いざ遊戯の山へ~その2~
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今回もお楽しみ頂けましたら幸いです。それでは、本編へどうぞ。
「そろそろ私たちの番かな?」
頭上から響く、尾を引いた歓声。愛はそれを聞きながら、回転するブランコとそれに乗った人々を見上げる。
「ふむ、そのようだな」
その右隣でいおりが日傘を後ろに傾け、稼働中のアトラクションの様子を窺う。
いおりたちの前列。そこで孝志郎と並ぶ裕香は、頭上の回転ブランコから、左手の孝志郎に目を落とす。
「二人乗りみたいだし、孝くんは私と一緒ね?」
「うん!」
屈託のない笑顔で、頭一つ高い裕香に応える孝志郎。
「くぅっ、何であそこでパーを出したんだよ俺ェ……」
裕香たち二人の逆、いおりと愛の背中側。そこで涼二が、わなわなと震える右の平手へ目を落としている。
ほんの少し前。稼働中の回転ブランコへいざ並ぼうというところで、涼二が並び順がバスと似たような感じでは飽きると、並び替えを提案。それに全員が賛成し、組み合わせを決めるためにじゃんけんを行った。その結果がご覧の有り様である。
そうしている内に、アトラクションの回転が徐々に緩やかになり、遠心力で地面とほぼ水平になっていたブランコが、少しずつ降りてくる。
やがてブランコと支柱は平行になる。そして回転を止めた円盤状の基部が、ゆっくりと乗客を地面へ降ろす。
地に足をついた先客が、シートベルトを外して降りてくる。
「意外とスリルあるよな、コレ」
「こういうのも悪く無いわよね」
すれ違い様に耳に触れる先客の声。言葉の割には楽しげに弾むそれを聞き、裕香は思わず笑みをこぼす。
「はい、では次のお客様どうぞ!」
係員の誘導に従い、裕香たちはゲートを潜って柱状のアトラクションを囲う柵の中に入る。
タコやクラゲの足の様にぶら下がるブランコ。裕香と孝志郎は手を繋いだまま、その一つに歩み寄り、先端の二人掛けの椅子に並んで腰を降ろす。
シートベルトを締めて、体を椅子に固定。そうして裕香は、右肩越しに振り向いて、すぐ後ろの席に並ぶいおりと愛を見る。
それに気付いて、愛が大きく右手を挙げる。一方いおりは、肩の高さに挙げた右の平手を軽く左右に振る。
そんな二人の友だちへ、裕香も右手を小さく振り返す。すると頭上から固い音が響き、震えが尻を乗せた椅子から伝わる。
その振動に裕香は正面を向き、ブランコを吊る鎖を掴む。
直後、裕香の足が地を離れ、腰かけたブランコが、少しずつ上へ引っ張られていく。
上昇につれて、徐々に広がる景色を巡り見る裕香。
園内の奥でうねる、山裾の地形を活かした大型コースター。ゆったりと回る大きな観覧車。他にもおどろおどろしい外装の建物に、ショーの舞台となるイベント会場。
裕香は、そんな園内にひしめくアトラクションを一望し、隣の孝志郎へ目を向ける。
「うわあ、けっこう高いなあ」
真下を見て、感嘆の声をもらす孝志郎。そんな年下の幼馴染みの姿に、裕香は唇を柔らかく緩めて、繋いだ手を軽く握る。
「孝くん」
「なに、裕ねえ?」
裕香の呼び掛けに孝志郎の顔が上げる。不思議そうに見つめてくる褐色の瞳に、裕香は今一度、周囲へ目を向ける。
「ほら見て、いい眺めだよ?」
裕香に倣い、周囲に目を向ける孝志郎。
「おお!」
目を輝かせ、感嘆の声を上げる孝志郎。それに続き、頂点に達した円盤状の基部が回転を始める。動き出す景色の中、孝志郎はアトラクションの立ち並ぶ園内に視線を巡らせる。
「あ、あそこでショーやるんだよね!?」
「うん。今から楽しみだね」
イベント会場を見下ろす孝志郎に、裕香は微笑み頷く。すると孝志郎は会場に向けていた目を別の方向に向ける。
「お? あれは?」
徐々に動く景色の中、孝志郎はある一点に視線を注ぐ。
「どれどれ?」
その視線を辿る裕香。その先には飾られたアスレチックコースの門と、それを中心に扇形を描いて集う人々の姿があった。円の軌道を描くブランコの上から、裕香はその光景を見下ろす。
「何か、アスレチックコースのイベントかな? 近くを通った時に確認してみようか」
「そうだね! タイムアタックとかやってたら、挑戦してみてよ裕ねえ」
そう言って笑顔を見合わせる二人。
そんなやり取りの間に、ブランコはすでに一周。更に回転の速度を増していく。
「おお、結構速くなってきたね」
「うん、周りの景色もだんだん……だんだん……?」
そう言っている内に、裕香の髪が真後ろに靡き、周囲の景色も目に留める間もなく後ろへ流れていく。
そこから更に景色の流れが加速。裕香たちの乗るブランコも、周回ごとに増える遠心力に引かれて角度を順調に増していく。
「ちょ、速い! 速い! 思ってたより速いッ!」
「風が、空気が壁みたいに感じる!」
蓄積する速度に叫ぶ孝志郎。そんなことなど知ったことではないと言わんばかりに、ブランコは加速、加速、加速。低い唸りを上げて、空気の壁を押し破っていく。
その大気との激突で裕香の前髪が散り流れ、その下にある楽しげな顔があらわになる。
「じ、地面が真横、ほぼ真横になってるぅぅッ!?」
ほぼ真横になった地面を見下ろし、悲鳴を上げる孝志郎。その隣で、裕香は正面を向いて歓声を上げる。
「わひゃあああああああああああ!!」
「うぅひゃああああああああああッ!?」
普段は髪に隠れた目を晒し、楽しげな声を上げる裕香。その横で孝志郎は、鎖と裕香の手をしっかりと握り、自分たちをぶんまわすブランコの上で悲鳴を上げる。
乗客をぶんまわし続ける回転ブランコ。やがて回転が緩まり、客を乗せてほぼ柱と直角になっていたブランコは速度ともに角度を緩めていく。それに伴って、足下に地面が近づいてくる。
ゆるゆると降下するブランコは、やがて裕香たちが乗った時と同じ高さまで降りる。アトラクションの動きが落ち着いた所で、担当の職員が寄ってくる。
「はい、足元に気をつけてください」
裕香たちは職員の誘導に従ってシートベルトを外し、ブランコを降りて地面を踏む。
「おお、っととぉ……?」
「あ、孝くん。大丈夫?」
着地と同時に、よろめく孝志郎。その年下の幼馴染の体を、裕香は両腕で受け止めて支える。
「あ、ありがと、裕ねえ」
礼を言う孝志郎に、裕香は唇を柔らかく緩めて頷く。
そうして二人は改めて手をつなぎ直し、アトラクションの出口へ向かう。
「やあ、思ってたよりずっとスリリングだったね」
「ククク……真横になった地面を見下ろすのは、中々に愉快であったな」
後ろから続いて出てくる愛といおり。裕香はその二人に振り向いて、頷く。
「そうそう、見た目より勢いがあってびっくりしたね」
「うむ。最初の景気づけとして良い選択であった」
満足げに頷き返すいおりと、その隣で照れ笑いを浮かべる愛。その後ろから、涼二が皺を寄せた眉間を指で掻きながらゲートから出てくる。
「あれ? 鈴森くん、どうしたの?」
どこか不調そうな涼二へ、裕香は首を傾げて尋ねる。すると涼二は顔を上げて、首を左右に振る。
「ああ、いや。思ったより勢いがあったからさ」
そう言って涼二は笑みを浮かべ、園の奥へ目を向ける。
「それより、次に行こうか。どれにする? 俺としては、ホラーハウス「恐怖のゲーム」なんていいと思うんだけど」
「ふーんホラーハウスね。いいんじゃないかな」
涼二の視線を辿り、その提案を首肯する愛。
そんな二人を見て、裕香は孝志郎、そしていおりへ顔を向ける。
「うん。孝くんといおりさんはどう?」
裕香が首を傾げて訊ねる。すると、孝志郎といおりも涼二たちの見る方角に顔を向ける。
「ふむ。私は構わぬぞ」
「俺も大丈夫だよ」
裕香へ向き直り、頷く二人。孝志郎といおりの了承を受け、裕香も涼二の提案に頷く。
「うん。じゃあ行こうか」
裕香はそう言って、一行に先だって歩き出す。
孝志郎と手を握って歩く裕香。そしてホラーハウスへ歩を進めながら、後に続く一行に振り返る。
「ちょっと途中で確認したいことがあるから、少し寄り道してもいいかな?」
「うん、私はいいけど。何か気になることでもあったの?」
振り返り確認する裕香に、愛が首を傾げて訊ね返す。それに裕香は目にかかる前髪を揺らして頷く。
「うん。上から見えたんだけど、アスレチックコースで何かやってるみたいだから、何かなって思って」
「なるほど。面白そうであるな」
口の端を吊り上げて頷くいおり。その後ろで、涼二が手近な案内板に目をやる。
「そんなに大回りなコースにはならないみたいだから、いいんじゃないか」
涼二はそう言って顔を前方に戻し、眼鏡のブリッジを押し上げてその位置を直す。
「やっぱり吹上って運動得意だから、そういうのに興味あるんだな」
「なんだよ。裕ねえの事それくらいしか知らないのかよ」
涼二の言葉に振り返り、軽く鼻を鳴らす孝志郎。
その孝志郎の言い様に、涼二は眉根を寄せて苛立ちを滲ませる。だがその口が開かれるよりも早く、裕香が傍らの幼馴染に目を落として、首を左右に振る。
「仕方ないよ。私、学校じゃ体育くらいでしか活躍出来ないし、性格と首から上はとにかく地味とか男子に言われてるから。運動部でもないただのクラスメートじゃ、私自身に興味持つはずないし、ね? 鈴森くん」
裕香はそう言って、後ろの涼二へ微笑を向ける。
「あ、いや、俺は……」
「鈴森くんだって、前倒れてたのを助けたお礼じゃなかったら、誘ってくれることなんてなかったんだから」
口の中に声を籠らせた涼二をよそに、裕香は隣を歩く孝志郎に目を戻す。すると孝志郎は後ろの涼二を一瞥。前髪に隠れた幼馴染の顔を見上げて片眉を持ち上げる。
「そうなんだ。もったいないの」
呟き、どこか安堵の色を帯びた笑みを浮かべる孝志郎。そうして後ろに続くいおりと愛へ振り返る。
「姉ちゃんたちもそう思うよね?」
その孝志郎の問いに、愛といおりは揃って深々と頷く。
「うんうん。孝志郎くんの言うとおりだね」
「まったくだ。所詮、我が友の外見だけを眺めて満足しているだけの輩には、そこらが限界ということよ」
そう言って裕香と孝志郎を追いかけ、早足で進むいおりと愛。その背中を追い掛けて、涼二が慌てて小走りに駆けだす。
「いや、俺もそんな奴らとは違うから!?」
そうして五人は、裕香と孝志郎を中心に横一列に並ぶ形で園内の雑踏をかき分けていく。
やがて一行の右手側に、流れずに固まった人だかりが現れる。
「すみません。ちょっと通して下さい」
扇形に広がって奥を見る人々。その視線の集まるアスレチックコースのゲートへ向かい、裕香たち一行は人の壁を割って進む。
人の壁を割って抜けた先。アスレチックコースの入り口には、「アイアンマウンテンアスレチック・タイムアタック開催中」という飾り札が掛かっていた。
「へえ、こんなのやってたんだ」
看板を見上げながら呟く愛。それを受けて孝志郎は褐色の瞳を輝かせて裕香を見上げる。
「やっぱりやってたよ裕ねえ!」
「うん。じゃあみんな。まだ参加できるか聞いてみるね」
裕香は見上げてくる孝志郎に頷き、後ろの友達へ振り返る。首を縦に振り、了解の返事をする三人。それを確かめて、裕香はゲートの側に立つ男性スタッフへ歩み寄る。
「あの、このタイムアタックってまだ参加できますか?」
受け付けの締め切りと、参加枠の空きを確かめるため訊ねる裕香。その質問を、受付役らしきスタッフは笑みを浮かべて迎える。
「はい、大丈夫ですよ。飛び入り参加も受け付けています。今ならすぐにでも記録をとれますよ?」
その受付役の返事を聞き、裕香は再び背後を振り返る。
「すぐ参加できるみたいだし、やってみてもいいかな?」
首を傾げて訊ねる裕香。すると愛が笑みを浮かべて頷く。
「うん。応援してるね、裕香さん」
「ククク……その力、存分に魅せてくれ」
笑顔で見送る愛に続き、いおりが含み笑いを零す。そしていおりを挟み、愛の逆側に立つ涼二も頷く。
「吹上がやりたいって言うなら構わないさ」
「頑張れ、裕ねえ!」
目を輝かせて応援の言葉を送る孝志郎。裕香はそんな幼馴染と、友人たちへ笑みを返し、受付のスタッフへ向き直る。
「じゃあ、タイムアタックに挑戦させてもらいます」
「はい。ではここに名前を入力して、このゲートからお入りください。スタート地点で合図が出たらスタートです」
「分かりました」
受付の指示に従って、裕香はゲート脇のタッチパネルに名前を入力。来客を待って口を開ける門の前に立ち、今一度背後の四人へ振り返る。
「じゃ、行ってくるね」
右手に拳を固め、四人に出陣の挨拶を告げる裕香。それに少女二人が笑顔で、少年二人が親指を立てて見送る。そんな四人の見送りに裕香は唇を柔らかく緩めて頷き返し、ゲートを潜ってスタート地点へと向かう。
木を足場に組んだ階段を昇る道すがら、裕香は靡き揺れる長い後ろ髪をまとめる。そうしてポケットから髪ゴムを取り出して、黒い髪をポニーテールの形に括る。
周囲から僅かに高い位置にあるスタート地点。赤信号の灯るそこで、裕香は軽く頭を振り、目を隠す前髪と、ポニーテールにまとめた後ろ髪を揺らす。
そして深く静かな呼吸を重ねつつ、金網を張ったシャッター、その向こうへ真直ぐに伸びる最初の直線を見やる。
そうしている内に、スタートとコースを遮るシャッターが降り、同時に信号が青へと変わる。
「ハ!」
スタートの合図と共に、裕香は鋭く息を吐き、木の床を踏み鳴らして駆け出す。
白いショートパンツから伸びる長い裕香の脚。そこに宿る引き締まった筋肉が爆発的な推進力を生み出し、スタート直後の直線を一気に駆け抜ける。
突き当りで左足を軸に、後ろ髪を翻してターン。左折し、飛び石状に立つ丸太へ走る。
「ハアッ!」
掛け声を上げて踏み切る裕香。四肢を伸ばして空をかけ、足一つ分ほどの広さの年輪を踏む。そこから勢いを殺さぬままに跳躍。左斜め前の丸太足場、更に右斜め前の足場へと、次々にジグザグに稲妻を描く様に跳び渡る。
最後の足場を踏み切り、長方形の板状の足場へ舞い降りる。
「ッ!」
だが足裏が踏み込んだ瞬間、足場がぐらつき、左斜めに傾く。裕香はとっさに浮き上がった足場を踏み込み、強引に押し返してバランスをとる。そして足場の下に通った軸の上を踏み、その上を一本の線を通る様に駆ける。
右へ左へ傾く足場を走り抜ける裕香。そして鋭く息を吸い込み、ロープの下がった次の足場の目前で、ぐらつく板の右角を踏んで跳躍。続けて左からシーソー状に跳ね上がる足場を蹴り、次の足場へ飛び込む。さらに右手の壁を蹴りつけて跳ぶ。
裕香は跳躍の勢いのまま空中でロープを掴み、眼前に迫る板壁を、突っ張ったロープを引くと同時に両の足で蹴る。
「ハアッ!」
絶え間なく連続する跳躍音を切り裂く声。鋭いそれと長い髪の尾を引きながら、裕香は掴んでいたロープを手放して空中で身を捩る。その勢いのまま渦を巻くように空を舞い、壁の上に続くコースへ深く足を曲げて着地。
響き広がる重い着地音。そんな中、裕香は目にかかる前髪を振り払うほどの勢いで顔を上げる。そしてすかさず前方へ現れた道へ駆け出す。
阻むもの一つない道を駆ける裕香。だが挑戦者をただ順調に進ませるはずもなく、その行く手を遮ろうとするかのように振り子がよぎる。
鈍い風切り音と共に通り過ぎる黒い袋の振り子。それが戻ってくる前に裕香はその軌道をすり抜ける。続いて戻ってくる二つ目を背中に掠らせて避ける。そうして二つを抜けた先で、前方から待ち構えていたかのように振り子が襲いかかる。
「フッ!」
裕香は鋭く息を吐き、上体を左斜めに屈めて振り子を右こめかみに掠らせる。そして素早く屈めた上体を右へ振り戻し、続く縦振り子をかわす。続けてヘッドスライディングの要領で跳び、次の足場へ滑り込む。
前回りに受け身を取り、片手片膝を突いてブレーキ。そこから素早く背筋を伸ばし、下り階段状に配置された丸太へ跳び下りる。
着地の瞬間、沈み込む足場。それに合わせて裕香は身を沈め、そこで溜めこんだ力で次の足場へ飛ぶ。
前回りに空中前転を繰り返し、沈む足場を次々と跳び越える裕香。そして最後の足場から、渾身の力で跳躍。両の手を伸ばして真直ぐに空を裂いて駆け昇り、雲梯の始点となる棒を掴む。
「は!」
そして勢いを殺さずに腕を引き、更に高く舞い上がる。空中で膝を抱えて一回転。そして先程掴んだ棒へ両足を揃えて降り立つ。そこからすかさず梯子状に並ぶ棒を二本飛ばしに踏み渡り、駆け抜ける。
果ての一本を踏み切り、跳ぶ。
眼下に最後の飛び石エリアを眺めながらの錐揉み回転。そのまま身を翻し、ゴールと書かれた足場へと深く膝を曲げて着地。そこから両足を揃えた姿勢で背を伸ばし、両腕を広げて十字架の様なフィニッシュポーズを取る。
締めの姿勢で静止する裕香。直後、それを待っていたかのようにファンファーレが鳴り響く。
「し、新記録!? 少年部門最短時間でのクリア記録が出ましたッ!?」
祝福のファンファーレと共に裕香の記録を讃えるアナウンス。それに続き、拍手と歓声が巻き起こる。
「え、あ? えっと」
自身に浴びせられる拍手と視線に、戸惑う裕香。長い前髪の奥で頬を染めて、周囲を落ち着きなく見回す。
羞恥にうろたえながらも、両手を太ももに添え、深々と頭を下げてどうにか拍手に返礼。頭を上げると、ゴール地点脇に開いたゲートを抜け、そそくさとアスレチックコースを後にする。
※ ※ ※
「ホラーハウス怖かったよね。私まだゾッとするよ」
フードコーナーにあるハンバーガーショップ。その五角形のオープン席で、愛が肩を震わせてアイスティーのストローを吸う。
アスレチックコースから立ち去った一行は、予定通りにホラーハウスを楽しみ、園内に設けられたフードコーナーで昼食を摂っていた。
「ああ、特にあの「振り向くな」って声で振り向いたら、横を通りすぎた人形の首が落ちたのにはな。正直舐めてかかってたわ」
涼二は左隣に座る愛の言葉に頷き、右手のハンバーガーを頬張る。
そんな左手に座る二人を一瞥して、いおりは腕を組んで含み笑いをこぼす。
「クク……存外にだらしないな二人とも。私はあの程度ではビクともせぬぞ?」
得意気に口の端を吊り上げるいおり。
裕香は左に座る友人に頷き、ラージサイズのコーラのストローから口を放す。
「そうだったね。私が怖くて手を伸ばしたら、いおりさんがしっかり握り返してくれたし。いおりさんと孝くんのお陰で心強かったよ」
裕香がそう言って微笑むと、いおりは仄かに頬を染めて目を逸らす。それに裕香は笑みを深めて、自分と愛の間に座る孝志郎に目を向ける。
「孝くんもありがとう。孝くんはいつも私に勇気をくれるよね」
裕香がそう言うと、孝志郎はハンバーガーへかぶりつこうと開いた口を閉じ、頬に朱を浮かべる。
「そう、なのかな? 俺の方が、ずっと裕ねえから勇気や元気をもらってると思うけど」
照れ臭そうに身を縮める孝志郎。そんな幼馴染みに、裕香は微笑みのまま頭を振る。
「そんなことないよ。孝くんのお陰で、好きなものを真っ直ぐ見つめられる私が居るんだから」
それを聞いて裕香の顔を見上げる孝志郎。
「裕ねえ」
「孝くん」
互いの名を呼び、見つめ合う二人。
そんな二人の様子に、涼二は慌てて口の中の物をジュースで流し込む。
「と、ところでさ、アスレチックでの吹上は凄かったよな! こう、くノ一か! って感じでさ!」
「スタイル的な意味で?」
「そうそう、格ゲーのくノ一キャラみたいに素早い動きに合わせて躍動する……って、オイ三谷!?」
裕香と孝志郎の間に口を挟む涼二と、それにとがめるような半眼を向ける愛。
そんな二人のやり取りに、裕香は前髪を弄びながら苦笑を浮かべる。
「あ、ありがとう、鈴森くん」
礼を言う裕香。その左隣で、いおりがハンバーガーの包装紙をほどきながら頷く。
「ククク……鈴森がどこを見ていたかはともかく、流石は我が友よ。他の記録も見たが、十五歳以下ではまず勝てまい。大人の記録と混ぜてもベスト4に入る早さであったぞ」
「やっぱり裕ねえは凄いよ!」
揃って裕香を讃えるいおりと孝志郎。それに裕香は前髪から手を離して笑みを返す。
「うん、二人ともありがとう」
そうして両脇の二人に礼を言ったところで、裕香の口が何かを思い出したかのように開かれる。
「あ、そういえば私、素顔でやってた?」
裕香は呟き、思い出した事で沸き上がってきた頬の熱に、両手で包み込むように顔を押さえる。
「あんなにたくさん、知らない人がいる前で、恥ずかしいぃ……覆面かお面でもしておけば良かった……」
目を隠す前髪を揺らし、左右と繰り返し頭を振る裕香。それにいおりは細いあごに指を添える。
「ふむ。先に言ってくれれば貸したのだが」
そう言っていおりは、肩にかけたバッグから何枚かのお面を取り出す。
「え!? なんで持ってるの!?」
「ていうかなんか怖い! その青いのなんか怖くね!?」
いおりの取り出したお面。特にその中の一枚。青い女児向けヒロインの顔をかたどったらしきものに、愛と涼二が怯えて身を引く。
「うぅ、タイムアタックに集中しててつい……ありがとう、いおりさん」
「え、えぇ!? 受け取っちゃうの裕香さん!?」
「しかもその青いのを!?」
両手を出し、大きく瞳孔部分をくりぬかれ、病的なまでに白い肌をしたお面を受け取る裕香。それに愛と涼二は揃って目を見開く。だがそれをよそに、いおりは残りのお面を鞄にしまい、腕を組む。
「クク……どのみち今回は役に立たなんだのだ。礼には及ばぬ」
いおりは含み笑い混じりにそう言い、横目でお面を胸の前に抱えた裕香を見やる。
「しかし、求められれば面を貸すとは言ったが、私は何一つ恥じらうことなど無いと思うぞ。実に見事であった。それはゴール直後の拍手が証明していよう?」
「いおりさん……」
お面を抱えたまま呟く裕香に、いおりは口の端を吊り上げて頷く。それに続いて孝志郎も白い歯を見せて笑みを浮かべる。
「そうだよ裕ねえ! なりきってれば全然気にならないんだし、何もなくても今日みたいに堂々と出来るんだから、自信を持って!」
「孝くんも……ありがとう」
その孝志郎の言葉に、唇を和らげる裕香。
そこで裕香は、孝志郎の口の端にハンバーガーのソースがついているのを見つけ、それに右手を伸ばす。
「あ、孝くん。口にソースがついてるよ?」
「う、え?」
戸惑う孝志郎の唇から、裕香は右手の指でソースを掬いとる。そして指に乗ったそれを、裕香は小さく舌を出して舐めとる。
「はい取れた」
手を唇から放し、孝志郎に微笑みを向ける裕香。その笑みに、孝志郎は頬を染めて縮こまる。
「あ、う……ありがと、裕ねえ」
「どういたしまして」
耳まで真っ赤に染めて俯く孝志郎。そんな幼馴染の姿を見つめて、裕香は笑みをより深める。
そんな裕香と孝志郎の二人に、いおりと涼二は、自分の手元にあるハンバーガーと裕香たちを交互に見やる。
揃って逡巡を見せるいおりと涼二。そして涼二は固唾を呑み、ハンバーガーを掴み取る。
「あ、先輩! あの子! あの子ですよッ!!」
だがその瞬間、高い女性の声が一行に浴びせられる。
「ん? なんだろう?」
その声に振り返る裕香。
「鈴森くん。何するつもりだったの?」
「いや、別に……」
一方涼二は、ハンバーガーを握り締めた姿勢のまま固まり、愛からの半眼を浴びていた。
目を泳がせ、脂汗を浮かべる涼二。それをよそに裕香と孝志郎、そしていおりは投げ掛けられた声の元へ注目する。
「ホラ先輩! あのアスレチックで凄い動きしてた子ですよ!」
「ああ確かにそうだな。って、引っ張るな引っ張るな」
三対の眼が集中したそこには、女性に手を引かれた一組のカップルらしい男女の姿があった。
短く切り揃えた褐色の髪に、動きやすそうなTシャツとハーフパンツ。そばかすのある顔を輝かせて、後ろの男を牽引する若い女性。
その女性に引かれる形で、先輩と呼ばれた若い男性が続く。逆立つほどに短く切りそろえた黒い髪。筋肉質な逞しい体はTシャツとジーンズの上からでも鍛えていることを強く主張している。
「ねえ、そこの前髪の長いアナタ。午前中にアスレチックタイムアタックで、少年部の最速レコードを出した娘よね?」
「は、はい。そうですけど……あの、どちら様ですか?」
歩み寄ってきた一組の男女を座ったまま見上げ、訊ね返す裕香。すると上背のある逞しい男性が、ため息交じりに後輩の肩を小突く。
「ほら、知らない顔からいきなり話しかけたら困るに決まっているだろう」
「あ、そ、それもそうですよね。失敗失敗」
先輩からの指摘に、女性は肩をすくめ、強張った笑みで先輩を見上げる。
そんな二人のやり取りに注目する一行。その視線の集中に気が付き、女性は握り手を口の前に持って行って咳払いを一つする。
「ンンッ! いきなりごめんね? 私は早見、後ろの人は永田さん。私たち、ここでショーをやってる劇団に助っ人に呼ばれてきたスタントマンなの」
「え、ショーの助っ人でスタントマンって……まさか、JDAの方なんですかッ!?」
女性の名乗った職業に、裕香は椅子を蹴るようにして立ち上がる。背筋を伸ばして、手に持ったお面を背中に隠し、一組の男女へ向かい合う。そうして慌てて居住まいを正した裕香に、早見と名乗った女性は目を瞬かせて身を引く。
「う、うん。まだ私はペーペーなんだけど」
頷く早見に、裕香は前髪の隙間から輝く瞳を覗かせる。
「すごい! まさかJDAの人が地方のショーに! 感激です!」
「いやあ、思った以上に食いつくのね」
戸惑い混じりの笑みを浮かべる早見。目の前のそれに気付き、裕香は慌てて頭を下げる。
「あ、す、すみません! 興奮してしまって。小さい頃からの憧れでしたので。まさかJDAの方から声をかけてもらえるなんて、思ってもいませんでしたから……」
受け答えする内に落ち着きを取り戻す裕香。その口から出た言葉を聞いて、早見と永田は感嘆の声を零す。
「そうなんだ! そう言ってもらえると嬉しいですね、先輩」
「ああ、そうだな。直接聞けると嬉しいものだな」
頷き、表情をほころばせる永田。それをよそに、愛と涼二がいおりに顔を寄せる。
「……いおりさん、JDAって、知ってる?」
「……うむ、無論だ。JDAとは「Japan Dynamic Action」の略で、日本のアクション俳優やスタントマンの養成、マネージメントを主な目的とした事務所である。前身となる組織は……」
「あの、それでJDAの方が私に何を?」
いおりの友人へ解説を背後に、裕香は二人へ訊ね返す。
「ああうん。休憩がてら遊園地を回ってたら、凄い娘を見かけたから声をかけて見ようと思ってね。まさか後輩候補とは思ってなかったけど」
そう言ってそばかすの浮かぶ顔に微笑みを浮かべる早見。それに続き、永田も後ろ頭を掻きながら苦笑を浮かべる。
「ああ、そうなんだ。良かったら午後からやるショーも見に来てくれ」
「はい! もちろんです!」
力強く頷く裕香。それに早見と永田は片手を振りながら一行から離れていく。
裕香は離れていく二人の背中を見送り、拳を握ってガッツポーズをとる。そこで視線を感じて振り返ると、目を輝かせる孝志郎。それに、微笑ましげな目で見守ってくる愛といおり。そして困惑気味に目を見開いた涼二と目が合う。そんな一同の視線に、裕香は前髪をいじりながら苦笑を返す。