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ノースサウス あるいは恋に変わる肉の内なる刀の力  作者: 石川博品
巻第二 日吉剄介の恋
4/38

2-1

 よし剄介けいすけは恋をしていた。

 相手は()の学校の生徒だった。


 その女子は南義能山中の屋上でフェンスに寄りかかりながら空を見あげていた。

 剄介は放課後になると、おき坂上さかうえにある北中ビルの三十九階にもうけられた監視所から彼女の姿を盗み見る。

 彼は彼女の名前さえも知らない。


「剄介、入るぞ」

 ドアごしの声に、剄介は双眼鏡に当てていた目をはなし、ふりかえった。

「どうぞ」

 入ってきたのは同じクラスのかわ寿ひさだった。川野は、カーテンのすきまから差しこむ光が目に入ったのか、すこし顔をしかめた。


「おう。どした?」

 剄介がたずねると、川野は、

「さっき話した一年生、連れてきたから」

 といってドアの外に顔を出した。


 サイズの合わない学ランを着た、見るからに一年坊という感じの男子が現れた。彼は部屋の暗さを恐れるようにおずおずとドアをくぐった。

「えーと、ナニくんだっけ、名前?」

「い、とおゆうです。一年A組……」

 その一年生は川野に背中を押されて部屋の中央へ進み出た。

 剄介は監視員席から立ちあがり、こりかたまった腰を揉みほぐしながら彼の前に立った。

「俺は三年C組日吉剄介。刀のヒヨシと同じだ。おぼえやすいだろ?」

 そういって彼は一年生の腕をかるくたたいた。緊張をほぐしてやろうとしたのだが、相手はかえって身を固くした。


「で、このユウキくんがB組の吉村よしむらられるとこ見たんだとよ」

 川野はものめずらしそうに監視所の機材をながめまわしていた。

「そうか……。ユウキくん、殺したやつの顔、写真で判別できるか?」

 剄介がこころもち目線を低くして問いかけると、ユウキはうなずいた。

「たぶんわかります」

「よし」

 剄介は机の上のノートパソコンを開いた。「じゃあ、この監視所から撮った写真を見せるから、その中に該当するやつがいたら教えてくれ」

 彼は画像の入ったフォルダを開き、プレビューを表示させた。

「ここクリックすると拡大、この矢印で次の写真だ。ちょっとやってみろ」

 そういってパソコンの前の位置をユウキにあけわたす。彼は南義能山中の女子たちを盗撮した写真に視線を注いだ。

「この中にはいないです。次行きますね」

 そのまなざしを見て剄介は、こいつは本気だな、と思った。

 この監視所にひやかしがてらやってきて、敵の写真を見ながら「この子かわいい」とか「この子おっぱいでかい」とかいってるやつらとはちがうと直感した。


「なあ剄介、ちょっとこれ見ていいか?」

 川野が監視員席に座り、双眼鏡を指さした。

「ああ、いいよ」

 剄介は追いはらうような手つきで同級生をうながした。

 川野は前線でバリバリ戦っている男だった。教室で「きのうは一人殺ったぜ」などと仲間たちに大声で語りきかせるようなやつだ。監視所づめで戦闘に出ない剄介を見くだしている節がある。


「あっ、いました。この人です」

 三人横隊になって歩く女子の写真をユウキは拡大した。「この、一番背の高い――」

「こいつか……こいつなら確か――」

 剄介は一年生の手からパソコンをうばいとると、フォルダ一覧を表示させた。「あったぞ。個別のフォルダがあるやつだ。一五―〇二二……たぶん二年生だな」  


「二年C組です」

「えっ?」

 思わずききかえしてしまった剄介にユウキは、

「二年C組です」

 ときまじめにくりかえした。

「すごいな……クラスも割り出したのか」

「たまたまです」

 ユウキは照れくさそうにうつむいた。「それで、名前はクヌギガタ・ミズキです」

 剄介はキーボードをたたいた。

「クニギッ……クニギガッ……クヌギガタか。どんな字書くんだ?」


「なあ、あっちって女子校じゃん?」

 川野が双眼鏡をのぞきながら声をあげた。「てことは更衣室じゃなくて教室で着がえてたりすんのか? 部活の前とかによォ」

「知るかよ」

 剄介はとおし番号で表されていたフォルダに被写体の名前を入力した。

 ふと、彼に監視の仕事を教えてくれた先輩がいっていたことを思い出した。


 ――監視ポイント以外は見るな。


 もう卒業してしまったその先輩のアドバイスを剄介は忠実に守っていた。

 空を見あげる彼女に双眼鏡を向けるのはいつも一瞬だけ、気分転換のためだ。

 気分転換は大事だとその先輩もいっていた。注意力が低下するのを防ぐため、二十分ごとに監視役を交代しろ、と。

 だが交代要員など来たためしがない。みんなパトロールに出て戦功をあげたがる。

 剄介はいつも監視所でひとりぼっちだった。


「どうやって名前とクラスをさぐり出したんだ?」

 彼がたずねるとユウキは、

「この人の仲間がいってたんです」

 と答えた。

「ふーん。その仲間の顔はわかるか? ここにいっしょに写ってるやつらか?」

「それは……わかりません」

 ユウキは首を横に振った。「遠かったので……すいません」

「いや、いいんだ」

 剄介は愛想笑いを浮かべた。「ひとりわかっただけでもたいしたもんだよ。貴重な情報をありがとう」

 優しいことばをかけると、相手はかえってすまなそうな表情を浮かべる。

 こいつ、まじめでいいやつだな、と剄介は思った。


「顔かわいいよな」

 剄介はフォローのつもりでそんなことをいった。画面の中のクヌギガタミズキは顔が小さくてかわいかった。

「え?」

 ユウキはすっとんきょうな声をあげた。

「ん?」

 剄介はパソコンの画面から目をはなした。見つめあっている内に、ユウキの顔は真っ赤になった。

「え? 僕……ですか?」


 Oh, boy!

 剄介は得意の英語で思った。


 Take it easy! Don't be shy!

 とも思った。


 いや、ちがう。

 俺に(・・)そういう(・・・・)趣味は(・・・)ありません(・・・・・)、って英語で何ていうんだ?

 ホビー?


「剄介、これすげえぞ! カーテンのすきま……マジ超見えんだけど!」

 川野のでかい声で、剄介は我に返った。

「見えるって何がだよ」

「窓のそばにいる女、いま着がえの真っ最中!」

 気持ちがたかぶるのあまり、川野は声を裏返らせた。


 剄介は舌打ちをした。

 俺はここでずっと何をやっていたのだろう、と思った。例のアドバイスをしてくれた先輩のことをかるく恨んだ。

「マジかよ。俺にも見せろよ」

「待てって」

 川野は双眼鏡に目をべったりとつけて舌なめずりをした。「いまマジでやばい! おっ、スカート行くか? 行くか? 行ったーッ! パンツ! パンツがガガブタッ!」


 断末魔の叫びはガラスの割れる音に取ってかわられた。

 窓の真ん中に穴が空いた。

 血が天井にぶちまけられた。

 衝突事故を起こした車のようにぐしゃぐしゃにつぶれた双眼鏡が床に転がる。

 おどけているみたいにゆったりと川野が上体をねじった。彼のひたいはぱっくりと割れていた。ていねいなお辞儀をするみたいに、彼は体を折り、椅子から落ちた。


「伏せろッ!」

 剄介は床に身を投げ出した。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 ユウキが悲鳴をあげる。

「うるせえ! 黙れ!」

 剄介は腹這いのまま怒鳴った。

「何なんですか何なんですかこれ」

「知るかよクソッ」

「あれですかテッポウとかですか」

「ンなわけねえだろ! 法律違反じゃねえか!」

「でも戦争だし……」

「バッキャロー! 戦争で法律守んなきゃいつ守るんだよボケ!」


 いってることがめちゃくちゃだ、と剄介は思った。

 だが目の前で起こっていることがめちゃくちゃなのだからそれも仕方ない、とみずからを納得させようとした。


   ○   ○   ○


「ヘッドショット……」

 そうつぶやいてきょうは水平に構えていた見えない腕をおろした。

「ん? どうかした?」

 かんが制服をたたむ手を止めてたずねた。

「風が、ちょっとね……」

 竟子は窓を閉じ、二枚のカーテンをしっかり合わせてすきまを殺した。

「風が何? またにおうの?」

 みずがジャージのジッパーを一番上まで閉めた。「これから部活なのに雨は嫌だなあ」

 蛟希・竟子・患奈は同級生で、同じサッカー部員でもあった。


「いや、そうじゃなくて」

 竟子はくすりと笑った。「におうのは私の体育着。二週間くらい洗ってないから」

 そういって彼女がわきのにおいをくんくんかぐと、クラスメイトたちから「竟子()ったねえ」と嬌声があがった。


「せまりくるバイオテロの恐怖!」

 そう叫んで竟子が抱きつくと、患奈は「ひゃあ」と悲鳴をあげた。

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