いざ遊戯の山へ~その1~
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少し前に「なでしこ」のアクトレスをしていた人の公式プロフィールを見てみまして、その体格データからすると、裕香は「なでしこ」のスーツがきついという事が判明しました(笑)
余談はさておき、本編へどうぞ。今回も楽しんで頂けましたら幸いです。
日曜日の早朝、太陽が顔を出し始める時間。
朝もやに霞む遊歩道。両脇に木々の並ぶ道を、長い髪をなびかせた人影が走る。
目にかかる前髪と、背の半ばに届く後ろ髪。その両方を揺らし、息を弾ませて走る裕香。
スニーカーの靴底が地面を蹴る度に推進力が加わり、白いTシャツとスパッツに身を包んだ体が加速する。
木立の合間を縫う歩道を駆け抜ける裕香。やがて歩道の隅に並ぶ休憩用のベンチが近づき、裕香は爪先をそちらへ向ける。
「ハッ!」
掛け声と共に踏み切る裕香。空中で膝を抱え込むように丸まり、前転。両足を揃えてベンチを踏み、曲げた膝を解き放って再度跳躍。
繰り返し空中で前転。そのまま隣りに並ぶベンチへ跳び移る。そして三度跳躍。三度目の空中前転に続いて、舗装された地面へ降りる。着地から前回りに衝撃を分散。そのまま木々の合間へと転がり込む。
「スゥ……!」
朝露に濡れた土と草のにおい。それを深く吸い込みながら身を起こし、裕香は木立の中を駆け出す。
正面を塞ぐ一本の木。その幹を右へかわしてすり抜け、土の上へ張り出した根を跳び越える。裕香はさらにジャンプの頂点で右手側に立つ木の幹を蹴り、正面に生えた木を避ける。
裕香は斜め一直線に空を走り、草に覆われた地面をかすかに踏み鳴らして着地。そして右斜めに傾いた体を立て直し、並び立つ木の合間を走り抜ける。
すり抜けた先で、左から伸びる枝が視界を遮る。それを左手を伸ばし、枝先の葉を背中に掠めて避ける。そして左足が地面を踏むや否や、その足を軸に体を小さく丸めて回転。正面を塞ぐ木を避ける。そこからすぐさま走り出し、右、左とジグザグに木々を避けていく。
裕香が一直線に目指す、公園の敷地の内外を隔てる生垣。長い黒髪を靡かせる裕香は、生垣の手前に生えた木に向かって駆け寄り、その勢いに乗って踏み切る。
「ハアッ!」
掛け声と共に空を舞う裕香。さらに木の幹を蹴りつけ、三角跳びで生垣の上を跳び越える。
裕香は空中で身を捩り、片手片膝を支えに歩道へ着地する。
片膝を着いた着地姿勢のまま、裕香は肩をゆっくりと上下させ、深く息を吸って、吐く。
そのまま裕香は三度深呼吸を繰り返す。すると地面に触れた膝を手で払いながら立ち上がる。
そうして背筋を伸ばして胸を張り、今一度朝の空気を胸の内へ吸い込む。すると、汗に濡れて額に張り付いた前髪を右手で撫で上げる。
続いて頬を伝う汗と、スラリとした顎先にたまった雫を右の指で拭って、左手首の内側にある時計の画面に目を落とす。
「あ、もう戻らなきゃ。スペシャルヒーロー・ヒロインタイムに間に合わなくなっちゃう」
裕香は左手のデジタル時計が示す時間に呟き、時計を付けた手を一度スナップ。そして呼吸を整えながら、右手で前髪を再び拭い上げ、露わになった目を、左に伸びる歩道へ向ける。
「今日は皆と出かけるから、リアルタイムで見ておきたいしね」
裕香はそう言って一人頷くと、頭を振って髪を濡らす汗を振り払い、自宅へと通じる道を走りだす。
※ ※ ※
「じゃあ、行ってきますね」
「行ってきます!」
「はい、楽しんできてね。じゃあ、孝志郎のことお願いね、裕香ちゃん」
白を基調とした日野家の玄関。そこで裕香と孝志郎は、孝志郎の母、実里から見送られていた。
小柄な体を包む、白いシャツに水色のジーンズ。後ろで結んだ息子と同じ褐色の長い髪。実里は目の前の裕香達へ、柔らかく緩めた和やかな顔を向ける。
そんな実里を前に、ライトグリーンのTシャツに、白いショートパンツという、動きやすい格好をした裕香は微笑みながら頷く。
「はい、任せてください。実里さん」
はっきりとした声で返事をする裕香。その左手を赤いTシャツにハーフパンツ姿の孝志郎が握る。
「なあ裕ねえ、早く行こうよ」
そう言って孝志郎は、焦れたように裕香の手を引く。そんな息子の姿に、実里は笑みを零す。
「ホントに孝志郎は裕香ちゃんが大好きね」
「う、うん。まぁ……ね」
微笑む母からの一言に、孝志郎は照れ臭そうに頬を染めて、鼻の頭を掻く。そんな孝志郎に、裕香も前髪を触りながら微笑みを零す。
「それじゃあ、実里さん」
裕香は改めて実里へ出発の挨拶をする。それに実里は微笑み頷く。すると裕香は外へ繋がる硬質な扉へ手をかける。
「行ってくるね、母さん」
裕香に続けて出発を告げる孝志郎。そんな二人に、実里は片手を上げてそれをひらひらと左右に振る。
「二人とも気をつけてね」
実里の見送りに頷き返して、裕香と孝志郎は扉を押し開ける。そして開いた扉をくぐって表に出る。
裕香と孝志郎は、連れ立って日野家から家の前の道路に出る。そうして手を取り合って、同行するメンバーとの待ち合わせ場所に向けて歩き出す。
「なあ裕ねえ、ルクスは今日も一緒じゃないの?」
裕香が右肩からたすき掛けにした荷物。それに目をやりながら訊ねる孝志郎。それに裕香は笑みをこぼして首を縦に振る。
「うん。邪魔する気はないから楽しんで来てよって」
そう言って裕香は右手中指の指輪を、孝志郎に見えるように上げて見せる。すると孝志郎はノードゥスを眺めながら軽く鼻を鳴らす。
「別にもう、とにかく邪魔に思ってるわけじゃないのに。裕ねえと一緒に頑張ろうとしてるのは、分かったし」
前を向きながら呟く孝志郎。それを聞いて裕香は笑みをこぼして右手を顔の前に持っていく。
「だって、ルーくん」
指輪を通して呼びかける裕香に、孝志郎は弾かれたように裕香の横顔を振り仰ぐ。
「ちょ、裕ねえ!? 今のアイツに聞かれてたの!?」
慌てる孝志郎に、裕香は唇を柔らかく緩めて首を横に振る。
「ごめんごめん。繋いでないから。冗談だよ」
「もう! 裕ねえ脅かさないでよ!」
孝志郎は裕香の手を握る手を放さず、正面を向いて唇を尖らせる。それを見て、裕香は笑みを深めて口を開く。
「ごめんね、孝くん」
「めちゃくちゃびっくりしたよ、もう」
そう言いながら、孝志郎は裕香の手を引いて、大股に歩道を進んでいく。
先行する褐色の髪に覆われた頭。それを後ろから見下ろして、裕香は孝志郎と繋いだ手にそっと力を入れる。すると、触れあった孝志郎の手がピクリと震え、大股に進む歩調が緩む。
「ごめんね。孝くんがルーくんと仲良くできる、って思ったら、つい嬉しくなっちゃって」
重ねて謝る裕香。それに孝志郎の歩調がさらに緩み、裕香と並ぶ。そして左隣に戻った孝志郎は、裕香の顔を横目で見上げる。
「ずるいな、裕ねえ。そんなこと言われたら、へそ曲げてるのがバカみたいじゃないか」
孝志郎はわずかに唇を尖らせながらも、裕香と繋いだ手をしっかりと握り返す。そして苦笑気味に表情を緩めて、視線を前に戻す。
そうして歩いていく二人の傍を、一台の乗用車がガードレール越しに追い抜いていく。
やがて前方に現れた山端公園の門を二人は右折。小学校の方面に歩いて行く。
「なんだか懐かしいね。こっちの道を一緒に歩くのって、私が小学校に通ってたころ以来だったよね?」
「あ、うん。前は学校の帰りに一緒に公園まで行ってたもんね」
裕香が不意に湧き上がった懐かしさに口を開く。すると孝志郎は、通りすぎた公園の門を振り返りながら頷く。
そうして孝志郎は、背後に向けていた顔を、今度は裕香に向ける。
「そう言えば、アイアンマウンテンも、裕ねえが小学校の時行ったっきりだったよね?」
「そうそう、そうだったね。あの時はウチと孝くんちのみんなで揃って行ったんだよね」
孝志郎のふった思い出話に、裕香は繰り返し頷く。そして前髪の奥で、手の届かない過去の光景をいとおしむかのように、柔らかく目を細める。
「あの時はシャドウレーサーのショーをみんなで見に行ったよね。今日はやってるのは、確かヨーカイジャーショーだったね」
「うん、楽しみだよ!」
孝志郎はニッと笑顔を浮かべて、首を縦に降る。そして何か思い付いたのか、笑顔のまま、続けて口を開く。
「あ、裕ねえ、もしショーでケガ人でも出たらさ、代役やっちゃいなよ!」
「ええ?」
孝志郎の口にした思いつきに、裕香は目を見開いて声を上げる。
「そんな、ちゃんと代わりの人も居るだろうし、私みたいな中学生がいきなり出ていったって、使ってもらえるはずないよ」
裕香はそう言って、年下の幼馴染みへ右手を左右に振って見せる。すると孝志郎は不思議そうに首を傾げる。
「そうかな? 裕ねえならいけると思うけど?」
そんな孝志郎へ、裕香は苦笑混じりに首を横に降る。
「ありがとう。でも、私なんてまだまだだし、ケガ人が出るようなアクシデントなんて無いほうが良いんだから、滅多なこと言わないで」
裕香のその言葉に、孝志郎は決まり悪そうに目を伏せ、空いた左手で鼻先を掻く。
「そう、だよね。ごめん」
素直に謝る孝志郎。そんな年下の幼馴染の姿に、裕香は唇を柔らかく緩めて、繋いだ手を一、二と握る。
「分かってくれればいいの。私は今、孝くん達専属のアクターなんだから、私の演技だったらまたいつでも見せてあげるから、ね?」
首を傾げて傍らの幼馴染みを覗きこむ裕香。すると孝志郎は表情を綻ばせて頷く。
「うん!」
孝志郎に頷き返し、裕香は前方へ目を向ける。すると集合場所に指定したバス停が裕香の目に飛び込んでくる。その側に集まっていた三つの人影の内、明るいオレンジのワンピースに、白いベストを纏った一つが気付き、裕香達に向けて右手を大きく振る。
「あ、裕香さぁん!」
白いカチューシャに晒された額と同じく、明るい呼び声。それに続き、黒と赤のゴスロリ衣装を纏ったものも、壁から背を放して軽く右手を上げる。その奥では青いパーカーにジーンズを着た少年が襟元を正している。
「いけない、もうみんな揃ってる!」
「急ごう!」
先に集合して待っていた三人の元へ、小走りに駆け寄る裕香と孝志郎。そうして二人は三人の前で立ち止まる。
「ごめん、お待たせ!」
待たせたことに頭を下げる裕香。それに対して、愛は両掌を前に出して、首と一緒に左右に振る。
「ううん。まだ約束の時間よりも前だし、私と鈴森くんもついさっき着いた所だから」
そう言って愛は後ろの二人へ振り向き、特にいおりへいたずらっぽい笑みを送る。
「まあ、大室さんは随分早くから待ってたみたいだけど?」
その視線と言葉を辿り、いおりへ目を向ける裕香。するといおりは赤いリボンで飾ったミニハットを乗せた頭を明後日の方向へ向ける。その新雪の如く白いはずの頬は、うっすらと朱に染まっている。
「そうなんだ、ごめんねいおりさん。待たせちゃって」
「わ、私は別に構わぬ……大した時間でもなし、待つというのも一興よ」
改めて謝る裕香。それにいおりは顔を逸らしたまま、唇をもごつかせて答える。
日傘の先でコンクリートをつつくいおり。そんないおりの姿に愛は小さく笑みを零す。
「大室さん、かわいい」
「むぅ……」
楽しげに呟く愛を一瞥して、いおりは唇を尖らせる。
「そ、それにしても、私服の吹上って、なんか、いいな」
そこへ、眼鏡の位置を直した涼二がようやく口を開く。それに裕香は、首を傾げながら自分の服装を見下ろす。
「そう? 動きやすさで選んでるんだけど?」
ライトグリーンのシャツを押し上げる、年不相応に豊かな双丘。キュッと絞れた腰に、張りのある尻を包む白いショートパンツ。そこから伸びる引き締まり、かつしなやかさを備えた長い足。それらに目をやりながら、涼二は鼻ごと口元を抑えつつ、裕香に歩み寄る。
「あ、うん。活動的な雰囲気が出てて、いいんじゃ……」
掌の下で褒め言葉を口に出す涼二。その視線を遮る様に、孝志郎が裕香の前に割り込む。
「な、何だよチビすけ。吹上の弟か?」
眉根を寄せ、剣呑な目で涼二を見上げる孝志郎。それに涼二は、戸惑いながらも問いかける。
視線をぶつけ合う孝志郎と涼二。そこへ裕香は、孝志郎の肩を後ろから両手で包み、口を挟む。
「えっと、この子は私の……」
「昔からずっと一緒にいる幼馴染み。日野孝志郎」
その裕香の言葉を遮り、孝志郎は涼二へ名乗る。
すると、涼二は口の端をひきつらせ、目の前の孝志郎とその奥の裕香を交互にみやる。
「そっか、吹上って面倒見がいいんだな。よかったな、優しいお姉ちゃんが近所にいて」
「うん。今日も裕ねえから誘ってもらったんだ」
互いに一歩も譲らず、睨みあう男子二人。
そんな二人の生み出す険悪な空気に、裕香はいおりと愛へ目を向ける。だがいおりは言葉を探して俯き、愛も周囲へ視線を泳がせる。
それに釣られて、裕香も背後へ目を向ける。そして後ろから近づいてくるバスを見つけて、孝志郎の肩で手を弾ませながら友人たちへ声をかける。
「ほ、ホラ、バスが来たよ! 乗ろう乗ろう」
「う、うん。遅れちゃう遅れちゃう」
「うむ。こんなことをしている場合ではないぞ?」
そう口々に言いながら、三人娘は睨み合う両者の間に割って入る。
背後に立った体勢から孝志郎の背を押す裕香。いおりは涼二のパーカーに傘の柄を引っ掛け、愛はいおりと共に、パーカーの裾を引く。
「わ、裕ねえ押さないで!?」
「ちょ、分かった、分かったから!」
そうして三人娘は二人の男子を押し引いて、近づいてくるバスに備える。
バスは停留所を目印にスピードを緩め、一行の真正面に入り口を合わせて停車。そして空気の抜けるような音と共に、折り畳む様にしてドアが開く。すると三人娘は、孝志郎と涼二の二人を押し込みながらバスに乗り込む。
車内を奥へと進む裕香たち一行。最後尾の長椅子まで進むと、右奥にいおりが座り、その左隣に裕香が続く。その隣の孝志郎を真ん中。さらに左へ愛、そして左端の涼二と一列に並んだ形で腰を下ろす。
「丁度一番奥が空いてて良かったね」
「そうだね、裕ねえ」
「うむ」
裕香の言葉に、その左右を挟み込む様に座るいおりと孝志郎が頷く。
それに続きバスがエンジンを唸らせ、続いて車体全体が震えて動き出す。
前進を始めたバスの中、涼二が右に並ぶ一同へ目を向け、大きく右手を上げる。
「ちょっと待った! なんでこの並びなんだ!?」
高く挙がったその手に四対の眼が集まる。
「あれ? 何かおかしい?」
孝志郎と愛越しに涼二を見、首を傾げる裕香。
「何もおかしくはないだろう。これが最良の配置よ」
その裕香の隣で、いおりが口の端を吊り上げて微笑む。すると孝志郎がその言葉に同調して、腕を組みながら頷く。
そんな二人の仕草を見て、裕香と愛は揃って笑みを零す。そして愛はいぶかしむ様な半眼を左手の涼二へ向ける。
「もしかして、鈴森くん。さっきみたいに裕香さんの胸元や太ももを隣からじっくり眺めたかった、とか?」
「う!?」
愛の視線と言葉に、涼二は呻き声を零して、眼鏡の奥で目を逸らす。
その明らかに図星を突かれたと物語る涼二の態度。それに裕香は右腕を豊かな胸の上に被せ、引きしまった太ももを左手で隠す。さらにその上から涼二の視線を遮るように、孝志郎が身を乗り出す。
「え!? え!?」
「やっぱり……!」
戸惑い恥じらう裕香。その一方で孝志郎が警戒心を露わにする。その二人の奥では、いおりも唇を結んで眉をひそめている。
「ちょ、ちょ!? 誤解、誤解だって!」
そんな裕香たちの態度に、涼二は慌てて頭を振って疑惑を否定する。
「裕ねえは俺が守る!」
「加勢するぞ、少年」
だが孝志郎といおりは、緩めるどころかより警戒を強める。
「いや、ちょっと大げさだよ。鈴森くんも誤解だって言ってるし、孝くんもいおりさんも、抑えて、ね?」
そんな両脇の二人へ、裕香は柔らかな声をかけてなだめる。
「ふ、吹上ぃ……」
裕香からのフォローに、表情を安堵に緩める涼二。それに裕香は、柔らかな笑みを浮かべて頷く。そこで不意に涼二の目線が下がり、裕香の太ももを射止める。
「あっ」
裕香はそれに気付くと、頬を朱に染めてももを隠す。
「わ、ご、ごめん!」
慌てて謝る涼二。だが孝志郎といおりの視線はさらに鋭さを増す。そして愛も首を傾げ、下から覗きこむように涼二の顔を窺う。
「それで? まだ何かこの並び方に不満があるのかな? うん?」
静かな声で涼二を問い詰める愛。そのにこやかな笑みに、涼二は笑みを浮かべて上体を引く。
「いや、その……み、三谷、なんか怖いんだけど?」
強張った笑みを浮かべて身を引く涼二。それに愛は、首を傾げたままさらに笑みを深める。
「うん?」
「イエ、ナニモモンダイナイデス、コノナラビガサイコウデス。ハイ」
涼二は愛の笑みから目を逸らし、固い声で答える。すると愛は覗きこんでいた身を引いて、笑みを柔らかなものにして頷く。
「うん。じゃあそういうことで」
そうして愛がまとめ、一行は改めてシートに腰を落ち着ける。
※ ※ ※
バスに揺られること暫く。裕香たち一行はくろがね市北地区の端、「アイアンマウンテン前」のバス停でバスを降りる。
「やあ、やっと到着したね」
やや東寄りに傾いた日差しに、額を煌かせる愛。その右隣には孝志郎と、その肩に手を乗せて後ろに立つ裕香が頷く。
「同じ北区内でもけっこう山寄りだしね」
そう言って裕香は、広い駐車場を埋める車越しに、来客を出迎える入場門を見やる。
「それにしても、久しぶりだからなんだかワクワクしてきちゃった。ね? 孝くん」
「だよね、裕ねえ。俺も楽しみ!」
後ろの裕香を振り仰ぎ、白い歯を見せて頷く孝志郎。
そんな二人の右隣。愛の反対側では、白いフリルで飾られた黒い日傘を差したいおりが、門の奥に見える観覧車やジェットコースターのコースなどのアトラクションを眺め、傘をくるりと回す。
「私は初めてだ。同じ市内にあると意外と来ないものであるな」
日傘を回しながら、静かな声音で呟くいおり。その大きな瞳は、初めて訪れる場所に、かすかにきらめいている。
「そうだったんだ。じゃあ今日はしっかり楽しもう」
そう言って裕香は、いおりへ顔を向けて微笑む。それにいおりは横目を向け、唇に薄く笑みを浮かべる。
「うむ。今日訪れたこの好機。存分に生かすとしよう」
微笑むいおりに頷き返す裕香。そして四人から一歩下がった場所にいる涼二へ振り返る。
「今日は誘ってくれてありがとう、鈴森くん」
裕香がそう言うと、涼二は照れ臭そうに目を伏せて、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「いや、俺が誘いたくて誘ったわけだし……」
涼二は呟きながら、愛の左隣に出て、横一列に並ぶ。
裕香は左、右と横並びになった友人たちを見やり、続けて自分の前にいる孝志郎へ目を落とす。
「じゃあ、とにかく入ろう」
みんなへ入場を促す裕香。それに一同は揃って頷く。
それを確かめると、裕香は孝志郎と左手を繋ぎ、先陣を切って歩きだす。その真後ろにいおりが続き、そのあとに涼二。そして最後尾に愛という並びで、一行は駐車場の端へ向かう。
持ち主を待つ車たち。その合間を縫うようにして裕香たちは歩く。
駐車場端を仕切るガードレール。その隙間から固い仕切りに囲まれた歩道に入る。
来場者を待つ門へ向けて、歩道を進む一行。そして受付を前に各々に財布を取り出す。
「中学生四人に、小学生が一人。フリーパスで」
「はい。こちらフリーパスのリストバンドになります」
料金と引き換えに受付の女性からパスを受け取り、門をくぐる裕香たち。
そこでいおりは、受付を肩越しに見やりながら、空いた手をあごに添えて呟く。
「ふむ、もし裕香が高校生だと名乗ってたら、大人料金で通されていたのだろうか?」
「えぇ?」
振り返り、長い前髪の隙間から友だちを見る裕香。その横で孝志郎が首を左右に振る。
「そんなことないって。裕ねえは中学生だよ?」
「だ、だよね。孝くん」
断言する孝志郎に、笑みを向ける裕香。だが他の三人は揃って首を横に振る。
「いやあ、孝志郎くんにはどっちにしろ、年上のお姉さんに変わりはないかもしれないけど、同じ年の私たちから見ても、裕香さんはかなり大人びてるからね?」
「え? そ、そんなことないよ」
照れて戸惑う裕香をよそに、涼二は愛の言葉を深々と首肯する。
「ああ、三谷の言うとおりだ。吹上くらいスタイルがいいのは上の学年にもそうそういないぞ」
「す、スタイルがいいって……」
裕香は小さく呟きながら体を縮ませる。
それを見ていおりは、あごに添えていた手を口元へ持って行き、一つ咳払いをする。
「ンン! ともかく裕香ならありえるかもしれぬ、と思っただけなのだ」
そう言っていおりは片手で日傘を動かし、裕香へ横目を送る。
「で、実際のところどうなのだ?」
そのいおりの視線に、裕香は目を逸らして口を開く。
「……前に、高校生に間違われたことは、あるよ」
スタイルのことを指摘された上と言うこともあり、恥ずかしげに顔を伏せて途切れ途切れの証言する裕香。その内容に、孝志郎は意外そうに呆けた顔を見せ、その他中学生三人は納得したように繰り返し頷く。
「うむ、やはりあったか。流石は裕香」
そう言っていおりは、もう一度深く首を縦に振る。それを見て裕香は唇に苦笑いを浮かべる。
「うぅん、私としてはあんまり嬉しい事じゃないから、ちょっと複雑、かな」
鈍い笑みをまじえて言う裕香。その反応に、いおりは再度縦に振ろうと持ち上げた首を止め、慌てて裕香に顔を向ける。
「そ、そうだったのか!? すまぬ! 悪気は無かったのだ!?」
すがりつく様に迫り、謝るいおり。眉尻を下げ、黒く大きな瞳が泣き出しそうに歪む。そんな友の様子に、裕香は長い前髪の奥で目を見開く。
「いおりさん!? 落ち着いて、急にどうしたの?」
裕香はいおりをなだめようと、声をかける。だがいおりは泣き出しそうな顔のまま、裕香の顔を下からのぞきこむ。
「大人っぽいと見られるのを、裕香が嫌がっていたとは知らなんだのだ! どう詫びれば良いのだ!?」
「そんな、私別に怒ったわけじゃないから、そんな謝らなくても……」
裕香は言いながら右手を出し、ジェスチャーを加えていおりをなだめようとする。
「頼む、どうか嫌わないでくれ! そんな事になったら私は、私は……」
しかしいおりは、まるで聞こえていないかの様に、瞳を潤ませて裕香にすがる。するといおりの肩を、左後ろから伸びてきた手が掴む。
「む? う?」
それにいおりが振り返り、左肩に乗った手を辿る。そこには眉を八の字に下げて微笑む愛の顔があった。
「落ち着いてよ、大室さん」
穏やかな声で落ち着くように促す愛。それにいおりは裕香と愛の間で目を泳がせる。
「し、しかし……」
不安げないおりに、愛は小さく笑みをこぼして首を左右に振る。
「大丈夫。だから落ち着いて裕香さんの言葉を聞いて?」
愛は言いながら、いおりの肩から手を離す。そうしてそのぱっちりとした目を裕香へ向ける。それにつられるように、いおりもゆっくりと裕香へ顔を向ける。すると裕香は唇を柔らかく緩めて頷く。
「ごめんね、不安にさせるようなこと言って。でもそんな嫌って事じゃないから、気にしないで、ね?」
裕香がそう声をかけると、いおりは小さくあごを引いて応える。
「う、うむ。取り乱してすまなかった。見苦しい所を見せてしまったな」
いおりはそう言いながら、唇を薄く吊り上げて、怜悧な笑みを作って見せる。それに裕香は、前後に長い黒髪を揺らして首を横に振る。
「ううん、いいの。私の言い方が良くなかった事もあるし」
「気にしすぎだって、裕ねえがそんな事だけで誰かを嫌うわけないじゃないか」
裕香の言葉に続き、孝志郎がいおりの怯えを笑い飛ばす。それにいおりは、軽く息を吐く。
「うむ。そうであるな」
そう言っていおりの笑みが柔らかいものへ緩む。その横から愛が身を乗り出す。
「ねえ裕香さん。なんで大人っぽく見られるのが嬉しくないの? 私は言われた事ないからちょっと憧れるんだけどな」
首を傾げる愛。その質問に裕香は右手で前髪を弄りながら、口を開く。
「えっと、ね。私は実際、そんな大人っぽいとか言われるほど内面が大人なわけじゃないし、なんだか体ばっかり大きくなってるって言われてるみたいに感じちゃって、素直に喜べないんだ」
裕香はそう言うと、前髪を摘みいじる手を離し、顔を上げる。
「それにね! 大人っぽいって、ある意味老けてるって事じゃないかって思うんだ!」
「なるほど」
その裕香の力強い主張に、一同は顔を見合わせて頷く。すると裕香は深く息を吸って、吐き、アトラクションの並ぶ奥へ足を向ける。
「じゃあこの話はおしまいにして、遊ぼう? 時間ももったいないし」
するといおりがそれに続き、裕香の右隣りで微笑む。
「裕香の言うとおりだ。では何処から行くとしようか?」
いおりの言葉に続き、一行はひとかたまりになって歩き出す。
「ねえ、ヨーカイジャーショーって何時から?」
「おいおい、お子様は早速ヒーローショーかい?」
ヒーローショーの時間を確認する孝志郎と、それを鼻で笑って見下ろす涼二。しかしそこで、裕香が間髪入れずに、孝志郎へ笑い掛ける。
「確かショーは午後からだから、まずは皆で何かに乗って遊んで、お昼食べてからにしよう?」
「そっか、分かったよ裕ねえ」
笑いかける裕香を、孝志郎は笑顔で見上げる。
「え、ちょ、え?」
二人にスルーされる形になった涼二は、二度三度と、レンズの奥で目を瞬かせる。やがてずり落ちた眼鏡を持ち上げて、明後日の方向を見やる。それをよそに、愛が前方を指さしながら一歩前に出る。
「じゃあまずは軽くあれに行こうよ!」
「あ、いいね。いこういこう!」
「オッケー、いいよ!」
「うむ。よかろう」
「あ、ああ。うん」
回転式の空中ブランコを指さし、歩を進める愛。それに裕香を始めとした一行は、口々に賛成意見を挙げて続く。