潜み迫る影~その1~
読んで下さっている皆様、いつもありがとうございます!
魔法少女モノ? って大魔法峠くらいしかまともに見たことないんですが、意外と何とかなるものなのかなと思います。まあどう見ても正統派ではないおかげでしょうけれど。
それでは、本編をどうぞ。今回も楽しんで頂けましたら幸いです。
家々の立ち並ぶ街並み。
だが、空を覆う青に太陽は無く、光が真上から均等に降り注いでいる。
そんな光に照らされた家々は異様なまでに綺麗であり、まるで全てがたった今創られたかの様であった。
物音一つ無く、息吹きを感じさせない街並み。そのそこかしこに、前触れ無く光が現れる。
顔の無い虚ろな人型。デッサン人形にも似たシルエットを描く無個性な光の塊が、群れを成して居並ぶ。
不意にひょうと風が吹く。すると人型の光たちはそれに引かれるように、揃って顔の無い頭を風の吹いてきた方向へ向ける。
直後、翠色の光が煌めき、星が空を裂いて流れて人型の群れを貫く。
蹴散らし、宙へ巻き上げた光の下を潜り抜け、コンクリートの地面を削り踏みとどまる流星。
二筋のブレーキ痕の先で立ち込める粉塵。流星の直撃を免れた人型達は、一斉に粉塵の中心へ振り向き駆け出す。
粉塵の中で灯る一対の輝き。刹那、白銀の塊が煙幕を貫いて飛び出す。
「ハアッ!」
手前の一体目に左肘から突き刺さる仮面の戦士。
体をくの字に折って吹き飛ぶ光の塊。それと入れ替わりに、白銀の戦士へ躍りかかる人型の光たち。
「スゥ……ッ!」
戦士は鋭く息を吸い、突き出した肘を軸に左腕を回転。左手側からのものを拳の甲で撃ち払う。続けて右足を大きく振り上げ、右手側から迫る者を薙ぎ払う。
白銀の戦士が脚を振り抜いた隙を狙って、背後の人型が右手を上げる。その刹那、光が弾けて弾丸が飛ぶ。
「ッ!」
円錐状に尖った先端を向けて迫るそれを、頭を下げて潜り抜ける戦士。続けて間髪入れず人型の横をすり抜けて壁へ走る。
その背中を追って光の銃弾が幕を成して放たれる。
「ハ!」
壁を蹴り、宙返りして人型の群れを跳び越える戦士。それをのっぺりとした顔で見送る人型。その背後に着地した戦士は、人型達が振り返りきるよりも早く、右の回し蹴りを繰り出す。
「ッア!」
蹴りを受けて飛び転がる仲間に巻き込まれて転倒する光の塊たち。それを逃れた人型達は薙ぎ倒された仲間たちを踏み越えて戦士へ迫る。銀の戦士は正面から突き出される右拳を左腕で受け流し、右の拳を敵の腹へ叩きこむ。体を折ったそれへ追い打ちの拳を撃ち込み、右手側から迫る拳を右腕で撥ね飛ばして、右の踵蹴りを突き出す。
吹き飛んで光の粒となって散り消える人型。その間に左頬を狙い迫る拳を、戦士は右掌で叩き落して退がる。
そこへ迫る追撃の光弾。
戦士は眼前へ迫る弾丸に対し、着地と同時に両の腕を交差して盾を作る。
「クッ!」
白銀の装甲を叩き、弾ける火花。腕を撃ち、脛に弾け、肩を掠める弾丸の雨に戦士は仮面の奥で歯噛みする。
しかし撃ち込まれ続ける弾丸に耐えながらも、拳に力を込めて腰を落とす。
「キア!」
気合の声と共に、交差した腕を斜め十字を描いて振り下ろす。瞬間、吹き荒れた烈風が光の弾丸を押し止め、かき消す。
拮抗。そして僅かに緩む弾幕。その隙に戦士は地を揺るがすほどに踏み込む。
右、左と腕を振るい、迎撃の銃弾を叩き落とす。そこへ鋼鉄の仮面を目がけて鋭い光が飛来する。
「ハ!」
戦士は弾丸が鼻先に直撃する寸前に踏み切り、円錐状の光を跳び越える。その勢いのまま空中で身を捩り、装甲に覆われた両足で首を挟む。そこから頭を大きく振り子のように振って身を反り、投げ飛ばす。
着地と同時に背中を叩く激突音。それを受けながら、戦士は両手を地に着いた姿勢でジャンプ。正面に迫る敵にドロップキックを叩きこむ。
反動で宙返りし、足をそろえて地を踏む戦士。直後、そこで溜めたバネを解き放って突進。大きく振りかぶった右拳を突進の勢いも乗せて繰り出す。
拳の直撃と同時に爆ぜる衝撃。白銀の戦士は吹き飛ぶ光の塊を尻目に体を切り返し、右のバックナックルで次を薙ぎ倒す。
「ハア!」
その間に背後から掌を突き出す人型。それを戦士は左の踵を突き出して迎え撃つ。そして左から迫る最後の一体を見据えて、蹴り足とした左足を下ろし、入れ替わりに右足を振り上げて蹴り上げる。
蹴りの勢いに乗って一回転。戦士は青一色の天に舞い上がる人型を睨み、脇を締めて広げた左掌に右拳をぶつける。
「スゥゥゥ……」
そこから両腕を大きく回し、右腕を腰だめに。拳を握った左腕を立て、顔の前にゆっくりと持って行く。そして拳を音が鳴る程に握り込む。
「キアッ!!」
裂帛の気合。同時に、戦士は両足を揃えて地を蹴る。白銀の星となって空へ駆け昇る戦士。そして蹴り上げた人型と高さを並べると、空に作った光の円を蹴って身を翻す。
「キアアアッ!!」
そして風を纏った右蹴りを突き出し、空を舞う標的に叩き込む。
蹴り足の突き刺さった胸のあたりから光の渦となって捻れ散る人型。星雲のようになったそれを貫いて、白銀の戦士は空を蹴り抜ける。
重力に従い、徐々に落下する銀の戦士。やがて並ぶ家々の一つに吸い込まれる様に近づき、屋根を踏んで大きく膝を曲げて衝撃を殺す。
そして大きく曲げた膝を解き放って宙へ戻り、身を翻して片膝立ちの姿勢で着地する。
「フゥゥゥ……」
『イメージトレーニングお疲れ様、ユウカ』
膝立ちの姿勢のまま、大きく息を吐く戦士。その右手側に不意に翡翠色の魔法陣が浮かび、その中心にルクスの顔が映る。
『昼間の戦いでも思ったけれど、やっぱり射撃が来ると厳しいね。力のバランスを調整して何か対応できる魔法を考えたほうが……』
「いらないよ」
『へ?』
ルクスの言葉を遮りながら、背筋を伸ばして立ち上がる裕香。そうして腰に手を当てると、魔法陣の中で呆けた顔を見せる相棒にフルフェイスの仮面に覆われた顔を向ける。
「今のバランスが私にとって一番しっくりくる状態なんだから、今の状態でどう対応するか考えた方がいいよ」
裕香はそう言って、鋼鉄の仮面を更に覆うシールドバイザーを拭う様に撫で上げる。
『いや、待って待って!? 風の刃とか魔力砲とか作ろうよッ!? 繋ぎ技として持ってた方が戦い方に幅が出るって!?』
魔法陣の画面一杯になって食い下がるルクス。だが裕香は首を横に振る。
「いらないよ」
『でも!?』
なおも食い下がるルクス。裕香はそれを尻目に左手を開くと、そこから生じた両手持ちも可能な長さの柄を右手で取り、引き抜く。
風鳴りを帯びた翡翠色の光。それで作られた刀身を見せるようにして、裕香は相棒にはっきりと告げる。
「このライフゲイルがあれば十分だよ。この子の力を引き出せばどうにでもできるよ」
『その形に作ったのはユウカだから、深いつながりがあって、まだ秘めている力を感じるんだろうけど……』
光で出来たライフゲイルの刀身を眺める裕香。それにルクスは魔法陣の中で口の端を引いて顔を顰める。
『やっぱりボクは射撃があった方がいいと思うよ』
不安げなルクスに対し、裕香は特撮ヒーロー然とした姿のまま、肩を上下させて嘆息する。
「もう、心配性なんだから。ならもう一回やろうか。今度は今日戦った化け猫と同じくらいのを出してよ」
『分かったよ。じゃあ……』
「あ、そうそう。化け猫と言えば、私達はあんな感じに合体とかはできないの?」
ルクスの言葉を遮り、思い出したように尋ねる裕香。それにルクスは魔法陣の中で顔を顰め、首を左右に振る。
『ボクらには出来ないよ。そもそもアレはパンタシア側が、契約者を肉体ごと支配して搾取するやり方なんだ。だから、ボクはあんなのは絶対に認めない!』
「そう。ごめんね、知らないで変なこと言って」
苦々しげに吐き捨てるルクスに、裕香は頭を下げて謝る。するとルクスは犬に似た顔を和らげて首を左右に振る。
『いいんだ。とにかくアレくらいの強さの奴だね? それじゃあ……』
言いかけて、ルクスは魔法陣の中で横を見る。
『あ、ヤバい!』
そして目を見開いたかと思いきや、ルクスの映る魔法陣が掻き消える。
「る、ルーくん!? どうしたの!?」
消えたルクスの姿を探して左右を見回す裕香。その一方で、裕香の真上から降り注ぐ光が力を失っていく。
光を失い、闇に覆われていく街並み。
「……うか……ゆう……!」
裕香自身の視界も暗く包まれゆく中、その耳に遠くから響く何かを叩く様な音と、呼びかける声が触れる。
やがて裕香の視界は完全に闇に閉ざされる。
「ハッ!?」
そして裕香の視界が再び開けると、腹筋を使って上体を持ち上げた自分自身と視線がぶつかる。そのまま姿見に映った自分自身と見つめ合っていると、背後でドアが音を立てて開く。
「なんだ裕香、トレーニングしてたのか?」
「お父さん」
裕香が腰を捻って振り返ると、そこには短く髪を切り揃えた眼鏡の男性、吹上拓馬の姿があった。
「お風呂が空いたと呼んでるのに、返事が無いから何かあったのかと思ったぞ?」
裕香の父、拓馬は笑いながら部屋に入ってくる。
「ちょっと、夢中になっちゃって……」
裕香が前髪を上げながら笑みを返すと、拓馬は頷いて、娘の黒髪に手を乗せる。
「目標があって熱心なのは感心するけれど、周りが見えなかったり、聞こえない様じゃ怪我をするぞ?」
頭の上で弾む父の手を大人しく受けながら、裕香は小さく顎を引いて頷く。
「うん、気をつけるよ」
父の言葉に素直に応える裕香。すると拓馬は笑みを深めて、娘の頭から手を放す。
「じゃ、トレーニングでかいた汗を流してすっきりしておいで」
そうして廊下へ足を向ける拓馬。裕香は父が部屋を出る前に、その背中に声をかける。
「ねえ、お父さん」
「ん、どうした?」
振り返った父に、裕香は用件を切り出す。
「シャドウレーサーゼロEXのDVD見たいから、今度貸して」
すると拓馬は笑みを浮かべて頷く。
「ああいいよ。部屋に取りにおいで」
娘の頼みに快諾して、廊下に出る拓馬。
そうして拓馬が後ろ手にドアを閉めると、裕香の勉強机の上がもぞりと動く。そして机の上の景色が横一文字に裂けて、その隙間からルクスが顔を覗かせる。そこから、まるで被っていた布団を押し退けるかのように裕香の勉強机の景色を捲りあげて出てくる。
『ああ……びっくりしたぁ』
元に戻る背景を背負い、桃色の肉球で白い毛に覆われた胸を撫で下ろすルクス。そんなルクスに裕香は口元を柔らかく緩める。
「じゃあ私行ってくるけど、ルーくんも来る?」
『いや、意味分かんないから』
裕香の誘いを、前足をパタパタと左右に振って断るルクス。
「だってたまにはルーくんもシャンプーしないと、さっきのを使えばお父さんとお母さんに見つからないし……あ、でもウチには人間用のシャンプーしかなかったっけ?」
『ボクらは洗わなくても大丈夫だから! それにコウシローにバレたら締められるよ! 一緒に入りたいならコウシローでも誘いなよッ!』
そのルクスの言葉に、裕香は頬を朱に染めて顔を逸らす。
「小さいころならまだいいけど、今になって孝くんと一緒に入るのは、ちょっと……」
裕香は呟きながら熱のたまった頬に手を添える。すると、前後に長い黒髪を振って頭を振る。
『ああ~そりゃあそうだよねぇ~……って、当たり前だよォッ!? しかもそう言ってる割にはまんざらでもなしィッ!?』
目を剥いて叫ぶルクスをよそに、裕香は恥ずかしげに頭を振り続ける。
※ ※ ※
濃紺の闇の中、一つの影が滑るように歩を進める。
クセ一つない、闇に溶け込む様な漆黒の長髪の少女。夜風になびくそれとは対照的に、新雪のように白い肌。大きな瞳を持つ吊り目がちなその目は、傍らを通りすぎるの人々を、冷ややかに一瞥していく。
細身の体を包むワンピースもまた黒く、その左手は甲を銀の十字架で飾った黒い革手袋に包まれている。
そんな黒尽くめの少女は、一軒のコンビニの前で足を止める。すると肘に掌を添える形で腕を組み、店のガラス壁に背を預ける。そうして少女は店から洩れる明かりを背に負いながら、黒手袋に包まれた左手を空に走らせる。
人差指の先に灯った微かな赤い光が、文字のようにも見える軌跡を描いて闇に溶ける。直後、風に揺れる少女の長い黒髪が動きを止め、真直ぐに地面へと下がる。
風の凪いだ静止した空気に包まれる黒尽くめの少女。だが手近な街路樹は未だにその枝葉をざわめかせ続けている。
「どうだ、貴様の魂を震わせる者はいるか?」
そして少女の唇からか細い囁きが漏れる。まるで何者かに語りかける様な響きであるが、歩道を行く人の誰もがそれが聞こえないかのように、否、少女の姿すら見えていないかのように通り過ぎていく。
少女の言葉が独り言として夜の中へ消えて行こうとする中、不意に少女の左肩に赤い魔法陣が浮かび、その中央から子猫大の物が飛び出す。
黒い小さな影は飛び出した勢いのまま身を翻すと、少女が腕組みを解いて僅かに差し出した左腕の上に降り立つ。
黒く艶やかな毛に覆われた小さな体躯。四本の足で支えられた体にはカラスの如き翼が一対。細長く突き出した鼻に、紅の双眸を持つ犬に似た顔。その頭には耳を巻きこむように山羊に似た巻き角が生えている。
『どうにもね、ピンと来るのは居ないわ。前のみたいにガツンとへこんでるのか、いっそイライラが抑えられないでお巡りに特攻する様なのでもいればいいんだけどさ』
少女の腕に降りたった黒のキマイラは、金の輪で飾られた黒い尾を振って口を開く。しかし、異形の生き物が人の言葉を口にしてもなお、周囲の人間はまるで意識を向けようともしない。そんな周囲から切り離された空間の中で、小さなキマイラを乗せた黒尽くめの少女は口の端を歪めて笑みを浮かべる。
「ククッ、それもそうだな。矮小なる凡俗どもが我が半身の目に留まるはずもあるまいか」
含み笑いを交えて呟く黒の少女。少女に半身と呼ばれた黒い獣は、上機嫌な相棒に対して、左目を瞑って鼻でため息を吐く。
『アンタに契約を結ぼう、つったのはアタシだけどさ、なんなのさ半身とか』
黒い獣から投げ掛けられる呆れ混じりの言葉。だが黒の少女はそれを鼻で笑い飛ばして言葉を返す。
「何を言うか。我と契約を結ぶときに貴様自身が紡いだ言葉ではないか? 『我らは運命共同体』と」
『あー……そうだったっけね』
口を半ばまで開いて目を反らすキマイラ。その一方で少女は右腕を大きく広げ、まるで歌うように言葉を続ける。
「この言葉を聞いて確信したのだ。貴様こそこの私、深魔帝国皇女シャルロッテ・エアオーベルング・神薙が、人の身に生まれ変わる際に力を預けて分かった半身、シュヴァルツヴルムであると!」
『アンタは何を言ってるのさ』
この二名が周囲の認識を結界で遮断していなかったならば、通行人の全てが黒い獣と同じ様に思っただろう。
二人にとって、まさにこの結界は正解であった。
「クク……やはり未だ記憶が完全ではないらしい」
含み笑いを溢して、彼女曰く半身の言葉を流す黒の少女シャルロッテ。
「しかし、記憶が不完全であっても我らは惹かれ合いめぐり会った。いずれ貴様も取り戻すであろう、シャルロッテ・エアオーベルング・神薙としての記憶を……」
『いや、アンタの名前はそのシャルロッテなんちゃら? とかじゃなくて、大室いおりでしょうが。あとアタシの名前はアム・ブラ』
皆まで言わせぬアム・ブラの冷静な一言。それにシャルロッテ改めいおりは、引きつった唇を強引に動かして言葉を紡ぎ出す。
「ク、クク……お、大室いおりはあくまで人間としての名。シャルロッテ・エアオーベルング・神薙こそ前世より魂に刻まれた我が真名……」
口の端を引きつらせながらも、いおりは自身の語るキャラクターとして言葉を返す。
そんないおりにアム・ブラは片目を閉じ、深く息を吐く。
『そんな高貴な魂をお持ちなら、普段からこそこそ隠れたりしてないで堂々としてたらどうなのさ?』
その一言に、いおりの額に玉のような汗が浮かぶ。その雫は目じりを掠めて引きつった頬へ流れる。
「た、ただの人間には、例え堂々と名乗った所で理解できるはずもない。そ、それに、人間の器を得て生まれ変わった以上、みだりに目立つのは得策ではあるまい?」
いおりは汗を流しながらも、その顔に浮かぶ強張った笑みを緩める。そうして首を繰り返し縦に振るいおりに、アム・ブラは長い尾を一振りして口を開く。
『だるいからアタシ帰っていいかね? 無駄に結界使うのももったいないしさ』
「え、いや!? 待って、帰らないで!?」
気だるげなアム・ブラの言葉に、いおりは慌てて腕を振る。その拍子に空へ投げ出されたアム・ブラは、カラスのような黒い翼を羽ばたかせていおりの目の前に浮かぶ。
『はいはい、まあ冗談は置いとくとしてさ』
「じょ、冗談ではないぞ!」
一度崩れたキャラクターを取り繕ういおり。対してアム・ブラは桜色の肉球を前に出し、落ち着けと無言で語る。それを受けて、いおりは腕を組みながら下がる。アム・ブラはそんな相棒の姿を確かめると、前足を下げて再度口を開く。
『アタシたちは物質界から心と命の力を手に入れなくちゃならない。一緒に物質界に来た同志たちのうち、まだ行き場の無い奴らの身柄を預かってるわけだけどさ……』
「その内の一人は今日の昼間、追手に討たれてしまった」
自分たちの置かれた状況を再確認するアム・ブラ。それを引き継ぐ形で今日の昼に起こった出来事をいおりが呟く。するとアム・ブラは、羽ばたきながら前足を立てて右の肉球に顎を乗せる。
『エネルギーは欲しいけれど、白竜の追手が来てる以上、ここらにいる半端モンと組ませてもねぇ……悩ましいことさ』
そう言ってアム・ブラは右のまぶたを閉ざしてため息を吐く。そんな相棒の様子に、いおりも軽く息を鳴らして右手側を見る。
「ん?」
するといおりはその先に居た者に目を止める。
『どうしたのさ?』
一点を注視する相棒を辿り、赤い目を向けるアム・ブラ。
黒尽くめの二人の視線の先には、コンビニから夜の街へ踏み出す眼鏡の少年の姿があった。
流れるままに任せたクセのある黒髪。運動とはまるで縁の無さそうなひょろりと長い体躯。そんな撫で肩の体を青いカラーシャツとジーンズが包んでいる。
その手には中身の詰まっているらしい重たげな鞄を提げている。
塾帰りの中学生と思しき細身の少年。その姿を見据えていおりは足を踏み出す。
『いおり?』
「彼はなかなか面白そうじゃないか」
いぶかしむアム・ブラを肩越しに一瞥し、少年の背中へと歩を進めるいおり。
「深い所に、色々と溜めこんでいるようだしな」
まるでその言葉が聞こえているかのように、クセ毛の少年が振り返る。レンズ奥の黒い瞳には煮える様な鈍い輝きが沈んでいた。
「その心の蓋、外してやろう」
その言葉と共に、いおりの唇が薄く裂けるように開かれる。
※ ※ ※
アァアタリィイ! ア・タ・リィ! モォウ、イ・イィッポォオオンッ!!
「あ、ラッキー」
降り注ぐ昼前の日差しの下。豪快な雄叫びにも似た歌で祝福してくれるジュースの自販機。その前で目が隠れるほどの前髪を撫で上げて、その奥の笑みを露わにする裕香。
体に張り付いた白いシャツと濃紺のスパッツに包まれた、同年代の平均を上回る長身。それを屈めて、取出し口から青い缶のスポーツドリンクを取り出す。そうして再び背筋を伸ばすと、同じ青いスポーツドリンクのボタンを押す。
ガコンと音を立てて出てくる当たりの二本目。それを裕香は再び身を屈めて取り出す。
裕香は良く冷えた二本の缶をそれぞれの手に、汗に濡れた前後に長い髪を振り払いながら再び背筋を伸ばす。
そして右の缶を左脇に挟み、しなやかな指を左手の缶のタブにかける。
カシュッと音を立てて開く缶。裕香は左脇に挟んだ缶を右手に持ち直す。すると解放された銀色の飲み口に口を付け、その中を満たす冷えたスポーツドリンクを煽るように喉へ流し込む。
冷えた液体がするりとその喉を抜ける度に、体に溜まった熱を内から冷やし、汗になって出て行った潤いが体を満たしてゆく。
「はあっ……おいしい」
缶を口から放し、大きく息を吐く裕香。そうして唇を濡れた舌で軽く撫でて湿り気を与える。
「裕香さん!」
「ん?」
不意に左手側から響く自身を呼ぶ声に、振り返る裕香。すると前髪の隙間を抜けて、子犬を連れた級友の姿が飛び込んでくる。
「愛さん」
艶やかな額を日の光に晒した愛。裕香がその名前を呼ぶと、愛は右手を振りながらリードで繋がった子犬と共に駆け寄ってくる。
「こんにちは。奇遇だね」
愛は裕香のすぐ前まで駆け寄ると、弾む息に乗せて挨拶する。裕香はそんな愛に唇を柔らかく緩めて頷く。
「うん。愛さんはこの子の散歩?」
「そうなの。アーノルドってば元気一杯で、引っ張られてきちゃった」
裕香の質問に、愛はオレンジ色にも似た明るい褐色の毛色を持つ新たな愛犬へ目を落とす。
「へえ、アーノルドくんって言うんだ?」
それに倣って裕香が顎を引いて視線を下げる。するとアーノルドは、艶のある黒い瞳で裕香を見上げて尻尾を勢いよく左右に振る。
「うん。他にもイギーやボリスなんて候補もあったんだけど、多数決で。お父さんは犬種を合わせたかった。って言ってたけど」
「そうなんだ。いい名前をつけてもらって良かったね、アーノルドくん?」
そう言って、アーノルドに微笑みかける裕香。それに応えるかのように、アーノルドは尻尾を振り回しながら一声鳴く。
「ところで、裕香さんは何してたの?」
愛から投げ掛けられる問い。それに裕香は、アーノルドに向けていた顔を上げる。
「私? 走ってトレーニングしてたところ。今は給水中」
そう言って裕香は、左手に持った青い缶を顔の横へ持ち上げて見せる。
「あ、そうだ」
そこで裕香は思い出したように右手を見る。そうして未開封の缶を握った右手を左手と入れ替える形で持ち上げる。
「当たりが出てもう一本あるから、愛さんも良かったら、どう?」
「いいの? でも裕香さんが当てたのに、もらっちゃったら悪い気が」
遠慮しがちに伸ばしかけた手を引っ込める愛。そんな友人の遠慮を、裕香は首を左右に振って退ける。
「いいの。こっちまで買ったわけじゃないし。これが嫌いじゃ無かったらもらって?」
言いながらジュースの缶を差し出す裕香。すると愛は微笑み、一度引いた手を再び伸ばす。
「じゃあ、貰うね。ありがとう」
愛の礼に頷いて、裕香は青い缶を手渡す。
愛は受け取った缶を音を立てて開け、飲み口に口をつける。それに倣って裕香も、左手に持った自分の分に口をつける。
ゆっくりと一つ一つ喉を鳴らして、缶の中身を流し込んでいく愛。そして不意に足元に目を向けると、膝を曲げてしゃがみ込み、右手を受け皿にドリンクを注ぐ。
「はい、アーノルドも」
そう言って愛は愛犬の鼻先に右掌を差し出す。それにアーノルドは鼻先を突っ込み、掌に乗った水分をなめとっていく。
裕香はそんな愛たちの様子を、前髪の奥から柔らかく細めた眼で眺める。それに気づいてか、愛が裕香の顔を振り仰いで首を傾げる。
「私の顔、何かついてる?」
裕香はジュースの缶から口を放すと、微笑みのまま首を横に振る。
「上手く行ってるみたいで良かったな。って思って」
裕香は落ち着いた声音でそう答えると、残り少なくなったスポーツドリンクを飲み干す。そうして缶を軽く振って空になったことを確かめると、それを自販機横のゴミ箱に入れる。
「そうだ、私も散歩に付いてっていい?」
裕香が振り向きながら同行の許可を求める。すると愛は缶に口をつけながら軽く顎を引く。
「うん。じゃあ行こうよ」
そして愛は空になった缶から口を放すと、膝を伸ばしてゴミ箱に空き缶を入れる。
空き缶の始末を終えて、歩き出す裕香達。
はしゃいで先へ先へと進むアーノルドを先頭に、裕香と愛は並び立って歩道を進む。
「ねえ、裕香さん」
「ん? なに?」
何本目かの電信柱を通り過ぎた所で、不意に愛が口を開く。
「昨日は本当にありがとう」
「え、どうしたの突然?」
愛からの礼に、裕香は戸惑いがちに聞き返す。すると愛は柔らかな笑顔を見せる。
「裕香さんのおかげで、こうしてアーノルドと一緒にいられるんだって思って。あのままだったら私、この子も犠牲にしてたから」
愛はそう言って、リードの先にある愛犬の後ろ姿に目を向ける。
裕香はそんな愛を横目で見ながら、前髪を触る。
「私はただ、放っておけないって思ってがむしゃらに戦っただけで、そんな大したことはしてないよ」
「でも、あの姿と力で私たちを助けてくれたのには変わりないでしょ?」
裕香の謙遜に首を傾げる愛。そんな愛の目に、裕香は前髪を弄りながら唇をもごつかせる。そして鼻先に触れるほどに長い前髪を僅かに避けて、それに隠された目を露わにする。
「そう言ってくれて嬉しい」
裕香は微笑みと共に、素直な思いを口に出す。それから前髪を避けたまま視線を一周巡らせると、笑みに苦みを滲ませて再び口を開く。
「ただ、あの姿と力……パンタシア達とのことは他には広めないで欲しいな」
そう裕香が頼むと、愛は目元を引き締めて頷く。
「うん……私だって、あんなことを他の人に話すつもりはないよ」
「うん、ありがとう」
愛から返ってきた了解の言葉に、裕香は長い前髪を戻して礼を言う。
「それはそれとして、裕香さんのあれって完全に小さな男の子向けのヒーローよね?」
「あ、あはは……そう? 隣りの男の子がああいうの好きで良く話してくれるの。それで力をイメージしろって言われた時にベースになっちゃったのかな?」
愛から笑顔と共に向けられた言葉。それに裕香は、前髪の奥で目を泳がせながら、誤魔化し笑いを浮かべてまくしたてる。
「へえ、そうなんだ。だから私たち位の女子らしくない姿だったんだ」
裕香はその愛の一言に、口を開く。だが半ばまで開いた口を結び、喉まで出かかった言葉を呑み込む。そして口元に笑みを作って改めて口を開く。
「そ、そう! そうなの!」
『ゴメンね、孝くん』
裕香は心中でここにはいない孝志郎に謝りながら、変身後の姿のことを誤魔化す。
そこから言葉なく進んでいく二人と一匹。そうして二歩、三歩と足を進め、さらに次の一歩を踏み出す。
「あれ?」
その足が地を踏むや否や、愛から疑問の声が上がる。
「どうしたの?」
裕香は友の声に足を止め、それに釣られる様に振り向く。
「こんなところに空き地なんて無いはずなのに」
愛の視線が指す先を、裕香は友人の頭越しに見やる。そこにはぽっかりと、奥行きのある長方形を描いた空き地があった。
「ここって、確か塾だったよね?」
「うん。ウチのクラスにも通ってる子がいる塾があったはずなのに……」
愛は確めるかたちの裕香の言葉に頷いて、空き地を眺める。
そんな二人の足元で、アーノルドが喉の奥から唸り声を絞り出す。
「アーノルド?」
唸り続ける愛犬へ、愛が視線を落とす。その瞬間、裕香の背筋を冷たい物が駆け抜ける。
「愛さんッ!!」
アーノルドを眺め続ける愛を、裕香は背中から覆い被さる形で押し倒す。
「ひゃっ!?」
直後、二人の頭上を何かがすり抜け、車道と歩道を遮るガードレールに風穴が開く。
伏せた姿勢のまま、穴の開いたガードレールを振り仰ぐ裕香。するとその右手中指を飾る指輪が光を放つ。
『ユウカ、聞こえるッ!? キミの近くにパンタシアの気配があるッ!!』
「丁度今、襲われてる所だよ」
ノードゥスを介してのルクスの警告。それに現在の状況を返しながら、裕香は前髪の奥で視線を巡らせる。だが、背筋を凍らせる様な気配とは裏腹に、その襲撃者の気配は形も影すらもない。