幻想の中へ~その2~
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青い空の下。降り注ぐ光を照り返す波をかき分け、広々とした海を進む白い浮き島。
船の様に海を行く島の上に腰掛けた、白いTシャツにホットパンツ姿の裕香。その長い黒髪は流れる潮風を正面から受けて後ろへ流れる様になびいている。
その左隣には黒いワンピース姿のいおりが同じように髪を風に揺らしながら腰掛け、またそれぞれの膝の上には各々のパートナーたちが収まっている。
風の流れるままに後ろを振り向けば、島から水面下に続く白く巨大な塊の先で、上下にしなる様にドルフィンキックで水を蹴る巨大な足が見える。
続いてぐるりと左右を見回せば、右側には青、左側には黒と、海面から顔を覗かせた鋭いヒレの主が島となったモビィ・ディックと並走する形で海面下を泳ぎ進んでいる。
「本当に、空の向こうはまた海と地面なのね」
そして真上に広がる空を見上げながら、裕香は感心の思いのままに言葉を口にする。
裕香の見つめる先にある、白い雲とその隙間に浮かぶ大小様々な浮き島。
その奥には裕香の言葉通りに、霞掛かってはいるものの、所々に緑や黒の輪郭を浮かべた空とは違う青があった。
「うむ。我も半身から話は聞いていたが……自分の目で見るとやはり違うな。水平線も無い光景など、我らの世界ではまず見られぬから新鮮であるな」
頷くいおりに続いて、正面に目を戻す裕香。そうして並び座る二人の見つめるはるか先では、緩やかに海面が坂を描き、その両端も微かに上昇している。
「幻想界、って言うだけはあるよね。不思議な所……」
すり鉢の底のにも似た不可思議な海原を眺めながら、裕香もいおりの感想に頷く。
『ま、アタシも真逆の形にゃあなるけどさ、その感覚は分かんなくもないさね』
『そうだね。ボクも物質界の事はあらかじめ勉強してたけど、初めて見た時は空の先に何もないのを見た時は驚いたよ』
周囲の景色を物珍しげに眺め続ける裕香といおりに対し、その膝の上でルクスとアムが尾を左右に振りつつ頷く。
『へぇ……あっちの海が空を包んでないって言うのは本当だったの』
するとそんな声と共に、裕香たちの左側の海面が盛り上がる。小さな津波の様な形になったその上では、シャチ女のフロウがまるで甲羅干しの様な姿勢で寝そべっている。
「うむ。ちょうど泡の内と外と考えてもらえば分かりよいか。泡の内側にあるのがこの幻想界で、泡の外に沿って暮らしているのが我々の世界、という形であるな」
膝を曲げる様に尾ヒレを持ち上げて前後に振るフロウ。いおりはそんなシャチ女を見やり、五本の指先を合わせる形で作った球を見せて説明する。
『なるほど、泡の内側と外側ね』
そのいおりの説明を聞いて、フロウは高波の上に頬杖を突きながら、空いた右手の指先に薄い水の幕でボールを作る。すると指先で揺らめくそれを頬杖の姿勢のまま眺めて微笑む。
『そんな海で泳ぐのも楽しそうよね。果てが見えない感じで……』
「泳ぐかぁ……海の話をしてたら、私も泳ぎたくなって来ちゃいました」
そんなフロウの言葉を聞いて、裕香はそう言いながら立ち上がる。そうしてルクスを右肩に乗せ、モビィが水上に覗かせた部位の端へと歩み寄る。
縁の部分にしゃがみ込み、波立つ水に指を触れる裕香。
「うん。水も冷たすぎないし、水着と余裕さえあれば今すぐにでも泳ぎたいな」
そして指に触れる水の感触に微笑みを浮かべる。
そんな裕香の言葉を聞き、フロウは微笑んで小首を傾げる。
『あら? 泳ぎには自信ありなのかしら?』
「はい。人間レベルでは、ですけど」
暗に「そっちの基準で見られても困る」と付け加えながらも、頷き答える裕香。
「ねえ、いおりさん。時期が来たら、みんなで海に行かない?」
そして後ろに座るいおりへ振り返って遊びの予定を振る。
「ああ……うむ。海、か。海、構わぬぞ」
歯切れ悪く了解の返事をするいおり。よくよく見ればモビィ・ディックの頭の中心近くに座り込んだまま、深く根を下ろした植物のように動こうとしない。
そんな親友の様子に、裕香は首を傾げる。
「? どうかしたの?」
するといおりは僅かに視線を逸らして口を開く。
「いや、その……我は泳ぐのはちと苦手でな……」
「そうなの!?」
いおりの口から飛び出した苦手宣言に、思わず目を剥く裕香。
するといおりは目を伏せたまま、ぎこちなく口元を吊り上げて頷く。
「う、む……潜水は出来なくもないのだが……というよりは、その、沈んでしまうから潜水しか出来ぬのだ……」
いおりはそこで一度言葉を切り、更にうなだれる。そして裕香とその背後に広がる海原に目をやりつつ、言葉を続ける。
「それ故に息継ぎが出来ず、それにどこまで沈むかも分からぬから、足のつかぬような深みへ行く事も出来ぬ」
そう言って再び目を伏せて、強張った笑みを浮かべ続けるいおり。そんな親友に裕香は歩み寄り、頬笑みを投げかける。
「じゃ、今度は私が教える番ね!」
裕香からの水泳指導の申し出。それにいおりは顔を上げて微笑む裕香の顔を見上げる。
「う、うむ。世話になるとしよう……よろしく頼むぞ、裕香」
「任せておいて!」
頷いて上目づかいに見上げながら尊大な調子で返すいおりに、裕香は微笑み、親指を立てて見せる。
『ちょっとユウカ、ボクらは遊びに幻想界まで来た訳じゃないんだから。少し気を抜きすぎじゃない?』
そんな他愛ない話に花を咲かせる契約者たちを見とがめて、ルクスが右肩から裕香を諫める。
「あ、うん。それもそうだね」
裕香はそれを受けて、前髪を摘みながらパートナーへ苦笑を向ける。
『ルクス、固いことは言いっこ無しさね』
だがそれを、逆にいおりの膝にいるアムが苦笑交じりに制する。
『でも、今のボクらには……』
『今のアタシらはモビィのおっさんに保護されてさ、落ちついて話のできる場所まで移動中じゃないのさ』
食い下がろうとするルクスに対し、きっぱりと細かい現状を突きつけるアム。そうして黒い翼を一度伸ばし畳みし、いおりの膝の上で寝そべって見せて続きの言葉を重ねる。
『今ピリピリ気を張ってたって何の得にもならないさ。むしろ、気を抜ける今の内に少しでも休んどくほうが正解ってもんさね』
『う、うぅん……それは、アムの言う通りかもしれないけど……』
契約者の膝の上でリラックスしながらのアムの主張。それにルクスは言葉を詰まらせながら、白い翼もろともに肩を落とす。
裕香はそんな右肩のパートナーに顔を向け、その背中を撫でる。
「気にしないでルーくん。ルーくんの心配も間違ってなんかいないから」
『ま、確かに。アタシらのやろうとしてる事からしたら、ルクスがやたらと気を入れるのも分からんわけじゃないさね』
そう言って裕香の言葉に頷き、尻尾を左右に振るアム。
すると不意に一同を乗せたモビィの頭がぐらつく。
「うっ!?」
「お……っと」
揺れる足場にびくりと身を強張らせるいおりと、ルクスを抑えつつ軽々とバランスをとる裕香。そんな一行を乗せたまま、白鯨は沈めていたその顔をあごまで水上へ浮上させる。
『お嬢ちゃんたちの事情はじっくり聞かせてもらうぞ。あの島でな』
そのモビィ・ディックの言葉に前を見る裕香たち。その正面にはモビィの言葉通りに、徐々に近づいてくる島があった。
そんな入り江が港の様に口を開けた島。一行の到着を待ち構えているかのようなそれを裕香たちが眺めていると、その下でモビィ・ディックが野太い声を重ねる。
『ともかく、落ち着いて到着まで待っているといい。海の事はわしらに任せなさい』
『なるほど、ラディウスの若造がな』
弧を描く砂浜に囲まれた入り江。その真ん中でモビィ・ディックの白い巨体が腕を組む。
この一ヶ月弱の間に起きた出来事を、ルクスたちがかいつまんで説明。その内容に幻想界の海を束ねる白鯨は、腕を組んだまま低い唸り声を漏らす。
『それで、こっちではその間どんな様子でしたか?』
砂浜に顔を出した程良い高さの岩に並んで腰かけた裕香といおり。その膝の上からルクスが目の前にそびえる白い山を見上げながら尋ねる。
『そっちも色々あったみてぇだが、こっちはヒデェもんだよ。海はもちろん山も干上がっちまって、誰も彼もろくに食えずのド貧民だ』
モビィ・ディックに先立つかたちで、水に下半身を沈めたサメ男が牙を剥いて不機嫌に吐き捨てる。
『エッジ、よさんか』
『ハッ! 他にどう言えってんだよ親方ァ。やんわり言った所で、こいつらも見たあのイカ野郎みてぇに、食い詰めた挙句に仲間をその食いぶちごと食う様な連中まで出てる現実はぁ……何も変わりゃしねぇだろうがよ!』
苛立つままに歯軋りするエッジをモビィが諌める。しかしエッジはそんな上司を睨み返し、水面を殴りつける。
『そ、そんな、そんなに酷い事になってんのかい!? アタシは確かに送ってたはずさ! その分はどうなってんのさ!?』
エッジの言葉を受けて、いおりの膝から身を乗り出すアム。だがそれに、エッジと同じく上半身を水上に出したフロウが首を横に振る。
『お嬢の話を疑うわけではないけれど……けど、そう言うものはまるで……むしろ、お嬢と坊ちゃんが旅立った頃から、一層食糧問題が進んだわね……』
『ああそうだな。話にあった程度の心の力が流れてきてりゃあ、あのイカ野郎も親方を裏切るまではやらなかっただろうぜ』
言い難そうに詰まらせながらも証言するシャチ女。それに同調する形で、エッジも鼻を鳴らして追い打ちをかける。
『そんな……それじゃ、アタシは何のために……』
エッジとフロウ、二人の証言に翼も尻尾も落として項垂れるアム。
「……半身よ」
肩を震わせ続けるアムと、その背中を撫でるいおり。
そんな二人の隣りから裕香がルクスを抱いて立ち上がる。
『ユウカ?』
「ちょっと、試してみたい事があるの。ルーくんは少し離れてて」
『わ、分かった』
裕香の言葉に頷き、その腕から羽ばたき飛び立つルクス。
「ありがとう」
裕香はそんなパートナーに一言礼を言い、海水側へ一歩進みでる。
「裕香、何をするつもりだ?」
「すぐに分かるから。まあ見ててよ」
アムを慰めながら尋ねるいおり。それに裕香は振り返って笑みを向ける。
そうしてモビィ達三人の浸かる入り江へ向き直ると、拳に固めた右手と開いた左手を胸の前に構えてもう一歩足を進める。
そして足元へ打ち寄せる波へ向かいながら、鋭い呼吸と共に構えた両手を打ち合わせる。
「飢えという絶望があるならッ!!」
両手の間にあった空気の破裂。それに伴って右中指の指輪に弾ける光。
そして裕香は輝きを灯した拳を振り被り、瓦を叩き割ろうとするかのように波に乗って足元へ伸びてきた海水を殴りつける。
拳を受けた水と共に爆発する、拳に漲るエネルギー。
翡翠色に輝くそれは波を押し返して海へ、そして風となって入江の奥に続く島へと広がって行く。
海と空、そして島の土へ広がり渡る裕香の心と命のエネルギー。
光輝くそれが駆け抜けた後。海には次々と光で出来た魚影や貝、海藻が生じ、島の内陸では植物がその枝葉を爆発的に茂らせ、実をたわわに実らせる。
『うおおッ!?』
『こ、これは!』
『凄い……! この島を中心にこんなにも!?』
様々な形を取って結晶化したエネルギー。それの放つ光に満たされた入り江の中で、驚き目を剥くモビィ達。
『イヤッハァ! メシだぁあ! 食糧がたっぷり溢れてきやがったぜぇッ!!』
そしてエッジは歓声を上げ、下まぶたから上がった瞬幕で眼球をガード。その勢いのまま手近な獲物を目がけて海中へ躍り込む。
『ちょ、ちょっとエッジ!?』
裕香が海中へ放ったエネルギーでにわかに豊かになった海中ではしゃぐサメ男と、それを咎めながらも唇を舐めて辺りを見回すシャチ女。
『おお……これほどの量が有れば……せめてこの数分の一でも流れてきてくれていれば……』
そしてまたモビィ・ディックも豊かに満たされた入り江の中に両手を浸し、そのつぶらな瞳から雫を一つ、二つと零す。
「やっぱり、そういうこと……」
そんなモビィ達の姿を眺めながら、裕香は戻ってきた波に濡れた右手を軽く払って立ち上がる。
「裕香、何か確信を得たのか?」
海を眺めて立つ親友の斜め後ろに歩み寄りながら尋ねるいおり。
裕香はその質問に振り返り、ルクスとアムを抱えた友に向かい合って頷く。
「ねえルーくん。ルーくんたち白竜族は、私たちの世界との門を管理してるんだよね」
自身のパートナーへ確認を取る裕香。それを受けてルクスは戸惑いながらも契約者の問いを首肯する。
『う、うん。それがボクら白竜の一族に任せられた使命だよ』
「その門って……心と命の力が流れてく門も入ってるの?」
ルクスの肯定を聞いて、裕香は更に問いを重ねる。それを受けて、ルクスは再び小さくあごを引く。
『……うん、そうだよ。往来を禁止する法が出来てからはそっちの管理が主な仕事……』
そこまで言ってルクスはその翠色に輝く目を見開いて裕香に向ける。
『……って、ちょっと待って! という事は、ボクら白竜族が幻想界の食糧問題の元凶ってことッ!?』
いおりの腕から身を乗り出すルクス。それに裕香は目を伏せて頷く。
「多分……ね。私が幻想種を殺したことで普通の流れに乗ったエネルギーもあって、アムが送った分もあるのに、増えるどころか減るなんて、絶対におかしいよ。私が今ここで出した分なんて、その何分の一にもならないのに……」
そう言って豊かに満たされた周囲をぐるりと眺める裕香。
「なるほど。幻想界へ力が流れ込んだ端から独占していた何者かが存在。それはエネルギーの入ってくる門を管理する白竜族、それも管理の任務を請け負っている者ということか……」
いおりは裕香の推測に頷いてその内容をまとめる。その内容に、いおりの腕の中でアムが弾かれたように顔を上げる。
『……ラディウス!!』
敵対する白竜族の長の名を叫び、白い歯を剥くアム。そして赤い双眸に怒りをたぎらせて唸る。
『アイツ! アタシらを戦わせてエネルギーの回収量を増やさせて、それを一人占めにしてやがったのさ!!』
そうしてアムはその目で地面を睨み、軋む歯の隙間から唸り声を零す。
『アタシは、アタシの願いは……全部あいつのいい様に転がされてたって事さね……ッ!!』
悔しさと怒りに悶えながら俯き唸るアム・ブラ。
「アム……」
それに裕香といおり、そしてルクスが揃って注目する。そこで不意に水音と共にエッジが海中から顔を出す。
『ま、結局全部は白竜族全体がだらしねぇから起こった事じゃねえかよ。族長の暴挙に気づきもしねぇでよ』
光で出来た魚を咥えたままそう言って、言い切ると同時にそれを噛み砕くサメ男。
『ボクら……白竜が……ボクは……』
そんなエッジの言葉を受けて、ルクスはその緑の目を固く閉じて項垂れる。
『止せエッジ。白坊を責めた所で何になる』
『へいへい。親方が言うなら仕方ねぇな』
太く低い声でエッジを諌めるモビィ。それにサメ男は軽く鼻を鳴らしながら、渋々と全身で主張しつつも矛を収める。
だがそれに、ルクスは目を伏せたまま顔を左右に振る。
『いいんです。兄弟として、同族として、ボクが受ける罰としては軽いくらいです』
そんなルクスの言葉を、エッジは繰り返しの鼻息で吹き飛ばす。
『へッ! 罰だのなんだのと、しけた面して堅苦しいこと吹いてんじゃねぇってんだよ、お坊ちゃんが』
『エッジッ!!』
『おぶ!?』
そこへ降り注ぐ滝の様な水流。叩きつけるようなそれを受けてサメ男は再び水中へとその身を沈める。
そうしてエッジを海中へ押し込んだシャチ女は、操る水流を止めて、裕香たちへ向き直る。
『このアホの言うことはともかくとして、何か手伝えることはないかしら? アタシたちは協力するわよ?』
「そんな、皆さんにこれ以上迷惑をかけるつもりは」
フロウからの協力の申し出に頭を振って遠慮する裕香。それにいおりに抱かれたアムが頷き続く。
『裕香の言う通りさ。モビィのおっさん達を、これ以上アタシ達の戦いにゃ巻き込みたくない』
「うむ、すでに十二分に世話になってしまったからな」
『光の神殿には、ボクたちだけで行きます』
そう言ってアムが協力を断る。そしてその契約者であるいおりも、白竜のルクスもアムに倣って頷く。
だがそんな一行の意見に、モビィ・ディックとフロウは揃ってため息混じりに首を左右に振る。
『何言ってるのよ。ここまで協力したんだから、ここで別れたところで、アタシ達はとっくにアナタ達の一味扱いよ』
そう言って笑うフロウ。それに続いて、浮かび上がったエッジも腕組み頷く。
『ま、刺客ぐらいは寄越されてもおかしくねえよな』
そしてモビィ・ディックも首を縦に振って、柔らかな視線を裕香達へ振りかける。
『その通り。そして、これは幻想界に生きる者として、決して無関係と言える戦いではない。故郷のため、共に戦う同志として迎えてもらいたい』
モビィ・ディックは太く、しかし柔らかな声で告げながら、その巨大な掌を裕香達へ差し出す。
まるで握手を求めるように出されたそれと、モビィ・ディック達を見比べる裕香一行。
そして二対の幻想種とその契約者同士で顔を見合せ揃って頷く。すると裕香が一行を代表して前に進み出、差し出された白く巨大な手に、自身の手を重ねる。
「分かりました。私たちと一緒に戦って下さい」
『もちろんだとも。竜の契約者にして幻想の友よ。わしの束ねる海の民は喜んで君たちの力になろう』
握手と呼ぶには余りにもサイズ比の違う二人の手の交差。ゆっくりと、微かに重ねた手を上下させ、そして裕香が手を引いたのに続いて、モビィ・ディックも手を下げる。
『ったくよ。最初っからそうやって素直に、お願いしますって言やあ良かったんだ』
『アンタはどうしてそう口が悪くて一言多いのかしらね』
それを見て、腕組みのまま牙を見せて笑い飛ばすエッジ。するとフロウは肩を軽く上下させて、呆れたと仕草でも語る。
そんなサメとシャチのやり取りに、裕香は笑みを零す。そうして天に輝く光の塊を、翳した手と指に透かして見上げる。
「それでルーくん。あの太陽がルーくんも住んでた場所で、ラディウスが居るところなんだよね?」
太陽からパートナーへ視線を移して、確かめるように尋ねる裕香。するとルクスはいおりの腕から飛び立ちながら頷き答える。
『うん。あれが時と門を司る幻想界の中心。あの光の神殿以外では、門をきちんと操作することが出来ないから、あそこにいるのは間違いないよ』
はっきりとした声音で答えるルクス。それに続いてモビィもまた天高く輝く光の塊を仰ぎ見る。
『ふむ。光の神殿ならば……』
「モビィ殿。なにか良い手が……?」
腕を組み天を見上げるモビィ・ディックの巨体。それを見上げていおりが尋ねる。すると巨大な白鯨は首と一体化した顎を右手でさすりつつ頷く。
『おお、使える道は思いついた。だが恐らく、隠密穏便に……とはいかんだろうがね』
『確かにね……強行突破しかない、ってことさね』
そのモビィ・ディックの言葉を聞いて、アムが表情を強張らせる。
『なに、心配する事はねぇよ。その為の俺達だ』
だがそこへ、エッジが親指で自身の鋭い顔を指しながら割り込む。そしてさらに、腰に手を当てたフロウも首を突っ込む。
『アンタは気に食わない連中相手に暴れたいだけでしょ?』
『ああそうさ! 邪魔しに出てきた連中は残らずブッ潰す! 前々からあの野郎ども相手に思いっきり暴れてやりてぇと思ってたんだ……へへ』
荒々しい言葉を吐き出しながら口の端を吊り上げて笑うエッジ。それに対してフロウはため息交じりの苦笑いを浮かべる。
モビィはそんな緊張感のない部下二人を見下ろして、頭の天辺から軽く潮吹き。そして裕香たちへ視線を戻す。
『まあ、そう言うわけだ。強行突入にはなるが、わしらに任せておいてくれ』
「はい! 頼らせてもらいます」
そう言って、丸々とした腹を叩くモビィ・ディック。
重く低い腹鼓を響かせるその巨体に、裕香は唇を柔らかく緩めて頷く。
『それで、どんなルートを使うんですか?』
その一方でルクスが羽ばたき身を乗り出して尋ねる。するとモビィ・ディックは左手をふっくらとした脇腹に添え、右の親指で後ろの海を指す。
『忘れたか白坊? わしら海の者が光の神殿へ向かうと言えば、これしかあるまい』
その指が示す先で渦巻き逆立つ海。大量の海水は寄り集まる様にして太く巨大な塔を作り、天へと伸びていく。
『そうか、大洋の御柱……これを昇れば、ここからでも神殿に辿りつける!』
光の塊へと真直ぐに伸びている海水の塔を仰ぎ、前足の肉球を合わせるルクス。
そこへモビィ・ディックはその巨大な掌を差し出す。
『では行くとしようか。皆、またわしの上に乗りなさい』
「うむ」
「お願いします」
促されたままに差し出された掌へ昇る裕香達。
『よしよし……乗り心地までには気が回らんだろうから、振り落とされんでくれよ?』
竜とその契約者が二対手に乗った事を確かめて、モビィディックはその手の上に柔らかな声を投げ掛ける。
その白鯨の言葉に続いて、裕香たちの乗った手がゆっくりと持ちあがり、モビィ・ディックの頭上へと昇る。すると裕香たちは太い指伝いに丸くつるりとした頭の上へと乗り移る。
「乗りました、モビィ・ディックさん」
「こちらの準備は問題ない」
白鯨の頭に並んで座り、尻の下のモビィ・ディックへ合図する裕香といおり。
『おお。では動くぞ』
そんな低く太い声での合図が返ってくるのに続き、白い巨体が揺れて動き出す。
モビィ・ディックは、ゆっくりと回れ右に百八十度回頭。そうして逆立つ渦潮の塔を正面に捉え、重い水音と共に輝く入り江の外へと進んでいく。
一歩一歩と水を蹴って沖へ進む毎に、その白い巨体は海中へと沈んでいく。そして頭だけを海面から覗かせて、広い海原を大洋の御柱目指して進み始める。
海原を行く白鯨の頭上。そこから裕香たちは、正面に聳える水の塔を見上げる。
まるで漏斗を逆立ちにさせたように広がった土台部分に支えられて、寄り合わさった海流が天を刺そうとするように真っ直ぐに伸びている。
「すごいよね、これ」
高く、高くへと伸びる水柱を見上げたまま、裕香はただ率直な感嘆の声を零す。
「うむ、これは凄まじいな。幻想界、驚かせてくれる」
そんな裕香と同じく水の塔を見上げ、同感だと頷くいおり。
『いやいや、ここはまだ驚くには早いさね。な、ルクス?』
『はは、そうだね』
「どういうこと?」
「何が起こるというのだ?」
『びっくりするのは間違いないよ』
『とても、凄まじいものさ』
アムとルクスも加わってのやり取りの間に、大洋の御柱との距離は徐々に詰まって行く。そしてそれに伴って、柱はその大きさを増してく。だが十分なサイズに達したように見えても、まだ距離は十分に詰まっておらず、山裾を作る渦潮に触れてすらいない。
「いや、待て裕香……この水柱、サイズがおかしくはないか?」
「う、うん……そう、だよね?」
『さて、いよいよさね』
『そうだね、アム』
更に御柱との距離が縮まるにつれて、その柱の太さが増し、土台部分の逆立つ渦もまた、見上げるほどに高まる。
その接近による拡大はまるで勢いを緩めず、渦山のふもとへかかる事には、一目では全容が捉えられなくなるほどにまで膨らむ。
『おお、おお、相変わらず豪快なもんさね』
「な、何だこれはッ!? こんな巨大なものを昇ると言うのかッ!?」
盛り上がって巨山を成した海流。それを楽しげに眺めるアムに対して、目を剥き叫ぶいおり。その横では裕香も小さく口を開けて塔の土台を見上げている。
『当然だろう? わしが神殿行きに使うものだぞ』
しかしそれにモビィ・ディックは、スイカはそのままでは食べられまい、とでもいう様にさも当たり前だといった調子で、空へと上昇する海流へ突っ込む。
「わ、と!?」
海流に乗って勢いを増したモビィ・ディック。渦の坂を滑るように昇るその巨体の上で、裕香は小さく声を上げながらも、素早くバランスを整える。
スピードの割に乱れの無い水流。重力に逆らった、あるいはまったく違う力や法則に則った上で生み出された流れに助けられながら、グングンと勢いを増して上昇するモビィ・ディック。
両脇の海面を切る背びれを見やりながら、裕香といおりは身を低く屈めて振り落とされぬよう重心を低く構える。
水飛沫の飛びはねる中、水の山を登りきる裕香たちを乗せた白い小島。
『むんッ!』
そして野太い気合の声と潮を一つ。水中から顔を出し、モビィですら十体揃っても抱えきれないほどに太い水柱へと取りつく。
「うわ!?」
「む、う!?」
そんなモビィ・ディックの人を乗せた上では初めての大きな動き。そのために生じた大きな揺れと大きく割れて跳ねた海水に、裕香といおりはたまらずに呻き、白鯨の頭皮に懸命にしがみつく。
そうして裕香たちがしがみつく中、水から顔を出した白い島は、渦を積み重ねて出来た水柱をその流れに沿って斜め上に、螺旋を描いて天を、そこに輝く光の塊を目指す。
水飛沫に煙る目指すべき光。だがそれを雫とは違ういくつもの小さな影が微かに遮っていた。




