序章:漆黒の魂
この小説は華やかな騎士団やお馴染みの英雄伝ではありません。その国を支える秘密組織「ルナ•シャドウ」に属する異世界人の主役がたった一人の女性を守るため、王国の影で獅子奮闘する隠密活劇です。栄誉も権力も賞賛さえ得られる事もなく、存在さえも認められず。それでも自身の体と技で己のルールを貫き通す。そんな小説です。
少年は物心付いた時から一人であった。一人と言うのは誰にも頼れず、常に自身の責任を負わされている事。とどのつまりは金である。
そして今でさえ、病院のベッドでその責任に頭を悩ませていた。道端で倒れて居たところを良識ある市民に助けられ、腹を捌かれ、一命を取り留めたは良いものの望外の治療費の請求書に目を白黒させている。
こんな事になるならば、助けられなければ良かったと少年は思うが今更な話しである。
当初愛想の良かった医者や看護士も一向に両親や親族。要は支払い能力のある者に付いて少年が頑なに口をつぐんでいるものだから、まるで腫れ物の様に扱う始末。
少年は腹の具合を気にしながら、化粧台の上に請求書を置き深く溜め息を着いた。
少年は孤児院の出で、今よりもっと幼い頃に再婚した母親が引き取りに来たは良いがその再婚相手の男性の暴力が酷く。心身ともに磨り減ってしまった母親は呆気なく死んでしまった。
残された少年は父親と二人暮らしする事になり、それでも暴力は絶えなかった。そんな中で少年はどうすれば痛い思いをしないですむのか?と考え続けていた。
そして少年は遂に自分でも意識せず、「空気」になることでその被害を最小限に抑える事に成功していた。
父親の視野に入っているが、視点にかからない絶妙な間合い。無音の足音。音を発する事の無い口。眠るときでさえ、寝返りや布の擦れる音させないなど。まるで置物の様に一日中微動だにしない事もできた。それは少年の苦心から吐き出された防衛本能の極みであった。
少年の仕事は朝夕の新聞配達で、月末には父親に給料を献上して、毎月の小遣いは三千円だった。衣服は母親が幼い頃に買い与えられた、Tシャツと七分の短パンとスニーカーであり。擦り切れた靴底には自転車屋の廃チューブのゴムを貼り付けていた。
もちろん小学校になど行ってない。通っていれば現在小学四年生であるが。少年は忙しさと父親からの圧力で羨ましがる余裕さえないのである。
一日百円の生活費から栄養状態は著しく低く、同年齢の男子と比べてもやせ細り、成長期の食べ盛りだと言うのに身長は小学生低学年ほどしかなかった。
少年に悲しみは無かった。怒りも悔しさも。そもそも感情と言うものがごっそり抜け落ちてしまったように、何も感じないのであった。そこにあるのは責任。つまり金である。機械的にただ生きている他少年には何も無かったのである。
しかし、そんな少年にも転機が訪れる。それは目の前の少年より幼い少女である。病院のベッドに拘束され十日。麻酔から目覚めてからずっと。向かいのベッドにいるニット帽の少女がずっとこちらを見ているのだ。
少年は真っ直ぐ見つめられる事に慣れていない。むしろその視線に恐怖さえ感じていた。どうにかこうにか視線を外そうと、目線を切るが暫くしてまた見ると、まん丸な瞳で少女は少年を見つめている。そして目が合うとニコニコと笑うのであった。
数日その奇妙な攻防は繰り広げられたが、遂には少年が折れ。少女と少ない会話をするようになった。
初めは「はじめまして」だった。少年も返事をしようとしたがつい癖でコクンと首を縦に振ってしまう。
少女の病気は凄く重いらしいが、日中笑顔で話す少女からはその気配がなく。少年もその間だけは父親、金、その他諸々の責任から解放されて自然と口元が綻ぶようになっていた。
少女の両親はよくお見舞いに来る。綺麗なスーツ姿の父親は週に一度だが。母親は毎日やってきて、フルーツを剥いたり、ベッド脇の椅子に座って本を読み聞かせたり。ニコニコと少女の描いたクレヨンの絵を楽しそうに覗き込んだりしていた。少年もその母親からフルーツを分けてもらったり。耳障りの良い本の読み聞かせにそのまま眠りに落ちる事もしばしば。少年は実の母親の事を思い出したりして、囁かな幸せを感じていた。
少女と仲良くなって数日。相変わらず少年は少女の話しに首を振ったり、話しても「うん」とか言葉少ない返事を返す事しかできない。
「今日ね!お話し作ったんだ!」
少女は元気いっぱいにニコニコと画用紙を少年に見せた。
少年にも何が描いてあるのかわからなかったけど、かろうじてピンク色の人みたいなのが画用紙の真ん中に描いてあるのはわかった。
「お姫様はとっても重い病気にかかってしまいました。お城の鐘が鳴ってしまったらお姫様は死んでしまいます」
「けど王子様が現れて、チューします。そしたらお姫様はなんと言う事でしょう!病気が治ってしまいました!そして二人は幸せに暮らしましたとさ、おしまい」
少女のお話はとても短い話しだった。母親の口調そのまま躍動感タップリでニコニコと恥ずかしそうに「内緒だよ」と締めくくったその話しは少年の心に強く残った。悪く言えばありがちなロマンスであったが少年にとっては初めての内緒話し。その楽しそうでどこか二人だけの秘密が心地よく、それだけで少年は嬉しくなった。
ある夜。騒がしさに少年は目を覚ました。
向かえのベッドの仕切られたカーテンに映る大勢の人影。けたたましく鳴り響く足音。少年にとって静寂の世界が現実であった。それ故にその張り詰めた音は異常な程不快な音に聞こえた。
暫くして両親が駆け込んで来て、少女の名を悲痛な叫びで呼び続けている。
少年は思わず耳を塞いだ。同時に「ああ(少女は)死にそうなんだな」と思った。
けれど少年の目はカーテンの内側にいるであろう少女に向けられている。少年が目覚めた時の少女の様にその目線だけは外さない。ここで外したら少女が直ぐに死んでしまうような気がしたから。
少年は願った。あの子を助けて欲しいと。そして思う。なぜあの子なのかと。あの屈託の無い笑顔で自分の心を癒やしてくれた。あの子なのかと。
少年は強く願う。どうか神様、僕の命と引き換えにあの子を生かしてください。僕は王子様でも病気を治す力もありません。それでも僕にはこの命を差し出す他は何も持っていないのです。あのような暖かい家族が壊れて良いはずがないでしょう?どうか───。
「十二時の鐘が鳴るぞ少年」
静寂の中に突然囁く様に響く声。
少年の目の前に懐中時計がぶら下がっていた。少年が振り向くとシルクハットに燕尾服の老人が白髭を蓄えて、立っていた。
辺りを見回すと前方にベッド横たわった少女。それ以外はなにもない真っ白くな空間だった。少年は立ち尽くし。目の前を振り子の様に揺れる懐中時計を眺めていた。
「主よ、時間がありません。冥界の門番が怒り狂っております」
少女のベッドの脇に突然現れたメイド服姿の女性が真っ直ぐ此方を睨む。
「まあまあ、そう睨みなさんな。せっかくの美人が台無しだよ?」
主と呼ばれた、老人は懐中時計を手に少女のベッドの脇に女性とは違う側に移動する。
「綺麗な寝顔だね」
そう言うと老人は少女の胸に手をやり、一瞬の閃光の間に、クリスタルを取り出した。
そのクリスタルを手の中でまじまじと眺める。
「やはり美しいね、無垢な子供の魂は」
「暖かみのあるオレンジ、愛らしさのピンクも混ざっていますね」
「ああ、それにこの真球に近いこの形をみたまえ。優しさに満ち溢れている」
二人はそのクリスタルをウットリと見つめながら互いに吟味し、鑑定しているようであった。
少年はふと自分が何かを握って居ることに気が付いた。
それは鋭利な黒いクリスタルであった。
「少年。君の魂もみせてくれないか?」
少年はとっさに後ろ手に隠してしまった。
しかし次の瞬間にはそのクリスタルは老人の手の中にあった。
「……」
二人とも絶句しているようだった。
少年は自分の魂があんなにも真っ黒で尖って少女の魂とは比べ物にならない事を肌で感じ取っていた。少年は所在無く顔を下げる。
「少年よ」
少年が顔を上げると老人は力いっぱいに抱きしめた。
「これほど美しい魂を見たことが無い。この濁りの無い黒。切れそうなほど鋭い形」
「主よ。しかしそれは凄く悪いのでは」
「そこらの屑魂の黒ではない。見よこの光沢。これこそ、光の魂にも匹敵するほどの黒だ。娘の魂をもってしても釣りがくる」
「はぁ……」
「しかし少年。つらかったであろうな。世が世ならば一国さえたやすく手に入れられたであろうに。人間の世とは不便なモノだ」
「主よ。時間がありません」
「わかっておる!我が権限に置いて精魂置換を行う!」
「え?!主よ!それはいささか問題が」
「黙れい!多少問題があろうが、やると決めたのだ」
「はい……」
「少年。よいな?お前はこの娘を助けたい。そして我はお前の魂が欲しい」
少年は戸惑い気味な「はい……」と頷いた。
「では死に神の名において、娘に接吻するがよい」
「え?」
「チューせいチュー」
少年は少女の脇に立ち、酷く狼狽していた。神は神でも死に神だったこと。いきなり接吻しろと急かされていること。少年の頭は入りきらない疑問符で埋め尽くされていた。
「主よ!時間が!」
「黙らっしゃい!一人の魂を売った人間の最後だ!見届けろ!」
少年は意を決して。少女に口付けをした。
瞬間眩いばかりの光に包まれて、少年は光の塵となって消えた。
「主よ。これでは冥王にどのような言い訳をすれば良いか見当もつきません」
「心配あるまい、少年には別世界に旅立ってもらったからの、とりあえず直ぐには問題にならん」
「で、では少年は魂無しの空箱ですか?」
「ちょっと我の魂半分をくれてやったわ、まあ死んだら返してもらう」
「主よ……。わたくし、実家に帰らせてもらいます!」
「え!?いやいやなんでそうなるの?ちょっとまちなさい───」
病室内に朝日が差し込む頃、少女の容態は峠は越え脈拍も安定し、安堵した両親が眠気で首を縦に振る。
そしてひっそりと向かいの男の子が冷たくなっていた。
少女の病気は治る事は無かったが、病状は劇的に回復し、大人になり結婚し、二児の母となって幸せな、暖かい家庭を築く事になるがそれは別のお話───。




