第4話 リンデンの魔法使いとトカゲのお姫様
「ありがとう、サラ。もう大丈夫ですから落ち着いて」
腕の中のサラは次第に落ち着きを取り戻しました。
見れば辺りは、肉の焼けた嫌な臭いの中、多くの兵士やエルヴィン王子がうめき声をあげています。幸いなのは誰もが死んでいない事でした。
ルーカスには、彼らが痛みと死への恐怖で苦しんでいる感情が、次から次へと絶え間なく流れ込んで来るのでした。
サラは自分の口から吐いた火で、彼らをこのようにした事に思い至り、青ざめました。
「ああ、どうしましょう……私はなんて事を」
「一つだけ彼らを助ける方法があります」
ルーカスはサラを腕に抱いたまま、森の小さな家に戻ると、すぐさまリンデンの魔法のお茶を淹れました。
そして、今にも天に召されそうなほどに息絶え絶えになっている兵士達にお茶を飲ませて回りました。お茶を飲んでしばらくすると、まるで奇跡が起こったように火傷の傷は消えていきました。
兵士達は不思議そうに、しかし嬉しそうに、、お互いを確かめ合っています。しかし、傷が癒えると、たちまちその身体は小さく縮み緑色の蛙に姿を変えてしまいました。
森の中の小さな家の周りは、緑色の小さな蛙でいっぱいになりました。もう、どれがあの立派な甲冑を来ていたエルヴィン王子であったかは分かりません。
蛙になったエルヴィン王子と兵士達は、蛙の本能が指し示すままに、水場を求めて泉のある方向へとピョンピョン跳ねて去って行きました。
森の小さな家の前には、ルーカスとトカゲのサラの二人だけになりました。
「不思議だわ。王子たちも、小鹿の兄妹も、ふくろうのおばあさんも人間の言葉は話さないのかしら」
サラは、蛙たちが去って行った森の入口を見つめて呟きました。
「私にとっては、貴女が人間の言葉をお話しになる方が不思議だったのです。このお茶を飲むと、心や身体の傷は癒えますが、呪いにより姿を変えられ、人間だったことを忘れてしまうのですよ。だから、人間だった時のその人にとっての本当の幸せを見付けて、呪いを解く事は難しいのです。……彼が“真実の相手”でなくて残念でしたね」
ルーカスは答えます。
心の中では、もうしばらくはサラと一緒にいられると喜びながらも、トカゲの姿に落ち込むサラを見続けなくてはならないことが、ルーカスには辛いのでした。
サラの“真実の相手”は何処にいるのでしょう。
ルーカスは、サラが真実の相手に出会って呪いを解き、この森を去っていく日が来て欲しい様な、来て欲しくない様な複雑な気持ちでした。
サラが突然、ルーカスの肩から飛び降り、自らの翼でルーカスの顔の前まで飛んできました。ルーカスは、驚いて両手を差し出しサラを掌に乗せました。
「あなたはわたくしの呪いを解いてくださらなくてはなりません」
私が?
サラの言葉にルーカスは驚きました。
その間にも、掌の上のサラは、上を向きそっと目を閉じました。
まるで不思議な糸に引かれるように、ルーカスはサラのオレンジ色のトカゲの唇に、自分の唇を重ねました。
ルーカスの唇が、サラの冷たくて硬い唇に重なった時、森の天井にぽっかり空いた穴から月はそれを見ていました。そして、月の光が銀色の粉となってサラに降りかかってきたのです。
それはキラキラとした光を振りまきながら、サラを包んでいきます。
やがて、まばゆい程の光の中で、ゆっくりとサラが立ち上がりました。
その姿はもうオレンジ色のトカゲのそれではありませんでした。
リンデンの魔法の呪いが解けた瞬間でした。
サラはルーカスと目が合うと、微笑み、じんわりと涙を滲ませました。
でも、魔法の解けたサラは、もうこの森にいる理由がありません。それはサラとの別れの時でした。
例え自分がサラの真実の相手だとしても“王女”と“ただのルーカス”では結婚は望めないとルーカスは考えました。
「貴女の国にお帰りになりますか」
ルーカスはサラに問いました。
「いいえ。わたくしは貴方と一緒でなければ、国には帰りません。ルーカスと共にいたいのです。貴方はわたくしを助けて下さいました。この森を訪れる疲れた人々も同じように救って来たのでしょう。でも、人間であり続けることが辛くなっても、でも、呪いをかけてしまうことが本当の救いなのでしょうか」
それは、魔法の事を初めて知ったころのルーカスと同じ葛藤でした。
人間でいる以上、生きていられない程の悲しみや、苦しみに出会う事もあるでしょう。それらを乗り越えられた時、本当の幸せが訪れるのかも知れません。でも、すべての人間が自分で困難に立ち向かえるほど強くはないものだと、ルーカスは知っていました。
長い時間を、人の負の感情にさらされてきたルーカスにとって、呪いによって彼らの苦しみを取り除き、救う事が、自分への救いとなっていました。
それが彼らにとっての幸せであると疑いませんでした。
『もし私がこの力を継承出来なければ、どうなるのですか?』
『どうもならないよ。リンデンの魔法使いがいなくなるってことだけさ。幸せにおなりルーカス』
老婆との最期の会話が瞼を閉じたルーカスの頭の中に甦ります。
私の幸せとはなんだろう。
ルーカスは自分の幸せは、自分のものさしではかって良いのだと思い至りました。
私も幸せになってもいいのでしょうか……。
森の中で、小さく猫の鳴き声が聞こえたような気がしました。
ルーカスは、ゆっくりと目を開けると、サラに一歩近づきました。
「……ですから、私と一緒に……」
「それ以上言ってはなりません」
ルーカスはサラの花びらの様に麗しい唇の前に人差し指を一本立てて、言葉を遮りました。そして、王女の前に片膝立てて跪き、王女の手をとると、その手の甲にそっと口づけしました。
「サラ王女……私と結婚して頂けますか
サラは満面の笑顔でルーカスの首に腕を回し、抱きついてきました。
ルーカスはそれを抱きとめて、サラの温かな唇に口づけをしました。