

「察しがいいわね。『悪使』よ」

 ノゾミさんは、ハーレーダヴィットソンに向かって歩みを進め、ハジメの方にくるっと振り向き、ついてきなさい、とでもいように手招きをした。

「アクシ、とは何ですか?」

 ヘルメットを被りながらハジメは訊いた。

「神を守る悪魔」とノゾミさんに即答された。

 神を守る悪魔?それは天使の役目ではないのか。それにこの現代に悪魔、って。馬鹿馬鹿しい。とハジメは苦笑を漏らす。人間の魂でも喰うのかな。

「人の魂を喰うのよ。人が減る。労働力が減る。税収が減る」

 ノゾミさんはハジメの心を読んだかのように続けた。そうなんだ。食べるんだ。で納得はできるほど純粋でもなければ愚純でもない。やはり国のシステムは人がいないと成り立たないだと彼女の言葉を聞いて感じた。いつしかく人がシステムを作ってるいるというよりはシステムが人をつくってるとハジメは感じたからだ。ただシステムの上で泳がされている人類。

「行くわよ!」

 どこへ?というハジメの疑問を掻き消すように、ハーレーダヴィットソンはアスファルトの道路を滑らかに走行した。エンジン音が鼓膜まで響き渡り、体に悪いであろう黒煙が辺りを舞う。

 ハーレーダヴィットソンのエンジン音が落ち着いたと思った矢先に頭上からも甲高い音が聞こえた。思わずハジメは見上げる。

〝国防軍〟と印字された戦闘機のようなものが三機飛んでいた。見上げた刹那、街に向かい、ミサイルを放った。その爆風でビルや自販機、ましては家屋も損壊。住民が避難を遂げていることを祈るばかりだが。

 避難を遂げたからミサイルを打ったんだよね?むしろ人間はいるのか?

 そんな疑問がハジメの脳裏をよぎった。



 国防軍悪使対策本部―――


 

 国防軍最高司令官 港ゲンは焦っていた。その焦りは汗となり額から脇、ないしは全身を纏わせ、そのまま体重を減らしてくれればいいと嘆く、がそこまでうまくはいかない。緑色の軍服は汗で滲み、脇から滲み背中にべとりと付着した汗のせいで、最早何色なのか判別できなくなっていた。頭を抱えるが幸いにもスキンヘッドのせいか、抜け毛の心配はない。太い指には手汗が滲み、こんなことなら前日にフライドチキンを十本食べなければよかったと後悔する。が、そのせいではないだろう。この尋常な汗は。

 そもそも事の発端は一ヶ月前に、内密聖府機関セイントからの情報だった。そこの総司令官神風ハツゲンが、「悪使がくる。そのときは街は混乱に陥り、人間の魂は喰われる。そうならないためにも指揮権を最初から我々に譲渡せよ」と完全なる上から目線で国防軍最高司令官である港ゲンに全く淀みのない口調で言ってきた。歴史ある国防軍に突如新設された『内密聖府機関セイント』その実体はほとんど謎とされ、国防軍のさらに上にある『シャイン』の移行らしい。

 そもそもゲンは反対だった。なぜ、国防軍に情報がもたらされないのか。そのことを、『シャイン』率いる十三人の一人に伝えた。

 返ってきた答えは、「知る必要はない」、だ。むしろ脅しめいたことも言われた。「首を突っ込むようであれば君の首が飛び。それでもいいのか。これは人類の命運がかかっている」

 国防軍も人類の命運を握り、世界を安全に導いているはずだ。

 それが今目の前の大型モニターを見ながらゲンの思惑が揺らいでいる。それも大きく、これから座礁し転覆する大型客船のように。

「状況はどうなってる」

 ゲンは大声を放つ。

「地対空ミサイル、地上銃撃、ロケット弾、全て効果なし」

 下司官からの応答を聞き、ゲンの汗が股間にまで染み渡る。この世界で、地対空ミサイルが効果がないというのはおかしい。絶対におかしい。あれは十数年前にアフガニスタンへ勢いよく飛んで大半を焼き尽くすした代物だ。

 それが効果なし?

 危険だ。国防軍総司令官の威厳、尊厳、あわよくば地位まで奪われかねない事態だ。指令席は対策本部の中では一段高い所に設置されている。それは地位を、序列を重んじるためだ。背が百六十三センチと小柄な港ゲンにとっては巨人になった気持ちである。それに、下司官連中は俺のことを、「国防軍の小人戦士」と呼んでいるのは知っている。

 小人戦士?

 これはある意味褒め言葉か。そう解釈もできなくはない。プラス思考は人間にとって精神に良薬をもたらし、よい結果を運んでくれる。

 ゲンは小型モニターがぎっしりと並べられている下方を覗いた。さりげなく、慎重に、ある人物に悟られないように。

 が、悟られた。

 神風ハツゲンだ。ゲンとは同期ながらお互い切磋琢磨してきたつもりであるが、どこか評価はハツゲンの方は上という気がしてならない。冷静沈着。言葉数少なく喋れば的を得ている。微かに笑えば女性がうっとりすると言われているが、その真意は定かではない。女性科学者の間ではその無愛想加減が不人気であり、国民達には微かな人気があるらしいことはゲンは知っている。なぜ知っているかといえば情報を仕入れたからだ。それは色々な場所に転がっている。通路を歩いているとき、食堂でうどんを啜っているとき、国防軍

の雑誌なるものがあり、それをパラパラと捲ったとき。情報は常に転がっている。

 そう、情報は宝だ。 

 それが港ゲンの哲学であり、信条だ。

 が、その哲学や信条も揺らぎつつある。全く悪使と呼ばれる生命体に武器が通じないからだ。これはいかん。困った。お手上げに近い。

 ハツゲンの背中を港ゲンは見る。その隣に腰巾着なのかよくわからないが諸葛亮孔明気取りの冬月カゲロウがハツゲンの左隣に陣取ってる。揃いも揃って両手を後ろで組んでいる。今から外へ散歩に行くみたいに。スリーディーフォログラファーを使い愛犬と散歩を疑似体験するみたいに。まあ、ハツゲンがそんな陽気なことをするはずはないか。と思った矢先。

「総司令官。地上部隊が雪崩式に全滅。陸、海、空の戦力が半減しています」

 下司官の言葉にゲンは思わず頭を抱えた。顔を上げ。下を見下ろす。

 笑った。ゲンにはそう見えた。神風ハツゲンが、一年間で三回しか笑わないと都市伝説化しているハツゲンが、港ゲンの方に振り向いて笑った。その笑いに安堵する自分もいた。諦めたくないが、完全武装で臨んだ悪使の戦闘、死闘。

 敗北

 その二文字が全身を貫いたことはたしかだ。この尋常ではない汗が物語っている。あとで軍服を脱いで、水循環装置を作動させよう。汗をろ過して綺麗な水にしてくれる。

 しかし俺の汗を飲みたいと思うのか?誰が?まあ、俺か。ゲンは思った。そこまで動揺していた。

 そしてハツゲンの笑みはこの状況を打破できる、という笑みにゲンは見えた。じゃなければ一年間で三回しか笑わないと言われている人物がこの劣勢の状況で笑うはずはない。

 もう一度ゲンは下を見る。ハツゲンは後ろで両手を組んでいた。それが君の、固定された姿勢なのだな。とゲンは立ち上がり同じポーズをする。

 が、凝り固まった筋肉と脂肪は両手を後ろで組むことを拒んだ。

 そのときにゲンは実権を譲ろうと決意する。 

 人としても、悪使との闘いに破れたことを。

 敗北宣言。

「ハツゲン!」

 ゲンはハツゲンを呼んだ。

「なにか?」

 首だけを回し、おそらく周囲には聞こえないであろう声音ハツゲンは言った。なぜゲンに聞こえたかはわからない。あの無表情と口元の動きはそう判断した。な・に・か、と。

「作戦会議を開きたい。来てくれ」

 ゲンは言い、こくりとハツゲンが頷いた。


「指揮権を君に譲る」

 ゲンの言葉にハツゲン、カゲロウは微動だにしない。ハツゲンはわかるが、カゲロウ副官もそういうキャラだっけ、か。影響力ある人物の隣にいると、仕草や態度が似るというが、まさにカゲロウがそうではないか。

「できればまだ粘って欲しい」

 ハツゲンは卓に両肘を尽きながら言った。恋する乙女か、とゲンはその光景を見て顔をしかめると共に、「はっ?」と思わず耳を疑う。

「まだ到着してないんだ」

 カゲロウが影のようにひっそりと老齢な声で言った。

「到着?」

「ああ、まだ到着してない」

 ハツゲンは言う。眼鏡が曇ってるのか反射してるのかわからず眼球が見えない。見せろ眼球を。目の動きを確認できないと人というのはここまで不安になるものなのか、とゲンは動揺を隠せない。

「おい、そもそも何が到着してないんだ?」

「息子だよ」

 ハツゲンは当たり前のように言う。

 息子?この男は結婚していたのか。知らない。知らなかった。先をこされたという思いと、総司令官という地位にいながら全くモテないゲンは苛立を募らせる。相変わらずやることはやってやがる。

「ほお。息子が何をするのかね」

 内心は結婚をしているという事実を聞かされ、動揺しているがそれはおくびにも出さず訊ねた。

「もう少し防衛してもらいたい」

 ゲンの問いは無視された。それにハツゲンは、防衛、という言葉を使った。決して、攻撃、という言葉を使わず。それは遠回しに、〝勝てないのだから守りなさい〟とゲンは言われてる気がして悔しかった。そもそもお前の妻は誰なんだ。それも気になる。

 そして突然、個室が開き、見慣れない人物が勢いよく駆け込んできた。

「おい、作戦会議中だぞ」

 ゲンが声を張り上げる。だが、声を張り上げて後悔した。白衣の似合う茶髪で整った顔立ちの女性だったからだ。赤い口紅が白衣を一層際立たせている。寄り目がちが自信のなさを伺わせるが、立たずまいはどこか堂々としている。

「ハツゲン総司令官、こ、こ、こにいたのですね。と、とうちゃくしました。む、息子さん」

 なんだこいつ、ど、どもりやがる。ゲンは苦笑する。

「到着したか。報告ご苦労、ミン」

 ハツゲンの言葉にゲンは驚いた。こいつが渚ミン、だと。この美人で、どもりが。渚ミンといえば、世界の科学賞を総嘗めにして、早熟中の天才で若干二十五歳で。その姿を見た者はいない、がゲンは見た。目の前にいる。そしてどもり、サイドの髪に触れている。内密政府機関セイントにいたとは。

「君は渚ミンで間違いないか」

 確認の意味を込めてゲンは訊いた。

「そ、そうですが。あなた、ハゲ?」

 ミンは真顔で訊く。

「ミン。ハゲではない。誰?だろ」

 カゲロウが訂正する。カゲロウよ、その訂正は余計だ。ハゲは半ば事実だし、今更恥ずかしさもない。いや、それは事実とは異なる。さすがに、どもっていようが、美人に言われるとさすがに恥ずかしく自分の生きた証を否定されている気分だ。

 ごほん、と咳払いをし、「国防軍総司令官の港ゲンだ」と背筋を伸ばし言った。

「そうなんですね。噂の無能軍」

 ミンはあっさりいってのける。

 ゲンはその言葉に憤慨しそうなになり、このどもりに向かって何か一言カウンターパンチを繰り出そうとしたが、「ミン、無駄話は不要だ。いくぞ!やつのものとへ」とハツゲンが低音を響かせた声を繰り出し席を立った。それにカゲロウも続く。ミンはなぜか不思議そうにゲンの頭頂部を見ている、というよりは眺めている。

「ハツゲン」ゲンはハツゲンの背中越しに声を掛ける。「勝てるのか?悪使に!」

 ハツゲンはゆっくりと振り向いた。笑顔はない。むしろ眼鏡が邪魔で表情がわからない。

 しかし彼はそんなゲンの不安を吹き飛ばすように、「ああ」とだけ言って個室を出た。カゲロウもその場を後にし、ミンは膝に頭がくっつくぐらいのご丁寧なお辞儀をし、個室の扉をバタンと過激に響かせ閉めた。

 おいおい、あの個性的な集団は一体なんだ。本当に勝てるのか。そんなことを思いながらゲンは寂しくなった頭頂部をさすり、そして揉んだ。



 大型のブルーのシャッターに光の矢が印字されている。そのシャッターを見つめながらハジメは、ここが父が働いている場所か、と好奇の眼差しをおくる。

「ねえ、そんなにシャッターが珍しい?」

 ノゾミさんがブラックなグラサンを外しながら問いかける。ハーレーダヴィットソンを華麗に運転し滑らかな走行を期待していたハジメはそれが裏切られたことを瞬時に悟った。彼女は見事なまでのスピード狂で、国家公務員だからなんとかなる、政府機関だからさ、という特権を利用し豪快に道路を駆け抜け、たまに蛇行運転まです。その度にハジメの中枢神経は揺さぶられ、吐き気を催す。ぐったりし、ノゾミさんの背中にもたれようものなら、「セクハラ厳禁。私に触れたいという男は多数。男なら耐えろ」と、なぜか全てを言い切り型の三連打で攻められた。なんとかギリギリのところで胃が絶えてくれ、現在に至る。

 そしてシャッターが開く。前方は暗闇だが。全面に光が射した。

「すごい!」

 ハジメは目を輝かせ、ふわっと背筋を伸ばす。

「絶滅危惧種に指定されたのをここで飼育してるの。世界の海の大半は汚損されてるかね。生物は住めやしない」

「それが十二年前の出来事と関係が?」

 ハジメは訊いた。

「嘘でしょ?まだ聞かされてないの?」

 ノゾミさん目を丸くさせ、サングラスを胸元のV字のインナー部分に掛ける。そのときにヒョウ柄のブラジャーが見えたことは内緒にする。

「全く何も聞かされてないで、ここに連れてこられたので」

 ハジメは真実を述べる。

「そう。なら歩きなら語ってあげる。なぜあなたがここに連れてこられたのかも」

 ノゾミさんはその時ばかりは真剣な表情で目の奥から短剣が飛び出そうなほどにハジメを射抜いた。

 シャッター内のサイドは通路に沿って長い水槽になっていた。そこには左側にはイルカやクジラ。右側にはワニやピラニアという獰猛な生物がいた。

「事の発端は十二年前」ノゾミさんは言い、「他言は無用」と付け加えた。エレベーターボタンを彼女は押し、二人は入り込む。エレベーターがゆっくりと沈んでいた。も鵜この場所から出られないかのように。

「サハラ砂漠の中心地点で世界樹の調査が行われた。といっても遥か昔から調査はしてたみたいだけど。だけど人類は罪を犯した」

「罪?」

 ハジメはノゾミさんを見上げる。ピンク色の唇に微笑が浮かんでいた。

「そう。罪。砂漠に縦横三百メートルを超す大木がなるなんて考えられない。なんとしてもその生態系を解明し、人類に役立てようと調査した。木の内部をえぐって」えぐる、という単語がノゾミさんから出たということに違和感を感じた。それはハジメが女性というのはグロテスクな言葉を使わないという先入観からきているのかもしれない。

 。エレベーターが開きハジメは彼女の後ろをついていく。歩く度にノゾミさんの小ぶりなお尻がゆらと左右に揺れている。さらにノゾミさんは話を続ける

「しかし世界樹という名だけあって、堅牢だった。内部をえぐることはできなかった。そこにはある言い伝えがあってね。『内犯すもの解き放たれ追放したし』って」

 ノゾミさんは言った。

「どういう意味ですか?」

「今の現状見ればなんとなくわかると思うんだけど、ようするに、聖なる内なるものを開くとき悪解き放たれ災いが起きる、ってことだと思う。事実、大半の女性って不妊じゃない。人口減少に歯止めがきかない」

 そういえば、ニュースでそれとなくやっていたとハジメは記憶をたぐり寄せる。

「たしかエデンの園でリンゴを食べてしまったアダムとイヴは神の怒りに触れ、エデンの園を追放され、イヴに至っては子を産む苦しみを味わされる、っていうのがありますよね」

「しびれるねハジメ。博識なところは父親の遺伝子を受け継いでいるんだ。その歳で博識すぎると友達から敬遠されるでしょ。個が特筆しすぎて。だから友達がいない」

 ノゾミさんの言葉にハジメは俯く。

「図星、か。優秀すぎるって考えものよね。いや、子も大人も一緒だけど。異質なものを排除する傾向にあるから人間って。人は群れ、個は排除される」

 ノゾミさんはどこか遠くの方を見つめていた。それでも足取りはしっかりとしていた。

「さっきハジメ君と違う現象が起こったわけ。今、人類は滅びに向かってる。人口統計は減少し、それでも人類は生きていかなければならない。それでも子が生まれない。減る一方よ。世界では価値観の違いで未だに紛争が絶えない。子ができない苦しみ、滅びにむかう苦しみを味あわされた。それに世界の天候もおかしくなっている。それもこれも全ては『悪使』の影響」 

 ノゾミさんは扉の暗証番号を入力し、網膜スキャン、指紋認証を行った。扉が開き、ハジメは彼女の横に並ぶ。

「悪使?」

「そう。世界樹内部を強引にえぐりこじ開けた際に、『聖服』が発見された。それは席亜樹と呼応するように光輝いていた。しかし、それを抜き取った瞬間『聖服』の光は失われ、大爆発が起きた。そして今のような不条理な世の中になった。まあ、不条理こそ現実だけど」

 不条理こそ現実。その言葉はハジメの心に深く浸透した。意識しなくても無意識下でもどことなくそう生きてきた。どこか世界を俯瞰して見ていて、自分はつまらない人間。それでも何か出来るんじゃないか、と思い込んでいても行動に移せない自分。環境が整っていれば、人に恵まれていれば、そんなことは言い訳でしかない。自分に勇気がないだけだ。それでも勇気を振り絞って何かに挑戦すれば失敗が待っている。

 不条理。

 やはり不条理こそ現実。

「不条理だけど、物事を変えたいなら無言で闘わなくちゃ。口ではなく行動で。そうすれば人はついてくる。まあ、あなたの父親はそういうタイプね。口を開けば皮肉まじりで、イラっとするけど、物事をしっかりと見据え的確な判断を下し部下を導く。上に立つって大変なんだぞ」

 ノゾミさんはハジメを小突く。

 そんなことを言われても、ハジメにはよくわからない。父親には何年も会ってないのだから。父親がどんな仕事をし、どんな性格で、どんな趣味があり、どんな事に興味を抱くのか、なんてほとんど知らない。

「それで、僕はなんでここに?」

 ハジメは訊いた。

「ああ、そうだった」とノゾミさんは舌をペロっと出し、「『聖服』を扱い悪使を封印してもらう」と言った。

「はっ?」ハジメは立ち止まり、「無理ですよ」と手を振りながら言った。

「無理じゃない。あなたじゃなきゃ駄目だの」

「なぜ?それは・・・・・・」

 ノゾミさんが言い淀んだとき最後のゲートが開き。知っている顔が目の前に表れた。少し老け込んだとはいえ。神風ハツゲン。ハジメの父親。それが無表情で目の前にいる。ノゾミさんがさっきとは打って変わって背筋を伸ばし、会釈をする。

「赤羽!お前は聖服室で待機してろ。あとでこいつを連れて行く」

 ハツゲンが命令を下す。

「了解しました」

 はっきりとした口調でノゾミさんが答えた。そして奥の方に立ち去った。彼女は振り向き様に、〝あとでね〟と口パクで言った。いや、もしかしたら〝泣くなよ〟かもしれない。誰が泣くものか、父親と対面したぐらいで。

「五年ぶりか。久しぶりだな、ハジメ」

 ハツゲンは言う。その表情には久しぶりを喜ぶという感情は見受けられなかった。半ば儀礼的に発してるようにハジメは思えた。

「お久しぶり、父さん」

 ハジメは言った。

 その言葉を無視するかのように、「赤羽からある程度は聞いていると思うが、お前に『聖服』を操り悪使を封印してもらう」と命令口調で言った。

「どうやって」

 すかさずハジメは訊いた。

「知るだけでは不十分である。知の活用が重要だ。意志だけでは不十分、実行が必要だ」

「ゲーテ」

 ハジメは抑揚のない口調で切り返す。

 ふっ、ハツゲンが鼻で笑い、「勉強はお得意、か」とはじめて表情を崩す。「カゲロウ!モニターを映せ」

 すかさずハツゲンとハジメの中間部分に薄膜のモニターが出現した。そこには街が映し出され、砲弾が飛び交っていた。あるものに向かって。

 そのあるものは、人間?

 赤い装束と甲冑に身を包んだ兵士のようが手に持っている槍をくるくると回し跳ね返している、ときに兵士を掴み、何かを吸い取っている。ブレ

「ゼパル。不妊の悪使だ。近年の少子化、人口減少に歯止めがかからない。その元凶はやつだ。あの悪使をお前が封印する」

 ハツゲンはこの状況を見て何も思わないのだろうか。封印するだ、とは言っても目の前で兵士が死んでいる。それを、なぜ僕が、なぜ、そんな責任を負わなければならない。

「お前のことだから。なぜ俺がこんなことを、責任を負わなければ、と思ってるんだろ」

 ハツゲンがにやける。ハジメは図星だったので、きまずくなる。

「答えは簡単だ。お前の母であるミドリの遺伝子を『聖服』に組み込んだからだ。お前でなければ扱えん。『聖服』を扱うにはイマジネーションが必要だ。そして『聖服』と血判し契約することになる。最近の研究でわかったことだ」

「じゃあ、母さんはその研究で犠牲になったってこと?」

 ハジメは身を乗り出す。

「まあ、そういうことになる」

「ひどい、ひどすぎる」

「人類のためだ」

「人類のため?その元凶は世界樹をえぐったからじゃないか」

 ハジメは声を振り絞る。

「赤羽の入れ知恵か。余計なことを。世界樹は母なる木、だ。伝説ではあそこから人類の祖が誕生したとされている。母なる木。子と母。母が犠牲になり子が『聖服』を扱う。それが定めだ」

 ハツゲンは一歩もひかない。そして声には相変わらず声には抑揚がなかった。

「それも研究ってことか。あなたは、父さんは、悲しくないのか。母さんが死んでも。研究対象として犠牲になって」

 ハジメは怒気を飛ばす。それでも表情が変わらないハツゲンに対して苛立ちが募る。

「愚問だ。お前が嫌だと拒否するなら別の者にやらすまでだ。オリジナルはお前ではないと扱えないが、レプリカはいかんせん封印できるか定かではないが、オリジナルに近しいものを天才科学者ミラによって作成してもらった。最後に」ハツゲンは淀みなく言い、「お前だけが悲劇ぶるな。他にも名もなき者や知恵を奪われたもの、親、兄弟がいないものもたくさんいる。決してお前だけが特別ではない。これには人類の存亡が掛かっている。お前一人のわがままでこの世界を終わりにするわけにはいかない」

 沈黙が流れた。音声が流れないモニターの映像が映し出されている。赤い装束を着ている悪使いゼパルは悠々と歩き、人間を殺している。というよりは何かを体内に取り込んでいる。

「返答なしか」とハツゲンは一度下を向き、「帰れ。もうお前には用はない。せいぜい自分の殻に閉じ篭り、夢想でもしてろ」と踵を返した。手に持っていたボタンを押し、音も無く消え、モニターも消えた。

「あらあら怒られちゃって」

 声のする方向にハジメは視線を向ける。奥のゲート付近から頭だけ出し覗き見ているノゾミさんがいた。

「見てたんですか」

 ハジメはばつの悪い表情をした。

「だって、父として接するハツゲン総司令官なんて見れるものじゃないし」

「で、父はどうでした」

「仕事中と一緒だった」ノゾミさんは即答し、「それはいいとして、問題は君。ハジメ。あなたよ」と怒った。それでもまだ遠くの方でのぞいている。声がよく通る女性だとハジメは思う。

「僕?」

「あなた、心のどこかでは自分が変わりたいと思ってるんでしょ。でも、あなたは他力本願。他人が変わればいいのに、と心の中で思っている。それでいて自分が窮地に立たされると逃げる。それでも男?やってみなさい。失敗してもいいから、やってみたら新しい扉が開かれるわよ。それに、閉じ篭っていては殻は破れない。どんな雛だって殻はやぶってるわよ。みにくいアヒルの子、も」

 とノゾミさんは言って手招きをした。

 図星だった。自分に心を許せる友達がいないのも、どこか孤立している自分がいるのも、他人が変わればいいと思っていたからだ。なんで自分が歩み寄らなければいけないのか、って斜に構えていた。そうか、自分の内側を見せていないから、気づけば人は離れていき、周囲には孤独だけが渦巻く。ノゾミさんの手招きが見える。自然とハジメの足は吸い寄せられるように手招きする方向に向かっていた。

〝どんな雛だって殻はやぶってる〟、か。彼は自然と笑みが出た。

「てか、何笑ってるの。気持ち悪い。結構空気読めない系?」

 というノゾミさんの言葉は聞き流すことにハジメはした。



「あんなこと言っていいのかハツゲン、息子に」

 カゲロウは苦笑しながら言う。

「甘やかされてきたんだ。あれが薬になるだろう。それにここでへこたれるような柔なやつではない」

 ハツゲンは水を一口飲んだ。喉仏がどっしりと沈んだ。彼の存在のようだ、とカゲロウは思う。

「随分、息子を信頼してるのだな」

 カゲロウの言葉にハツゲンは無言だった。言いたくないことはいわない性分は昔のままだ。

「マリエを呼べ。彼女にやらせる」

 ハツゲンはモニターを見ながら言った。兵士が魂を喰われている。赤装束の悪使に。このまま行くと人類減少のみならず、滅亡へのカウントダウンは近いな。カゲロウは耳型内蔵無線で、「マリエを聖服の間へ」とだけ待機所の下司官に伝えた。

 ハツゲンの方にカゲロウは向き直り、「彼女はまだ早いと思うが」と怪訝な表情で言った。カゲロウも水を一口飲み、ハツゲンの背中を見つめる。

「あいつの起爆剤になるはずだ」

 ハツゲンは抑揚のない声を放つ。

「なるほど」とカゲロウは相づちを打ち、「全て織り込み済みというわけか」と水をもう一口飲む。

「そういうことだ。なにせ「聖服』を扱うには、精神とイマジネーションの融合が不可欠だ。あいつを開花させるには申し分ない」

「お前は、鬼だな」

「なんとでもいえ」

「なら、言わせてもらう。鬼だな」

 カゲロウは苦笑する。

「全ては人類のためだ」

 ハツゲンの眼鏡がモニター越しに反射していた。


 

 ノゾミさんに手招きされて案内された場所は地下三階にある『聖服の間』という場所だった。暗照明に満たされた部屋の奥に少女がいた。桃色のショートカット。細い腕、細い脚。

「あれ、マリエ。なんでここにいるの」

 ノゾミさんが声を掛ける。そしてマリエが振り向いた。そしてハジメは息を呑む。鋭角的な眉。アイスエイジを迎えたような冷めた目つき。顔は卵型で、艶やかな唇だった。

「お久しぶりです。赤羽ノゾミ」

 マリエは冷めた口調で言った。

「呼び捨てはやめなさい。あなたの倍は生きてるんだから」

 ノゾミさんが憤慨する。

「そちらは」

 マリエがノゾミさんの憤慨を聞き流し、ハジメを指差す。氷の槍で心の臓を突かれている錯覚に襲われた。それでいて彼女の表情に笑顔はない。

「ええっと。神風ハミカゼ君」

 ノゾミさんが明るい声を出す。

「ああ。臆病者。意気地なし。責任回避な男の子」

 マリエは何かの標語のように言った。アニメのキャラクターであろう熊がプリントされた水色のTシャツとチェックのミニスカートが表情と妙に不釣り合いだと、ハジメは思った。

「それは事実ね」

 ノゾミさんが同意を示す。

「そこはフォローしてくださいよ」

 ハジメが慌てる。

「感情をコントロールできない人間は弱い。感情を透き通る水のように整えろ」マリエは呪文のように言い、思わずハジメは、「えっ?」と聞き返す。

「『聖服』を扱う際の心得よ」

 ノゾミさん言った。

「あなたがやらないから私がやることになった。それでもあなたは逃げるのね。そうやって逃げてばかりいると、結局寂しい人間になる」

 マリエは抑揚のない口調で言った。

 なぜ初対面でここまで言われなければならないのか、とハジメは憤る。

「逃げてるんじゃない。気乗りしないだけ」

 ハジメは言った。

「同じこと。前に進むには行動するしかない」

 ハジメとマリエの視線がぶつかり合う。

「ちょっと待って!」とノゾミさんが視線の火花を消火し、「じゃあマリエが悪使を封印するの」と声を大にして言った。

「そう。これも運命。偶然と偶然が積み重なって運命となる。そして偶然は過去。運命は今」

 そう言って暗照明の中、煌々とした光が一カ所に集まっている場所にマリエは向かった。おそらく前方に見えるのが『聖服』だろうとハジメは推測した。それは意志を持っているかのようだった。ふわふわと上下に揺れていた。それでも『聖服』は高校生が切るようなブレザーのようなものだった。それが二着あり、色はエンジとブルー。ブルーのブレザーをマリエは着用した。律儀にも胸ポケットもある。遠目から見る限りシルクのような素材を彷彿とさせた。

 そしてマリエは浅い呼吸を三回繰り返し、目を瞑った。

「始まるわよ」

 ノゾミさんは真剣な眼差しで言った。

「これから、その、悪使を封印するってことですよね。あの子が」

 ハジメは両手をポケットに入れ、不安を隠した。いつもの癖だ。何か心が落ち着かなくなるとポケットに入れてしまう。いけない癖。悪い癖。

 むしろあんな子が何をどうやるのだ。ハジメは疑問に思い、ノゾミさんに訊いてみた。

「ああ。そうか」とハジメの方に視線をチラ見しマリエの方を向きながらノゾミさんは説明を開始した。「『聖服』を扱うには、精神とイマジネーション。さっきマリエが言った、〝水のように透き通った心〟これが何より重要。ようするにまずは無我の境地よ。目を瞑って何も考えないように務めことある?」

 ハジメは首を横に振った。

「まあ、そうよね。一度やってみるとわかるんだけど。目を瞑って何も考えないようにすると、そういうときに限って二ヶ月前に食べたケーキを思い出したり、振った男のことを思い出したりするわけ。それは邪念がはびこっているいるから。その邪念を取り除かないと神の領域へは近づけない」

「エデンの園を追われたように」ハジメは目を瞑りながら言った。たしかにどうでもいいことが頭をよぎる。

「察しがいいわね。その邪念を取り払うことができたら、第二段階であるイマジネーション。これは『聖服』と自分の魂をイメージで同化させるってことね。わかる?」

「なんとなく」とハジメはぼそっと言い、「アバターみたいな感じでしょうか。分身を作り出すというか、聖服を着たもう一人の自分、もしくは『聖服』を着た自分」と仮説を言った、

「だいたいそんなところね。マリエ一度ここに『聖服』を出現させてみて」

 ノゾミの問いかけにマリエが眉間に皺を寄せた。

 すると、ブルーのローブを纏ったマリエが登場した。それもちゃんと実体がある。ハジメは触れてみようと腕に触れようとし、「でっ!」とノゾミさんが彼の肩を叩き、なんとも柔らかい感触にタッチし掴んでいた。体勢を建て直すとなんとマリエの胸だった。正確には『聖服』を着用してイメージされたものだが。

 そして、「愚か者」という声が響き渡り、グーパンチがハジメの右頬にめり込んだ。物凄く、痛い。

「実体あるわよ。その『聖服』は。といってもマリエの脳内にイメージが行き渡り胸に触れた、という認識が伝わる」

 ノゾミさんはにやにやし、スケベ、と口パクを披露した。

「先に言ってくださいよ」とハジメは唇を尖らせ、殴られた頬を摩り、「『聖服』を着用するだけでは、なんの効力を持たないってことですか」とノゾミさんを見る。

「その通り。『聖服』はどちらかというとゲートキーパーみたいな役割ね。人間と神を繋いでる。と思って構わない。悪使も神の使いならば、神に対抗できるのは神の力」

 ノゾミさんは力強く断言する。

「なおさら僕にはできそうにないな」ハジメはぼつりと言う。

「そうやってやる前から諦めてるから、根性なしと思われる。まあ、マリエの状況でも観察しましょう。悪使のところに向かうわよ。モニター」

 ノゾミさんの号令と共に、マリエの『聖服』は消え、モニターが登場した。マリエ本人は立ったまま『聖服』を着て眉間に皺を寄せる。

 モニターには悪使が映し出されていた。相変わらずの赤装束。背丈も僕ら人間と大して変わらない。そこにブルーの闘気が登場した。マリエが操る『聖服』だ。それが悪使ゼパルと対峙する。なにか喋っている。

「なんて言ってるんですか?」

 ハジメはノゾミさんに言った。

「音声のボリュームあげて」

 ノゾミさんが声を張り上げる、

 音量が上がる。だが、会話は既に中断し、戦闘が始まった。悠然と歩いてたゼバルだったが始めて立ち止まり、右の手のひらを前に出し、赤い球をマリエに放つ。

「あぶない」とハジメは声を出すが、「大丈夫」とノゾミさんが落ち着いた声をこぼす。赤い球はマリエに向かうが青い壁がマリエの前を覆い、赤い球を消滅させた。思わず始めは、「すごい」と感想を漏らす。

「でもね」とノゾミさんは困った表情をした。

「でも?なんですか」

 ハジメは訊く。

「たぶんマリエは防御しかできない。攻撃できるまでのイマジネーションを構築できていない。防御は第一段階の無我の境地があるから自然とできるのよ。でもね、攻撃はそこに怒りが必要なの。そう、これは矛盾してるんだけど。第一段階で精神をコントロールできた。あの子はまだ第二段階まで辿り着いて日が浅い。だからまだ怒りをコントロールできない。その証拠に、ほら」

 ノゾミさんをモニターを指差した。

 おそらく青い弓のようなものなのだが、ものすごく小さい。弓というよりは水鉄砲っといった方がいいだろう。それを見てゼバルがにやつき、今度は赤い球を一つではなく、無数に拡散させた。

「まずい」

 ノゾミさんが身を乗り出す。まずい、が現実になった。マリエの防御が遅れ、何発か赤い球の攻撃を受けた。モニターの青いローブから煙が湧き出ている。ハジメは実体があるマリエの方を見た。嘘だろ、という言葉を思わず呑み込む。彼女の口から血が出ていた。腕にも火傷のような損傷がある。

「これは危険ね。イマジネーションは非常に疲れるね。だって、これから新企画を打ち出そうというときに、ずっと考えていると頭が重くなり疲れるじゃない。この世で何が大変って考えることよ」

 ノゾミさんの言っていることはよくわかる。考えすぎは確かにいけないが、それでも人は考えなければならない。それでも人は考えなければ現状を打破できない場面に多々遭遇する。たしかにひたすらがむしゃらに無謀な行動を起こすのも一つの手だが、優秀な行動を起こすものに限って実は考えながら行動していることの方が多い、とハジメは思っている。

「この現状を見て、ハジメ君は何も感じない。それでも逃げる?責任を回避する。彼女は女性よ。それでも必死に闘っている。体に傷を負っても。それでも闘ってる」

 ノゾミさんはハジメに怒気を飛ばす。

 モニターからノゾミさんの言葉を裏付けるかの如くマリエは防御一辺倒だ。それも徐々に防御壁が弱まっている気がする。

「疲労ね」

 ノゾミさんがぼそっとつぶやく。腕を組みながら。ハジメはマリエを見る。固く閉じられていた口は開き、肩で息をしている。

「ハジメ君。やりなさい。『聖服』を着なさい」ノゾミさんが強い口調で睨みつける。これは強制だ。ナチスドイツだ。ヒトラーだ。ハジメはそう思う。

「む、無理ですよ。訓練しているマリエさんがあんな状態なら、新参者の僕なんかがやっても結果は見えてますよ」

「へっぽこな男だねえ。なんで男ってこんなに弱くなったのかしら。女性が社会進出した途端立場逆転。今までコキ使われてた鬱憤があるために男の弱さを露呈する。それでもね」とノゾミさんはハジメの目線に腰をおろし、「男じゃなきゃ打開できない場面もあるの」と言って唇をハジメの唇に付着させた。彼の思考が止まる。無になる。きょとんとする。放心状態に陥る。ノゾミさんの唇がゆったりと離れる。そこまでは覚えている。気づけばハジメの足はエンジ色の『聖服』に向い袖を通していた。軽く、それでいて密着する。

「今現在、あなたは無の状態だと思う」ノゾミさんはにっこりと笑う。赤髪を掻き分ける。「攻撃は怒りよ。防御はマリエに任せない。モニター越しの街をイメージし、今までの自分の不甲斐なさ、そして父への怒り、なんでも怒りなさい。そうすれば『聖服』が自ずと導いてくれる。そして悪使を徹底的に弱めなさい。そして封印するときは、悪使に触れ同化するイメージを持つこと。そうすれば悪使は封印される。一回いえばわかるわよね。だって、あなたは優秀だから。いい。優秀な人間って孤独なの。孤独を嫌うな。今こそ愛せ。その孤独を持っているものがここにいるセイントの住人。あなたは一人じゃない。やりなさい。やり終えたあと、たっぷり褒めてあげるから」

 今こそ愛せ、か。なるほど。そういう発想が自分にはなかった。どこか冷めていて、それでいてどこか人を見下し、蔑んでいた。それでもいざこういう自分にとって不利な状況になると逃げ出す。いつも逃げ出す。それは責任を負いたくないから。責任なんて大人になったらでいいじゃないか。そう考えるけど、でも、しかし、だけど、大人になって今のまま成長を遂げたとしても何も変わってないかもしれない。それよりか地球環境はこれ異常悪くなり、悪使とかいうのに人類は殲滅されるかもしれない。しかもなぜ僕なんだ。父が聖府機関で働いてるからか。それもあるのだろう。結局考えていることは、前、ではなく、いつも後ろ向きだ。だから人と心を通わせることができないのだろうか。ああ、くそ。目を瞑ると余計なことを考えてしまう。

「落ち着きなさい」

 そうノゾミさんがいった後、温かい感触が手に伝わった。ノゾミさんに手を握られているのだろう。心地よい。触れる、というのはここまで心地よいものなんだ。 

 ハジメは心を落ち着かせた。ゆっくり深く深呼吸をし、何も考えずただ無を彷徨った。ノゾミさんが強く手を握った。「マリエがいる場所をイメージしなさい。そこからはあなた次第よ。あなたならできる。そして健闘を祈る」

 イメージ。女の子の裸を想像したことなら何度もある。それは思春期なら誰でも抱く妄想行為であり、健全な男なら誰でもあることだ。制服を脱がし、服を剥がす。今回はそれでも街だ。街。マリエがいる場所。なにか目安になる場所。そうだ、ビルの隣に銭湯があった。たしか『愛の湯』。なぜ人は〝愛〟という名称を入れたがるのだろう。〝愛〟を使用しているということはそこに愛がない証拠ではないか。と思っている矢先、無の闇から光が溢れでた。イメージが合致した。光の扉が開く。勝手に、とてつもないスピードで光の粒子がハジメを纏う。

 ハジメは立っていた。辺りを見回す。街は破壊され、粉々になっている。瓦礫と化したビル群が人間のこれまでの行いを象徴しているようだった。環境破壊。戦争。拝金主義。

「愚かな人間か」

 ハジメはぼやける視界の中、声のする方向に視界のポイントを合わせる。

「人間が愚かなことは認める」ハジメは言った。

 それが予想外の反応だったのか、赤装束は眉間に皺を寄せた。まだ子供?というよりはハジメと大して年齢が変わってない気がした。

「変わったやつだな。大方の人間は自分が愚かだと認めない。だからこのゼパルが女性を不妊にしてやった。いい具合に人口が減少した。少子高齢化。十二年待った甲斐があった。上は死に。下は産まれない。必然的に人口は減少し、世界は衰える」

 ゼパルがドライな口調で言う。

「策士だね。僕とは大違いだ。僕は臆病ですぐ逃げる。今ここにいるのも無理矢理に近い」ハジメは言った。

「予期せぬことが起るから人生は面白く、そしてお前は死ぬ。世界樹消滅は母消滅を意味する。その意味は大きい。人間は愚かなことをした」

「君だけじゃない。僕も母がいないんだ」ハジメの言葉にゼパルの表情が変化する。その証拠に彼の肩の力がふと抜けたように感じた。「寂しいよね。誰に頼っていいかわからないし。でもノゾミさんが言ったんだ。『孤独を愛せ』って。今までそう言ってくれる人はいなかった。気分が楽になった。そして安心した」

 ハジメはゼパルに落ち着いた声音で放つ。

「安心?安心、それこそが人間の最も敵だよ、坊や」

 ゼパルはにやっと笑う。

 この状況で言葉で説得できるわけないか、とハジメはため息をつく。できればイマジネーションだか何だかわからないけど、闘うしかないようだ。これはそもそも自分で決断し選択した結果なのだろうか、と彼は思う。流されて、ただ言われるままにこの状況下に放り込まれ、目の前に悪使がいて、ハジメの右隣にマリエがいる。

「臆病者じゃなかったんだ」とマリエは皮肉を込めて言い、「案外、冷静な言葉を放つ。言葉は時として武器になるが、今は役に立たない」と褒めてるのか貶しているかハジメには判別がつかなかった。

「ノゾミさんから〝怒れ〟と言われた。その感情が現時点で涌き上がらない」

 ハジメは言う。冷静に自分の『聖服』が具現化したものを見た。頭にはエンジ色のターバン。黒のベロアジャッケトに白のVネックにブルージーンズ。なぜか私服に近い格好で、エンジのターバンが目立っていた。

「また言い訳?なら」とマリエがハジメの尻めがけて尻をキックし、「ちょっと、この状況でやめろよ」とハジメは彼女を睨みつけた。

「怒ったじゃない。その感情を飛躍させて、攻撃イメージに転化させればいい」

 可愛い顔して無理難題を押し付ける。女性というのはそういう生き物なのだろうか、始めには到底理解できぬ事柄だ。

「仲がいいな。お二人さん」 ゼパルが言い、「仲良くない」とハジメとマリエは口を揃えた。

 怒り。

 まずは隣の女性が苦手だ。自分を可愛いと思っていることは間違いないが、それをおくbにも出さず、それでいて蹴りを入れてくる。暴力反対、こんな女性とは絶対に、絶対にこれが終わった口を聞くことはないし、その前にこう言ってやるんだ、男を舐めるなよ!って。それに父親にも腹が立つ。久しぶりに会ったと思ったらいきなりこんなへんてこりんな状況に巻き込んで、最後には、失望した、だのなんだの、ってふざけるな、僕は、あなたの操り人形じゃない。 

 なんだろう。頭の中が炎で埋め尽くされていく。もしかしてこれが〝怒り〟を具現化したものだろうか。

「あぶない」

 たしかにマリエの声が聞こえた。それでもハジメは意識を怒りに集中した。もしここで集中を途切らせてしまえば、もう〝怒り〟の感情は当分訪れそうにないから。

「お前は防御しかできないのはわかっている。なら、二人同時に狙おう」

 ゼパルは言った。

「ちょっと。できるの。できないの」

 マリエがハジメを急かす。昔から急かされるのは嫌いだ。これをやれ、あれをやれ。マイペースに事を運びたいのに、なぜだかみんなと同じ枠に入れられる。協調性あっての個性というのには否定はしない。でも馴れ合いは好まない。もしこれから社会に出たら、学校の延長線上の馴れないが待っていることだろう。実力主義?結果が出ても人格が伴っていなければ上にいっても意味はない。結局は馴れない、媚へつらいが増殖する。結局は考え、生み出す人間。そうすればいい。

〝孤独を愛せ〟

 愛すよ。深く。でも孤独を愛せってことは人の触れ合いを望んでいるってことの裏返しだよな。ハジメの精神は並々と上下動を繰り返し、沸点に涌き上がる出来事が起る。

「きゃあ」

 マリエの叫び声が聞こえた。右耳だけ開く。だが両目を開く結果になった。ハジメを守ることに終始していたせいか、マリエの『聖服』の右半身は黒焦げになっていた。

「あとはお前だけだ」

 ゼパルの余裕の声。

 ハジメは傷だらけになったマリエの姿を焼き付ける。僕が、僕が、だらしなくマイペースで鈍いからだ。常に安全な状況に逃げ込むからだ。ふざけるな、ふざけるな、よ。何が悪使だ。何が聖府だ。何が『聖服』だ。大人が招いた結果じゃないか。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。

「戦意喪失か」とゼパルは両手を広げ、手の部分を赤い膜で覆い、「直接貴様を貫こう」と全速力でハジメに向かってきた。

 争ったって何も変わらない。武力で対抗すれば武力で反撃される。なぜわららないんだ。人間も悪使も。いつの時代も歴史は繰り返す。

〝ハジメ。愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿になりなさい〟

「誰?」

 ハジメの問いかけ返答はなかった。目の前から右拳を前に出し突進してくるゼパルが見えた。誰だか知らないが、利口な馬鹿、とは斬新で奇抜な発想だ。ハジメは〝怒り〟を鋭く尖った槍状にイメージを構築していく。

 敵は油断している。もっと、近づけ、近づけ、近づけ。ハジメはマリエのぐったりとした『聖服』を見る。怒りが頂点に達した。

「さらばだ人間よ。お前ら未熟な人間では『聖服』は扱えん。我らの手に返してもらおう」

 ゼパルの殺気を感じ取ったハジメは、目を開ける。ぎろっとした目つきにゼパルが目を見開く。ゼパルの右拳がハジメの『聖服」右胸に向かう。風を感じる。太陽が反射質得る。海面の音が聞こえる。どこかでビルが倒壊していく音が聞こえる。時間にしてほんの数秒、しかしそれはハジメにとてつもなく長く感じられた。それでも彼はエンジ色の炎を纏った槍をゼパルに突き刺す。ゼパルとハジメは距離にして一メートル。長さ三メートルはあろうエンジランスが悪使ゼパルの心の臓に深々と突き刺さり、そして突き抜ける。

「ぐはあ」とゼパルが呻く。

〝同化させるイメージ〟

 ハジメは目を瞑りゼパルをと同化するイメージを構築させた。すっとハジメの内側に音楽を流し歌詞が心に沁み込むように溶け込んだ。

 彼は目を開ける。ゼパルは消えていた。そう思うと、どっと疲労感と倦怠感が押し寄せ、再び目を閉じた。



 染みひとつない天井が見える。模様もなく決して楽しめるものでもない。それでいて体が鉛のように重い。着衣水泳をしているようだ。

「起きたか」

 ハジメは目を向ける。そこにはハツゲンがいた。相変わらずの無表情で眼鏡のフレームが蛍光灯に反射し煌びやかに光っている。そのせいで目が見えない。そこまで計算して眼鏡をかけてるように思えてハジメは仕方がない。

「ここは?」

 ハジメは訊いた。そして無性に喉が渇く。

「セイント医療室だ。マリエ右半身損傷。一ヶ月絶対安静。それでも悪使は封印した。これで女性不妊は解決した」

 ハツゲンは淀みなく事後報告をした。

「なにが、解決だよ。父さん。本当、大人は無責任だ。あんな無茶なことを女の子に」

「そこまでムキになるということはマリエに惚れたか」

「そうじゃない」ハジメは少し頬を赤らめた。

「マリエ本人が進んで志願したことだ。あいつも母親がいない。むしろ知合いもいない。産まれたときから一人だった。児童養護施設で育った。いつも一人で、いつも暇を持て余していた。あいつは捨てられた。しかし学業は優秀だった。だから俺がスカウトした。優秀なやつは得てして孤独だ。あいつはこの世に産まれたことを恨んでいる。しかしここに来て少し変わった。それは人に触れ合ったからだろう。それでも人を大人を信じようと努力している。なぜならいつかはお前もあいつも大人になるんだからな」

 ハジメは言葉を返せなかった。そんなそぶりをマリエは全く見せなかった。あの冷めた目には深い孤独が宿っていたのか。

「だからマリエがお前を見たとき。かつての自分を見ているようで、もどかしく恥ずかしく愚かだった、と思ったのだろう。まあ、成長には痛みが伴う」とハツゲンは眼鏡を反射しながら言い、「それでも、よくやった」それだけ残し踵を返した。よくやった、のときだけハツゲンの目が見えた。それは穏やかな目をしていた。父親の目。

 立ち去るハツゲンに向かい、「ちょっと待って父さん。そういえば『聖服』で攻撃を繰り出す前に女性の声がしたんだ。『愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿になりなさい』って」とハジメは勢い任せに言った、

 ハツゲンは振り向き、「シェイクスピアからの引用だ。それとミドリの口癖だ。俺にもよく言っていた」そして扉を開けた。

 母さん。あれが母さんの声、か。とハジメは胸が熱くなる。自分は一人だと思った。それは勘違いだったのかもしれない。『聖服』には母親の遺伝子が組み込まれていると言っていた。一歩踏み出すことのできないハジメに、母さんが背中を押してくれた。

〝利口な馬鹿になれ〟、か。

 父さんは母さんに頭が上がらなかったんだな、とハジメは苦笑する。ざまあみろ。

 がちゃっと医療室の扉が開いた。そこには右手をギブスで固定されたマリエがいた。ハツゲンの言葉が蘇る。

〝かつての自分〟

「大丈夫そうね」

 マリエはハジメの隣のベッドに腰掛ける。

「そっちは大丈夫なの」ハジメは訊いた。

「見てわからない?重傷。あなたがトロいから」

 マリエは険を含んだ口調で言った。ハツゲンから彼女の過去を聞いたときは少なからず同情し接し方を改めようと思ったが撤回する。

「なるほど」

 ハジメは上体をおろしベッドに横たわり天井を見上げた。やはりそこには白一色しかなく、無機質な天井のように場は無言に包まれた。

「でも」とマリエは少し言いづらそうにし、「よくやった」とハツゲンと同じことを言った。そして彼女はゆっくりとハジメがいる医療室から出ていった。

 やれやれ、素直じゃない、な。それでも、「ありがとう」。もう一度天井をハジメは見上げる。白だけは寂しい。心も一色では寂しい。彩りを増やしていこう。これから。

 




 


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