潜み迫る影~その2~
読んで下さっている皆様、いつもありがとうございます!
以前書いていた作品を、劇中劇ネタとしてリメイキングしてみようかとも思いましたが、どうにも抵抗感があって踏み切れません。
それでは本編へどうぞ。今回も楽しんで頂けましたら幸いに思います。
『今襲われてるって、大丈夫なの!?』
裕香の返事に、ルクスから慌てた調子の念波が帰ってくる。
『今のところは!』
相棒へ指輪越しの念波を返しながら、裕香は視線を上げて左から右へと走らせる。だがその視界にはぽっかりと一棟分開けた隙間の他には怪しい物は何一つ無い。
「愛さん、走って!」
「へ? え?」
裕香は姿の無い襲撃者を探すことを止めて、愛の手を引き、アーノルドを右腕に抱えて立ち上がり駆け出す。直後、その背中を鋭く弾ける様な音が叩く。
「ルーくん!」
『結界を、ネブラ!』
友の手を引いて走りながら、相棒の名を呼ぶ裕香。直後、アーノルドを抱いた右手中指から翠色の魔法陣が展開。そこから躍り出た子猫大の白い獣は、その背から生えた翼を羽ばたかせて、裕香の右肩に降りる。
裕香の右肩に乗ったルクスから、光を孕んだ風が渦を巻いて吹き広がる。
ルクスの結界に包まれる裕香たち。その右脇を何かがすり抜け、歩道に弾ける。
「ひ!」
怯えて息を呑む愛。その震えを繋いだ手から感じながら、裕香は力を込めて地を蹴る。だがその前方で歩行者用の信号が赤に変わる。
「ッ! こっちへ!」
「ひゃ!?」
横断歩道の直前でほぼ直角に身を翻し、左折。半ば振り回す形となったことで愛から声が上がる。そして二人が角の建物の陰に駆け込むや否や、風切り音が鳴り、甲高い着弾音が響く。
「ルーくん、愛さんの後ろにシールドを!」
『わかった!』
短く鋭い言葉で右肩の相棒へ指示を飛ばす裕香。ルクスはそれに頷き、裕香の後ろ首を経由して左肩へ。そこから激しく揺れる腕を伝って愛へ移る。それに続いて、四度目の風切り音が迫る。
『クッ……アスピスッ!』
ルクスの叫びと共に、走り続ける裕香を翠の光が追い抜く。だが甲高い破裂音が響くと同時に、翡翠色の光が一際強い輝きを放って、真っ白に塗りつぶされる。
「きゃあッ!?」
「ルーくん!?」
ガラスの粒のように散っていく光の中、裕香は相棒の名を呼ぶ。
『へ、平気! でも相殺で精一杯だよ!』
無事だと主張するルクスの声。それに続いてまたも風切り音が迫る。
『こんのォッ!!』
気合を込めた叫びと共に、再び広がる翠の光。そして激突音と同時にまたも爆ぜ散る。
『ユウカ、このままじゃまずいよ! 連射されたら……ッ!』
ルクスの警告を遮って響く鋭い音。それにルクスは言葉を呑んで魔力の盾を張る。背後から耳を叩く破砕音の中、裕香は頭上をすり抜ける風切り音を捉える。
「はッ!?」
息を呑み、前髪の隙間から頭上を仰ぎ見る裕香。その刹那、裕香たちの進む先にある看板の付け根に火花が爆ぜる。
「しまった!?」
支えが折れ、がくりと落ちる看板。それが落ちる前にすり抜けようと、裕香は次の一歩のために振り上げた腿と脹脛に力を漲らせる。
「ゆ、裕香さん!?」
だが自分が手を引く友の姿を一瞥すると、振り上げた足で地を踏みしめて、そこに込めた力の用途を反転。勢いに乗った体にブレーキをかける。
「クッ!?」
両足に力を込めて踏みとどまる裕香。その頭上で再度火花が弾け、落下を堪えていた看板が重力に負けて落ちる。
裕香は瞬時に視線を走らせ、左手側に空間を見つける。
「危ないッ!!」
「あうッ!?」
その空間へ愛を半ば押し込む形で跳び込む。その直後、歩道を落下してきた看板が塞ぐ。
固く舗装された地面に転がり込む裕香たち。
「愛さん、アーノルドくんを!」
「う、うん!」
強引に起き上がった裕香は、抱え通しだったアーノルドを息を弾ませた愛に返す。そうして友人とその愛犬、そして自身の相棒を背中と壁の間に隠す。
『ユウカッ!?』
「ルーくんは愛さんたちをッ!」
相棒に友人たちの護衛を任せ、周囲を見回す裕香。
ある程度の幅を置き、並行する形で引かれた白線。その奥にはコンクリートの枕が二つずつ、白線に寄って並んでいる。そのうちのいくつかには赤や白の乗用車が停まっている。
他に遮蔽物は無く、左右両側に立つ建物のおかげで、前方の歩道側以外の塞がれた駐車場。
どうあっても相手は正面から襲いかからざるを得ない場所に陣取る裕香。
そうして身構えながら、豊かな双丘を備えた胸を大きく膨らませて息を吸い込む。
「フウゥゥゥ……」
肺に溜めこんだ空気を吐き出しながら、右の拳を固める裕香。
自身のものと背後からの呼吸音が耳に触れる。そんな中、唸り声を上げていたアーノルドが不意に吠える。
「アーノル……あうッ!?」
「愛さんッ!?」
愛の悲鳴に弾かれたように振り返る裕香。半ばまで振り向いた所で、その身を横殴りの衝撃が襲う。
「うっ!?」
裕香はうめき声を漏らし、吹き飛ばされた勢いのままに転がる。その勢いに乗って身を起こし、片膝立ちの姿勢で顔を上げる。
「愛さん!? ルーくん!?」
「ゆ、裕香さん……」
『う、ウウ……』
そこには顔を苦しげに歪めて首を抑える、愛とルクスの姿があった。だが、やはり両者の首を抑えているものの姿は見えず、まるで透明な縄にでも括られている様であった。
「二人を離せッ!!」
叫び、見えざる敵へと踏み込む裕香。だがその拳が放たれるよりも早く、左の肩を衝撃が貫く。
「あぐっ!?」
裕香は再び薙ぎ倒され、手近に停まっていた車のボンネットに叩きつけられる。その体はサスペンションの反動で跳ね上がり、再度ボンネットにぶつかって転がり、正面から地面に落ちる。
「ぐ、うぅ」
裕香は身体中を襲う痛みにうめきながらも、両手両膝を支えに体を起こす。
膝に手をつきながら、悲鳴を上げる体に鞭打って立ち上がる裕香。そうして深く息を吐き、その両手を拳に固めて身構える。
するとその直後、アーノルドが唸り声と共に、姿無き敵へ食らいつく。
その瞬間、愛とルクスを抑えていた力が僅かに緩んだ。
「今!」
その隙を逃さず、左手に右拳を打ち付ける裕香。掌と衝突し、拳が光を纏う。そして輝く拳を掌に擦り合わせながら見えざる敵へ駆け出す。
「変身!!」
横薙ぎに振り抜いた拳の軌跡が光の帯となって伸びる。迎え撃とうと放たれる光弾。その尽くを打ち消す光。壁となって自身を守るそれに、裕香は振り抜いた勢いのまま、後ろへ大きく伸びた右拳を叩きつける。
激突した拳を基点に、渦を描いて広がる光。輪となった光へ裕香は拳を突き出した勢いのまま跳び込む。
光輪を抜けた先から、大きく、雄々しい鋼鉄の鎧へと変わっていく裕香の体。その白銀の装甲を纏った拳が、虚空を穿つ。
『ギエッ!?』
否、鋼鉄の拳は見えざる敵を確実に捉え、そのどこかに突き刺さった。拳から肩へ駆け上る重い手応え。それとは真逆に爆ぜた衝撃が、うめき声の主を吹き飛ばす。
「フゥッ!」
裕香は鋭く息を吐き、腕を伸ばして愛とルクス、そしてアーノルドを敵から奪い取る。身を翻し、友人たちを抱え込むようにして其の腕に抱き止める。瞬間、裕香の背を轟音と風が叩く。
「ゆ、ゆうか、さん?」
筋骨逞しい男のものを思わせる鋼鉄の腕の中で、愛は途切れ途切れに友の名を呟く。
「ごめん。苦しい思いをさせてしまった」
半ば呆けたような顔で見上げてくる友人。それに裕香はヒロイックな鋼鉄の仮面を向け、低いヒーローモードの声で謝る。
裕香の謝罪に、愛は無言で首を横に振る。裕香はそんな友人とその愛犬を腕から下ろす。
「愛さん達を頼むよ」
『わかった』
そう言って最後に相棒を腕から羽ばたかせ、愛たちの安全を預ける。
『こっちへ!』
「は、はい!」
ルクスの指示に従い、後ろへ下がる愛達。その背中を見送ると、裕香は踵を返して振り返る。
裕香の睨む視線の先。そこで駐車場の景色の一部が歪み、蠢く。揺らいだ景色はさらに溶けるように歪んで、歪な人型のシルエットが浮かび上がる。
ベレー帽からうねり伸びる、色取り取りの髪。それとは対照的に、艶のなく痩せこけた暗褐色の肌。細く長い鉤鼻の下には、白くギザついた歯の並ぶ口がある。その顔はファンタジーでいうゴブリンにも似ている。
身につけているのは絵具やペンキを適当に掴んでぶちまけたかのような前掛け。細く節くれだった枯れ木のような腕の先端には、毛や鉛、炭と言った様々な筆で出来た指がついている。
毒々しいまでに色鮮やかな化物。それは右手で胸を抑えながら、露わになった自身の姿に目を落とす。
『し、しまった……ッ!?』
うろたえる絵描きゴブリンに対し、鋼鉄の右足を一歩踏み出す裕香。その重い足音に、化物は顔を上げて身構える。
『おのれ、白竜の契約者め! 俺達の邪魔はさせん!』
叫び、両手を突き出すゴブリン。その指の一つ、毛筆の先端から、まるで絵の具を飛ばす様に光弾が放たれる。
「ハッ!」
気を吐き、迫る光弾を装甲に覆われた腕で叩き落とす裕香。視界を腕が通り過ぎるや否や、突っ込んでくる怪物の姿が視界を埋める。
『ジャッ!』
伸び迫る右拳。それを裕香は左腕で受け流し、右のカウンターを突き出す。
化物の腕が拳の軌道を遮る。だが白銀の拳はその防御もろともに化物のマーブル模様の胸を撃ち抜く。
『があ!?』
苦悶の声を上げ、体を折って後ろへ飛ぶ絵描きゴブリン。
「ハア!」
裕香はそれを追い、地を鳴らして踏み込む。だが怪物は吹き飛びながらも、痛手を受けていない右手を振るう。絵筆の指が空を走る度に鮮やかな軌跡が残り、ブロックのように固まって裕香の突撃を迎え撃つ。
だが裕香は真正面から迫るそれを左、右、左と拳を振るって砕き、突撃の勢いを緩めない。そして右拳を弓を引くように大きく引き絞る。
「フウゥッ!」
『グ、ギィ!』
鋭く息を吸って拳を強く固める裕香。対して絵筆指のゴブリンは一早く踵から着地しするや否や、両腕を振り挙げて縦縞の壁を描きだす。
「そんな壁など!」
行く手を阻む壁に対し、裕香はその奥の怪物もろとも砕かんと振りかぶった拳を繰り出す。その一撃に絵に描かれた壁は豆腐でも突き崩すかのように砕け散る。
破片を撒き散らして散り消える色鮮やかな壁。しかしその陰に怪物の姿は無かった。
「いない? どこへ!?」
姿を消した怪物に息を呑む裕香。そこへ覆い被さる影。それに裕香が顔を上げれば、両腕を大きく振り上げて躍りかかる絵描きゴブリンの姿があった。
『喰らえよや!?』
両の絵筆指で空に軌跡を描きながら跳び込んでくる怪物。頭上からのその一撃を、裕香は横へ跳んでかわす。
地を砕く音を聞きながら、裕香は腕の力で跳躍。身を翻して足から壁に突っ込み、それを蹴って宙返りする。
「ハアアアアッ!!」
雄叫びを上げて、四肢を地に付いた怪物目がけて蹴り足を突き出す。
『ぐブゥッ!?』
蹴りを痩せこけた頬に受けて吹き飛ぶゴブリン。裕香は壁へめり込むそれを見据え、すかさず踏み出そうと力を込める。だがその瞬間、裕香の背を何者かが叩く。
「ぐ!?」
不意の一撃に躓き、つんのめる裕香。すぐさま腰を捻り、反撃の右裏拳を振るう。しかし、ろくに狙いを定めずに放ったそれは、かわされて空を切る。
「ら、落書き?」
跳び退った襲撃者の姿に、裕香の仮面に覆われた口からそんな呟きがこぼれる。
手に持った棍棒を振り回して笑うその姿は、裕香の言う通り正に落書き。
大きな逆三角形の中に、小ぶりの三角形を4つ詰め込んで作った顔。その下からはいくつかの線を束ねた、枯れ木の棒にも似た体が伸びる。その両脇からは長さの互い違いな手足が継ぎ足され、それらを忙しなくバタつかせている。
怪物をデフォルメしたかのような動く落書きは、裕香目がけて躍りかかる。
「この!」
それを迎え撃とうと裕香は白銀に輝く拳を構える。しかしそうして構えた両腕は何者かに抱え込まれてしまう。
「なッ!?」
それに驚き両腕に目をやる裕香。拳を固めた右腕は丸で出来た人型が抱え込み、逆の腕は四角で作られた落書きに捕らえられている。
しかし裕香は、すぐさま躍りかかる三角の落書きへ向き直ると、振り下ろされる棍棒を左側頭部で弾く。そして素早く首を切り返し、頭突きを棒のような胴に叩きこむ。
バラバラになって吹き飛ぶ三角。その直後、裕香は両腕を振り上げながら立ち上がり、腕を捉える丸と四角の落書きを振り払う。
「ハアッ!!」
そして右の回し蹴りで四角を薙ぎ払い、続けて右足が地を踏むと同時に繰り出した左の後ろ回し蹴りで丸で出来た人型を蹴り砕く。
歪に崩れた図形となって崩れ散る落書きたち。裕香はその残骸の中心で右拳を腰だめに、左掌を前に翳す形で構える。力強く構える裕香の見据える先。そこでは毒々しいまでに色鮮やかな異形が、蹴りを受けた頬を拭いながら立ち上がっていた。
「貴様がとり憑いた人を、解放させてもらう!」
叫び、左右の腕を入れ替える形で右拳を突き出す裕香。そうして突き出した拳を、音を鳴らして固める。
『へへ……そううまく行くかな?』
対して絵描きゴブリンは口の端から滲み出た血を拭い、牙の生えそろった口を笑みの形に吊り上げる。
「強がりを!!」
笑みを浮かべる怪物を見据え、踏み込む裕香。その行く手を阻むように、三角、丸、四角の落書き兵が群れを成して湧く。
先陣を切って向かってきた三角の落書き兵を左拳で殴り飛ばし、左手から続く四角を右の拳で迎え撃つ。更に右側面を狙う丸を、右踵を突き出して打ち砕く。
「ハッ!」
裕香は蹴り足を素早く戻し、身を低くして顔めがけて突っ込んでくる落書き兵を潜り抜ける。そして低い姿勢から左肘を突き出して突進。正面の落書き兵を撥ね砕く。
落書き兵団を蹴散らし進む裕香。それに色鮮やかな化物は左手へ回り込みながら絵筆の指を空へ走らせる。空を断つ線が刃となって裕香に迫る。落書きたちを切り飛ばしながら襲いかかるそれに、裕香は身を捻りながら左へ跳躍。空を裂く刃を眼下にやり過ごす。
飛び込みざまの前転で続く刃を潜り抜ける裕香。そこを狙い、地を這うように迫る刃。それを裕香は地面に平手を叩きつけて跳び越える。
「トアッ!!」
空中で身を捩り、ムーンサルト。白銀の装甲に陽光を跳ね返して空を舞い、膝から化物の頭に落ちる。
『ギャッ!』
悲鳴を上げて倒れるゴブリン。裕香はそこから地面を後ろに転がり、左膝を付き、右手を前に翳して構える。
『つ、強い……!?』
膝蹴りを受けた頭を絵筆指の右手で抑え、左手と膝で体を支えるゴブリン。
「ここで決めるッ!」
それを見据え、低い声で決着を宣言する裕香。その言葉に続いて、裕香の装甲に覆われた左腕が翡翠色の輝きを放つ。裕香は輝く左腕を構え、軽く握った右の拳を持っていく。
『危ない、ユウカ!』
「裕香さん、後ろッ!!」
だがその瞬間、背後から覆い被さるように影が差し、相棒と友人の警告が響く。
「え?」
杖を抜こうとする手を止め、背後を振り仰ぐ裕香。その眼前には、崩れた図形の寄せ集めで出来あがった巨大な拳が迫っていた。
「クッ!」
裕香はとっさに横っ飛びに跳んで、振り下ろされる拳を避ける。アスファルトを砕く轟音を背に聞きながら、前回りに受け身を取り構える。バイザー奥の目が睨み据える先には、拳を地に叩きつけた巨人の姿があった。
変身し、190cm程にまで伸びた裕香がまるで子供のように見えるほどの巨大な体躯。その巨体は、色取り取りの歪な線や図形をスクラップの山のように無造作に組みあわせて作られていた。
「これは……!?」
いつの間にか現れた巨体に、裕香は鋼鉄のスーツに覆われた体を警戒心に強張らせる。対する巨体は、地に突き立てた拳を引き抜いて、ゆらりと両の拳を持ち上げる。
右拳を腰だめに、左手を前に構えて巨体と対峙する裕香。
裕香はそのまま構えた体の力を緩めず、背後の怪物を一瞥する。瞬間、重い足音が前方から地を伝わる振動に乗って裕香の足に触れる。
それに気付き、裕香は弾かれたように視線を戻す。瞬間、巨体が大きく振りかざした拳が頭上から降ってくる。それに裕香は足を踏みしめ腰を落とし、左腕を盾に受け止める。
「くぅ……!?」
仮面の奥から洩れる声と共に、裕香の両足が割れたアスファルトの地面に沈む。だが、押し潰さんと振るわれた一撃を受け止めきると、引き絞った右拳を巨体の右拳へぶつける。
巨体の拳を砕き、突き刺さる白銀の拳。異物を捻じ込まれ、内側から膨らみ爆ぜる巨人の右腕。しかし肩まで崩れ解けた右腕は、空中でいくつかの塊を作り、三角、丸、四角の図形の入り混じった落書き兵へと変わる。
「な!?」
躍りかかる落書き兵たち。裕香はその攻撃を左手で叩き払う。続く二撃目を地に沈んだ右足を強引に引き抜き、右の半身を引いてかわす。そして更に続く三体目の攻撃を腕を交差して受け止める。
「ぐ!?」
だがそれと同時に、裕香の背中を装甲もろとも軋ませる一撃が叩き込まれる。それを受けて前のめりとなる裕香。そこへ合わせるように、巨体の残った左拳が裕香の胴を撃つ。
「か、はぁッ!?」
胴を穿つ重い一撃に、腹の底と肺の奥から空気が無理矢理に絞り出される。裕香の口からは苦悶の声が漏れ、その体は空へ打ち上げられる。
体がへの字に折れた形で猛然と空へと昇る裕香。
背と腹の前後から挟み込む痛みに裕香の意識は遠のく。視界が白黒と明滅し、霞がかったように薄れていく。だが裕香の目は愛たちと、そちらへ狙いを変えた絵描きゴブリンとその配下の集合体の姿を捉える。
迫る怪物たちの姿に怯え、後ずさる愛。それを庇うように前に出るルクスとアーノルド。その姿に、空を昇る裕香の拳が強く固まる。
『こんなことで、どうするッ!? こんな程度で、気を失えるものかッ!!』
そして胸の内での叫びと共に、シールドバイザー奥の目が力強い輝きを放つ。
「はぁああああああッ!!」
腸の底から張り上げる咆哮。
それにゴブリンたちが弾かれたようにこちらを振り仰ぐ。その奥では愛とルクスが表情を安堵にほころばせる。
色鮮やかな怪物たちを輝く双眸で睨み据えて、裕香は背後に魔法陣の壁を展開。それを両肘で殴りつけて急降下する。
爆音を背に、白銀の流星となって降下する裕香。対してそれを迎え撃とうと、化物たちは落書き兵を飛ばしてくる。
得物を片手に向かってくる二体。裕香はそれを右、左と腕を振るって薙ぎ払う。そこへ続く落書き兵。その突撃を身を捩ってやり過ごし、蹴りつけて落下の方向を右へ変える。
「ハアッ!」
壁に向かってきりもみ飛ぶ落書き兵。裕香の体はその真逆の方向へ離れ、落下速度を加速させる。
空を裂いて奔る銀色。それを追う様に放たれる光の弾丸。裕香は軽く息を飲むと、進行方向に居た落書きを蹴りつけて落下の路線を右へ切り替える。足場となった後、光弾の直撃を受けて爆散する落書き兵。それを背後に受けながら、手近な落書き兵を掴む。
左、右とジグザグに、光弾を縫って飛び交う裕香。そして掴んでいた落書き兵を抱えたまま、真直ぐに化物たちへ突っ込む。
『このッ!!』
両手を前に突き出すゴブリン。それと同時に裕香は抱えた落書き兵を投げつける。
弾丸とぶつかり合い、大の字に広がる落書き兵。裕香はその体を踏みつけ、跳躍。足場に使った落書き兵は足裏が離れると同時に爆散。
様々な色の入り混じった粉煙。それを白銀が突き破り、跳び出す。裕香はその勢いのまま膝を抱え、後ろ向きに宙返りする。
『なあッ!?』
驚きの声を上げ、落書き兵の集積体の陰へ逃げ込む絵描きゴブリン。
「キィイアアアアアアアアアッ!!」
裂帛の気合と共に、両膝を叩き撃ち出す裕香。腕の力も上乗せして突き出した両足が翡翠色に輝き、寄せ集めの巨体へ突き刺さる。
実体化した落書き。その寄せ集めで出来た巨体の腹に、鋼鉄の両足が埋まってゆく。それに合わせて、積み重ねたブロックの隙間から洩れる光がその量を増す。そして膝まで埋まった瞬間、翠色の光が稲光の様に奔り、爆ぜる。
視界を埋め尽くす光と、全身を叩きつける爆風。目を焼き、装甲を軋ませるそれを受けながら、白銀の装甲に覆われた体が宙を舞う。
翼を広げた鳥のように両腕を広げ、白銀の体が宙返り。裕香はそこから左膝をつき、左腕を掌を開いて腰だめに添えた形で着地する。そうして右手を、見えざる刀の柄に伸ばして湧き立つ粉煙を睨み据える。
「フゥゥゥ……」
居合抜きのような姿勢のまま、鋭く息を吸う裕香。そしてバイザーの奥で輝く目で煙、そしてその奥に居るであろう絵描きゴブリンを見据える。
やがて煙は晴れ散り、それに遮られていた景色が露わになる。そこには亀裂が入り、抉れたアスファルトと残った塵煙の他には何もなかった。
構えを解いて膝を伸ばし、爆心地へ歩み寄る裕香。そしてクレーターの傍で膝をつき、足元に広がっていた液体を右手人差し指と中指に指に引っ掛けて掬いあげる。粘りのあるそれを指に擦り合わせると、塗り広げた箇所が透明に透き通っていく。
「逃げられた、か」
それと地面に散った同じような液体を見比べ、裕香は呟く。
『ユウカ!』
「大丈夫!?」
そこへ投げかけられる二つの声。裕香はそれにバイザーに覆われたメカメカしい仮面を向ける。
「ルーくん、愛さん」
二人の名を呼びながら、裕香は膝を伸ばして、白い翼を羽ばたかせる相棒と愛犬を抱いた友達を迎える。
「ごめんね、ルーくん。逃げられちゃった」
声だけを少女のそれに戻し、目の前でホバリングする相棒へ謝る裕香。そうして顎を引いて、バイザー奥の目を鳩尾よりも下の位置にある愛の顔に向ける。
「愛さんも……痛い思いを、怖い思いをさせてごめんね」
謝る裕香に対し、愛は真直ぐにこちらを見上げて首を横に振る。
「いいの! それより、裕香さんは何とも無いの!?」
「え……う、うん。私は平気」
心配そうな顔で見上げてくる愛に、裕香は上体を僅かに引いて頷く。その右頬に、ルクスが詰め寄る。
『本当に!? 本当に大丈夫なのかい!? ユウカに何かあったら何もならないんだから!』
険しい顔で問い詰めてくるルクス。そんな相棒の剣幕に裕香は上体を左に逸らす。対するルクスはそれを許さずに逆側へ回り込み、じっと険しい顔を向けてくる。
「う、うん……」
二方向からの圧力に、裕香は特撮ヒーロー然とした姿を縮ませて頷く。それでも相棒と友人からの圧力は断固とした力を保ち、緩まない。
注がれ続ける圧力の中、裕香は変身の時とは同じく、だがその時とは明らかに違う小さな動作で左掌と右拳をすり合わせる。
それに続いて翡翠色の光の塊となる裕香の体。そうして人型を描く光のまま、筋骨逞しいシルエットが細く、低く、縮んでいく。
分厚く広い肩は、大きく狭まり、その間では豊かな山が二つ、曲線を描く。
固く締まった腰も柔らかな括れに変わる。その下に続く曲線も、キュッと締まったのは変わらないが、柔らかな印象を与える丸みに変わる。
そこから伸びる四肢も強靭で筋張ったものから、細くしなやかなものとなる。
やがて頭一つ分程背丈が縮み、硬質なヘルメットの形をした頭から長い髪が拡がり伸びる。それに続いて光が弾け飛び、少女に戻った裕香の姿が露になる。
「ほら、ホントになんともないでしょ? ね?」
白いシャツとスパッツに身を包んだ裕香は、未だにじっと自身を見据えてくる目に、くるりと一回転して見せて無事をアピールする。
『でも、かなり重い攻撃を受けてたし……』
「本当に何とも無いの?」
それでもなお、未だに心配そうな目を向けてくるルクスと愛。裕香はそれに苦笑を浮かべ、同年代の平均を大きく上回る豊かな胸を張って見せる。
「本当に大丈夫だよ。ほら」
そう言って裕香は右の掌で胸の中心を叩く。さらに軽く拳を作った腕を上下に揺らし、何とも無いと主張し続ける。
『そう、だね』
「よかった」
そこまでアピールして、ようやくルクスたちは安堵の息を付いて身を引く。そうした友人とパートナーの反応に、裕香も笑みを浮かべて肩の力を抜く。
『ともかく、この場は無事切り抜けられて何よりってことで』
現状をまとめたルクスの一言。それに愛はその顔を柔らかな笑顔に緩めて頷く。
それに裕香も唇を柔らかな笑みに緩める。
「うん。ありがとう、二人とも」
そんな裕香の言葉に、愛の腕に抱かれたアーノルドが一声吠える。それに裕香は笑みを深めて、右手を伸ばす。
「ごめんね。アーノルド君もありがとう」
そう言って裕香は、明るい褐色の毛に覆われた頭を撫でる。アーノルドはその手を受けて、尾をパタパタと振りまわす。
裕香はアーノルドの頭を撫でる手を止めずに、軽く視線を上げて飼い主である友人に目を向ける。
「じゃあまた何かあったらいけないから、家まで送っていくね」
「ありがとう、裕香さん」
笑みを交わす裕香と愛。
『それにしても、派手にやったよね』
「え?」
ルクスの言葉に、裕香は友人から目を放して周囲を見回す。
抉れて亀裂の入ったアスファルト。そこかしこに飛び散り汚れた絵の具。周囲を囲む建物も窓が割れ、壁にもいくつか真新しい罅が入っている。
その光景を見て、裕香の顔にぶわりと汗が浮かぶ。
『ど、どうしよう!? こんなのどうしようもないし、このままここにいて見つかったら絶対に弁償!?』
脂汗を浮かべながら、慌ただしく心中で呟く裕香。そうして息を呑み、愛の手を取ると、ルクスを抱えて走り出す。
「きゃ!?」
『うわ!?』
「ルーくん! 結界を張り続けて!」
裕香はルクスに結界の維持を指示しながら、友達を引きつれて荒れた駐車場を後に残して逃げ去った。