重なる手は誰のもの~その2~
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くろがね市北区にあるアパート。その内の一棟にある315号室、大室家。朝日の差し込むダイニングキッチン。その中心にある四人掛けのテーブルで、いおりが茶碗を右手に朝食に向かっている。
鮮やかな黄色の卵焼きを摘み上げ、口へ運ぶいおり。立て続けに白く輝く白米を含むその隣では、テーブルの上に座ったアムが、取り分けられた肉にかぶり付いている。
いおりは相棒の黒竜の姿を見ながら、口に含んだ物を噛み解し、飲み込む。
「すまぬ。我の発案であるのに、アレの管理を任せきりで」
抑えぎみの声で謝るいおり。それにアムは顔を上げると、口周りを舌で拭って顔を横に振る。
『気にする事はないさ。どっちにせよ、今はロクに動きがとれない訳だし、支度ができるまでは任せてもらうさ』
そのアムの言葉にいおりは頷き、ひとつまみのしらす干しを残り少ない白飯の上に乗せる。
「そう言ってくれると気は楽になる。そんな食べ物くらいでしか報えぬが……」
そう言っていおりは、しらすを乗せたご飯を口に運ぶ。それにアムは肉の乗った皿を前足で突く。
『アタシはそもそもいおりの心と命の力に養ってもらっている訳だからさ。その上に食べ物まで出して貰ってるんだから文句はないよ』
言いながらアムは再び自分の器を前足で押す。
『まあアタシらはこっちでは物食わなくても平気だからさ。食事は完全に楽しむためだけのものなのさ』
「ふむ、なるほどな」
アムの言葉に頷きながら、口に含んだ食べ物をお茶で胃の中に流しこむ。
「幻想界の者にとって、こちらでは嗜好品に過ぎないというわけだな」
『まあ、そういうことさね。アタシらにとっちゃあ遊びと変わりゃしないって訳さね』
そう言ってアムは再び肉にかぶりつく。そんな相棒に目をやりながら、いおりは空食器を重ねて席を立つ。
重ねた食器をキッチンの流し台までに持っていく。そこで先に水の張った桶につけ置かれた二組の食器を見、眉根を寄せる。そして抱えた食器を同じく水の中につけ入れる。
そうしていおりは顔を上げると、未だに肉へ食いついているアムを見やる。
「すまぬが、明日はここに二人の友が来るのだ。重ねてですまぬが、明日はアレの所に籠って貰わねばならん」
するとアムは肉から顔を上げ、尻尾を一振りして応える。
『了解さ。まあ、アタシだけで派手に動いても、ルクスやウィンダイナに『奴らの仕業か』とか嗅ぎつけられかねないから、仕方ないさね』
口の端を吊り上げ、冗談ぽく言うアム。そんな相棒にいおりはニヤリと唇を笑みの形に緩める。
「クク……分かってきたではないか。我との一体化は順調に進んでいるようではないか」
『アンタは何を言ってるのさ。こんだけ付き合いがあれば読めてくるってもんじゃないのさ』
そう言って、いおりとアムは含み笑いを交わし合う。
山端公園近くの道。ガードレールに守られた歩道を、セーラー服を着た三人の少女が歩いている。
「今日もお弁当交換してもらったけど、やっぱりいおりさんって料理上手だよね。なにか特別に得意な料理ってあるの?」
三人の中で一番背が低く、おでこを晒した愛が、真ん中を歩く裕香越しに逆側のいおりを覗きこむ。するといおりはあごに指を添え、考え込むように目を伏せる。
「ふむ……そうであるな。やはり祖母に仕込まれたシジミを使った味噌汁であるな。浜永のものは大粒で食べがいもあったな」
「いおりさんのおばあさんって、浜永にいるの?」
言いながら裕香は、長い前髪の奥から右の友達を見る。
「うむ。母が浜永の出でな。幼い頃は祖父母の家で過ごすことの方が多かったのだ」
いおりはそう言って目を閉じ、まるで祖父母の顔をまぶたの裏で眺めているかのように、繰り返し頷く。
「して、二人はどうなのだ? 何かしらあるのか?」
そして左目を開けると、隣に並び歩く二人を見やる。
その探るような視線に、裕香は苦笑交じりに口を開く。
「私は、料理はちょっと興味がでた頃に練習した位だから、自信があるのは無いかな。カレーライスみたいな、無難なのがいくつか無難に出来上がるくらいだよ」
「だが、裁縫の手際はかなりのものであったな。体操服や制服のほつれをすぐに直してしまっていたな」
そのいおりの言葉に、裕香は前髪の先を摘まみ、照れくさそうに顔を伏せる。
「私の場合、小さい頃から服を色んな所に引っ掛けて破いたり、穴開けたりしてたから、自分で直せるように教えられてね。今は、暇なときにクッションを作ったりもするようになったけど」
「ほう、クッション? それは凄いではないか」
感心したように両目を見開くいおり。
「そ、そうかな?」
裕香はそれに頬を朱に染め、はにかみながら更にうつむく。
そんな裕香の様子に、柔らかく目を細めるいおり。そうして、わずかに歩調を緩めて体を軽く反らすと、裕香の背中越しに愛をのぞきこむ。
「どうした三谷? 話を振ってきた割には静かではないか?」
すると愛は、まるで眩しいものから目をかばうように二人から視線を外す。
「いや、その、ね。話を聞いてたら、料理も裁縫も苦手な自分が急に恥ずかしくなっちゃって……」
目を逸らしたまま問いに答える愛。そんな愛に、裕香は笑って首を横に振る。
「恥ずかしい事なんてないよ。私は必要だから覚えただけだし、普通の教科は全部私より出来るじゃない」
「で、でもやっぱり、その二つが出来ないことには問題を感じるというか……」
愛はそう言いながら、荷物を提げた手を腰の前で組む。そして組んだ手を小さく左右に揺らすように身をよじる愛へ、裕香は微笑みのまま続ける。
「今は出来ないかも知れないけど、これからは分からないじゃない? テストが終わったら、そういうのを教え合おうよ。ね? いおりさん」
裕香はそう言って、逆側のいおりへ振り返る。その裕香の案に、いおりは唇に笑みを浮かべて頷く。
「うむ、それは面白い。我が秘伝、余すことなく伝授してくれよう」
乗り気な言葉に続いて、含み笑いを零すいおり。
「あ! 裕ねえ!」
そこで裕香たち三人娘を、前方から迎える声が投げ掛けられる。
「孝くん!」
声の主であるランドセルを背負った孝志郎。その姿を認めた裕香は、公園の前から駆け寄ってくる幼馴染みを、正面から迎える。
「あれ? 今日は三谷の姉ちゃんも一緒なんだ?」
三人の姿を見回して、目を瞬かせる孝志郎。
「うん。今日はウチで一緒に勉強することになってるの」
「ああ、そう言えば朝言ってたよね」
裕香の説明を聞いて、孝志郎はもう一度何者かを探す様に裕香たちの周囲を見回す。
そんな孝志郎の様子を見て愛といおりは揃って笑みを零す。
「安心するがよい少年よ」
「鈴森くんは自分の塾があるから来てないよ」
「あ、そうなの?」
二人の言葉を聞いた途端、孝志郎は表情を安堵に緩める。そして踵を返し、三人の先に立って歩き始める。
その黒いランドセルを背負った背中へ、愛が笑みを溢れさせながら声を投げかける。
「やっぱり孝志郎くんとしては、裕香さんにちょっかい掛けてくる相手は気になるもんね?」
その愛の言葉に、孝志郎は横顔を後ろに向けて真っ赤になったそれを小さく縦に振る。
「うん……そりゃまあ、ね」
赤く染まった孝志郎の顔に釣られる様に、裕香の顔にも熱と赤みが集まる。そんな頬を朱に染めた裕香の顔を、愛が身をかがめて覗き込む。
「孝志郎くんはこう言ってるけど、裕香さんとしては、どう?」
未だに大半が修復中の山端公園。その前を曲がったところで、首を傾げて好奇心に輝いた目で覗いてくる愛。そんな友達に裕香は耳まで赤くなった顔を伏せ、前髪を触る。
「なんだか照れちゃうな。けど……うん、嬉しいよ」
羞恥心から生まれた熱に焙られながらも、裕香は正直に答える。その様に、愛が拳を握り悶える。
「もう、裕香さんと孝志郎くん可愛い!」
裕香たち二人の反応に身悶えする愛。それを裕香が前髪の隙間から見やる。
「も、もう……あんまりからかわないでよ」
赤く熱を帯びた顔のまま、唇を尖らせる裕香。その前方では同じく耳まで赤くした孝志郎が早足に家路を急いでいる。
「クク……それはそれとして、もうそろそろではないのか?」
「あ、うんそうだね。もうすぐそこだよ」
いおりが話を切り替えると、それに便乗する形で、裕香は顔を上げて前方を指さす。その先には並び立つ住宅があり、その内の二軒に向かって一行は真直ぐに進んでいく。
「じゃあね、裕ねえ。勉強頑張ってよ」
「ありがとう。じゃあまた明日ね」
二軒の内、手前の方へ別れる孝志郎。玄関へ向かう途中で大きく手を振る孝志郎へ、裕香は肩の高さまで挙げた手を振り返す。
「うん! また明日!」
それに孝志郎は今一度大きく手を振り、家の中に入る。それを三人娘は揃って手を振って見送る。
「じゃあ、この隣のが私の家だから。入って入って」
裕香は表札の掛った門を抜け、赤レンガのタイルで出来た道へ友達二人を招き入れる。
裕香の招きに従い、門をくぐるいおりと愛。後に続く二人を引きつれて、裕香は自宅の玄関に向かい、ドアノブに手をかける。
「お母さん、ただいま」
ドアを開けながら、家の奥に帰宅の挨拶を投げ掛ける裕香。すると奥からパタパタとスリッパを鳴らした足音が近づいてくる。
「お帰り、裕香」
玄関まで迎えに出てきた裕香の母、純。
「それで、あなた達が?」
一目で親子と分かるほど裕香によく似た彼女は、裕香の後ろに続いたいおりと愛に目を向けて小首を傾げる。それに二人は頬笑みを浮かべ、軽く会釈をする。
「お邪魔します。裕香さんの友達の三谷愛です」
「初めまして大室いおりと言います」
そんな二人の挨拶に、純は急に口元を手で覆って俯く。
「ゆ、裕香が本当に同年代の友達を連れてくるなんて……ううっ」
「お、お母さん!?」
感極まった様子の母に、戸惑う裕香。それに純は、娘になんでもないと言う様に手を出しながら顔を上げ、繰り返し頷く。
「裕香は趣味が趣味だから、実は学校では孤立してるんじゃないかって心配してたけど……二人も友達が出来てて本当に安心したわ。今夜はお赤飯ね。今、拓馬さんにも連絡するから」
「お、大げさ過ぎるよお母さん! お父さんには夜話せばいいから、携帯しまって!?」
目許を指で拭いながら、ポケットから携帯電話を取り出す純。そうして夫の番号を呼び出す母を、裕香は慌てて止める。
「何言ってるの! こんないいニュース、今伝えなきゃもったいないでしょ!?」
「もう分かったから。二人に飲み物を出したいから、そっちを先にお願い」
「そうね。じゃあ用意してるから、取りに来て」
裕香がそう言うと、純は渋々といった様子で携帯をしまう。そしてもう一度いおりと愛へ向き直る。
「変わったところのある娘だけど、裕香をよろしくね」
「はい!」
「もちろんですとも」
純の言葉に躊躇なく了解と返す愛といおり。それに純は満足げに笑みを深め、奥へと下がる。
奥に消えていく母の背中を見ながら、裕香はスリッパに履き替えて廊下に上がり、二人に来客用のスリッパを出す。
「ゴメンね二人とも。先に部屋まで行ってて。ネームプレートがかかってるからすぐ分かるよ」
スリッパに履き替える二人へ二階を指さし説明する裕香。するといおりが頷き、空いた右手を差し出す。
「ふむ、ではついでと言っては何だが、裕香の鞄はついでに私が運んでおこう」
「あ、ありがとう。じゃあ、お願いね」
いおりの言葉に甘え、裕香は差し出された手に手提げ鞄を預ける。
「うむ。任された」
そう言って裕香の鞄を手に頷くいおり。そしてそのまま両手に鞄を提げて、愛と一緒に階段を上って行く。すると裕香は母を追い掛ける形で奥の台所へと向かう。
台所で純が用意してくれたスポーツドリンクを受け取った裕香は、自室を目指して階段を上っていく。
廊下を進み、「ゆうか」と書かれたプレートの掛ったドアに手を開き、中に入る。
「ごめんね。お待たせ」
裕香が一言断って中に入る。すると先に部屋に入っていた二人の姿が目に入る。愛は低いテーブルにつき、裕香手製のスペイドのクッションを抱えている。その一方でいおりはDVDの棚を上から下まで楽しげに眺めている。
「あ、うん。お構いなく」
飲み物を持ってきた裕香を、笑顔で迎える愛。そしていおりも棚から部屋の入口に視線を移す。
「ああ、すまぬ。それにしてもさすがのコレクションであるな」
そう言って部屋をぐるりと見回すいおり。それに倣う様に、愛も部屋の中を興味深そうに眺める。
「へえ、やっぱり凄いんだね。詳しくない私でも、好きなんだなってことは伝わってくるしね」
部屋を眺め回して言う友達二人。裕香はそれにスポーツドリンクで満ちたコップを配りながら言葉を返す。
「まあ、ここのDVDはほとんど、お父さんのコレクションに場所を貸してるようなものなんだけどね。私の物はサインとか、今愛さんが抱いてるクッションとかくらいかな」
「ほう、これが」
愛の抱く、桃のようなシルエットのゆるキャラが刺繍されたクッションを指さす裕香。いおりは指で示されたそれをまじまじと見つめ、指で押し込む。
どうえぇ~い。
「おお」
「な、鳴いた?」
不意にクッションから上がった、気の抜けた、しかし味わい深い鳴き声に、愛といおりは揃って見開いた目をクッションに注ぐ。
「うん。声が出る様にちょっとした細工がしてあるの」
「ほほう、なるほど。これは器用な」
いおりは興味深げにクッションを見つめ、繰り返し指を押し込む。それに便乗する形で、愛も両手で腕の中のクッションを挟み込む。
二人が面白がって押しつぶす度に、クッションは気の抜けた鳴き声を上げる。裕香は用意した別のクッションに腰かけ、クッションを鳴らす二人の姿を微笑み眺める。
裕香が眺める中、何度もクッションを押し込む二人。そうしている内に、ふと我に返った愛がスペイドのクッションから顔を上げ、腕の中のそれを脇によける。
「ンン! うっかりなごんじゃったけど、とりあえず勉強も始めようか」
照れを隠すように咳払いを一つする愛。そんな恥ずかしげに頬を染めた友達に、裕香はクスクスと笑みを零しながら頷く。
「そうだね。じゃあ始めようか」
裕香は笑みを浮かべたまま、ノートや問題集などの勉強道具を広げ始める。それに従っていおりも席に着き、自身の鞄から道具を取り出し始める。だが勉強の支度を進めながらも、いおりは背後の棚に並ぶDVDにちらちらと目をやる。
「なあ、二人とも。勉強は何か再生しながらやらぬか?」
棚に並ぶDVDを指さすいおり。それに裕香と愛は苦笑混じりに首を横に振る。
「やめておこうよ。大室さんはよくても私は集中できなさそうだし」
「うん。私も映像に夢中になりそうだから。やめておこう?」
二人に止められて、いおりは唇を尖らせて視線を逸らす。
「むぅ……すまぬ。確かに少々はしゃぎ過ぎであったな。映像を再生しながらはやめておこう」
そう謝るいおりに、裕香は唇を柔らかく緩めて首を左右に振る。
「いいのいいの。じゃあDVDは休憩の時に見ようよ。ね?」
そう言って裕香はいおりへ首を傾げる。するといおりは顔を上げ小さく顎を引いて頷く。
「うむ。それが道理であったな。では改めて試験勉強に入るとしようか」
いおりの開始の音頭に続き、裕香と愛は愛用のシャープペンシルをとる。
「オッケー。今日は英語が中心だったね」
「うん。また色々教えてもらうことになると思うから、お願いね」
笑みに苦みを乗せて頭を下げる裕香。
「そんなの気にしないでいいのに」
「そうであるぞ? 裕香に教えることで、我等も難易度の高い個所を確認し、重点的に復習できるのだからな」
そんなかしこまる裕香を、いおりと愛は軽く笑い飛ばし、ノートにペンを走らせ始める。それを見て、裕香は慌てて追いかける形でペン先をノートの上に乗せる。
「苦手だと分かっている場所があったら言うがよい。即席ではあるが練習問題を作ってみる故にな」
「ありがとう。まずは確認ついでに、範囲内の復習を一通りやってみるね」
裕香はいおりの申し出に礼を言い、自身の教科書のマーキングや注意書きを見比べながら復習を始める。
※ ※ ※
「それでは、お邪魔しました」
廊下から一段低い玄関。そこで靴に履き替えたいおりと愛が、奥に向かって頭を下げる。その会釈を受けて、Tシャツにスパッツと言う運動着に着替えた裕香と、一緒に見送りに出てきた純が軽く右手を上げて応える。
「ええ、気を付けてね。でも、もっとゆっくりしてくれてもよかったのよ?」
そう言って首を傾げる純。それに愛が微笑みながら返す。
「それはうれしいんですけれど、今日は両親にも連絡していませんから」
愛が遠慮する理由を告げる。それに続いて、いおりももう一度頭を下げる。
「私も夕食の支度がありますので。前もって両親に連絡してからでないと……」
「あなたが食事の支度をしてるの!?」
いおりの言葉に、純は驚き目を剥く。そんな純にいおりはあごを引いて頷く。
「はい。両親は共働きで帰りも遅いので、多少覚えてからは私がやることになっています」
そのいおりの事情を聞いて、純は眉根を寄せる。
「そうなの? じゃあこれから作って待っていて、ご両親と一緒に夕食なのね」
「いいえ」
純の推測に即座に首を横に振るいおり。それに純が顔に疑問符を浮かべる中、いおりは話を続ける。
「両親は本当に夜遅いので、私はいつも作って置いて先に食べて寝ています」
「そんな……」
それを聞いて純は胸元で拳を作る。そして身をかがめ、いおりの顔を覗きこむ。
「大室いおりさんだったわね。今日はともかく、今度は夕飯を食べていきなさい。是が非でも」
「は、はい。その時は是非に」
純に気圧される様な形で頷くいおり。その純の隣で裕香が愛の方を見ながら口を開く。
「じゃあ次の土曜と日曜は、泊まり込みで勉強会にしようか?」
「あ、いいね。それ!」
裕香のその提案に愛はすぐ笑顔で頷く。それを確かめて、裕香は母といおりを交互に見る。
「そんな感じでやりたいんだけど、いいかな?」
「もちろんよ。ウチは使ってくれて大丈夫だからね」
首を傾げて、確認するように尋ねる裕香。すると純も間髪入れずに首を縦に振って娘の案を認める。それに続き、いおりも戸惑いがちに目を泳がせながら頷く。
「う、うむ。裕香のご母堂さえよければ。私には何も問題はない」
「うん。それじゃあ、次の土日は家で泊りこみの勉強会っていうことで」
全員の快諾で土日の勉強合宿の予定が固まり、裕香は両の掌を合わせる。
「よろしくお願いします」
「……お願いします」
そう言って愛といおりは、揃って純に向かって頭を下げる。それに純は頬笑みで応える。
「ええ。歓迎するわ」
「じゃあお母さん。私、二人を途中まで送って、そのついでに軽く走ってくるね」
裕香は母にそう告げると、スリッパから愛用のスニーカーに履き替える。
「行ってらっしゃい。でも送るのは良いけど、自分のことも気を付けてよ?」
「うん、分かってるよ。それじゃ、行ってきます」
「お邪魔しました」
ドアノブを握る裕香。その一方、愛といおりは改めて純に会釈し、裕香の後に続く。
吹上家を出、正面の門を通る三人娘。道路へ出た一行は、そのまま山端公園を目指して歩いていく。
「二人のおかげで、今回の勉強は凄くはかどってるよ。今度のは本当に普段よりいい成績がとれそう!」
裕香はそう言って、機嫌よく和らげた顔を両脇を歩く二人へ向ける。それに愛といおりは微笑み頷く。
「裕香さんが自信を持てたみたいで良かった」
「うむ。裕香はそもそも、勉学に関しても苦手意識を持つ必要などなかったのだ。後は自信と熱意を持って取り組めば、何も問題はないのだ」
夕日に晒したおでこを輝かせる愛と、腕を組んで繰り返し頷くいおり。そんな二人の友達に、裕香は微笑みのまま頷く。
「でも、今回は行ける気がするって思えたのは二人のおかげだから。ありがとう」
礼を言う裕香。だがそれにいおりは首を左右に振る。
「クク……我が友よ、礼を言うにはまだ早いぞ? テストは結果はおろか、まだ本番すら始まってはおらぬのだぞ?」
そのいおりの含み笑いに続き、愛も頭を振る。
「そうそう。いおりさんの言うとおり、本番は週明けなんだから。気を抜かずに備えていこう」
「はは……それもそうだね」
いおりと愛に諌められ、裕香は苦笑と共に前髪を触る。
そうして会話を交えて進んでいる内に、三人娘は山端公園の前に差し掛かる。
所々が修復中の公園。その前で三人は立ち止まり、左右に伸びる道を交互に見やる。
「ここが分かれ道なんだよね」
「うん。どうしようか。先にいおりさんを送って行って、家の場所を確認しようか?」
愛の言葉に頷き、裕香は腰に手を当てて右の道を見やる。するとその提案にいおりがあごに指を添えて左を見る。
「それもよいが、私としては買い足しておきたいものもある故、後でも構わぬぞ」
「そう? じゃあそうしようか」
裕香はそのいおりの提案に従い、愛の家のある中学校方面に足を向ける。
だがその瞬間。公園の奥から黒い靄の様なものが吹き上がる。
「なに!?」
「これは!?」
「きゃあああッ!?」
溢れ出し、高波の様に迫る靄。波そのものの圧力を持ったそれに、裕香達は呑み込まれ、押し流される。
「愛さん!? いおりさん!?」
離れていく悲鳴を追って顔を向ける裕香。その間にも裕香の体は津波の如き靄に押し流されていく。裕香たちを押し流して引き離す靄。それに包まれた裕香は不意に体を撫で掴まれる様な感覚に襲われる。
「ヒッ!? ……クッ!!」
襲いかかる体を撫でまわす感覚。それに裕香は嫌悪感を露わに歯噛みし、右の拳を握りこむ。
「ハアアアアッ!!」
鋭い気迫の声を響かせ、右の拳と左掌を打ち合わせる裕香。衝突と同時に弾ける音と光。広がるそれに押し退けられるように、靄が裕香の体から剥がれ散る。
靄から解放され、宙へ投げ出される裕香。裕香はそのまま輝く拳を掌に磨り合わせて振り抜き、身を捩って輪を描く。
「変身ッ!!」
鋭い気合に続いて、爆ぜ広がる光が裕香を包む。その輝きを突き破り、白銀の戦士が躍り出る。
空中で前転し、片膝を突いて着地する仮面の戦士、ウィンダイナ。裕香本来の姿よりも頭一つ高く、男としか思えない筋骨逞しい巨躯。その身を包む筋肉を模った装甲が、茜色の光を跳ね返して煌く。
バイザーの奥で目を輝かせるウィンダイナ。その周囲で飛び散り、壁や地面に張り付いていた黒い靄が蠢き、三つの大きな塊を形作る。
粘液の様に粘り気を帯びて蠢く黒い靄。ウィンダイナは周囲を取り囲む黒い塊を睨み、膝を伸ばして立ち上がる。
銀の戦士を取り囲んだ黒い塊が、蠢きながらじりじりと迫る。ウィンダイナは油断なく身構え、取り囲む敵へ視線を巡らせる。そのウィンダイナの目が、流れる黒い靄から突き出た右手を捉える。
「見つけた!!」
ウィンダイナが靄から生えた手に意識を向けた瞬間、黒い粘液の塊が躍りかかる。
「邪魔をッ!」
行く手を塞ぐ塊の上半分を右フックで吹き飛ばし、別の一塊を左の拳で貫く。
「するなぁッ!!」
そして背後から躍りかかる粘液塊を後ろ蹴りで迎え撃つ。
「今助ける!」
爆散するそれらを一瞥することなく、ウィンダイナは跳躍。流され続ける腕に向かう。
民家の壁を蹴り空中で前転。助けを求めて突き出た腕を追い掛ける。だが空を舞うウィンダイナを迎え撃つように、靄の水面が湧き立ち、槍のように突き出る。
「クッ!?」
不意の迎撃に歯噛みし、両腕を交差して防御するウィンダイナ。そして撃たれた勢いのまま、後方へ押し退けられる。
ウィンダイナは空中で身を捩り、アスファルトへ両足を揃えて着地する。そこへ背後から広がった粘液の塊が覆い被さろうと襲いかかる。
「せあ!」
それを背後へ撃ち出した左肘で迎撃。だが、そこへ更に前方から迫る黒い波。しかしウィンダイナはすぐさま正面に向き直り、右拳を輝かせて打ち砕く。
「ルクシオォォンッ!!」
黒い波を拳で真っ二つに割った姿勢のまま、愛機を叫び呼ぶウィンダイナ。だが突き出した拳に灯った光は、何も呼び出すことなく渦を巻いて空に散る。
「そんなッ!? ルーくんが、ルクシオンが呼べない!?」
ウィンダイナはその異常事態に、握った右手を顔の前にやる。しかし、またも背後から襲い来る粘液に、急いでその場から跳び上がる。
空中でひねりを加えて身を翻し、民家と道路を遮るコンクリート壁に降り立つウィンダイナ。そして着地した刹那、すぐさま足場を蹴って走り出す。
「ちゃんと繋がらない! このヘドロみたいなのが出してる結界のせい!?」
下から飛び掛かってくる大小様々な黒い粘液塊を拳で迎え撃ちながら、ウィンダイナはその勢いを殺さずに走り続ける。だがその前方では、脇道によって足場にしている塀がが途切れてしまっている。
しかしウィンダイナはそれを見てなお、寸毫の躊躇もなく加速。
「ハアッ!」
そして鋭い気を吐いて踏み切り、宙へ舞い上がる。 跳び上がった白銀の戦士を目掛け、撃ち出される粘液。だが拳を構えたウィンダイナは、その対空砲の弾幕の中へ、頭から突っ込む。
「セェアァラララララララララララララッ!!」
バイザー奥の目が輝き、轟く雄叫び。それを引き金に繰り出す拳の弾幕。流星群にも似た白銀の光は、迎撃に迫る粘液を、一つ残らず逆に迎え撃つ。
「ら、らぁ!」
そして弾幕を迎え撃った勢いのまま、右手を蠢く黒へ突き刺し、左手で手首まで飲まれた手を掴む。
黒い靄を踏む足は、たちまち足首まで沈み、さらに引きずり込まれるように飲まれていく。
だがウィンダイナはそれに構わず、粘液に突っ込んだ右手をかき回して探る。
「よし!」
やがて探し物を捉え、頷くウィンダイナ。その瞬間、両脇から粘液が間欠泉のように噴き上がる。
粘液を追って顔を上げるウィンダイナ。その頭上では、まるで逃がすまいと言わんばかりに、黒い網が出来上がる。
だがウィンダイナは掴んだものに目を落とし、膝を曲げて足に力を込める。
「キィイアッ!」
そして烈帛の気合と共に跳躍。その勢いは足に絡み付いた粘液を引き千切り、頭上の網を紙のように易々と突き破る。
抱えた愛と共に粘液を振り切り、ウィンダイナは空へ駆け昇る。そしてジャンプの頂点で、腕の中の愛を横抱きに抱え直し、前回りに一回転。
「キィイアアアアアッ!!」
続けて、鋭い声と突き出した両足で空を切り裂き、急降下。光を纏った両足を一直線に粘液塊へ突き刺す。
爆音を纏って弾ける光。
それらが通り抜けた後、光の中心となった場所が露になる。
そこには、気を失った愛を抱えて、翡翠色の魔法陣の中心で片膝を突くウィンダイナの姿があった。
ウィンダイナが愛を抱えたまま立ち上がり、振り返る。するとそこには、人の上半身に似た形を作った、黒い粘液たちが群がってきていた。




