重なる手は誰のもの~その3~
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前方の道路を塞ぐ、ヘドロの化物たち。腕のように伸ばした部位で固い地面を押し、ウィンダイナとの間合いをじわじわと詰める。
対してウィンダイナは、這いずるように迫る化物の群れを見据え、横抱きに抱いた愛を離さぬように腕に力を込める。
「う、うう……」
愛が微かに呻き、まぶたを震わせる。やがてその目が開かれ、唇から微かな声が紡ぎだされる。
「あ、あれ? わ、たし……?」
ウィンダイナの逞しい腕の中、目を覚ました愛。ウィンダイナはその顔を覗きこみ、あごを小さく引いて頷く。
「大丈夫。すぐに終わらせるから、少しだけ待っていて」
ウィンダイナは愛へ柔らかな低音で語りかけ、上半身のみのヘドロ人形を睨みつける。
愛を奪い返そうとするかのように、腕を伸ばすヘドロ。言葉通りに伸び迫るそれに、ウィンダイナは左へステップ。粘液を滴らせた腕を右へかわす。
避けた瞬間を狙って伸びる黒。だがそれもウィンダイナは身を逸らして回避。更に続く追撃を身を捩っての右後ろ回し蹴りで迎え撃つ。
「ひゃ!?」
蹴りの勢いのまま、ウィンダイナは飛び散る粘液から愛を庇う様に身を翻す。
「しっかり掴まってて!」
そして抱きかかえた友達に声をかけ、背後へ体重をかける形で跳躍。バク宙の形で宙を舞う。
真下を通り過ぎる黒。それを見送り、身を深く沈めて地を踏むウィンダイナ。
「いぃやあああッ!!」
そこから雄叫びを上げ、間髪いれずに再度跳躍。ウィンダイナは大きく空を舞い、眼下に下半身の無いヘドロ人形の集団を捉える。
「必殺ッ!!」
叫び、愛を抱えたまま右足を突き出して急降下。ヘドロの怪物の頭へ光を纏った蹴りを叩きこむ。直撃と同時に打点から広がる翡翠色の魔法陣。ウィンダイナはそれを踏んで更に跳躍。続けて傍らのヘドロの頭を踏み砕き、展開した魔法陣を蹴って跳ぶ。そのまま八艘跳びの要領で次々とヘドロ人形の頭を踏みつぶしていく。
やがて最後の一体を踏みつぶして跳躍。その勢いのまま空中で前転。そして片膝を突いて道路へ降り立つ。
「ダイナミック・ホッピング……!」
低い声で技の名を告げるウィンダイナ。それに続いて背後から連なった爆発音が響く。
「フゥゥ……」
硬質な仮面の奥でウィンダイナは鋭く息を吐く。その腕の中で愛が身を捩る。
「ねえ裕香さん。もう、降りても大丈夫?」
「あ、うん。いつまでもごめんね」
ウィンダイナは周囲を見回して安全を確かめると、一言謝って腕に抱いた愛をすぐ傍に下ろす。
地面に降りた愛は、目を回したのか軽くよろつき、赤くなった頬を両手で包むように撫でる。
「この中身は裕香さん……この中身は裕香さん……」
そうしながら、小声で繰り返し呟く愛。そんな愛の姿を見て、ウィンダイナは不思議そうに首を傾げる。
「私がどうかした?」
そのウィンダイナの問いに、愛は慌てて朱の差した顔を、前に出した両手と一緒に振る。
「な、何でもない! 何でもないの! 助けてくれてありがとう!」
「ど、どういたしまして?」
捲し立てる様に礼を言う愛に、ウィンダイナは半ば気圧される様に頷く。すると愛は一つ深呼吸をして改めて周辺を見回す。
「それにしても、さっきまでのってやっぱり……」
朱の抜けきらない顔のまま、周囲を警戒する愛。ウィンダイナはそこには触れず、同じように辺りに警戒の目を向けながら頷く。
「そうだね。こんな不定形なタイプははじめてだけど。パンタシアの仕業には違いないよ」
自分たちを襲った異様な状況に、ウィンダイナは確信を持って応える。そして周辺を警戒していた目を愛へ戻す。
「とにかく、同じように流されたいおりさんを探しに行かないと!」
ウィンダイナがそう言うと、愛は慌てて周囲を見回す。
「そうよ! いおりさんも巻き込まれたんだった! 急がなきゃ!」
まるで流されたいおりを探す様に首を巡らせる愛。瞬間、まるで泥でも叩きつけたかのような音が二人の耳を叩く。
「まさか!?」
音のした方向へ目を向ける二人。するとそこには、新手のヘドロ人形が群れを成して集まってきていた。
「そんな、また!?」
「愛さん掴まってッ!」
迫りくる下半身の無いヘドロ人形。その魔の手から友を守ろうとウィンダイナは手を伸ばす。ヘドロの化物は、そんな二人を包み込もうと幕の様に広がり覆い被さってくる。
「クッ!」
躍りかかるヘドロの幕を睨み、歯噛みするウィンダイナ。
刹那、鋭い鋼鉄の咆哮が轟く。そして幕となったヘドロの怪物を切り裂き、光が走る。
双眸を輝かせた白く硬質な巨体がウィンダイナの頭上を通り過ぎ、甲高いブレーキ音を響かせて背後で止まる。
『ゴメン! お待たせ!』
背後から響いた声に振り返るウィンダイナ。
「ルーくん!?」
するとそこには、ヘッド部の双眸を輝かせた白いトライク、ルクシオンの姿があった。
「俺もいるよ、裕ねえ!」
「孝くん!?」
ルクシオンのライトの点滅と共に響く孝志郎の声に、ウィンダイナは愛機の姿を覗きこむ。するとルクシオンはまた両目を明滅させて応える。
『家の近くにも黒い靄の化物が流れてきた上に裕香とも上手く繋がらないから、何かあったんじゃないかと思って、孝志郎をルクシオンの中に保護して、一緒に奴らを蹴散らしながらきたんだ』
「じゃあ、お母さんと実里さんは!?」
犬や狼を思わせる、ルクシオンのヘッド部を掴み問うウィンダイナ。それにルクシオンは孝志郎の声で応える。
「母さんたちなら大丈夫だよ、裕ねえ。ここまでに居た奴らは全部俺達が潰してきたから」
「そう、良かった……」
孝志郎の言葉に、ウィンダイナはその分厚い胸部装甲を撫で下ろす。
『でも元を絶たないと、またすぐに奴らがやってくるよ! 急がないと!』
「そうだ! それにいおりさんも探さないと!」
ルクスに急かされて、急いでルクシオンに跨がるウィンダイナ。そして右手でハンドルを掴み、空いた手を愛へ伸ばす。
「さ、愛さんも乗って。危ないから、ルクシオンから降りないで」
「う、うん」
ウィンダイナの手を取り、後部のタンデムシートに座る愛。そしてハンドルを握るウィンダイナの背に掴まると、おそるおそるといった声音でその背に問う。
「ねえ、裕香さん? 運転して大丈夫なの?」
その問いにウィンダイナは、右肩越しに不安げな愛の顔を見やり、左親指でのサムズアップをして見せる。
「大丈夫!」
その力強く確信に満ちた答えに、愛の顔が明るくなる。
「運転は私じゃなくて、ルーくんだからね!」
「へ? あ、あの子が?」
だが続いて放たれた言葉に、愛の顔から明かりが消える。しかしウィンダイナはそれに気付かず、両手でハンドルを握り直して身構える。
「急ぐよ!」
『任せて! コウシローも頼むよ!』
「おう! 裕ねえのためならいくらでも!」
そして三者の声が響くや否や、ウィンダイナと愛を乗せたルクシオンは唸りを上げて走り出す。
「や、ちょ、キャアアアアアアッ!?」
愛の悲鳴と鋼鉄の咆哮の尾を引いて白いトライクは結界の中を駆け抜ける。
※ ※ ※
道路の中央で蠢く黒い靄玉。その内側に赤い光が灯り、それに押し広げられるように膨張。そして空気を入れすぎた風船さながらに、炎を撒き散らして爆ぜる。
渦巻く炎と散りゆく靄の中心。そこには赤と金で彩られた黒き魔女、ナハトがマントを靡かせて立っている。
ナハトは風に舞う長い黒髪を払うと、左手の籠手に炎を灯し、周囲を見回しながら歩きはじめる。
「どうなっているのだ? 間違いなくこれは我らが管理していたもの……」
ナハトはそう呟きながら、右掌の上にCD大の赤い魔法陣を展開する。だがその魔法陣にはじりじりとノイズが走り、安定しない。掌の上で起こるその様を見やり、ナハトは軽く鼻を鳴らして揺らぐそれを握りつぶす。
「……半身とも繋がらぬとは。恐らくはあの場にいたはずだ近くにいればよいのだ……が!」
そこでナハトは身を翻し、背後に迫っていたヘドロ人形へ右手に握った光弾を投げつける。
着弾と同時に炎へ変わり弾ける力の塊。そして立て続けに、左側から迫るものを炎を宿した左の鉤爪で切り裂く。
炎に巻かれた二体のヘドロ人形。それらはナハトが振りあげた左手に、その身を焦がす炎もろとも吸い寄せられる。
黒い靄を核として、それを包むように作られる赤い光の球。ナハトはそれを左手に抱えたまま、右手の親指と人差し指、そして中指と三本の指の先端に小さな火炎弾を灯す。
そこへ右手側から迫る微かな足音。それにナハトは三つの炎を灯した右手を向ける。その瞬間、道路を囲う塀の上から黒い子猫大の影が転がり落ちる。
『いおり!?』
「アムか!」
互いに相棒の姿を認め、呼び合う二人。直後、翼を広げて地面へ降り立ったアムを追う様にして、蛇のように細まった黒いヘドロが躍り出る。
「燃えろ!」
躍り出たその頭へ、指の火炎弾を発射して迎撃。そしてナハトは立て続けに炎の帯となったそれに、腕を入れ替える形で靄を封入した光球を翳す。
ヘドロの化物を吸い込む赤の光球。それを翳すナハトの左腕にアムが飛び乗る。
「どうした? なにがあったのだ?」
腕の上で呼吸を整える相棒へ問いかけるナハト。するとアムは尻尾を一振りして契約者の顔を見上げる。
『悪い。アタシがヘマこいちまった。アレがいきなり暴れ出して、それを抑えきれずにこんな風にそこらに広がり始めちまったわけさ』
「なるほど、暴走か」
相棒からの真紅の目を伏せて報告に、ナハトは微かにあごを引きながらアムを乗せた左腕を胸の前で横にする。するとアムは改めてあごを上げてナハトの顔を見る。
『で、どうするのさ? 今手元に残った分を確保して、暴走を終わらせるかい?』
望まぬ暴走をどうしのぐか訊ねる相棒。それにナハトは再び右手の指三本に炎を灯し、首を左右に振る。
「否、ここは予定を早めるとしよう。今手元にある分を呼び水に、散らばった連中をかき集めて周辺から心と命の力を吸い集めてくれよう」
そう言ってナハトは右手を薙ぎ払い、指に灯した炎を三方向に放つ。すると発射された火炎は迫ってきていたヘドロを包み、光球の内へ引きずりこむ。
「ともかくこの辺りから引き離せば、我が友の身を守ることにもなるであろう。どこか広い所へ誘導するぞ」
ナハトはそう言って、右手に棒状に伸びた炎を握る。そして掴んだ炎を二度、三度と振るい、その内に生み出した炎の杖を露にする。
「ハアッ!」
掛け声一つ。杖を横殴りに降り回して黒い人形を薙ぎ払うナハト。そうして背中に赤い魔法陣を展開。赤い光の尾を引いて飛翔する。
上昇するナハトを追いかけて、周囲から伸びる黒い粘液。ナハトは足下に迫るそれを一瞥し、空を駆けるスピードを緩めずに体を逸らす。瞬間、さっきまでナハトの走っていたコースを、粘液の槍が刺し貫く。
そこから素早く身を切り返すナハト。その脇をまたヘドロの槍が通り過ぎる。そしてナハトは大きく身を翻し、ヘドロの矢から身を逃がして流星のように急降下する。
地面を向かうナハトを目がけ、獣のあごの如く上下から挟みこもうと伸びる粘液。雨霰と降り注ぎ、下から次々と付き上がる黒を、ナハトは右へ左へ身を捩り、その合間を縫って飛翔する。その背後から、さらに我先にと先に進もうとする粘液の束が追いかける。
「フッ!」
鋭い息一つと共に、一際大きく身を捩るナハト。その勢いに乗せて振るった杖から炎が爆ぜ広がり、追いすがる黒いヘドロを焼き焦がす。だが、炎に焼き潰された部位を突き破り、粘液塊がなおも迫る。しかしナハトは突き進むそれに口の端を吊り上げ、右手の杖を突き出し迎え撃つ。
炎を灯した杖との激突で飛び散る黒。その合間を縫い、ナハトは再度上昇。赤の魔力光を散らして昇るそれを、黒い粘液は怯むことなく追いかける。だが燐粉の如く降り注ぐ魔力光は、黒い塊に触れるや否や炎へと変わりそれを焦がす。
「この先がよいか」
ナハトは右手側に開けた河原を見つけ、身を捩る様にして旋回。下から伸びる黒い粘液をやり過ごし、目的地を正面に加速する。
そこへ轟く、鋭い鋼の咆哮。
「む? この音は……?」
後ろから追いかけるように響くそれに、ナハトは地面を見下ろす。すると双眸を輝かせて走る白きトライクの姿を捉える。
「ウィンダイナか!?」
黒い靄を引き裂き走る白いマシンと、それに跨る銀の戦士。その姿にナハトは宿敵の名を叫ぶ。
※ ※ ※
「あれは、ナハトッ!?」
黒い靄を轢き裂き走るルクシオン。ウィンダイナはそのシートの上から空を飛ぶナハトを見上げる。
粘液の塊を引きつれて空を走るナハト。ウィンダイナは相棒の操るマシンを駆り、それを追い掛ける。
鎌首をもたげ、両脇からウィンダイナにも襲いかかるヘドロの集合体。自分たちへ敵意を向けるそれを、ウィンダイナは白銀の拳を交互に振るい迎かえ撃つ。
『やっぱりこの奇妙な事件は、アムとその契約者が絡んでたのか!』
ルクシオンの内からのルクスの声。それにウィンダイナはハンドルを握る手に力を込める。
「……それはそうだろうけれど。ナハトがただこんな風に暴れさせるのだろうか?」
『何言ってるんだよ!? アイツらがエネルギーを集めるために手段なんか選ぶもんか! ここで止めなきゃダメなんだ!』
疑念の言葉を呟くウィンダイナ。それにルクスがルクシオンの内から叫ぶ。
「ゴメン。いずれにせよ、これは止めないと」
謝るウィンダイナに続き、ヘドロの化物を薙ぎ倒しながら加速するルクシオン。やがてヘドロの怪物を間に挟んだ両者の距離が縮まり、ウィンダイナは高度を下げてきたナハトの背中に向かい叫ぶ。
「ナハト! 何だこれは!? こんなものを放って何をするつもりだ!」
その叫びにナハトは振り返り、そのまま後ろ向きに空を飛び続ける。
「フ! こ奴は貴公が討った幻想の住民のなれの果てよ!」
「何!?」
弾かれたようにあごを上げ、繰り返し訪ねるウィンダイナ。対するナハトは右手の杖を振るい、口の端を吊り上げる。
「我はこ奴のこのような姿になっても貴公への怨みを忘れぬこ奴の思いを汲んでやったまでよ」
そう言ってナハトは再び前へ向き直り急上昇。眼前の堤防の上に飛び上がり、左手に持った光球を前方へ投げつける。
それを追い掛けて先端を伸ばすヘドロ。だがナハトはそれを掻い潜って前方へ飛び込むナハト。直後、堤防の向こうで轟く爆音。
『急ぐよ!』
「離さないでよ!?」
「う、うんッ!?」
その音にルクスが叫び、ルクシオンを堤防へ急がせる。
走るルクシオンの上で、ウィンダイナが後ろの愛へ警告。それに愛が腕の力を強めるや否や、ルクシオンの前輪が堤防の裾を踏む。
草の茂る斜面を三つの車輪で踏みしめ、駆け昇るルクシオン。そして頂上で踏み切る形で咆哮を轟かせ空へ飛び出す。
砂利に覆われた河原を車輪で削り、踏ん張るルクシオン。顔を上げるウィンダイナ。その正面には、光球越しに杖で地面を突いたナハトの姿があった。光球を突いた杖を中心に、地面へ展開する赤の魔法陣。そこへヘドロの化物が渦を描く様に集い、吸い込まれていく。
ヘドロの化物が集うにつれ、ナハトの足元が黒く盛り上がっていく。そしてその黒い塊はのっぺりとした縦長の球体を形作る。
「ひっ!? な、何あれ?」
「泥の、巨人?」
息を呑み、震える愛。それを背中に、ウィンダイナは目の前で出来ていくものを、そう形容する。
ナハトの足場となる、黒い粘液を滴らせた卵型の塊。その下には重たげな塊を支える太い柱。さらに、ごぽん、ずりゅり、と音を蠢く両脇に太い支柱を添えた巨大な台座が続く。それはまさにウィンダイナの言葉通り、黒い泥で造られた巨人の上半身であった。
ウィンダイナはそびえ立つ黒い巨体を見上げながら、右脚を白い愛機の頭の上に通して地面を踏む。
「頼むよ?」
そして巨人を見上げたまま、ルクシオンの頭を軽く撫でて前に出る。
『そんな! 一人であの巨体とナハトを相手にする気なのか!?』
「だ、ダメだよ! 俺たちも手伝う!」
「私、邪魔にならないようにするから!」
背中にぶつけられる仲間たちからの反発。引き止めようとする仲間たちを、ウィンダイナは肩越しに振り返る。
「私が戦いに集中出来るように、自分たちを守っていて」
厳しくはない。だが有無を言わせない視線と言葉に、愛を乗せたルクシオンはしぶしぶと後退する。
「むぅ? 宿敵よ、一つ訊かせよ」
「なんだ?」
頭上から投げ掛けられたナハトの言葉。ウィンダイナはその出所を仰ぎ、本題を促す。
「その少女と共に、もう一人流されている少女はおらなんだか?」
「それを知ってどうする?」
自分の正体の安否を訪ねるナハトに、ウィンダイナは見上げる視線を外さぬまま問いを重ねる。
「質問に質問を返すでないわ。答えよ」
それにナハトは、右手の杖を握り締めて質問の答えを求める。対するウィンダイナは握った右手を腰だめに、開いた左手を前に翳した半身の構えを取る。
「無事だ。これ以上を貴様に教えるつもりはない!」
これ以上の問答は無用と、鋭い気を吐くウィンダイナ。それを受けて口の端を吊り上げ、左腕でマントを払うナハト。
「ククク……ならばよし!」
そして高らかに言い放ち、左手を振り上げる。
「さあ、存分に闘おうぞ!? 我が宿敵、魔装烈風!」
ナハトの口から放たれたその言葉に応じ、炎の杖が紅に輝く。
『ぶるぅうぁばああああああ!!』
それに続き、ヘドロの巨人が濁った咆哮と共に右腕を振り上げる。
「クッ!?」
粘液と悪臭を振り撒く巨人の挙動。ウィンダイナはそれに歯噛みし、一息にその場から踏み込む。
直後、ウィンダイナの居た場所に巨大な拳が降る。 拳を受けた地面を中心に大気と地面が揺らぎ、黒い粘液が飛び散る。
「でえやあああッ!!」
しかしウィンダイナは背後から飛び散る粘液に構わず、右拳を引き絞りながら巨人の腹に肉薄。輝きを灯した拳を、蠢くヘドロの壁に叩き込む。
拳が沈み、そこから生じた暴風がヘドロを吹き飛ばし、黒い粘液の壁を大きく抉る。
だが、その突き出した拳へ黒い粘液が降り注ぎ、肩、そして顔へ向けて這いずる。
「なっ!?」
全身に走った怖気に従い、ウィンダイナは取り付かれた腕を振って粘液を振り払う。
その隙を突いて、右から迫る巨大な掌。
「クゥッ!」
握り潰そうと迫るそれに歯噛みし、ウィンダイナは地面を蹴って黒い掌を跳び越える。
「えいぃぃやぁあッ!!」
そして空中で前回りに一回転。その勢いに乗せて右踵蹴りを繰り出す。光を纏って弧を描くそれは、ギロチンの様に大木の幹の様に太い巨人の腕を切り飛ばす。
光沢すらある鋭い切り口。その間にウィンダイナは伸ばした右足と両手で三角形を描くように着地する。
『逃げて! 上から来てるッ!』
そこで背後からかかった警告と頭上から迫る熱に、ウィンダイナは伸ばした足を振り上げる。
「フ!」
鋭い息を吐き、光る蹴りで頭上へ迫る炎を迎撃。さらに蹴り足を切り返して続く炎を撃ち払い、その勢いに任せて更に撃ち込まれる炎から右へ逃れる。
背中を焙る熱を受けながら、身を捩り身を起こすウィンダイナ。だが、そこを狙いさらに降り注ぐ追撃の火炎。それにウィンダイナは怯むことなく、上体を大きく左右に振っての拳で撃ち払う。
「セェエヤアアッ!!」
そしてウィンダイナは眼前に迫った一際大きな火球を右の回し蹴りで蹴り砕く。だが飛び散る火の粉の中、黒い巨大な塊が右足を振り上げたウィンダイナの体を薙ぎ払う。
「グゥッ!?」
『ああッ!?』
「そんな、ダメ!」
「危ない!」
とっさに腕を盾にするものの、それを打ち破る横殴りの衝撃に大きく吹き飛ばされるウィンダイナ。川の上へ投げ出される白銀の戦士の姿に、ルクシオンから声が上がる。
「う、ぐ!?」
近づく水面。それを一瞥し歯噛みするウィンダイナ。抵抗しようと身を捩るも水面に激突。激しい水柱を上げる。
「ぐ、うう! こんな、ことでぇ!」
水との激突と同時に生み出した魔法陣の足場。ウィンダイナはそれを利用し、水切り石のように水上へ跳ねる。そして空中で身を翻し、足から水上に作った魔法陣の足場へ飛び込む。
「な!?」
膝を深く曲げて足場を踏むウィンダイナ。あごを上げて元の岸を見、そこにあった光景に驚きの声を漏らす。
ナハトを頭に乗せたヘドロの巨人。抉っていたはずのその腹は塞がり、切り飛ばした左腕は何事もなかったかのように繋がっていた。だがその謎を推し量る間もなく、その頭上から火炎弾が雨霰と降り注ぐ。
「ハ!」
迫る火炎弾の嵐に、ウィンダイナは反射的に跳躍。装甲すれすれに通り過ぎた炎が水面を叩き、飛沫と蒸気を噴き上げる。
「フ! ハァ!」
足元に展開した足場を踏み切り、火炎弾を跳び越える。更に迫る炎を左手に展開した魔法陣を蹴ってかわす。錐もみ状の捻りを加えて空を舞い、水面すれすれに足場を展開。そしてすかさず仰向けに踏み切って、オーバーヘッドキックの要領で火球を蹴り落とす。
そうして開けた弾幕の隙間を掻い潜りながら、展開した魔法陣の足場を次々と蹴り渡っていく。しかしその軌道を読んでいたかのように、炎がウィンダイナの行く手を遮る。
「く!」
鼻先の炎に歯噛みし、ウィンダイナは魔法陣を蹴って垂直に上昇。そこを狙っての炎を拳で撃ち払う。
「ハアアアアア!!」
風を切って両腕を振りまわし、火炎弾を次々と弾くウィンダイナ。そのまま炎を弾き続け、水面へ向かい足から落下する。
「フ!」
水面に向かう足に力の光を灯すウィンダイナ。それが水を踏むと同時に鋭い息を吐いて駆け出し、飛沫を巻き上げながら川面を駆け抜ける。
「ハアアアアアアアアッ!!」
雄叫びを上げて走るウィンダイナを迎え撃とうと、降り注ぐ炎の雨。その中をウィンダイナは上体を傾けてかわし、拳と手刀を振るって道を切り開いていく。
「ハハハハハ! やるではないかウィンダイナ!? それでこそ我が宿敵ぞ!」
水上を駆け迫るウィンダイナ。その姿にナハトは高笑いを上げ、鉤爪を備えた左手を掲げる。その手の中に炎が灯り渦を巻く。
「力がどんどん高まってる……あんなものが直撃したら!」
渦を巻くごとにまるで、糸を巻きこむ毛糸玉のように大きさを増す炎。どんどんと大きさを増すそれに、水面を走る足を急がせる。その間にも火炎球は大きさを増していき、ナハトの足場となっている巨人の頭と並ぶほどにまで膨らむ。
「さあ! この一撃、受けて見るがいいッ!!」
その宣言と共にナハトは掲げた左腕を振るい、頭上の炎をウィンダイナのコース上に落とす。
「くぅ!? だが!」
音を立て、空中を転がる様に落ちてくる巨大な火球。ウィンダイナはそれを見上げてもなお、怯むことなく川面を急ぐ。その足は水を踏むたびに輝きを強め、飛沫と川面を白銀色の煌きが埋め尽くす。
目が眩むほどの輝き。それをウィンダイナは自身の装甲で弾き返して大きく川面を踏みきり跳躍。
「キィイアアアアアアッ!!」
ウィンダイナは跳躍の勢いに乗って後ろ回りに回転。裂帛の気合と共に膝を叩き、炎の球を目がけ輝く両足蹴りを撃ち出す。
激突。そして拮抗。だがほんの数秒の競り合いの後、ウィンダイナの蹴りが炎の球に沈み込む。
「イィヤアアアアアッ!!」
雄叫びと共に、ウィンダイナは更に蹴り足を押し込み、炎の中へ突っ込む。
周囲を包み込む紅蓮。それを光を孕んだ螺旋の風でこじ開け、貫いていく。
渦巻く風に炎を散らし、空へ突き抜けるウィンダイナ。そして装甲から上がる煙の尾を引き、炎を貫いた勢いのままヘドロの巨人へ飛び込む。
『ウぶるゥエぇああああああああッ!?』
直撃と同時に轟く、濁った悲鳴と爆音。
蹴り足の突き刺さった点を中心に、巨大な翡翠色の魔法陣が展開。そして黒い巨人の体が大きくぐらつく。
「ぬぅ!? さすがにやる!」
ぐらつく巨人の上で、杖を支えに踏みとどまるナハト。そして口の端を吊り上げて楽しげな笑みを浮かべ、再度左腕を振り上げる。
「ヘレ・フランメ!!」
薙ぎ払う腕から放たれる炎の一閃。
「う!?」
上から迫るそれに、ウィンダイナはとっさに魔法陣を蹴ってヘドロの巨人から離れる。
跳躍の勢いのままバク宙。そして片手片膝を突いて河原に着地する。そしてすぐさま顔を上げ、バク転でその場を離れる。
広がる轟音と震動。その中を二度、三度、四度とバク転を繰り返し、開いた両足で砂や砂利を削って地面を踏みしめる。それとほぼ同時に、左掌を翳して右拳を腰だめに添えた形で構える。
その真正面へ迫る黒いヘドロの塊。それをウィンダイナは輝く旋風を纏った右拳で迎え撃つ。
「えぇあぁッ!!」
短く響く気合。それを塗りつぶす様な爆音と共にぶつかり合う白銀の拳とヘドロの塊。
裂帛の一打は、ヘドロの塊をその打点から串を通す様に貫く。続いて螺旋を描く銀の風がその穴を押し広げ、暴風と共に引き千切る様に吹き飛ばす。
『ウゥぇヴァあッ!?』
腕が吹き飛び、悲鳴を上げる黒い巨人。その隙にウィンダイナは、腰に添えた左掌へ右の握り手を持っていく。
「ライフゲイルッ!!」
居合いに似た構えで必殺武器の名を叫び、左手に生じた柄を掴み引き抜くウィンダイナ。その勢いのまま、巨人の胸に残る魔法陣目がけてライフゲイルを投げ放つ。
ヘドロの巨人は苦しみ悶えるままに残った腕を盾にする。だが光の刃を前に飛翔するライフゲイルは、それを易々と豆腐の様に貫き、狙いどおりに翡翠色の魔法陣に突き刺さる。
「なんとッ!?」
「キィイアッ!!」
ナハトの口から洩れる驚きの声。対してウィンダイナは愛刀の直撃を認めると同時に、一気に跳躍。ライフゲイルを中心に吹く風の中へ飛び込む。
「させん!」
それを阻もうと津波の如き炎を放つナハト。だが炎はライフゲイルから吹き荒れる風に流し散らされ、ウィンダイナの装甲を撫で焙るのみに終わる。
炎を含む風の中、ウィンダイナは魔法陣越しに巨人の胸から突き出たライフゲイルの柄を掴む。
「はああああああああッ!!」
そのまま装甲と体重の重みをかけて、一気に胸から下を縦一文字に割って行く。
『ヴぅうぇえああああああッ!?』
下へ下へと奔り、輝く傷跡に沿って浮かび上がる光の紋。それに苦悶の声を上げて悶える巨人。その根元でウィンダイナはライフゲイルを振り抜く。
「風に、散れェッ!」
気を込めた言霊と共に、輝く風が魔法陣へ向かって駆け昇る。やがてその風が魔法陣の中心に届き、光が爆ぜる。
巻き起こる爆発。全身を叩く爆風の中、ウィンダイナは得物を振り抜いた姿勢のまま微動だにしない。
そして風を切る様な音に続き、土を踏む様な音が鳴る。それにウィンダイナは顔を上げ、その音の出所にライフゲイルの切っ先を向ける。その先では、ナハトが赤いマントを靡かせ、口の端を吊り上げていた。




