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ノースサウス あるいは恋に変わる肉の内なる刀の力  作者: 石川博品
巻第四 無真頭女事件
8/38

4-1

 どうしてあの人だけ生きかえったのだろう。

 もし殺したのが私でなかったら、あの人は死んだままだったの?

 そもそも私と出会わなければ、あの人は斬られなかったの?


 くぬぎがたみずは考えていた。

 考えることは彼女の得意でなかったが、彼女なりにいっしょうけんめい考えていた。

 考えることが得意な人ならすぐあきらめてほかのことに考えを移してしまうような難しい問題だった。


「ねえ、ちょっと。聞いてる?」

 たずねられて蛟希は我に返った。

「え、なになに?」

「あんたにいったんじゃないの。かんにいったの」

 きょうが冷たい口調でいった。「患奈、どうしたのよ。ボーッとして」

 患奈は必要以上に目をしばたたかせて竟子を見つめかえした。

「え、なになに? ボ―ッとなんかしてないけど?」


 彼女たちは机を寄せあって給食を食べていた。

 この日のメニューには蛟希の好きなゆかりごはんが入っていたが、恋する乙女の常としてたった二杯しか食べられなかった。


 彼女自身は恋をしていることを自覚していなかった。

 とおゆうという人が彼女にとって「運命の人」であることは理解している。

 だが「運命の人=好きな人」なのかどうかはわからなかった。


 たとえば――彼女の好きな『動物と自然専門チャンネル ワイルドプラネット』で観たことに当てはめて考えてみる――芽を出すものなどほとんどないと知りながらイチョウが無数の実をつけるように、また、サンゴが満月の夜に海が白く染まるほどたくさんの幼生を放出してもほぼ例外なくほかの生き物のエサになってしまうように、私の運命というのも最後にはむなしく終わるのではないだろうか。


 この世を成りたたせているたくさんの「無駄」の中に、私も含まれているのではないだろうか。


「運命」といっても、恋愛とかに発展するのはごく一部だけで、私みたいなのはその他大勢の、ふつうの運命に決まってる。


 同じ班の生徒たちは彼女とユウキが相思相愛であることを前提に、ふたりをくっつける計画について話しあっていた。

「やっぱ会いに行かなきゃダメだって。もうさ、戦争しかないって」

「南義能山中七本槍を先頭に立ててさ、北中を総攻撃しちゃおうよ」

「逢魔街道一気に渡ってさ、背水の陣だよね」


 でも戦争する運命っていうのはやだなあ、と蛟希は思った。


「戦争だったら私も行きたいですぅ」

 教室の扉がわずかに開いて、甘ったるい声が忍びこんできた。


かん露寺ろじッ!」

 竟子が箸を置いて怒鳴った。「あんた教室もどりなさいよ!」


 甘露寺()()が扉のすきまから顔をのぞかせていた。

 紫色の長い髪を人差し指にくるくると巻きつけている。

 紫色の瞳が蛟希を見つめて輝く。


 彼女は竟子のことばなど意にも介さない様子だった。

「蛟希お姉さまぁ、私ぃ、お姉さまと枕を並べて討死うちじにする覚悟ですぅ」

 教室中で失笑が起こった。


「ちょっとあんた!」

 竟子が見えない指で甘露寺の顔を差した。「今度『ですぅ』とかぬかしやがったら『鬼平おにへいはんちょう』に出てくる拷問の中からひとつランダムで選んで食らわせてやるからおぼえときな!」

「まあまあ、いいじゃないのよ」

 蛟希がいうと、竟子は責めるような目でにらんできた。

「よくねえよ。あいつがいるとせっかくのご飯が不味まずくなんだよ」


 一年A組甘露寺乃々は元(どく)あかであった。


 毒赤子とはその名のとおり、毒を持つ赤子のことである。

 それを作るにはまず、三つの鉢を用意する。ひとつには焼けた砂を、ひとつにはあらゆる生物から採取した毒を調合したものを、もうひとつには薬草の汁を入れる。

 用意ができたら赤子を熱砂の鉢に放りこむ。

 オギャーと泣いたところを毒の鉢に移しかえ、成分を体に染みこませる。

 そのままでは毒にやられて死んでしまうので、三つ目の薬液につけ、中和させる。

 これを生後一ヶ月間休まずくりかえして、ようやく毒赤子ができあがる。


 たいへん手間がかかるが、いったん毒赤子になってしまえば医者いらずのじょうぶな子に育つので、トータルで見ればふつうの赤ん坊を育てるのと労力はさほど変わらない。


「ねえ、先輩に相談してみない?」

 患奈がいった。「あの人、百戦錬磨だし」

「あ、それいいねえ」

 竟子が手を打ちあわせるふりをした。

 蛟希は首をかしげた。

「相談って、何を?」

「あんたのことに決まってんじゃん!」

 竟子の振った袖が蛟希の胸に当たった。「思わず幻肢でツッコんじゃったよ」


 患奈が蛟希の目を真剣なまなざしで見つめる。

「先輩ならたぶんこういう経験もしてると思うんだよね、つまり、好きな人が敵方にいるっていうこと。なんせ中学の三年間を戦いぬいた人だもん」

「ん~、でもなあ~」

 蛟希は牛乳パックをふくらませて遊ぶのをやめた。

 釈然としないものがあった。彼女の悩みはユウキが敵だからどうこうというものではなかったからだ。

 患奈の手で話がねじまげられているような気がした。


「いいじゃん。行こうよ」

「だいじょうぶだって。先輩優しいから」

 班の仲間が口々にいった。

「私もぉ、私も行きたいですぅ」

 甘露寺が扉を爪でひっかいた。それを聞いた竟子が舌打ちをする。

「お~い、誰かたたみばりしょうだる、用意して~」


 私立南義能山高校は南義能山中と同じ敷地内にある。

 昼休みになると、蛟希たちは渡り廊下をとおって高校の校舎に移動した。

 リボンの色以外は同じなのに、高校生の先輩たちが着ている制服はすてきに見えた。

 蛟希のように猫背だったり、生傷が絶えなかったりしないせいだろうか。

 そうした外面的なことでなく、中学の三年間を戦いぬいたという自信が彼女たちを美しく見せているのだろうか。

 蛟希にはわからなかった。


「ありがとうございました。失礼いたします」

 一年B組の教室の中から患奈の声が聞こえてきた。

 蛟希たちは高校の廊下で身を寄せあうようにして立っていた。

 教室の扉が開いて、患奈が深く息をつきながら出てきた。さすがの彼女も高校生相手は緊張するようだ。

「無真頭女先輩、いつものとこだって」

 彼女たちは先輩たちのあいだをぬうように歩いて中学校の校舎にもどった。昇降口で靴を履きかえ、校庭に出る。


「無真頭女先輩って南義能山中七本槍の筆頭だったころ、一駆けで七人突いたって」

「すげー」

「敵に首を打たせて、その首が鬼の形相で東を指して飛んでいったって」

「ひえー」

「こえー」

「それでその首が落ちたところに首塚が建てられておまつりされてるんだけど――」

 竟子が風に舞う髪をそっと押さえた。「そのまわりのオフィスで首塚にお尻を向けて座っていたサラリーマンたちがなぜか突然男に目ざめたんだって。その原理を応用したのがアメリカ軍のエイチオーエムオー爆弾で――」

「うわさをすれば、ほら」

 患奈が竟子の背中に触れた。

 校庭の隅の百葉箱――それを取りかこむ低い柵に無真頭女先輩は腰かけていた。


「先輩、何してんだろ?」

「日なたぼっこ?」

「肩に鳥が止まってる!」

 竟子が指さした。「どこぞの園丁えんていロボみたい!」


「先輩! 無真頭女先輩!」

 手を振る蛟希を患奈が肩で押した。

「ちょっと蛟希、空気読みなよ……」

 無真頭女先輩がこころもち身を起こした。彼女の肩で休んでいた二羽の鳥がぱっと飛び立った。


 無真頭女(かえで)には首がなかった。

 正確にいえば、あるにはあるが、あるべき場所にあることがあまりなかった。


 竟子の聞いたうわさは正しくない。

 無真頭女先輩は首を斬られたのではなく、トカゲの尻尾のように首を「自切」したのだ。

「斬られる!」と思った瞬間、彼女の首はぽん(・・)と飛んだ。彼女の首をねらった敵の刀は空を切り、彼女の体はその敵を槍の柄でたたきふせた。


 その後、彼女の首と体はくっついたりはなれたりした。


 彼女の体は、首がないからもの静かで聞き上手だった。

 首がないのをおぎなってあまりある優しさが彼女の体にはあった。


 彼女の隣に座って、蛟希は自分の気持ちを説明した。

「――つまりその、別に好きとかそういうのじゃなくてですね……ただ会って話をしたいというか、もっとそのときのことを知りたいといいますか……」

 無真頭女先輩は、首はなかったがうなずいて、ブレザーのポケットからペンとメモ帳を取り出した。


 ――恋のかたちはひとつじゃない


 先輩はきれいな字でそう記した。

「ひえー」

ふけェー」

 蛟希の仲間たちは口々に感嘆の声をあげた。


 それならば――蛟希は考えた――彼と話したいと思うのも、彼と話して自分に起こったことの真相を知りたいと願うことも、恋の一種なのだろうか。


「でも先輩――」

 患奈がふだんは見せない、弱気な表情を浮かべていった。「その相手が敵方にいたら、やっぱ無理じゃないですか」

 無真頭女先輩はサラサラとペンを走らせた。


 ――戦争をするのは人間だけ 恋をするのも人間だけ


「ひえー」

「パネー」

 メモ帳をのぞきこんで仲間たちがのけぞる中、患奈はじっとその文字を見つめていた。彼女の目に涙がにじんでいたように蛟希は思った。


「ありがとうございました。何か……わかってきたような気がします」

 立ちあがり頭をさげる患奈に、無真頭女先輩は、首はなかったがほほえんだ。

 蛟希もいつも以上に背中を丸めてぺこりとやったが、患奈ほど頭の回転が速くないので、先輩のいっていることの意味はよくわからないままだった。


「無真頭女先輩ってすごいよねー」

「首がないのに超きれいだもんねー」

 校舎にひきかえしながら蛟希たちは口々に先輩をほめそやした。

「やっぱスタイルいいもんなー」

 竟子がない手とある手で女体のシルエットを宙にえがいた。「ボン・キュッ・ボン・キュッ・キュッだもんなー」

「最後のふたつ何よ」

 蛟希は笑った。


 昇降口に一年生たちが鈴なりになって、蛟希たちのやってくるのを待ちうけていた。その中には甘露寺の姿もあった。

 彼女たちが手を振ってくる。蛟希が小さく振りかえすと、彼女たちはキャーッと歓声をあげた。

 患奈が笑う。

「蛟希はホント下級生にモテるよね」

「そういえばイトオユウキも一年だったよね。ということは?」

 竟子がにやりと笑って蛟希の顔を見あげた。

ということは(・・・・・)って……何よ。わかんない」

 蛟希はからかわれていると感じてむっとした。

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