吠える風、揺れる炎~その1~
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空間。上下左右の区別がつかず、揺らぎ一つない白い空間が広がっている。
その空間に不意に閃く稲妻にも似た閃光。
電光が駆け抜けた後、それに取り残される形で、白一色の空間に大小二つの黒が浮かぶ。
『う、うう……』
「ここ、は?」
揃ってまぶたを震わせて、目を開くアムとシャルロッテ。顔を上げた一組の黒は、それぞれにふわりと姿勢を整えて周囲を見回す。
「なんだ、この白一色の場所は? 地に足がつかずに落ち着かないが、息は出来るか。しかし、何処を見ても果てが無いぞ?」
半身と称する相棒と顔を見合わせ、黒赤二色の目を左右に走らせるシャルロッテ。それにアムは鼻をひくつかせて顔を顰める。
『この漂う胸糞悪い臭い……間違いないさね。ここは、アイツのッ!!』
歯を剥き、白い空の一点を睨むアム。その鋭い目の先で、再度雷光が閃く。
『察しの通りだ。黒竜アム・ブラ。ここは私が物質と幻想の狭間に作り上げた空間。今回は私用のために契約者共々招待させてもらったぞ』
雷鳴が尾を引く中、空に現れた円を描く文字列から声が響く。
魔法陣から響く声に揃って身構えるシャルロッテとアム。
「あいにくと、こちらは貴様からの用事など知った事ではない! さっさと帰してもらうぞ!」
『そういうことさね。今日は特に、アンタの虫唾の走る声なんか聞きたくないのさ!』
魔法陣からの声を、揃ってバッサリと切り捨てる一対の黒。だが二人からつれなく袖にされたにも関わらず、声の主は魔法陣の向こうで笑みを零す。
『フフフ……威勢のいい事だ。それならば、私も勝手に話させてもらおう。嫌だと言うなら自分で帰り道をこじ開けて見せるがいい』
余裕を匂わせてそう言い放つ声の主。それにシャルロッテは険しく眉を顰める。
「その胸を貸してやろうという態度が気に入らぬ! 後悔するでないぞッ!!」
シャルロッテは苛立ちのままに叫び、鉤爪を備えた左手から火炎を放つ。空中の魔法陣へ螺旋を描いて奔る炎。その炎の奔流は、一方的にこの空間へ招き入れたものと、この場を繋ぐ魔法陣を真直ぐに呑みこむ。
走り抜け、白い虚空に消える炎。だがその直後。雷鳴が二人の背後で轟く。
『どうした? その程度か? 黒竜族との契約者ともあろうものが、情けないものだ』
「なッ!?」
『チッ!』
背後からの雷鳴と、それに続く声に弾かれたように振り返るシャルロッテとアム。そして光で描かれた魔法陣へシャルロッテは左手から、アムは口から、それぞれ振り向きざまに火炎を放つ。
『まあ威力だけは流石だよ。竜族の契約者に恥じない十分な力だ。そう、威力だけはな』
だがまたも雷鳴が背後に鳴り響き、余裕を山盛りに盛り付けた様な声が続く。
「クッ!?」
左手に炎を握り、歯噛みしながら振り返るシャルロッテ。
『しかし、それだけでは私を捉えることはできない……』
だがシャルロッテが握った炎を放つよりも早く、またも背後から声が響く。
『言ったはずだ。ここは私が作った空間。私の支配する場所……』
そしてさらに頭上から降り注ぐ声が重なる。
『当てられるわけがない。届くわけがない。何をしようと無意味だ』
「な、な……!?」
四方八方から投げ掛けられ、重なり合う声。シャルロッテは自身を取り囲む、声の出所となる数多の魔法陣を見回し、絶句。
だがシャルロッテは愛用の炎の杖、ザータン・フォイアーを握り締めると、真後ろの魔法陣へ振り返る。
「だからと言って! 貴様なぞの思惑通りにィッ!!」
叫び、振り向きざまに突き出した杖を魔法陣へぶつけるシャルロッテ。石突と魔法陣の接点で火花が弾け、激しく瞬く光がシャルロッテの顔を照らす。
「う!? ぐぅ!」
『ハハハハハ、やればできるじゃあないか。だが、な!』
火花を散らす魔法陣へ得物を捻じ込むシャルロッテ。しかしこの白い空間の主はそれを笑い飛ばし、魔法陣から雷撃を放つ。
「ああうッ!?」
全身を駆け巡る雷撃に体をひくつかせるシャルロッテ。そのままぷかりと仰向けに虚空へ浮かび、変身が解けて黒髪の少女いおりの姿に戻る。
『いおりッ!?』
その場に力なく浮き続けるいおり。アムは黒い翼をはばたかせてその側へ寄り、相棒の名を呼ぶ。
その一方で周囲を取り囲んでいた魔法陣が一斉に雷光となって散り、杖の突きを受け止めた一つだけになる。
『フフ、さて大人しく聞いてくれるつもりになったところで、本題に入らせてもらおうか』
魔法陣の向こうで含み笑いを零す声の主。それをアムはパートナーの傍から睨みつける。
『先程のはどういうつもりだ? 苦戦するお前たちに代わって、白竜の契約者を倒してやろうとしていたというのに? あと一歩と言う所で、何故邪魔をした?』
さっきまでの余裕を匂わせた声色とは違う、抑えた声での問い。それにアムは息を呑みながらもその眼光を緩めずに魔法陣を睨み返す。
『ハン! アンタのあのやり口が気に入らないからさ! 相手の弱みを握って一方的になんて外道のやる事さッ!』
声の主に噛みつくアム。だが声の主はまるで動じた様子もなく、低い声で言葉を返す。
『だが確実かつ有効で合理的な手段だ。それに、他者の心と命を搾取しているお前が、今さら綺麗汚いを口にするのか?』
『ぐ、う……』
魔法陣の向こうからの指摘に言葉を詰まらせるアム。そこへ声の主は言葉を続ける。
『お前が心の力を得なければ同胞たちがどうなるか、忘れたわけではあるまい? そのためにも少ない犠牲で確実に、障害を排除しようとしていたというのに……出る筈の無かった犠牲まで出す様な失態を。この責任の重さ、どう考える?』
魔法陣からの追及に、アムは返す言葉もなくただ押し黙る。
「……くっ、黙って聞いていれば、好き放題に言ってくれる!」
『いおり!?』
『ほう?』
アムが悔しげに歯噛みし、目を伏せる中、仰向けのいおりからかすれた声が上がる。赤い目を輝かせて振り返るアムの前で、いおりは歯を食いしばりながら上体を起こす。
「言われずとも、ウィンダイナとの決着は私が自分の手でつける! 手出しなど不要だ! 貴様はそこで黙って高みの見物でもしていろ!」
痺れの残る体に鞭打ちながら叫び、魔法陣とその向こうへ射抜くような眼光を向けるいおり。
『大きな口を叩くものだが、あの様に塞ぎ込んでいたお前が、本当に出来るのか?』
しかしその眼光に怯んだ様子も無く、魔法陣の向こうから探るような問いが投げ掛けられる。
それにいおりは体を魔法陣に真っ向から対峙する形に立てる。
「愚問! ウィンダイナとの決着は我のものだ。他の誰にも渡しはしない!」
左腕で空を薙ぎ、いおりが叫ぶ。それに魔法陣の主はすぐに言葉を返さずに沈黙。
静寂に揺らぎ一つ無く止まる白い空間。
『ふむ。そこまで言うからには、任せてみるとしよう』
静寂を破って言い渡される黙考の結果。
『しかし』
直後、魔法陣が稲光へと変わり迸る。
『ああうッ!?』
『白竜の契約者を倒さねば、アム・ブラの安全は保証しない』
『アムッ!? おのれェッ!?』
小さな魔法陣を上に乗せた、電撃の檻に囚われたアム。その姿にいおりは激情のまま炎を灯した左拳を、パートナーを捕らえる雷にぶつける。
「あぐッ!?」
だが激突と同時に火花が爆ぜ、炎の拳が弾き返される。火傷を負い、煙の燻る左拳。それに火炎を模した回復魔法を被せて、いおりはアムを捕らえる檻を睨む。
『全くもって、考え無しの人間よ』
ため息を交えて呟く空間の主。それにいおりは傷焼きの炎を纏った拳を再度振りかぶる。
『無駄だ。試すのはお前の勝手だが、次は左手が吹き飛ぶかもしれんぞ?』
「クッ!」
空間の主からの警告に、いおりは歯噛みしながら構えた拳を下ろす。
『その闘志は白竜の契約者にぶつけることだな。もし明日中に倒すことができなければ、アム・ブラには私の考案したシステムの一部となってもらう』
「なんだと!? しかも明日中に!?」
空間の主からの言葉に、詰め寄るいおり。対してアムを捕らえる檻からは冷めた言葉が返される。
『だらだらと遊ばれて引き延ばされては堪らないのでな。一日の猶予を与えただけでも感謝して欲しいところだ』
「む、うう……」
魔法陣の向こうからの声に歯軋りするいおり。その一方で雷の檻の中にいるアムが苦しげに片目を開く。
『い、いおり……アタシの事は……』
『お前は黙っていろ』
『ぎゃッ!?』
「アム!? ク……ッ!?」
口を開きかけたアムを貫く雷光。いおりは痙攣するパートナーの名を呼び、それを害した檻を睨む。
『さあ、どうする? 私が譲歩できるのはこれが限界だ。この条件を呑むのか? 呑まないのか?』
雷に縛られたアムを盾に、空間の主はいおりへ決断を迫る。いおりはそれに下唇を噛み、左拳とそれを包み込む右手を、白く血の気が引くまで握りしめる。
「……いいだろう、貴様がどの様に手を回そうと、ウィンダイナとの決着は我が手で付ける!! 我が半身も必ず貴様から奪い返す! 必ずだッ!!」
いおりは左腕を振り払い、荒々しい声音で白い空間へ宣言する。
『フフフ……嫌われたものだ。奪い返して見せるがいい。出来るものならばな』
あくまでも溢れ出る余裕を匂わせて返す声の主。いおりはそれに険しく眉根を寄せ、歯を軋むほどに噛み締める。
『では、行ってきたまえ。吉報を期待しているぞ?』
そして空間の主がそう言い放つとともに、いおりの体を太い雷光が包む。
「うっ!?」
その眩しさに左腕を翳して顔を隠すいおり。
やがていおりは顔を隠す腕をどけ、両目を恐る恐ると言った様子で開く。
その両目に飛び込んできたのは果ての見えない白い空間ではなく、夕暮れ時の街並みであった。
「アム!? アムは……ッ!?」
いおりは頭を振って視線を巡らし、傍に捕らわれていたはずのパートナーの姿を探す。だが、雷光の檻に捕らわれていたアムの姿はどこにもない。
「……アムと裕香、どちらかを切り捨てろと言うのか……」
捕らわれたアムと、すぐにでも決着を要求された裕香の事を思い、いおりは崩れる様にその場に膝を突く。
「おのれッ!!」
いおりは苦々しく叫び、左手を地面へ叩きつける。そして叩きつけた左手を固く握りしめると、膝を伸ばして立ち上がり、先へ伸びる歩道を進み始める。
藍色に染まりゆく空。夜へ変わりゆくその下で、裕香と孝志郎と愛の三人は歩道を脇目も振らずに進んで行く。
激戦の後の小学校の屋内に、気を失った契約者三人を適当に介抱して置いてきた一行は、怪我をしたルクスを指輪を介して送還した上で、いおりの家のある集合住宅区へと向かっていた。
「ねえ、裕ねえ。 本当に大丈夫なの?」
「思い切り痛めつけられたんでしょ? もう少し休んでた方がいいんじゃない?」
左隣と後ろから覗きこみながら投げ掛けられる心配そうな声。裕香は二方向からのそれに、交互に頷き返す。
「私なら大丈夫。それに今は傷の事より、いおりさんときちんと話しておきたいから」
そう言って裕香は再び正面に顔を戻し、大室家を含んだ集合住宅へ続く道を正面に見据える。
そんな裕香に、孝志郎は心配そうな顔を収めぬままに問いを投げ掛ける。
「裕ねえ、なんで急にシャル様と? 無理してまで何話すの?」
その幼馴染からの質問を受けて、裕香は自分がミスを犯した事に気付き、頬を強張らせる。その後ろで愛もまた孝志郎の疑問に頷く。
「そう言えばそうよね。大室さんはあの場にいなかったのに」
孝志郎に続き、愛からも上がる疑問の声。それに裕香の強張った頬を、一筋の汗が伝い流れる。妙に冷たい一滴が流れる中、道を行く足を止める裕香。
立ち止まる裕香を追い越す孝志郎と愛。二人は裕香のすぐ前で立ち止まると、揃って振り返り、裕香と向かい合う。
「裕ねえ」
「ゆ、裕香さん。話しにくいことなら別に後でも……」
唇を結び、目を伏せる裕香の顔に気づかうような声をかける二人。
疑問を取り下げようとする愛に対し、裕香は首を左右に振る。
「ありがとう。でも、ちゃんと話すから」
裕香は顔を上げて二人に微笑みを返すと、気持ちを整えようと、息を深く吸って、吐く。そうして宣言した通り話を切り出そうと口を開く。
「実は、さっきは私とルーくんだけで切り抜けたんじゃなくて、いおりさんに、助けられたの」
「へえ、大室さんに……って、パンタシアとの戦いで!?」
「それってつまり、シャル様が……」
裕香の切り出した話を聞き、身を乗り出す愛と、神妙な顔で裕香の顔を窺う孝志郎。
「そう。孝くんの考えてる通り。いおりさんは……」
「その先を語る必要はないッ!」
そんな二人に頷き、続きを語ろうとする裕香。だがその言葉を遮って響く鋭い声。
「えっ?」
「まさか……!?」
不意に割って入った声に振り向く愛と孝志郎。その二人の体を避けて、裕香も声の主の姿を覗く。
「いおり、さん」
そこには黒いパジャマ姿で、歩道を塞ぐいおりの姿があった。
対峙する両者の間を吹き抜ける風。髪や衣服の裾が揺れる中、いおりは左耳を飾るイヤリングを揺らしながら裕香たち一行へ歩み寄る。
「我が身を変じよ、黒の炎……アウラ・シュバルツ・フランメ」
歩を進めながら詠唱するいおり。そして左手の指でイヤリングを弾く。甲高い音を響かせ、黒い炎を噴き出すイヤリング。炎は渦を巻いていおりの体に巻き付き、包み込む。
「こ、これは……」
震える声で呟く愛。その間に黒い炎の塊となったいおりは一行へ歩を進めながら、その身を包む炎を左腕で薙ぎ払う。
炎の繭を破り現れる、紅のマントを纏った魔女。真直ぐに流れる長い黒髪。その上を飾る、竜の顔を模した金色の冠。顔の両脇からは黒い巻き角が弧を描いて前に伸び、黒いボディスーツに覆われた四肢の先は金色の防具で覆われている。
脱ぎ捨てた黒炎を風に散らしながら、魔女は黒い右目と深紅の左目で裕香たちを見据える。
「そんな、その姿……大室さんが、私とパンタシアを契約させた、あの人!?」
「裕ねえが何度も戦ってきた、敵……!?」
いおりの変身した魔女の姿を見て、かすれた声をもらす愛と孝志郎。シャルロッテはその二人の声が聞こえていないかのように、裕香に向かって歩いていく。
「さあ、決着をつけようぞ。我が宿敵、ウィンダイナよ」
左腕を隠したマントをはね上げ、鉤爪を備えた左手を裕香へ向けるシャルロッテ。
「止めていおりさん! さっきは私たちを助けてくれたのに、いきなりどうして!?」
向けられた金色の爪に、首を左右に振る裕香。そうして長い前髪の隙間から、目に涙を溜めて歪めた顔を覗かせる。するとシャルロッテもまた下唇を噛み締めて眉根を寄せる。
「……ッ! 先程も言ったように、貴公との決着を邪魔されたくなかったまでの事! 邪魔の入らぬ今ならば、戦わぬ理由は、ない!」
下げかけた左腕で空を薙ぎ払い、叫ぶシャルロッテ。だが裕香はそれに繰り返し首を横に振る。
「でも、私はいおりさんと戦いたくはない! どうにか、戦う以外の方法で解決したい!!」
「そうよ、大室さん! 話し合って、何か別の方法を探そう!?」
「シャル様と裕ねえが戦うなんて俺も嫌だよ!」
裕香を始めとして、口々に戦いを拒否する三人。それにシャルロッテは目元を歪めて歯噛みする。
「……私だって、裕香と、戦いたくなんか……」
俯き、呟きを零すシャルロッテ。
「いおりさん……?」
そんな苦しげなシャルロッテへ、裕香は手を伸ばす。だがシャルロッテは伸ばされる手を前に、緩くV字を描く赤いバイザーを装着。左腕を振りかぶって顔を上げる。
それに裕香は息を呑み、孝志郎と愛二人を抱えて歩道の左隅に身を寄せる。直後、半ば倒れるようなる裕香を掠めて黄金の爪が通り過ぎ、それに切り裂かれた裕香の黒髪が数本、風に乗って散る。
「孝くん、愛さん、怪我はない!?」
「俺は平気だよ」
「わ、私も」
裕香は二人の安否を確かめ頷くと、孝志郎たちを庇うようにして、通り抜けたシャルロッテへ振り返る。
その裕香の見る先で、シャルロッテも紅のマントを翻して振り返り、左の黄金の爪を突きだし構える。
「いおりさん、お願いやめて!? 私はいおりさんと戦いたくなんてない! いおりさんを傷つけたくないの!」
構えるシャルロッテへ叫ぶ裕香。しかしバイザーを付けたシャルロッテは唇を僅かに震わせると、固く口元と構えを引き締める。
「たとえここにいる誰もが望んでいなくとも、我等は戦う宿命にあるのだ!」
シャルロッテは己を奮い立たせるように声を上げて踏み込み、右の拳を繰り出す。
「うっ!?」
迫る金色の拳。それを裕香は身を捩って回避。そこからさらに間を置かず、大きくバックステップ。孝志郎と愛を巻き込まないように二人から距離をとる。
「逃がさんッ!!」
後ろえ跳び退く裕香を、右手の拳を構えて追うシャルロッテ。
地面を踏んだ瞬間を狙って迫る拳。それを裕香は上体を傾けて回避。つづけて繰り出される右のフックを掻い潜り、更に続く右拳の突きを左半身を引いてかわす。だが、すぐさま繰り出された立て続けの拳が、裕香のとっさに作った腕の盾を打ち、防御もろともその体を後ろへと吹き飛ばす。
「う、ぐ!?」
腕を貫く痛みに呻く裕香。だが重い痺れに眉をしかめながらも、吹き飛ばされた衝撃を利用して更に後ろへ跳ぶ。
シャルロッテは離れる裕香を追い、右半身を前にしたフェンシングにも似た体勢で踏み込む。
そしてシャルロッテは踏み込みながら、フェンシングの突きさながらに連続で右の拳を繰り出す。
「く、ぐぅ!」
絶え間なく繰り出される金色の拳の連撃。それを裕香はバックステップを繰り返しながら、上体を左右に振り、平手で拳を逸らしながら避けていく。
「どうした宿敵! 何故変身しないッ!?」
拳を繰り返し繰り出しながら問うシャルロッテ。それに裕香は右手の甲で拳を逸らしながら左へ体を振り、すぐさま右へ切り返して続く一撃を避けながら叫び返す。
「変身なんて、いおりさんが相手だって分かってるのに変身なんてできないよッ!」
撃ちだされる拳を潜りながら、変身を拒絶する裕香。それにシャルロッテは唇を噛み、引いた拳を止めて硬く握りしめる。
「……戦わなければ、このまま死ぬことになるぞッ!!」
声を張り上げ、大振りの拳を振るうシャルロッテ。それを裕香は大きく身を引いてかわし、立て続けにバックステップ。追撃の裏拳から逃れる。
「変身しろ! 我と戦えウィンダイナッ! そして決着をッ!!」
踏み込みながら、ひたすらに戦いによる決着を求め、一声ごとに拳を振るうシャルロッテ。
「いや! 私は、いおりさんとは戦わない! 戦えない!」
「ッ! 今の我は深魔帝国皇女、シャルロッテ・エアオーベルング・神薙ッ!! 大室いおりでは……いおりではない! いおりだなどと思うなぁッ!!」
迫る拳を捌きながら、裕香は首を左右に振る。それにシャルロッテは叫び、裕香へ踏み込み様の拳を撃ち込む。
「あぐっ!?」
裕香はとっさに左腕を迫る拳との間に差し込み、自分から後ろへ跳ぶ。だが腕を撃つ衝撃は裕香の全身を貫いて、その身を大きく吹き飛ばす。そして背中から壁に激突。辛うじて受身を取って後頭部を庇いながらも、その場に膝を突く。直後、その左頬を金色の拳が掠め、背後の壁を轟音と共に揺らす。
「うう……いおり、さん」
痺れの残る左腕を庇いながら、顔を上げる裕香。その視線の先でシャルロッテは下唇を噛み締める。
「……ッ! まだ言うか! どうしても、どうしても戦えぬというのならッ!!」
頭を振り、拳を振り上げるシャルロッテ。その拳に裕香は息を呑み、後退って壁に背中を当てる。
振り下ろされようとする拳。だがその瞬間、裕香の右手が光り輝き、眩い光が周囲を埋め尽くす。
「う、ぬッ!?」
『ユウカッ! 何やってるんだ!?』
溢れた光に堪らず後ろへ退がり、繰り出し掛けた拳を引いて目をかばうシャルロッテ。その隙に裕香の指輪からルクスが飛び出す。
「ルーくん」
現れた相棒の名を呼ぶ裕香。そうして壁を支えに立ち上がる裕香に、ルクスは翼を大きく動かして振り返る。
『事情は聞いてたけど、やられるのをただ待つだけなんて絶対ダメだ! どうしても無理なら、ボクがルクシオンで……』
そう言ってルクスは低く唸りながら、シャルロッテを睨む。まだ光に眩んだ目を右手で押さえるシャルロッテへ身構えると、翼を大きく上下させて、その身に光を纏う。
「ルーくんダメ!?」
だが裕香は、シャルロッテへ攻撃を仕掛けようとするルクスを、後ろから尻尾を掴んで引き留める。
『う!? ゆ、ユウカ。どうして!?』
振り向き、半ば責めるような調子で問うルクス。裕香はそんなパートナーの尻尾を握る手を放し、足を摺るように運んでシャルロッテとの間に入る。
「いおりさんを傷つけないで、お願い」
『でもユウカ! こいつは禁を侵したアムの契約者で、心の力を吸い上げるために人々を弄ぶ片棒を担いだ倒すべき敵なんだよ!?』
攻撃を止めるように願う裕香。それにルクスは裕香の顔の真横に並んで浮き、シャルロッテを指して主張する。すると裕香は、傍らに飛ぶパートナーを前髪の隙間から見据えて口を開く。
「それでも、私にとってはかけがえのない友達でもあるの」
真っ直ぐな視線と共に放たれる低く抑えた声。ルクスは相棒からのそれに、わずかに身を引く。そしてシャルロッテもまたその言葉にピクリと身を震わせる。
だがルクスはすぐに引いた体を戻し、シャルロッテを見やりながら口を開く。
『けど、こいつとは何度も戦って、ユウカが傷つくだけじゃなく、コウシローにメグミ、色んな人たちが危ない目に会わせられたじゃないか。友達ならなおさら止めなくちゃ』
抑えた声音で言い聞かせるように語りかけるルクス。
それに裕香はパートナーへ向けた目を動かさずに言葉を返す。
「だからこそ、傷つけ合うのは終わらせたいの。ルーくんだって、本当はアムと戦いたくなんてないんでしょ?」
『そ、それは……』
裕香からの問いに、言葉を詰まらせるルクス。
「……友か、こんな我を、まだ友と呼ぶか」
そこへ不意に上がる呟き。それに裕香とルクスは揃ってシャルロッテに目を向ける。するとそこには、右手を顔から離して佇む黒い魔女の姿があった。
「そうだよ、いおりさん。だから、戦わずに解決する方法を探そうよ?」
黒い唇の端を微かに吊り上げるシャルロッテ。裕香はそれに、微笑みと共に右手を伸ばす。
握手を求めて手を伸ばしながら、一歩、二歩と裕香は歩み寄る。
だが三歩目が地面を踏んだ瞬間、シャルロッテは身に纏った紅のマントを靡かせて一歩後ろに下がる。
「だが、我にその資格はない」
「え?」
呆けた声を溢す裕香。その胸元へ金色が滑りこみ、スカーフの結び目ごとセーラー服の胸ぐらを掴む。
「く、ぐぅ」
『ユウカァッ!?』
呻く裕香と、そのパートナーの姿に叫ぶルクス。ルクスはその勢いのまま、シャルロッテへ飛び掛かろうとするものの、その鼻先に突きつけられた鉤爪の先に出鼻を挫かれる。
「その白竜の言い分こそもっともだ。未だに我を友と呼んでくれる裕香を、我は戦い倒す道を選んだ。我らはもはや、互いに倒すべき敵でしかない」
シャルロッテはそう言って掴んだ裕香の体を右手一本で吊り上げる。
「う、うぅ」
「さあ、変身するがいい。そして我と戦え! 闘争の果てに我ら二人の宿命に幕を引こうぞ!!」
苦悶に呻く裕香。それを見上げ、シャルロッテは変身、そして決闘を求める。
それに裕香は吊り上げられたまま、自身の胸ぐらを掴む金色の籠手を両手で握る。
腕を掴み返す裕香の手を見て、口の端を持ち上げるシャルロッテ。
だが裕香は苦しげに顔を歪めながらも、バイザーに隠されたシャルロッテの目を見据えて口を開く。
「い、や、だ」
「何だと?」
裕香の口から漏れた言葉に、問い返すシャルロッテ。
「いや、だよ……いおりさんとなら、戦ったりしなくたって、大丈夫だって、分かりあえるって信じてるから……!」
絞り出すような声ながらも、微塵も眼光を緩めずに言い放つ裕香。それにシャルロッテは歯噛みする。
「くぅ、うぅわあああああッ!!」
半ば喚く様に叫び、裕香を吊り上げたまま壁へ踏み込むシャルロッテ。
「あぐッ!?」
『ユウカッ!?』
背中から再び壁に押し込まれ、苦悶の声を上げる裕香。シャルロッテはそんな裕香を更に壁へ押し込み、左手の爪を構える。
「何故だ! ここまでして、何故戦ってくれないッ!!」
「い、おりさん……?」
嘆き叫ぶシャルロッテ。それに重なって見える泣く本来の少女の名を呼ぶ裕香。
「何故分かってくれない、どうして伝わらない……どうして、私の望みを、どうして……ッ!!」
だがシャルロッテは呟きながら、鉤爪を備えた左腕を振りかぶる。その攻撃の予兆に裕香は息を呑む。
しかし振りかぶったその腕に、三つの影が取りつく。
「なに!?」
左腕にかかる重みに振り返るシャルロッテ。その腕には孝志郎、愛、ルクスの三者が全身で組みついている。
「やめてよシャル様! これ以上裕ねえを傷つけないで!?」
「お願いやめて! こんなの、二人ともつらいだけじゃない!?」
『や、め、ろぉぉぉッ!!』
必死に裕香への攻撃を止める孝志郎、愛、ルクス。シャルロッテはそれら三名と、右腕で壁に張りつけた裕香を交互に見やる。
「……くっ」
そしてシャルロッテは歯噛みし、右手の裕香と左腕の三名を振り払う様にして放り投げる。
「あう!?」
「痛ッ!」
裕香達は揃って硬く舗装された地面にぶつかり、その痛みに口々に声を上げる。そして痛みを堪えて裕香が顔を上げると、そこには紅のマントを纏ったシャルロッテの背中があった。
「……気が削がれた。今回はもう止めだ」
シャルロッテが振り向かぬまま言い放った言葉に、裕香は安堵に表情を緩める。
「だが明日には必ず決着を付ける。我等の始まりの場所で待っているぞ」
しかしシャルロッテは、背を向けたままに言葉を重ねると、裕香たちの姿を見ようともせずに歩を進めて離れていく。




