第3話 リンデンの魔法使いとトカゲのお姫様
サラに気分を変えて貰おうと木苺摘みを勧めたのは、大成功でした。
彼女は堅い鱗に覆われているのをいいことに、棘のある茂みに顔を突っ込んでは楽しそうに木苺を摘みました。
持ってきていた籠はたちまちいっぱいになり、二人では新鮮なうちに食べきれないと、ルーカスが呆れるほどでした。
それでも山の様な木苺は、ジャムにすれば日持ちがするのですから、ルーカスは、サラの気鬱を晴らせるのなら好きにさせてあげたいと見守るのでした。
きっと大きい瓶にいっぱいのジャムができるでしょう。それが空になるまで、サラが自分の傍にいてくれたらと、ルーカスはひっそりと願うのでした。
サラが木苺を求めてさらに茂みを奥へと分け入り姿を隠した時、近くの下生えの草がガサリと音をたてました。
下生えの草を掻き分けてルーカスの前に姿を現したのは、森の動物ではなく人間の子ども達でした。
それは、貧しい身なりの兄妹でした。
彼らは怯えきっていました。
そしてお腹が空いていました。
愛情と優しさに飢え、他人を信じる気持ちを失くしていました。
ルーカスは二人を森の中の小さな家に招待し、パンケーキを焼いてご馳走しました。
そして、二人の話をよく聴き、抱き締めました。
彼らは親を亡くし、二人っきりでした。二人は親戚の伯父さんに引き取られましたが、扱いは酷く満足に食べさせて貰えなかったようです。兄妹はバラバラのところへ売りに出される前に親戚の家を飛び出してきたのでした。
独りになる悲しみと不安は、ルーカスもよく分かる感情でした。
二人が悩まず、生活や空腹に怯えずにこれからも兄妹一緒にいられるようにと、ルーカスは二人に魔法のお茶を出しました。
サラは兄妹がお茶を飲むのを黙って見ていました。
もう、止めに入る事はしませんでした。
そんなある日、ルーカスは朝から森の木々がざわついている事に気付きました。なにやら神経がざらつくような予感もしています。それが何なのかは分かりません。しかし、いつもの“お客さん”が来る予感とは様子が少し違うものでした。
それは、月が森の真上に昇る頃の事でした。
森の入口から何やら騒がしい馬の蹄の音がいくつも聴こえてきました。
月が昇っていても光の届かない森の中はひっそりと暗く、森の動物たちは静かに眠っていましたが、突然のその蹄と沢山の人間の足音に動物達は飛び起きました。
森に入ってきた人間の持つ松明で、森の中だけ明るく照らされておりました。
ルーカスも例外ではありませんでした。突然の鋭い頭痛のような痛みに、ルーカスの胸の中にはムクムクと黒い雲が広がっていくようでした。
ルーカスはサラを肩に乗せて、森の小さな家の外へと出てみました。
白馬の手綱を片手で操り、森を抜けて颯爽と二人の前に現れたのは、白銀に輝く装飾が美しい甲冑に身を包んだ青年でした。兜は付けておらず、金の髪が松明の光に当てられてオレンジ色に輝いて見えました。
肩の上でサラが小さく息を呑む音が聞こえました。
青年は、ルーカスの前に馬を横付けさせると、馬に跨ったまま腰に佩いた細身の剣をすらっと抜いて、その切っ先をルーカスの顎先に突き付けました。
青年のその態度に、少し遅れて現れた槍や剣を手にした兵士たちも物々しい雰囲気で、ルーカス達を取り囲みました。
「ここにサラ王女は来ていないか。隠しだてすると只ではおかんぞ」
青年はルーカスを睨みつけながら、そう訊ねました。
青年が誰であるか、ルーカスは知っていました。
ルメール王国の西の果て、砂漠の向こうにあるサナドナ王国の第2王子、エルヴィンです。
彼からは、サラ王女を見付けて結婚したいという強い想いがルーカスの中に流れ込んできました。
彼がサラの“真実の相手”なのでしょうか。
ルーカスは、ついにこの時が来てしまったと、心の中でひっそりと溜息を吐きました。
ルーカスは肩に乗って、エルヴィン王子をひたと見つめているサラを掌の上に乗せると王子に向かって言いました。
「貴方の探しているサラ王女は、こちらです」
しかし、エルヴィン王子には竜の姿に身をやつしたサラの事が分からないようでした。
ちらりとサラを見ると、まるでおぞましいものを見たかのように顔を顰めて、鼻で笑いました。ルーカスにはそれが悲しくてたまりませんでした。
サラはトカゲの姿になってもこんなに愛らしく美しいのに……。
「貴方がもしサラ王女の真実の相手であれば、この呪いは月の光に溶けて消えるでしょう」
エルヴィン王子がもしサラの“真実の相手”で、サラを幸せにしてくれるのであれば、サラの呪いを解いて差し上げたい。そして、幸せになって欲しい。
たとえ自分が“リンデンの魔法使い”と知られ、剣の露となって果てるとしても……。
「嘘かどうか、キスしてご覧ください。もし貴方が王女の“真実の相手”ならば、彼女は元の姿に戻ります」
端からルーカスの言葉を嘘と決めつけ、憎々しげにルーカスを責めるエルヴィン王子の言葉に深く傷つきながらも説得を試みます。
やがて、エルヴィン王子は馬上から降りてきました。
周りの兵士がさらに警戒を強める中、エルヴィン王子は差し出すルーカスの掌からオレンジ色のトカゲを掴み取ると、嫌そうな顔をしながらサラに口づけをしました。
ああ……、これでサラは。
ルーカスの心から一筋の涙が流れ落ちました。
しかし、どんなに待ってもサラの姿は元に戻りません。
長い、長い時間を待ったように思いましたが、月は森の真上から動いていないように見えました。
「俺を騙したな!!」
怒ったエルヴィン王子は、サラを背後の森へと力の限り投げ捨てました。
ガサリと森の葉がサラを受け止める音が聞こえます。
エルヴィン王子は剣先を下に向けて持っていた剣を振り上げると、ルーカスに向かって斬りかかってきました。
ルーカスがまだ第5王子であった頃、武術の教えも受けていましたが、攻撃を防ぐ盾もなければ、反撃する剣も持たないルーカスは、避ける事しか出来ません。
ルーカスがこれまでかと静かに自分に振り降ろされる剣を目で追っていたとき、サラの叫ぶ声が聞こえました。
そして、サラは背中に生えた羽で初めて飛び、叫び声とともにその身体の大きさからは考えられないほどの炎を吐きだしました。
その炎は、エルヴィン王子の身体を焼き、彼らを取り囲んでいた兵士の身をも包みました。
炎を吐くトカゲを討伐せんとする兵士をも襲いかかります。サラは泣きじゃくり、自分ではその炎をコントロールできないようでした。
ルーカスは、サラの背後に廻り込み、サラをぎゅっと抱きしめました。