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小話綴り

きつね茶屋 小話

作者: 環 円

夕暮れが迫る頃が最も人の出入りが激しくなる。

 老若男女が手の中に5文銭を握りその店へ入っていった。

 きつね茶屋。そのたなは多くからそう呼ばれている。

 出される品は菜飯と生臭物が入らぬ味噌汁、そして香の物だけ。


 しかしこの界隈の人々はこぞって茶屋に足を運んだ。

 

 なぜならどの季節であろうと、出される飯の味が変わらない。

 菜こそ様々だが出される飯が甘く香る。味噌が舌に乗れば塩味がさらにそれを引き立たせる。

 白、赤、あわせ。時に吸い物。

 ねぎだけを浮かせたねぶか汁、ふが入るかわかめが踊るか。


 そばが16文のこの時代、菜飯と味噌汁、そして香の物だけで8文とはかなり安い。

 それで店がやっていけるのか。多くがそう思い、つぶれるまでは通おう、そう心つもりにして足を向け続けるが一向に畳まれる様子などなかった。

 

 ではどうやって食を手に入れているのか。

 いくつもの近郊の農家と提携し、米を入手していた。庄屋を通し、米屋を通し、正当な手段をとり、多くをまかなっている。

 店がある立地もきつね茶屋の存続に力を貸していた。茶屋はとある寺社の境内にある。しかもその寺社は有力な武家の敷地内にあり、庇護も受けている、という。


 「親父、酒もつけてくれ」

 「・・・へい」

 

 店を訪れる多くを見れば場末の茶屋かと思いきや、追加の銭を払えば酒や肴も出る。

 その味は大金を積まねば口に入れられぬ、料亭と比べても引けを取らぬときた。実際には知る人ぞ知る、穴場と言ってもよい。

 無口な主人が注文を台所へ入れると、

 いらっしゃいませ!

 威勢の良い女の声が奥から聞こえてくる。この茶屋をひとりで仕切る、女将の声だ。

 この女将、滅多にこちら側に姿を現さないので有名だった。


 店には数名の客が座していた。

 夕もしばらく過ぎているためだろうか。そのほとんどが食べ終えた器の中に銭を入れ席を立っている。

 男はひょいと鼻をくすぐる主に目を向けた。中央には囲炉裏があり、大きな鉄製の鍋の中には今日の汁が満たされている。


 赤味噌の中に豆腐の白がちらり、ちらりと扇子でその顔を隠す女のように目配せしているかのように覗いていた。

 畳の座敷には男のように酒を酌み交わし談笑する者らが、中央の囲炉裏を囲むようにしてある囲い席には旅仕度をした者と近所の若い衆が熱々の汁をお代わりし吸い込んでいる。

 男は囲いの一席に腰を下ろした。


 出てきたのは大根菜の飯と親父が汲んだ赤みその汁、そして白の漬物だった。

 そして一本、冷の酒が置かれる。


 「これは奥からで」

 「ぬたか。いいねぇ」


 小鉢に入っていたのは細ねぎとこんにゃくが甘酢味噌で和えられた品だった。

 口に運べばからしの味が舌に乗らず、練りごまの風味が喉の奥へと下ってゆく。隠し味程度のみょうがも入っているのだろう。甘い白味噌とごまが喧嘩しない程度に程よく同居していた。


 「酒が進んでしかたねぇ」


 男は小さくつぶやいて最後の一杯を飲み干す。これから夜番だ。多くは入れられない。

 仕事でなければ生で頼むべき酒だ。どの店も独自の配合を持ち、いくつもの酒を混ぜ合わせ味を作っている。そして湯で3割ほど薄め、店では酔い外へ出ると覚める、そんな具合だった。


 「ごちそうさん」


 旅装束の男が4文銭を2枚、器へと落してゆく。席を立ち荷を背負った男に主人が声をかけた。

 

 「そこの方、よろしければこれを」


 笹だけに包まれているのは三角の結び、のようだった。

 男はそれを受け取り、頭を下げ出てゆく。


 「残り飯ですよ」


 主人が小さく笑む。視線が合ったのだ。

 

 「こんな夕に出るんじゃぁ、次の宿にゃあ・・・」


 月が薄い夜だ。余程の急ぎなのだろう。でなければ夜明け前に出たほうが身の安全は高い。

 

 「おいらも出てくかねぇ」

 

 男が重い腰を上げる。器の中には4文銭が10枚入れられた。

 主人が頭を下げ、器を上げる。

 

 「旦那、ちょっと待ってくださいな」


 男を呼び止めたのは、滅多にでてこないはずの女将だ。

 黒の髪を馬の尻尾のように揺らしながら、店へ走り出てくる。


 「急いだんで不ぞろいですけれど。番屋の皆さんで食べてください」

 

 茶渋の風呂敷に包まれているのは、主人がいう残り飯の握りだろう。

 男はありがたくそれを受け取り、暖簾をくぐる。

 振り向きはしない。

 なぜなら女将に色目を使おうものなら、番犬ならぬ番きつねが黙ってはいないからだ。


 この茶屋には名の由来となった獣が一匹、住んでいる。

 女将の足元にちょこんと座すその獣はきつね。男が知る限り稲荷が好物だという黄色の毛玉に喧嘩を売り、勝ったという話は聞いたことが無かった。触らぬ神にたたりなし、とはよく言われたもので、女将にもそれがまさに当てはまるのだ。



 月無し夜が更ける頃、男は甘く煮付けられた黄色い実が握りこまれた飯を幾人かとほうばりながら、ふと、あの旅人の行く末が明るいものであればいい、と思わずにはいられなかった。


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