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桜花

桜花の舞 後編

作者: 五月憂

 この話は、後編です。

 前編から読んでいただければ幸いです。

 八重に会って数日。春休みも残り数日になったが、八重のお願いもあって毎日会っていた。

 午後八時、桜木公園の前。それが、俺と八重の約束だ。

 「ほら、いつもの」

 いつもの桜の木の下に腰掛けると、手に提げていたナイロン袋を差し出した。もちろん中身は団子だ。あれから気に入ったらしいから、毎日俺は買っていっている。

 「……ありがと」

 八重は、串を一本取り団子を口に運ぶ。ただ団子を食べているだけの動作のはずなのに、挙動がゆっくりだからか流麗で上品に見える。

 いつからだろうか。俺は、花見をすることよりも八重と会うためにここに来るようになっていた。

 八重のそばにいると、不思議と居心地がいい。この温かさは、何をしても得られるものではない。それに、こうして自然体の八重を見ているのも何だか好きになっていた。

 そうだ

 「八重、こっち向いて」

 んっと、短く返事をして、団子の串を口元から離し八重はこちらを見た。

 「写真撮るよ」

 この幸せな時間を残そうと、携帯のカメラを向ける。

 「ダメ!」

 初めて聞く八重の焦りを帯びた大声は、シャッター音の後に聞こえた。

 「どうしたんだよそんな声出して」

 それよりほらと、俺は撮った写真を八重に見せる。しかし、八重は写真を見た後にすぐ目をそらしてしまった。

 どうしたんだ?

 俺は、首を傾げながら撮った写真を自分で見た。

 「えっ」

 写真を見ると、そこには八重の姿は写っていなかった。写っているのは、バックの桜の木と空中に浮いた団子だけ。

 「これって――」

 その先を言いかけたとき、八重は立ち上がった。

 「今日はもう……帰ろうか」

 本来、八重の案に乗る前に事の真相を聞くべきだが、八重は、今までで一番悲しそうな顔をしていた。そんな八重を見ていると、言葉を発することは出来なかった。

 いつもより大分早い帰り道。八重の手は、冷たく震えていた。



 一夜明け、いつも通り八重のところに行くべきか迷った。

 昨日撮った写真は、やはり何度見ても八重は写っていない。

 そのことを、聞いてもいいのか分からなかった。もしかしたら、それは八重には触れられたくないことなのかもしれない。八重のためにも行くべきではないんじゃないか。……いや、それは唯の建前だ。言い訳だ。八重に迷いの一端を押し付けているに過ぎない。迷いの本当の理由は――恐れだ。八重との関係が壊れてしまうかもしれない。自分の知らない、八重の未知の領域に踏み込むことを恐れている。それだけだ

 頭では、分かっている。でも、どうしても迷いを断ち切ることは出来ない。体に、鎖が巻き付けられているかのように、体を動かすことが出来ない。

 「………」

 そういえば、昨日の八重はいつものように『また明日も来てくれる』と、言わなかった。

 今思えば、あれは言えなかったのかもしれない。八重も、八重なりに俺を気遣ってくれたのかもしれない。八重自身も迷いがあって、俺に選択肢を与えたのかもしれない。関係が切れてしまっても仕方がないと思っているのかもしれない。そう考えると、自分は八重にばかり辛く重い負担を押し付けているのではないか。ここで逃げて、一番傷つくのはほかでもない八重であり、八重は、これから一人でその傷を抱えなくてはいけなくなるのではないか。そう思うと、体を引き千切っても動かずにはいられなくなった。



 いつもの時間。八重はいつもの様に待ち合わせ場所に居た。これだけ見ると昨日までと何一つ変わらない。しかし、今日の八重はいつにも増して口数は少ない。

 桜の木に腰かけて数分が経過したが、まだ、俺も八重も言葉を交わしていなかった。ひょっとしたら、このままずっと口を開くことはないのではないかと思うほどだった。しかし、そんな考えとは反して八重は重い口を開いた。

 「もう、来てくれないかと思った」

 一声がそれだった。

 「正直さっきまで迷ってた」

 「そう」

 八重は、声のトーンを下げて返答する。

 「でも……行かないことは甘えだと思った。真実から目を反らして逃げる。八重に負担を掛けて自分だけ楽になる、そんなこと出来なかった。――それに、こんな悲しい別れは嫌だった」

 俺の言葉を、八重は黙って聞いていた。

 「ふふ」

 意外な反応だった。不意に八重は笑った。

 「春樹は、やっぱり昔と変わらないね」

 昔と変わらないってどういうことっと、聞こうとしたが、八重は自分の事を語りだした。

 「私はね。もう人じゃないの」



 私は今よりずっと前に生まれた。

 当時もこの町は今と変わらず桜の名所だった。

 そんな綺麗な場所で、幸せに暮らす。ここで生まれてきた人なら誰もがそう思うだろう。しかし、私にはそれが出来なかった。私には、死が決まっていたから。私は、生まれながらに病気を持っていた。段々体は弱っていき、十数歳に成るころにはもう余命が残りわずかなことが自分でもわかった。

 そんなある日だった。私は一人弱った体を引きずりながら外に出た。自分が死ぬことを受け止めきれなかったの。

 「あっ」

 その時だった、一際大きな桜の木を見つけた。

 吸い寄せられるように私はその木に近づいて行った。

 ……何だろ、不思議な木

 その木は、全てをさらけ出せと言っているような気がした。感情の堰を切り、思うままに行動してみろと言っているような気がした。

 私は、着物を土塗れにするのなんてお構いなしに木に跪いて願った。

 『私の全てを捧げてもいい。どんな苦しみを負ってもいい。どうか……どうか、生きる希望を、生きる意味を、楽しみを見つけたい。それまで、私はこの世界に生きていたい』そう願った。



 「そして、気が付いたらこうなっていた。春――桜の咲く時期にしか姿を維持することができない桜の一部に」

 ごめんね。暗い話になってと、八重は最後に付け加えた。

 八重の過去。信じがたい話だったが、実際の八重を見れば分かる。それが、どんなに現実離れしていたとしても真実なんだと。

 「いや、こっちこそ何も知らずにごめん。でも、八重のことが分かった、知れた、それはとても嬉しかった」

 言うと、八重は自然に微笑んだ。

 「そういえば、なんで俺のこと知ってたんだ」

 「……今から十年くらい前。迷子に成っていた春樹に会ってるんだ。覚えてなくても仕方ないけど」

 「そうだったのか。……助けてくれてありがとう」

 「助けられたのは私のほうだよ。あの時、長く変わらない人生が辛くてずっと泣いてたんだ。そんなとき春樹が私を見つけてくれた。慰めてくれた。手を握ってくれた。とっても、暖かかった。本当に感謝してた……でも、あれ以来一度も春樹には会えなかった」

 「親に止められてたんだ。俺は覚えてないけど、父さんと母さんは、迷子になったのを覚えていたのかもしれない」

 「うん。だから今年久しぶりに会えてとっても嬉しかった」

 俺と、八重のわだかまりはいつの間にか消えていった。

 今までで、一番八重を身近に感じることが出来た。



 春樹は、一時間ほど前に帰ってしまった。

 私は、一人桜の木の下で夜空を見上げる。

 何だか清々しい。私を何重にも縛っていた過去という名の鎖はすべて引き千切られた。体が――心が軽い。これも、私の過去を受け止めてくれた春樹のおかげ。良かった、あの時春樹を――

 ヒュッと、強い風が通り過ぎた。

 「……もう、時間切れか」

 風が来た方向を眺めて、呟く。



 明日から、新学期だ。今日までみたいに毎日八重に会うことは出来なくなる。

 そう思うと、自然といつもより家を出る時間が早くなる。

 そういえば、今日はやけに静かだ。いつもなら、三味線や小太鼓の音がするのに、今日は休みなのか?

 桜木公園に着くと、早く来るのが分かっていたかのように、八重は立っていた。

 「行こ」

 八重は短く言う。

 気のせいだろうか、八重の様子がおかしい。目を俺と合わそうとしなかった。悲しそうな声色感じた。

 もう見慣れた桜の木の下には、いつもとは違って二つの敷物が用意されていた。

 「座って」

 八重に促されるまま敷物に座った。

 「今日はどうしたんだ」

 「うん、ちょっとね。春樹、ちょっと目を瞑って」

 今日はほんとにどうしたんだ

 八重に、言われるまま目を瞑る。

 ………

 「もういいよ」

 ほんの数秒で、そう言われた。

 俺は、ゆっくりと目を開けた。

 「っ!」

 目を開けると八重は、さっきまでとは大きく変わっていた。

 腰まである長い髪は、赤い櫛で結い上げられ鈴の髪飾りを付けている。顔は薄っすらとメイクがしてある。いつも来ていた黒地の着物ではなく、鮮やかな赤い着物、手には扇が一つ。

 「綺麗だ」

 何とも言葉で表現できない美しさに、口から出てきたのはその一言だけだった。

 「ふふ」

 八重は、どこか恥ずかしそうに笑う。

 「突然だけど、黙って私の舞を見ていてほしいの」

 八重は、言うと俺の返答も聞かずにもう一つの敷物の上に立つ。

 ふぅーっと、深く長く息を吐くと、八重の動きは静止した。同じ時、薄らと吹いていた風も揺れる木々もピシャリと止まり、辺りは張りつめた空気になる。

 一瞬時が止まったのかとさえ思った。 

 『パンッ』

 突然、静寂を一刀両断するように扇が開かれた。それと同時に、八重も時も動き始めた。

 八重は、流れるように舞を繰り広げていく。左右に動いたり回ったりしても自然で滑らか。顔は、優しく微笑んでいるようでいつにもまして綺麗だ。動くたび、髪飾りのシャンシャンと鳴る鈴はリズムを刻んでいるように聞こえる。華やかな着物は小柄な八重を、時おり大きく見せるように靡く。

 気のせいだろうか。いつのまにか、三味線や小太鼓、笛の音が聞こえる気がする。桜も、普段にも増して降ってくる。今までで一番綺麗な桜の雨だ。

 ………

 五分程だろうか、舞は終わった。

 俺は、賛美の言葉を言うのも忘れて、見事な舞に唯立ち尽くしていた。

 「どうだった?」

 八重に聞かれて、初めて口を開くことが出来た。

 「すごかった。綺麗だった」

 なんとも上っ面だけの感想しか言えなかったが、唯俺の語彙力が足りなかっただけ。それが分かっているのか、八重はクスクスと笑っている。

 「最後にいい思い出が出来て良かった」

 八重は突然そういった。

 「えっ、最後って――」

 八重への問いかけは、舞い上がった桜に遮られた。

 「これはっ」

 桜は、俺と八重を遮るように壁を形成していく。もう、八重の姿は見えない。

 「実はね、今日でお別れなの。たぶん、もう会えない」

 「何でっ」

 俺は動揺した声で問う。

 「私の願いは、今年の春叶ったから。私は、たぶん明日には消えてしまう」

「そんな……。そんなのねぇよ」

 愕然として膝から崩れ落ちそうになる。

 「ううん。私は、幸せだったよ。今年の春、春樹と過ごせて。私は、春樹と出会うために今日まで生きてきたんだって、心から思ってる」

 八重の声色は、落ち着いている。いろいろ辛い人生だったけど満足しているのだろうか。

 「でも……」

 俺は、情けなくも泣きそうな声で言葉を発する。

 「最後に聞いて。答えは返さなくていいから」

 八重は普段とは違う張った声で言った。

 「私ね……私、春樹の事が『好き』だった。十年前出会ったときから。春樹の優しさに触れて、温かさに触れて……そして、十年ぶりの再会を果たして確信した。私は、春樹が好き――大好き」

 


 「………」

 桜の向こう側にいる春樹は、私の告白に答えを返さない。

 当たり前か……こんなこと、いきなり言われても困るだけだよね

 人間でもないし、もう消えてしまうんだし

 それにしても、最後にこんなに幸せを感じながら人生を終えられるなんて思わなかったな……次に、生まれるんだったら私は――

 「俺は――」

 急に、春樹の声が聞こえた。



 「俺は――俺も八重が好きだ。どこが好きかって聞かれたら、正直うまく答られる自信はない。でも俺は、八重が好きだってことは断言できる。おいしそうに団子を食べているところ、手を引いてくれる温かい手、いつも傍で優しく微笑んでくれる――そんな八重と過ごす時間は、俺には掛け替えのない時間だった。大好きな時間だった。だから、断言できる。俺は八重が好きだ」

 話しているうちに目じりに薄らと涙が滲んできた。途中から、自分で何を言っているのか分からなくなった。でも、俺の気持ちはしっかり伝えられたと思う。

 「――こと言われたら」

 「えっ」

 『そんなこと言われたら。別れがますます辛くなるじゃん』

 八重は、叫びながら桜の壁を突き抜けて俺の胸に飛び込んだ。

 「別れたくない……別れたくないよ」

 初めて、八重は涙を見せた。弱音を吐いた。

 「せっかく春樹に会えた。初めて、私は幸せを感じた。春樹の温もりを、春樹との時間を失いたくない。もっと、ずっとずっと春樹と一緒に居たい。次に生まれ変わったら春樹と同じ時間に生まれたいと思った。でもやっぱり無理。次じゃ駄目なんだよ。せっかく掴んだ幸せを……手放したくないよ」

 ぎゅっと、俺を掴んで八重は思いの丈をぶつけた。この世の不条理を嘆いた。

 「ッ――」

 俺は、声を掛けられなかった。今声を掛ければますます辛くなる、八重の未練が残る。俺は、八重の頭に手を当てて抱き返すことしか出来なかった。

 ビュッと、俺と八重を引き離す様に風が吹く。

 どうやらタイムリミットのようだった。

 「八重!」

 呻きながら、俺は八重の名前を呼ぶことしか出来ない。

 「春樹……もし、もう会えなくても。お願い、私の事、忘れないでね――」

 桜が、視界を覆い尽くした。

 


 次の日、目が覚めるとベッドの上に居た。

 家に帰った記憶がない。もしかしたら夢だったのかも。今日の夜、また行けばひょっこり会えるかも。そう思ったが、手に握られた赤い櫛が、昨日のことが残酷にも本当だったことを示した。

 その日を境に、桜は全部散ってしまった。八重とも会えなくなった。



 今日は冷えるな

 俺は、片手に赤い櫛を握って、公園を歩いていく。

 あれから一年が経った。経ってしまったといった方がいいかもしれない

 高校三年の春。桜が咲き始めたころ。桜木公園に足を運び、獣道の中に入る俺がいた。

 八重と会えなくなってからも、八重と二人で過ごした桜の木に行こうと、何度も獣道に挑戦した。しかし、何かの力が俺を拒むように、スタート地点に戻ってしまう。

 無駄な努力だとは分かっている。もうあれから何度も挑戦している。でも……それでも、挑戦せずにはいられなかった。八重に会えるかもしれない、その可能性を零にしたくないから

 気が付くと木々の先に街灯の光が見えた。

 あぁ、また失敗だ

 そう落胆した。泣きそうにもなった。

 そんな時だった。

 


 『久しぶり春樹――』

 木々の先に、人影が現れた。

 「……久しぶり、八重」

 薄紅色の桜は降り始めた――


 こんにちは、五月憂です。

 このたびは、桜花の舞を読んでいただきありがとうございます。

 当初の目的は、素敵な出会いだったのですが、まさかこんな作品になるとは私も少し驚いています。

 春樹と八重はこれからどうなるのでしょうか。著者の私が言うのもなんですが、分かりませんね。でも、二人には(特に八重には)幸せになってほしいですね。

 今後、この作品の受け(アクセス数やブックマーク)が良かったり、感想、コメント、メッセージ等で要望があれば、続きや、二人の出会い、生前(死んでいるのか?)の八重について書きますので、要望があれば遠慮なく送ってください。

 また、他作品「ハイイロセカイ」や「白の領域」もありますので、気になった方は是非読んでください。

 今後とも、五月憂の作品をよろしくお願いします。

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[良い点] 甘酸っぱくて切なくて最後に読者の想像の幅を広げる終わり方私大好きです!甘美で緩慢とした舞の表現のところも素敵で、参考にしたいと思いました! [気になる点] 10年前の事とか幽霊の事とか伏線…
[良い点] 前編と後編を読ませていただきました。 一応、文としての体系の基礎は固まっていて大半は読みにくいところはありませんでした。 小説の透明感も良かったと思います。 [気になる点] 展開が進むのが…
2016/11/23 01:25 退会済み
管理
[良い点] 前後編ともに読ませていただきました。美しい世界が描き出されており、素敵です。 [一言] このラスト、自分以外の方はどのように受け取ったのか、興味深いです。 人が生き、死んで、永遠の別離を…
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