潜み迫る影~その3~
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既存作品のパロディって、ネタで使用する分にはギリギリセーフってありますけど、安全の為にダイレクトになり過ぎず、かつ通じる人には通じるラインの見極めって結構気を使います。
拙作が皆様の一時の楽しみとなりましたら幸いです。それでは、本編へどうぞ!
『さあて、それじゃ一仕事させてもらうぜ!?』
昼時の吹上家の食卓。そこに若い男性の雄々しく威勢の良い声が響く。
今現在、この吹上家の食卓に居る人物は三名。
まず一人目は長い前髪と後ろ髪を持つ、この家の一人娘の裕香。午前中の戦いを終えた彼女は、友達を家まで送り届けた後、真直ぐに家へ帰ってきていた。
食卓に付いた裕香は、左手に白米の盛られたご飯茶碗を右手に箸を持ち、唇を閉じて母の料理を噛み締めている。裕香自身は声の演じ分けの心得はあるが、響いた声はレパートリー外の声である。第一、口に物が入った状態では叫びようがない。
二人目は母親の純。娘の向かい側、炊飯器を左脇に置いた席に座り、食卓の中心に盛られた肉野菜炒めに箸を伸ばしている。響いた声は男性のものであり、彼女のものでもありえない。
最後の三人目。純の右隣に座る吹上家の主、拓馬。眼鏡のレンズ越しに右手側に目を向けながら、噛んでいた食べ物を飲み込む。
「最初はどうなるかと思ったけれど、やっぱり面白いな」
そして右側へ向けた視線を外さずに一言呟く。その声は、先に響いた男の声よりも穏やかで落ち着きのある全く別のものであった。
そんな父の呟きに釣られる様に、裕香も左へ顔を向けて頷く。
「うん。実際に動き出したのを見たら絶対に違うって信じてたけど、やっぱり凄いね。さすが高森さん」
そう言う裕香と拓馬の視線の先では、武骨な全身装甲を纏ったヒーローの映るテレビがあった。
黄色と黒を基調としたカラーリング。がっしりとしたボディを包む角張った分厚い装甲。その頭部は黄色い安全ヘルメットを目深に被った様な形であり、両頬の装甲板と合わさって一つの球体に似たシルエットを形作っている。それらが合わさって工夫、ややもすれば重機のような印象も受ける。
重機の如きヒーローは左腕を盾に、異形の突撃を受け止める。両の踵が地面に沈みながらも、ヒーローは腰を深く落として踏ん張る。
『ハンマー……カモン』
電子音声と共に、ヒーローの右手に現れる鉄鎚。ヒーローは大振りな頭を持つそれを確りと握り込み、大きく振りかぶる。
『おぉらぁあッ!?』
『ぐぅえ!?』
雄々しい雄叫びと共に、重々しいハンマーヘッドを異形の肩へ叩きつける。今度は異形が轟音を上げて地面へ沈む。そこへ立て続けに左の蹴りを叩きこみ、浮かび上がった所へ、横倒しになったハンマーヘッドの天辺を叩きこむ。体をくの字に折って吹き飛んでいく異形の怪物。ヒーローはそれを見送って、右手のハンマーを消す。
今朝録画されたものであるこの特撮番組の名はシャドウレーサーG。現行テレビ放送中のシャドウレーサーシリーズ最新作である。
秘密結社が破壊工作用に製造したパワードスーツ・クラッシュ。それを結社の一員であった男が足抜けに合わせて強奪し、妹を伴って逃亡。追手に追われる二人と偶然に出会った男子高校生が成り行きで装着し、秘密結社の破壊工作を阻止するという出だしで始まっている。ちなみにGと言う名は、装着者である工作が趣味の男子高校生・猿渡信太郎が、Cと言う名前にハンマーを叩きつけて作り直すという意味でつけ直した名前である。
放送前にデザインが公表された段階ではそのあまりにも無骨なデザインに、ダサい、ポンコツ重機、主役のデザインじゃない、80年代初期アニメのロボット等、色々と不評を買っていた。
『人を泣かす様なモンなんか作らせねえ! その建材はテメエが今まで潰してきたモンの修理に使わせてもらうぜ!!』
だが主人公のキャラクターと、変身した姿に似合った重量感のある豪快な戦闘スタイル。そしてその一方で破壊工作のために生み出された力で、傷ついた街並みを癒す。それらの要素が受け、放送前の評価は大きく覆されている。
テレビの中で異形との激闘を繰り広げるガッツ。その姿をじっと見つめながら、迷いなく箸を進め続ける裕香。そうして一緒に口に入れた醤油味の効いた肉と玉ねぎと白飯を噛み締めて飲み込む。よく噛んだ食べ物を胃の中へ送ると、画面の中で動き回るヒーローに感嘆の息を吐く。
「高森さんの演技とアクション。本当に凄いなあ」
ガッツの中身として演技をするアクターへ憧憬の想いを込めて呟く裕香。
「それにしても、なんでアクション女優とかじゃなくて、きぐるみの中に入りたがるのかしら、ウチの娘は」
そこで不意に向かいの席から響く声。裕香がそちらへ顔を向ければ、夫である拓馬越しにテレビを見る純の姿があった。すると純は裕香の方へ向き直り、口を開く。
「普通もっと目立つようなのやりたいと思わない? ヒーロー番組に出てアクションするにしたって、きぐるみの中に籠る以外にもやり様はあるんじゃない? ほら、この子みたいに」
そう言って純は茶碗を置き、左手でテレビを指さす。それに従って裕香も視線をテレビへ戻す。すると、ちょうど両手に大振りの工具を抱えて、障害物を跳び越え潜り抜けるヒロインの活躍が画面に映っていた。
「うぅん……お母さんが言うことも分かるよ。でも……」
裕香は母へ視線を戻し、その言葉に苦笑交じりに返す。そうして軽く息を吐いて箸を置くと、目に掛った長い前髪を脇に避ける。露わにした目で母を見つめると、言葉の先をはっきりと口に出す。
「私はああなりたいから、沢山のヒーローを演じて、皆の心に希望を届ける存在に」
真直ぐな眼差しと言葉で夢を語る娘に、閉口する純。
そこで、黙って母娘のやり取りを聞いていた拓馬が、笑みを浮かべて口を開く。
「裕香は譲らない所は譲らないからな。小さな頃からの夢はどうあっても曲げないだろうな」
「その夢の大元は拓馬さんでしょうに」
どこか上機嫌な父と、唇を尖らせる母。裕香はそんな両親の掛け合いを見ながら、前髪を抑えていた手を放して、再び箸をとる。
「もちろん、もしもそういう形で使ってくれるっていう人がいれば、全力で期待には応えようと思うよ」
そう言いながら裕香は大皿から肉と野菜を摘み上げて、茶碗に残った白飯の上に乗せる。タレを白いご飯になじませ、上に乗ったおかずと一緒に摘み上げる。
「まあでも、私って地味だし、素のままで使おうっていうのはまずないと思うけど」
そう言い終えるや否や、裕香は摘み上げたおかずとご飯を口に収める。その瞬間、純は深い溜息をつき、拓馬も笑みを曖昧な形に濁らせる。
「裕香、それ本気で言ってるの?」
呆れ切った声音で問いかける母に、裕香は箸を口から抜かずに咥えたまま、小首を傾げて前髪の奥で目を瞬かせる。まるで分からないと仕草で見せる娘に、純は更に深い溜息を吐く。そうして茶碗を置いて皺の寄った眉根を揉み解しながら口を開く。
「いい素材を活かしてないのは裕香自身でしょ」
「まあ、親の贔屓目もあるかもしれないが……顔もスタイルもいい線いってると思うな」
両親揃っての言葉に、裕香は空になった茶碗と箸を置いて顎を動かしながら前髪を弄ぶ。
純はそんな娘を指さして、言葉の続きを口にする。
「髪染めたり、化粧したりなんてしなくてもいいけど、もうちょっと整えたら見違えるわよ? せめてその前髪はどうにかしない?」
「こ、これはダメ!」
母からの指摘に、裕香は口の中のものを急いで呑みこみ、前髪を庇うように額に両手をかざす。
そんな娘の反応に、眉根を寄せる純。
「どうして? 隠す様な傷なんてないし、切るか避けた方が絶対にいいわよ」
尋ねる純に対し、裕香は椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「とにかく前髪を切るのは嫌! ごちそうさま!」
「ゆ、裕香!?」
その勢いのまま、裕香は逃げるように脱衣所兼洗面所へ駆け込む。
そして歯ブラシ立てから、自分の白地にライトグリーンの入った歯ブラシとハミガキのチューブを手に取る。
蛇口を開いて水を出すと、ブラシの先を湿らせてチューブからハミガキを絞り出してつける。チューブを戻し、支度を整えた歯ブラシを咥える裕香。
『この前髪は、私には必要なものだから……』
裕香はそう心の内で呟きながら、咥えた歯ブラシを動かす。
歯磨きを済ませた裕香は口を濯ぎ、洗面所を出て階段へ向かう。
裕香は階段に右の足をかけると、軽やかな足音を立てて昇っていく。二階へ昇りきった裕香は廊下を進み、褐色のドアを押し開けて中に入る。
『あ、ユウカ。お昼終わった?』
部屋に入った裕香を出迎えたのは、ベッドの上に背を起こした姿勢で座るルクスであった。その前には左右の前足を乗せる形で魔法陣が展開している。
「うん。そっちはどう?」
そんな相棒に頷きながら、裕香は後ろ手にドアを閉める。するとルクスは展開していた魔法陣を霧散させて、首を左右に振る。
『いや、ダメだね……』
ルクスはそう言いながら、右前足の爪を一つ折る。それは桃色の肉球の上を転がって、銀色に光る小さな玉へ変わる。
『ユウカが探知魔法の範囲と感度を増幅する補助アンテナを撒いてくれたのに、情けないよ』
補助アンテナに変化した爪の欠片を弄びながら、首を振り続けるルクス。裕香はその右隣に腰をかけ、左手でそっと相棒の翼の間を撫でる。
「落ち込まないで、元々は逃がした私の責任なんだし」
裕香は柔らかく声をかけ、力不足に苦しむ相棒を慰める。
「それにしても、今度の幻想種はどんな人に憑いてるんだろう」
そして相棒の背中に手を添えたまま、話題を切り替えるべく、昼前に交戦したパンタシアのことを口にする。するとルクスは両前足を布団について頷く。
『……うん。とにかく分かる所から整理していこうか』
頭を切り替えようと努めるルクス。裕香はそんな相棒の犬に似た頭を見下ろして、前髪の奥で目を細めて小さく頷く。
『まず奴が持ってる能力は、姿を消すことが出来て、指で描いたものを実体化させること……か』
ルクスは肉球の下で探査魔法補助のボールを転がしながら、遭遇した敵の能力を口に出して数える。
「相手の残した物を簡単に調べたけど、その能力の中心になっているのは絵の具みたいなものだったよ」
裕香はあの絵描きゴブリンが逃げ際に残した消える絵の具のことを話す。そして形の良い顎先に右の人差し指を添える。
「つまり、一体化してるのは絵に関係ある人ってこと?」
その裕香の推測に、ルクスは顔を上げて頷く。
『そういうことになるね。趣味か仕事か、絵に関わっている人、か……これじゃ絞れた内に入らないね』
ルクスはそうまとめて俯き、溜息を漏らす。
そこで窓からリズミカルなノックが鳴る。
「孝くんかな?」
そのノックを聞いて振り返る裕香。その推測どおり、窓ガラスを隔てた向こうには、白い歯を見せて手を振る孝志郎の姿があった。
「もう、危ないって言ってるのに……」
裕香は苦笑しながらも、窓のカギを開けて横にスライドさせる。
「裕ねえ!」
そして裕香が体を横に避けるや否や、孝志郎が部屋の中に飛び込んでくる。
『うわッ!?』
孝志郎の飛び込みで波立つクッション。それに跳ね上げられ、宙に投げ出されるルクス。そこから身を捩って羽ばたき、バランスをとる。
『気をつけてくれよコウシロー!』
ルクスは白い翼で空を飛び、孝志郎へ抗議の声をぶつける。
「ああ、悪かったよ」
しかし孝志郎はそんなルクスを半眼で見やり、そっけない調子で謝る。それにルクスが息を吸い込んだ所で、孝志郎は裕香へ顔を向ける。
「それより裕ねえ、今から外に遊びに行こうよ! いつものとこよりちょっと遠いけど、公園行こうよ!」
目を輝かせて、遊びに行こうと誘う孝志郎。その誘いに、裕香は桜色の唇を柔らかく緩めて頷く。
「うん、いい……」
『待ちなよ! 午前中に戦ったのに、大丈夫なの!?』
遊びの誘いを快諾する裕香を、ルクスが皆まで言わせずに引き止める。
「戦ったって、ホントに!?」
ルクスの言葉を聞いて、孝志郎は眉をハの字に歪めて裕香に尋ねる。そんな孝志郎とルクスに、裕香は口元に笑みを見せて頷く。
「大丈夫。お昼ご飯も食べて、一息ついたし。まだ動けないって言う様なやわな鍛え方なんかしてないんだから」
裕香はそう言うと、孝志郎の頭に手を乗せて、その短く刈り込んだ褐色の髪を優しく撫でる。
「でも、心配してくれたのは嬉しいよ」
裕香の手を大人しく受けていた孝志郎は、顔を引き締めて裕香に向きあう。
「なあ裕ねえ、俺に手伝えることってない!? 俺、なんでも力になるよ!」
「孝くん……」
そんな孝志郎の申し出に、裕香は前髪の奥で目を見開き、幼馴染の頭を撫でていた手を止める。そしてすぐに驚きに強張っていた顔を柔らかく緩め、右手の動きを再開する。
「ありがとう、孝くん。でも、今日はとにかく遊びに行こうよ。私も息抜きしたいし、ね?」
「う、うん……」
裕香の言葉に、孝志郎は眉根を寄せながらも頷く。
『まあ遊びに行くっていうならこれを持っていきなよ』
ルクスは二人の間に割って入り、肉球に乗せた銀色の球を裕香へ差し出す。差し出されたBB弾ほどのそれを摘み上げる裕香。
『裕香自身を中継した探知の感度も上がるし、壊せば短い間だけど結界も張れるから、きっと役に立つよ』
「うん。ありがとう」
相棒に礼を言い、受け取った銀の玉を握りこむ裕香。
「じゃあ行こう、孝くん」
そうして孝志郎に目を向けると、孝志郎は唇を尖らせて眉根を寄せていた。
「孝くん? どうしたの?」
「何でもない」
裕香は不機嫌そうな幼馴染に首を傾げて尋ねる。しかしその問いに、孝志郎は視線を逸らして言葉短く突き返す。
「でも、なんだか……」
だが裕香は、明らかに不機嫌な様子の孝志郎に手を伸ばす。しかし孝志郎はその手を取り、ベッドから勢い良く立ち上がる。
「いいから! 行くなら早く行こうよ!」
孝志郎はそう言って裕香の手を引っ張る。腕を引かれるままに立ちあがった裕香は、孝志郎の様子に無理に踏みとどまることが出来ず、ずるずると歩を進める。
「ちょ! こ、孝くん、靴は!?」
「裸足で取りに行くからいい!」
靴についての指摘も振り払って、孝志郎は裕香を連れて部屋を後にした。
※ ※ ※
外から日野家に回って孝志郎の靴を取ってきた二人は、並び立って街を歩く。
歩道の奥側を、唇を尖らせたまま歩く孝志郎。裕香は頭一つ分低い位置にある幼馴染の顔を、前髪の奥に隠れた目で眺める。そして孝志郎の顔に滲み出る不機嫌さに、眉根を寄せて瞳を泳がせる。
『どうしよう……孝くん、機嫌が直らないよ』
左手から昇ってくる不機嫌ですと物語る空気に、裕香は唇をもごつかせながら前髪の下で目を左右に泳がせる。
そんな気まずい空気の中、黙って歩き続ける二人。
『私から何か話を振らなきゃ……!』
裕香は意を決して左斜め下の孝志郎へ顔を向ける。
「ね、ねえ孝くん。公園に着いたら何しようか?」
やや硬さはある物の、努めて明るい声音で尋ねる裕香。
しかし孝志郎は裕香の顔を横目で見やると、唇をもごつかせて再び足元に視線を落とす。裕香はそんな幼馴染に軽く溜息をついて俯く。
口を閉ざし、再び黙って歩を進める裕香と孝志郎。
「ねえ裕ねえ……俺、裕ねえの邪魔なのかな?」
「え?」
足を止め、不意に口を開く孝志郎。その口から出た言葉の内容に、裕香は踏み出していた右足を止めて、左後ろへ振り返り聞き返す。すると孝志郎は俯いたまま、言葉の続きを口に出す。
「俺はあいつ、ルクスみたいに色々出来ないし、裕ねえを手伝うどころか余計危ない目に合わせるし……俺、ただ邪魔して……え!?」
しかし裕香は皆まで言わせず、孝志郎の頭を左手で押さえる。驚き、見上げてくる幼馴染を、裕香は真直ぐに見下ろして口を開く。
「私はそんなことを思ったことなんて、一度もないよ」
裕香ははっきりとそう告げると、孝志郎の頭を強く押さえる。
「ゆ、裕ねえ……?」
裕香がかける圧力に、孝志郎から戸惑いの声が漏れる。そんな孝志郎の頭を、裕香はその豊かな胸の間に挟むように抱きこむ。
「わぷ!?」
「愛さんを真っ先に見つけて私を助けてくれたのは誰?」
胸の間でもがく孝志郎。それを放すまいと、裕香は幼馴染を抱く両腕の輪を引き締める。
「それに……戦うなんて怖くて重いこと、孝くんみたいに大切なものが前にも後ろにもなきゃ出来ないよ」
「……裕ねえ」
胸の谷間を頭で掻き分けて、顎を上げて真上に顔を出す孝志郎。裕香は孝志郎と視線を絡めあって、言葉の続きを紡ぎ出す。
「私に力をくれる孝くんが邪魔だなんて、そんなことあるはずないよ」
裕香はそう言って、胸の間に挟んだ孝志郎を更に強く抱きしめる。
「ご、ごめん、裕ねえ」
苦しげな声で謝る孝志郎。そこで裕香は、ようやく胸の中の孝志郎を解放する。解き放たれた孝志郎は深い呼吸を繰り返して、お預けを食わされていた酸素を肺の中に取り込む。
「あ、ごめんね、苦しかった?」
深呼吸を繰り返しながら、曖昧な笑みを浮かべて首を左右に振る孝志郎。
「い、いいんだ。息は出来なくて苦しかったけど……」
頬を朱に染め、続きの言葉を呑み込む孝志郎。それに裕香は小首を傾げる。
「けど、なに?」
上体を屈め、目線を合わせて尋ねる裕香。鼻先の触れ合う様な距離に、孝志郎は頬の赤みをさらに強めて上体を引く。
「な、何でもないよ!?」
「? 変な孝くん」
慌てて顔を逃がす孝志郎に、裕香は思わず口元を緩める。それに孝志郎は、半歩足を引いて照れの混じった笑みを返す。
「そ、そんなことよりさ、公園に着いたら今朝のレーサーや戦隊の見せ場を再現してよ! 俺がオープニング歌うからさ!」
裕香の疑問を誤魔化すように、饒舌になって捲し立てる孝志郎。それに裕香は前髪の隙間からのぞく目を柔らかく細めて頷く。
「うん、一緒に決めポーズもやろうか」
「うん! やろうやろう!」
そう言って笑みを交わし合う二人。
そして孝志郎が歩き出す。それに続く形で裕香も公園へ足を向けて踏み出す。
「そうだ裕ねえ、公園まで歌いながら行こうよ」
孝志郎は白い歯を見せて、弾む声で提案する。それに裕香は苦笑を返す。
「いいけど、孝くん私が歌ヘタなの知ってるよね?」
そんな裕香の言葉に、孝志郎は拳を握って言葉を返す。
「裕ねえはヘタじゃないって! 裕ねえの歌はうまいとかヘタとか通り越した「裕香」なんだよ!!」
拳を固めて説く孝志郎。そんな孝志郎の言葉に、裕香は苦笑を深める。
「ちょっと複雑な気分だけど、ありがとう、孝くん」
「へへ、どういたしまして」
両手を頭の後ろで組み、再び白い歯を見せる孝志郎。
「ふふ……」
「へへへ……」
笑顔を交わし、足を進める裕香と孝志郎。
そうしている内に、孝志郎は裕香から前方に目を移し、そちらを指さす。
「あ、裕ねえ。ここだよ」
そう言って孝志郎の指さす先には、吹上と日野の両家の近所にある山端公園ほどではないが、広く遊具の揃った公園があった。
「あれ? あれは……?」
赤い支柱に支えられたブランコに、大人の背の高さほどの滑り台。正方形の仕切りの中に柔らかな砂を敷き詰めた砂場。お椀を逆さにした様な柔らかな弧を描く山。
これらのごく一般的な、やや古臭くさえある遊具達の中、裕香はある一点に目を止める。
「え、あいつら、と……あれって?」
裕香に倣って指先と視線を動かし、同じ場所を指して止まる孝志郎。そこには小学校低学年以下と思しき小柄な男の子達と、その内の一人を腕の中に抱きこんだ、男の子たちよりも上背のある少女の姿があった。
腰まで届く長いストレートの黒髪。細身の体を包む黒いワンピース。男の子の一人を抱える左手は黒い手袋に包まれている。
黒い少女は男の子をまるで盾にするかのように抱え、男の子の一団を前に右腕を広げる。そんな黒の少女に、裕香は前髪の奥で眉根を寄せる。
「まさか、新手の幻想種ッ!?」
裕香は叫び、腰を落として地を蹴り出す。
「裕ねえ!?」
孝志郎の叫びを背に、黒の少女とその前に並んだ男の子たちを目掛けてグンと加速する裕香。
「ククク……さあ少年諸君ッ! この友人が大切ならば、揃って我が帝国の礎となる他ないぞッ!!」
「くっそおッ! 卑怯だぞ!?」
前と後ろに長い髪を、左右の景色と一緒に大きく後ろに流して駆ける裕香。その耳に公園の集団からの声が届く。
『そんなことは、私がさせないッ!!』
裕香は髪が流れて露わになった両の眼を引き締め、地を蹴る足に力を込める。近づく男の子たちの背中に裕香は警告の声をぶつける。
「皆避けてッ!!」
「え!?」
「わっ!?」
裕香の警告に振り返る子どもたち。ある者は走って集団から離れ、またある者は慌てて頭を下げる。しゃがみ込んだ男の子の目前で踏み切り、宙を舞う裕香。
「プロミネンス! ハンマァアアアッ!!」
ムーンサルトの要領で宙返り。身を捩った勢いのまま、気合の声と共に右足を爪先から振り下ろす。
「なぁッ!?」
黒の少女は驚きの声を上げて、裕香の蹴りの軌道から逃れる。
空を裂き、地を踏む裕香の足。
着地の直後に裕香は足を軸に身を翻し、右手を翳し、左拳を腰だめに黒の少女と向かい合う。
「友情を盾に取り、子どもたちを利用しようとする卑劣な行い、この私が断じて許さんッ!!」
黒の少女へ凛々しい低音をぶつける裕香。
「な、何者かッ!?」
対する黒の少女は、男の子を抱えたまま裕香へ名乗るように叫ぶ。それに裕香は右足を引き、両腕を入れ替えるように構え直して叫び返す。
「貴様に名乗る名前は持たんッ!!」
裕香は凛々しい低音ではっきりと告げ、両手に固く拳を作る。それを受けて、黒の少女は目を瞬かせると口の端を吊り上げる。
「クク……威勢良く吠えるものだ。しかし良いのか? 迂闊に動けばこの少年はただでは済まぬぞ?」
「お、お姉ちゃん……」
黒の少女は薄く、笑みの形に歪めた口の端から含み笑いを零し、腕の中の男の子を体の前に出し、その存在をアピールする。
『あれ、この人は確か……それに、今の動作とセリフ……まさか?』
黒の少女の顔と、彼女が見せた仕草、それに合わせたセリフに、裕香は構えを僅かに緩める。しかし、すぐさま拳を固め直すと、地面に足をすり合わせて半歩分距離を開ける。そして無言のまま、少女に捕らわれた男の子へ頷いて見せる。
すると黒の少女は笑みを深め、少年を盾にしたまま一歩一歩じらすように裕香へ近づく。
「そうだ、そのまま動くな」
『このセリフも……やはりそういうことね!』
余裕を匂わせて迫る黒の少女。その口から出た言葉に、裕香は確信を深める。
「喰らえィ!」
十分に接近した所で、黒の少女が右の手刀を振り下ろす。
「うぐッ!?」
それを受け、大きく上体を揺らす裕香。
「そらそらそらぁ!」
「う!? ぐ! ああっ!?」
そこへすかさず繰り出される拳の連撃。振り戻しの右裏拳、続く高速のジャブ、更に続くストレート。それらを受けて、裕香は大きく仰け反りたたらを踏んで下がる。
「ハァアッ!!」
間髪いれず繰り出される右の蹴り。
「ぐ! ぅあッ!?」
それを裕香は両腕を交差して受け止める。だが衝撃を受け切れず大きく後方へ飛ばされてしまう。
「う、ぐ……」
両の足で地を踏むものの、その場に片手片膝を着く裕香。そのまま肩で大きく息をしながら、倒れまいと体を支える。
「裕ねえ!?」
「お、お姉ちゃん!?」
そんな裕香の姿に孝志郎を始めとした男の子たちからどよめきが湧く。
「ククク……今のに耐えるか。だが、これが情に流された者の限界よ! 何一つ救えず、闇の中に朽ちるのみ!」
ざわめきの中、歌う様に嘲笑う黒の少女の声が響く。それに裕香が顔を上げれば、腕を振り上げる黒の少女と視線がぶつかる。
「とどめだッ!」
振り下ろされる少女の手。その僅かな隙に裕香は逆に飛びこみ、黒い少女の腕から人質の男の子を奪い取る。
「な!?」
驚きの声を上げる黒の少女の脇をすり抜け、男の子を抱えて地面を踏む裕香。
「離れていて」
「う、うん」
そうして男の子を避難させ、黒の少女へ振り返り身構える。
「例え深い闇の中でも小さな星明りは確かにある! 私はそれを見逃しはしないッ!!」
拳を強く固め、叫ぶ裕香。それに黒の少女は柳眉を吊り上げ、黒手袋を付けた手を錐の様に尖らせて引き絞る。
「ほざけぇッ!!」
「ずぅあぁッ!!」
怒声と共に突き出される貫手。同時に裕香も踏み込み、左拳を打ち出す。
「裕ねえ!?」
孝志郎の声が響く中で交差する裕香と少女の腕。
裕香の右頬の脇を抜けて伸びる黒手袋に包まれた貫手。その手と裕香の顔の間には裕香の右腕が入り、裕香の左拳は少女の鳩尾に入る前に停まっている。
交差したまま睨み合う二人。
「ゆ、裕ねえ……?」
そこへ呆然とした孝志郎の声が通り抜け、続いて周囲から拍手が湧き上がる。
「すっげえ! お姉ちゃんたちすっげえッ!!」
「ヒーローショーみたいだったよ!!」
「へ、え? へ?」
周囲の歓声に取り残され、孝志郎は左右へ視線を巡らせて戸惑う。男の子たちの歓声の中、裕香と黒の少女はどちらかともなく顔を和らげて体を放す。
「やるものではないか」
「あなたもね。いい演技だったよ」
「え? えええッ!? どういうことッ!?」
そう言って握手を交わす裕香と黒の少女。その二人の姿に、頭を抱えて叫ぶ孝志郎。
「どういうこと、裕ねえ!? 知り合いだったの!?」
黒の少女としっかりと握手する裕香。そこへ孝志郎が詰め寄ってくる。裕香は握手を解くと、黒い少女へ顔を向けたまま応える。
「学校と学年は同じだけど、ちゃんと話すのは初めてだったよね、大室さん?」
「そうであったな」
腕を組み、頷くいおり。それを聞いて孝志郎はあんぐりと口を開ける。
「え、じゃあ全部即席? 友達でもないのに?」
「うん。レーサーや戦隊のシチュエーションをアレンジしてるって分かってからは雰囲気任せで」
裕香のその言葉に、男の子たちから感嘆の声が起こる。それにいおりは満足げに口元を緩める。
「ククク……よもや吹上がここまで我と通じ合える存在だとは思いもよらなんだぞ、偶には闇の手本を模して幼子と戯れて見るものだ」
そう言っていおりは腕組みを解き、裕香へ再び右手を差し出す。
「善と悪の果てしなき戦いを愛する友として再び巡り会えたこと、嬉しく思う。我が魂の好敵手にして友、レオノーレ・シュタルカーヴィントよ」
「レオノ……? いや、私の名前は吹上裕香だよ、大室さん」
困惑交じりに握手に応じる裕香。対するいおりは、結んだ手を上下に揺らしながら口の端を吊り上げる。
「クク……今は分からずとも良い。いずれ思い出す。このシャルロッテ・エアオーベルング・神薙と、戦いの中で育んだ絆の全てをな……」
「シャル……? エアオー……?」
いおりの言葉の端々を繰り返す裕香に、いおりは含み笑いを零す。そうして握手を解くと、いおりは裕香から離れる。
それと入れ替わりに孝志郎が裕香の側に寄る。それに裕香が頭を下げると、孝志郎は顔を寄せて耳打ちする。
「この人、いつもああなの?」
「うぅん、話したのは今日が初めてだし……学校では、物静かな感じだったと思うけど」
抑えた声で孝志郎に返す裕香。その一方で、いおりは公園の外に向けて歩き出す。
「さて、我はここで帰らせてもらおうか。用事もあるのでな」
ポケットから出した大振りの懐中時計を覗くいおり。その背中に向けて、男の子たちが手を振る。
「じゃあね、シャルロッテ様!」
「またね、シャルロッテ様!」
そんな子どもたちに、いおりは出入り口の門の傍で振り返り、口の端を吊り上げて見せる。
「フ……さらばだ」
別れを告げるいおりに、裕香も右手を軽く持ち上げる。するといおりは笑みを深めて頷き、公園を後にした。