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8-1

 学校は毎日決まった時間にはじまり、決まった時間に終わるが、人生の諸事がすべてそのように行くわけではない。


 たとえば悩みごとがそうだ。


 みずは何かについて悩みはじめると、食べることも寝ることもお風呂に入ったあとに髪を乾かすことも、おろそかになってしまう。

 ふだんやっていること・やっている時間がずれてしまって、規則正しい生活ができなくなってしまう。

 規則正しい生活を送るのは規則正しくはじまる学校に行くためで、規則正しくなくなってしまったあとでは、当然学校にも行きたくなくなってしまう。


 たけを斬った翌日も学校を休みたい気分だったが、母親に叱られてしぶしぶ家を出た。

 南義なぎ能山のせ中は電車通学の生徒が多いので、歩いてかよう蛟希は学校に着くまでずっとひとりだった。

 彼女がもうすこしふまじめだったら、学校に行くふりをして公園で時間をつぶしたり、図書館で午前中をすごして給食だけ食べに行ったりしていただろう。誰の目もないのだからサボリ放題だ。

 学校に着くと、校門の前に週番の生徒が立っていて、登校してきた者に「おはようございます」と押しつけがましく挨拶していた。

 南義能山中は「あいさつ週間」の真っ只中だった。


 猫背の蛟希は、お辞儀をするとひょこっと変な動きになってしまうので、人目のあるところで挨拶をするのが好きではなかった。挨拶は心でするものなのに、週番の前では形だけを品定めされている気がする。


 二、三年生の昇降口と一年生のそれとのあいだに小さなやしろがある。小さいのに欄干つきの縁側があって、賽銭箱があって鈴があって、そこにのぼるための階段までついていて――神社そのままの形をしている。

 白いお椀に水が供えられている。槍を持って二人立っているのは警護当番の生徒だ。


 あるはずの場所にきのうは神社がなかった。

 ないはずの神社がいまここにある。


 偶然とは思えなかった。


 蛟希は鞄から財布を取り出した。見るからに薄いその財布の中身は百七円。その中にあった五円玉を握り、社の前でしゃがみこむ。

 賽銭箱に硬貨を落とす。警護の二人がふしぎそうに見ている。

 手を合わせて、心の内で前もって謝っておいてから、蛟希は社の戸を引き開けた。

「あっ、何してんの!」

 うしろから腕をつかまれ、強くひっぱられる。

 当番の生徒が槍をからめて蛟希を床に押したおした。

石堂いしどう先輩、こっち来てください」

 背中の上に乗った者が七本槍のひとり、石堂(あか)を呼ぶ。

 蛟希の目の前を、指定のワンポイント入り靴下を履いた足が行き交う。

「どうしたの。こいつ何かしたの」

「いきなりお社の戸を開けようとしたんです」


「ち、ちがうんです」

 蛟希は首をねじまげ、石堂朱里の姿をさがした。「あの……その……教室のドアとまちがえて……」

「こんなちっちゃい教室があるかボケ。シルバニアファミリーか、おまえは」

 朱里にひったてられ、職員室に連行されているあいだ、蛟希はうつむいたままほくそえんでいた。

 社の中の暗がりで、蛟希の顔さえもうつさなかった鏡――まちがいない。あの鏡だ。


 まずひとつ、見つけた。


   ○   ○   ●


 塾が終わって外に出ると、剄介けいすけはいつも面食らった。

 世界が唐突に夜だ。

 学校だと、はじまって終わってもまだ日が残っていて、あまり違和感がない。それに学校には窓があって、意識せずとも時間の移りかわりを感じ取れる。

 塾にはそういうことが一切ない。

 何だか残酷だ。「早く帰って寝ろ」といわれているような気になる。中学生は勉強だけしていればいいのだ、と。

 こんなとき剄介は人恋しくなった。帰り道には飲食店の集まる通りをわざと選んでとおった。店の中から笑い声が聞こえたりするとちょっぴり安心し、ちょっぴりうらやましく思った。


 その日も彼はひとりで帰ろうとしていた。自転車を押し、沖津駅の高架をくぐる。

よしさん」

 呼ばれてふりかえると、小柄な女子が彼を追いかけてきていた。

 隣のクラスのつつがかんだった。ことばを交わすのは盗撮事件のあった夜以来だ。

「ああ、恙井さん。どうしたの」

 剄介はサドルのうしろに差してある剣に触れた。学校からはなれているとはいえ、相手は敵である。

 患奈は刀を帯びてはいたが、柄に手をかけることもしなかった。うつむき、なぜかおなかを押さえている。

「あのー、日吉さん、えっと……ブロードウェイの地下においしいソフトクリーム屋さんがあるの知ってますか」

「知ってるよ」

 剄介はうなずいた。あの店は地元の名物だ。知らない者なんてない。

「あのー、よかったら、食べに行きませんかー」

 頭上の高架を電車がとおり、患奈は尻あがりに声を大きくした。

「えー、いまからー?」

 剄介も声を張りあげる。

「はーい、いまからー」

 患奈が顔をあげて怒鳴り、電車が行ってしまって静かになると、ふたたびうつむく。


 剄介は人恋しかった。この心のすきまは家族や友人などでは埋められないとわかっていた。

 足りないのは()だ。中三にもなればそれくらいわかる。

 女がほしい。男とするような、地に足のべったりついた日常トークじゃなくて、ふわふわしたロマンチックな会話がしたい。できれば十時五十分くらいまでしたい。それから家に帰って風呂入ってテレビ観て寝たい――そんな大胆なことを彼は夢想していた。


 目の前の患奈は、この前まで小学生とかんちがいしていたくらい子供っぽい感じの人だが、一応女だ。きっと向こうも男をほしがっているはず――中二だから十時半くらいまでは。

「わかった。行こう」

 剄介は腕時計を一度見て、うなずいた。

 こんな時間からどこへ行こうというのか、沖津駅から出発した電車がゆっくりとふたりの頭上を歩んでいった。


 ゲームセンターの外に自転車を置き、そこから建物に入る。

「ここはお菓子ばっかりでダメなんです。あと変なアニメのフィギュアとか」

 患奈が先に立ってクレーンゲームのコーナーを抜けていく。

 変なアニメとは何だろうと思い、見てみると、剄介の大好きな『ゴラッソ! プニキュアイレブン』の莉央りおちゃん二頭身フィギュアだった。『プニキュアイレブン』は変なアニメなどではなく、小さな女の子から大きなお友達まで幅広い層の楽しめる大冒険活劇であると主張したかったが、ネット弁慶の彼にはその勇気がなかった。


 エスカレーターで地下におりる。

「なつかしいなあ。小さいころ、親父に連れられてよく来たよ」

 剄介は問わず語りに思い出話をはじめた。「日曜日になるとさ、三階のショーケースに飾られてるおもちゃを見てまわって、それから地下のソフトクリームを食べるっていうのが俺と親父の定番コースだったんだ」

「そうだったんですか」

 患奈がふりかえる。

「日曜日の来るのが本当に待ち遠しかった。あのころはよかったな……」

 剄介は遠い目をした。


 まるで父親がもういないかのような口ぶりだが、剄介の父はピンピンしていた。

『プニキュアイレブン』ではくり蕗奈ろながお気に入りで、放送後には、飯原めしはら莉央派の息子とどちらが真のヒロイン(バロンドール)かをめぐり激しく口論する。

 日曜の午前中はそれでつぶれる。


 地階に着くと、ソフトクリームが大好きで待ち切れないのか、患奈がかけ出した。幼いころの自分を見ているようで、剄介はおかしくなった。

「日吉さん、八段行きます?」

「いや、俺はふつうの三段でいいよ」

 患奈は全段バニラを、剄介はストロベリー・バニラ・モカの定番三色をオーダーした。

 ずしりと重いコーンの感触に、古い記憶がよみがえってくる。

 剄介は舌をとがらせ、ソフトクリームの山のふもとから頂まで、つうっとなめあげた。三種のフレーバーを同時に楽しむために開発した「剄介なめ」という技であった。

「日吉さん、なめ方かわいいですね」

 そういって患奈がソフトクリームの頂をスプーンですくった。

「え? かわいい(・・・・)?」

「はい」

 患奈はスプーンをくわえてくすくすと笑う。

 剄介は困惑してしまった。

「そうかなあ」

「そうですよ。みんなイチコロですよ」

イチコロ(・・・・)?」

 周囲を見まわしてみたが、閉店まぎわのソフトクリーム屋に客は彼らふたりしかいなかった。「みんなイチコロ」のみんな(・・・・)とは誰なのか、剄介にはわからずじまいだった。

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