深まる友情~その1~
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今回も楽しんで頂けましたら嬉しく思います。
カーテンの隙間から差し込む月明り。
細い、糸にも似たささやかな光を避けた影。その暗がりに赤い光が灯る。
『……首尾はどうだ?』
『今一つってとこさね。アタシに手を貸してくれる契約者はあっさり見つかったけど、他は全然さ』
闇の中、黒い犬に似た顔が赤い光に照らし出される。黒竜アムはため息交じりに呟いて、目の前に浮かべた赤い魔法陣に向かって肩をすくめる。すると赤い光で作られた魔法陣が明滅する。
『随分と悠長な構えだな? 時間をかければかけるほど、同胞が飢えに苦しむことになるのだぞ?』
魔法陣越しに投げかけられる、言わずもがなの指摘に、アムは目元を険しく引きつらせる。
『言われなくても分かってるさ! 第一白竜の追手は、アンタが根回しして抑える手はずだったじゃないさッ!?』
アムは赤い瞳で魔法陣を睨みつけ、低い唸り声をぶつける。それに魔法陣の向こうから、微かに漏れ出る様な息が聞こえる。
『それについてはこちらの落ち度だ。すまない。だが、お前が主犯格の可能性があると知って、アイツが飛び出していってしまったのだ。よほどお前のしたことが腹に据えかねたらしい』
幻想界にいる相手からの言葉に、アムは自身に向けられた白竜の翠色の瞳を思い出す。そこに宿った激しい怒りの色に、アムは顔を伏せる。
『ルクス……』
昔馴染みである白竜。アムはその名を呟き、金の輪をつけた尾を揺らす。
『やりづらいようだな。そんな調子で、同胞たちの飢えを満たせるのか?』
嘲笑うような調子の問いに、アムは顔を背けたまま、舌打ちを一つ返す。
『やるさ やるしかないじゃないのさ。アタシはもう、後には引けないんだからさ……』
歯ぎしり混じりに答えるアム。それに魔法陣の向こうから再び含み笑いが漏れる。
『フッ……やる気があるのは結構だ。まあ、お前が契約者から得てこちらへ流している分と、先日の送ってきた分で、当面はしのげるだろう。うまく立ち回ることだな』
それだけを言い残し、赤い魔法陣が音もなく散り消える。闇に漂うその残りかすを、アムは尾を振るって払いのける。
『……ったく! 言いたいほうだい言ってくれちゃってさ。腹の中で何考えてるか、分かったもんじゃないさね。追手を止める根回しも、やろうとしたのか怪しいもんさ!』
アムは鼻を鳴らして、憎々しげに吐き捨てる。すると深まっていく暗がりの中で振り返り、細く差し込む月明りの下へ足を進める。そしてカーテンの隙間へ顔を向ける。
『ルクス……アンタだけは、他の白竜とは違うって……』
月明りの中。嘆くように息を吐き、頭を垂れるアム。
そのままアムは目を伏せて、より深く俯く。不意にその背後でドアが音を立てて開く。
アムがその音に驚き振り返る。同時に天井の電灯が光を灯し、部屋を光が満たす。
「……む? どうかしたか?」
部屋の入り口で、尖ったあご先を左手でなぞるいおり。
細身の体を包む、黒地に白いフリルで飾られたパジャマ。湯上りらしく朱の差した白い肌のまま、いおりは部屋の奥に座る相棒の元へ歩み寄る。
いおりはコミックやライトノベル、アニメ、特撮のDVDの並んだ本棚の横を抜けて、相棒の右横へ腰を下ろす。
『いおりか、いや、何にも問題ないさ』
アムは首と尻尾を左右に振り、右隣の相棒へ答える。
いおりはそんな相棒を見下ろして、再びあご先に指を添える。
「そうか……? そう言うなら深くは聞かぬが、話す気になったら話すがよい」
いおりはそう言って、細いあごから指を外す。
「半身とは言え、聞けるものならば直接お前の口から聞かせてほしいからな」
首を傾げて、長く、真直ぐな黒髪を左手で払い流すいおり。
『すまないね、いおり』
そんな相方の言葉に、アムは軽く息を吐きながら口元を緩める。相棒の礼の言葉に、いおりは小さく笑みをこぼして頷く。
そうしていおりはベッドの上に置いた腰を動かすと、パジャマのボタンを上から順に外していく。
胸元から順に、黒い布に挟まれる形であらわになる白い肌。
赤いレースのブラに包まれた、申し訳程度のなだらかな膨らみ。その胸の間で繋ぎ止めるホックの下、鳩尾を中心に、射的の的のように刻まれた青あざが目を引く。
「さて、この傷跡を消しつくさねばな」
いおりは自身の傷痕を見下ろすと、左手で耳元を隠す髪を掻き上げる。光の下に現れた耳たぶには、赤い玉のはまった金のイヤリングがぶら下がっている。
指先ででイヤリングを弾くいおり。それを受けて、透き通った赤い宝玉が煌く。
「炎よ。我が傷を焼き尽くしたまえ……」
静かな言霊の詠唱。続いてイヤリングを弾いた、いおりの左手から炎があふれ出る。
手に灯った、赤やオレンジに揺らめく炎。それをいおりは躊躇いなく鳩尾に押しあてる。
「ん……」
胸を焼く炎に、微かに声を漏らすいおり。そのまま深く息を吸って吐き、腹へ撫で下ろす様に手を流す。
手の外れた後で、鳩尾にくすぶる様な形で残る炎。それが火の粉となって昇り消えると、その後には青あざというダメージ痕の焼き尽くされた、白い肌が輝く。
『それにしても……ウィンダイナ、って名乗ってたっけ? アイツにはキツイのをお見舞いされたもんさね。一緒に吹っ飛ばされた時は正直肝が冷えたよ』
白銀の戦士が繰り出す拳と蹴りの連撃で生じた暴風。その威力を思い出してか肩をすくませるアム。
それに対していおりは、パジャマの前を下から止めていきながら、口の端を吊り上げる。
「そうか? ……そうだな。だが、それでこそ我が宿敵よ」
ボタンを上まで止め終えたいおりは、パジャマ越しに再び左手で鳩尾を撫でる。
「魔装烈風、ウィンダイナ。あの力、そしてあの魂……流石は我が見込んだ通りの戦士よ」
そう言って鳩尾を撫でながら、いおりは含み笑いを零す。
アムはそんな相棒を見上げながら、尻尾を一振りする。
『ところで宿敵といやあ、アンタが前に話してた友達とは、どうなのさ? 初めての親友になれるかもしれない奴、なんだろ?』
冗談交じりの調子で相方へに尋ねるアム。いおりは下から昇ってくる視線を受け止め、唇に左手の指で触れる。
「うむ。上手くやれているとは思う。話も通じるし、何よりも、いい奴なのだ」
そこまで言って、いおりは左手を唇から放して前を向く。
「今まで他人を巻き込んできた私が言うのも何だが、せめてあいつにだけは……裕香にだけは害の無いようにしたい。とは思う」
『そうかい。そいつは結構じゃないのさ』
いおりの言葉に、アムは細い声で呟き、前を見る。
いおりはそんな相棒を見下ろして、その頭にそっと左手を乗せる。
『あ……? いおり?』
僅かに声を漏らし、見上げてくる相棒。いおりはその頭から背中にかけて撫で下ろし、口を開く。
「だが、一つ訂正させてもらうぞ。初めての友人は他でもなくお前だ、我が半身よ。お前こそこの我、シャルロッテ・エアオーベルング・神薙が半身にして、最初の親友である」
堂々と真名を名乗り、宣言するいおり。そんなパートナーにアムは細く笑みを零す。
『アンタは何を言ってるのさ』
笑みを零したまま、目線を逸らすアム。それにいおりは笑みを深めて、相棒の黒い翼の間を撫で続ける。
「さて、次はどんな奴から、心と命の力をいただこうか」
※ ※ ※
「行ってきます」
「はい、気をつけてね」
母の純と出発の挨拶を交わし、ドアノブに手をかける裕香。
裕香はドアを押しあけて、家から出る。よく晴れた空の下、表札の掛った門へ伸びる赤レンガの道。その上を、先日の戦いでボロボロになったところを避けて、歩道へ出る。
「あれ?」
左へ足を向けた瞬間、裕香は頭一つ低い所にいた者に気が付いて、足を止めた。
「お、おはよ。裕ねえ」
背負ったランドセルを潰す様に、壁にもたれかかる孝志郎。孝志郎は壁に背を預けたまま、裕香を見上げて、固くぎこちない笑顔を向けてくる。
「おはよう。孝くん」
裕香は幼馴染が待っていてくれたことに頬を緩め、あいさつを返す。だが、当の孝志郎は頬を赤く染めると、下を向いて自身のハーフパンツを握りしめる。
そんな孝志郎の反応に、裕香は軽く首を傾げて目線を落とす。
そうして裕香は、孝志郎がちらちらと視線を送る先を察すると、視線を受けていた左手で幼馴染の右手を握る。
「ゆ、裕ねえ……!?」
「待っててくれてありがとう、孝くん。じゃあ行こう?」
「う、うん!」
裕香に手を引かれる形になった孝志郎は、顔をほころばせて繰り返し頷く。裕香はそれに微笑みを返して歩き出す。
車道側に裕香。その左隣りに手をつないだ形で並ぶ孝志郎。横一列に並んだ二人は、日野家の前を抜けて、通学路を歩いていく。
手をつないだ二人は、歩きながら時折視線を絡めあう。
「へへ……」
「ふふ……」
その度に二人は、どちらからともなくはにかみ笑い、揃って視線を前に戻して歩き続ける。
そんなやりとりを繰り返すうちに、二人は山端公園の前。いや、正確には公園だった場所の前に出る。
半ばから折れた、公園名を刻んだ門。遊具はそのことごとくが壊れ、敷地の中は更地同然になっている。
「俺のせいで、こんな……」
昔からの遊び場の惨たらしい有り様。それに孝志郎は、この状況を作りだした責任を感じて下唇を噛む。
俯き、繋いだ手を緩める孝志郎。そんな孝志郎の手を裕香はしっかりと握る。それに顔を上げた幼馴染を見下ろして、裕香は首を横に振る。
「孝くんのせいじゃないよ。私が孝くんの思いにちゃんと気づいていれば、こんなことには……」
「違うよ、裕ねえ! 俺が勝手にッ!」
その裕香の言葉を、孝志郎が慌てて遮る。
言葉を中断された裕香は思わず口をつぐみ、前髪の奥で目を瞬かせる。そして再び、責任を背負いこもうとする幼馴染へ言葉を投げかけようとする。だがそこで、喉まで出かかった言葉を呑み込むと、柔らかく微笑みかける。
「じゃあ、私がこの分も皆を助けるために頑張るから、孝くんは私を助けて。そうやって、二人で取り戻していこう?」
「うん、わかったよ、裕ねえ」
裕香の言葉に顔をほころばせ、頷く孝志郎。そうして左手で鼻の先を弾くと、裕香と手をつないだまま、小学校側の道に寄る。
「じゃ、俺行くから」
「うん。気をつけてね」
そう言って二人は繋いだ手を放し、孝志郎は小学校へ向かって歩きだす。そして何歩か進んだ所で振り返り、右手を振る孝志郎。
それに裕香も右手を振り返して見送ると、自身の学校へ向かって歩きだす。
前から走ってきた車が、一台、二台とガードレール越しに通り過ぎる。
車の生んだ風に引かれて靡く裕香の黒髪。
「あ、あれは」
そこで裕香は、前方で同じように靡く長い黒髪を見つける。
「おはよう、いおりさん!」
小走りに駆け寄りながら、その背中へ呼びかける裕香。
それを受けていおりは、長く真直ぐな黒髪を揺らして振り返る。そして裕香の姿を認めると、吊り目がちな目を見開き、続けて表情をほころばせる。
「おお、我が友ではないか!」
大きく手を広げて裕香を迎えるいおり。
裕香がその前で立ち止まると、二人はすかさず手を握りあい、続けて拳の上と底をぶつけ、そこから平手合わせ、さらに二度の握手。と複雑な握手をスムーズに交わしあう。
「クク……朝から喜ばしい偶然があったものよ。否、これは偶然などではない。我と貴公の魂の絆が生み出した運命に違いあるまい」
手を握り合ったまま、含み笑い混じりに喜びを語るいおり。それに裕香も唇を綻ばせる。
「運命、はちょっと大げさな気がするけど……でも嬉しい偶然ね。このまま一緒に行こうか」
「無論だ」
裕香の提案に快く頷くいおり。
裕香はそれに頷き返して友人の左横、車道側に並ぶ。
「通学路が重なってたなんて知らなかったな。今まで一緒になったことって無かったよね?」
同時に足を踏み出す裕香といおり。裕香と横並びに歩きながら、いおりはあごに指を添えて頷く。
「そうであったな。我は普段、もっと遅い時間なのだが。今朝は闇を好む我としては珍しく、早くに目が覚めてな、気まぐれに出て見たのだが。うむ、やはり我等の絆が強まり、惹かれあっているということよ」
いおりはそう言うと、唇を薄開きに緩めて、繰り返し頷く。
そうして、ひとしきり満足げに頷くいおり。その後あごに添えた指を外さず、軽く見上げる形で裕香の顔に目を向ける。
「時に裕香。貴公の家はこの近くであるのか?」
「うん。ここから言うと、山端公園の門前で右に曲がって、道なりにまっすぐ行ったところ」
裕香は頷き、後ろを指さしながら、家への道順を説明する。
するといおりは、ほう、と息をこぼして、首を縦に振る。
「ならば、その公園前で待ち合わせが出来るではないか。明日から、共に学舎への道を行こうではないか」
「いいね。そうしようよ!」
いおりの誘いに、裕香は快く頷く。
「クク……それでこそ我が魂の友よ」
上機嫌に含み笑いを洩らすいおり。裕香はそんな友達の顔を、長い前髪のすき間から覗き、柔らかく目を細める。
そうして歩いているうちに、裕香は良いことを閃いたと言わんばかりにあごを上げる。
「あ、そうだ。ねえいおりさん。深夜特撮の牙龍って見たことある?」
裕香の問いに、いおりは軽く笑みをこぼすと、あごを引いて肯定する。
「無論。近頃始まった二期の牙龍~鬼戒闘史~にも目を通しているぞ?」
得意げに唇を吊り上げるいおり。それに裕香は、前髪の奥で目を輝かせる。
「いいなあ。私はお父さんに、ちょっと過激過ぎるから、高校生になるまで見ちゃダメ、って止められてるんだ。やっぱり面白い?」
好奇心のままに友人に身をよせる裕香。するといおりは裕香の問いにはっきりと頷いて見せる。
「無論だ。最高だと評して良い。あれを見ないのは特撮ファンとして大きな損失であるぞ? 確かに父君の言うとおり、年齢制限のかかりそうな場面もあることはあるがな」
「そうなんだ。うぅん、見たいなぁ……DVDはお父さんが持ってるけど……」
いおりの口から出た作品の質を保証する言葉。それに裕香は右手を胸元で握り、滲みでる欲望を堪える。
あごを上げては引き、唇を引き結んで逡巡する裕香。その姿を左目で見上げながら、いおりは口元に指を添えて溢れ出る笑みを抑える。
「話から察するに、父君もよい趣味をお持ちのようだな」
そのいおりの言葉に、裕香は握った手をほどいて、照れ笑い交じりに頷く。
「うん、そうなんだ。お父さんが特撮大好きで、私も小さな頃からよく一緒に見てたんだよ」
「そう、か。仲がよくて何よりであるな」
不意にいおりの顔にかかる影。そのどこか寂しげな顔を、裕香は首を傾げて覗きこむ。
「いおりさん? どうかしたの?」
するといおりは、足を止めて上体を引く。その横から、裕香は歩くままに先へ進み、二歩目を踏んだ所で振り返る。
「いや……何も問題はない」
正面に立った裕香の姿に、いおりは大きく見開いた目を戻し、首を左右に振る。
「そう?」
その友人の反応に、裕香は首を傾げる。だが、まだ踏み込むべきではないと思い直し、その左隣りに再び並ぶ。するといおりは、小さく安堵の息を零し、止まっていた足を踏み出す。
「それより、牙龍の話だが……ヒロインの役者が、スペイドの怪人の人間態を演じていた役者でな、状況によって素晴らしい演技を見せてくれるのだ」
「そうなの? あぁ、もっと見たくなってきちゃった」
いおりに続いて歩きだしながら、裕香は募る興味に再び拳を作る。
「クク……家にあるなら頼んでみればよいではないか」
「うん、試しに頼んでみようかな」
そうして裕香といおりは特撮の話題で盛り上がりながら、学校へ向かって歩いてゆく。
午前の授業の終わりと昼休みの始まりを告げるチャイム。
「起立」
鐘の音が教室に響く中、日直の号令に従って椅子を鳴らして席を立つ生徒たち。
「礼」
次の号令に続いて、生徒たちが一斉に、教壇に立つスーツ姿の若い女教師へ頭を下げる。
「着席」
そして締めの号令を受けて全員が顔を上げ、着席。女教師はそれを見届けると、教材を脇に抱えて教室を後にする。
横滑りのドアの向こうに消える教師の背中を見送ると、教室の空気が一斉に緩む。
「うぅ……ん! ああ、お腹すいちゃったぁ」
そんな中で、裕香も背もたれに体を預けながら、大きく両腕を上げて伸びをする。
「裕香さん、お弁当食べよう?」
そこへ、オレンジのカチューシャで前髪を抑えた愛が歩み寄ってくる。
「うん。ちょっと待ってて」
オレンジ地にデフォルメされた犬の踊る、小振りな巾着包みを下げた愛に、裕香は頷く。
裕香は机横に引っ掛けた袋を持ち上げて、机の上に乗せる。そしてその口を広げると、中からライトグリーンの布に包まれた、女子にしては大きな弁当箱を取り出す。
「じゃあ……」
自分の弁当を出し、愛へ顔を向ける裕香。そこで裕香は、愛越しに出入り口にちらつく影を見つけて言葉を呑み込む。
「裕香さん? どうかしたの?」
裕香の視線を辿り、振り返る愛。二人の視線の先にいたのは、背後の開け放しのドアから半身を出す形でこちらを窺ういおりであった。
「お、大室さん!? なぜ見てるの!?」
愛の驚きの声に、裕香は小さく笑みをこぼして弁当を片手に席を立つ。そして出入り口から中を覗いているいおりの元へ歩を進める。
「あ、裕香」
いおりが片手に提げた、黒地に赤の線が入った包みを確かめて、裕香は自分のライトグリーンの包みを顔の横に持ち上げて微笑む。
「一緒にどう? いおりさん」
首を傾げてたずねるたずねる裕香。その拍子に前髪が傾き流れて、その奥に隠れた目が覗く。するといおりは唇を綻ばせて、照れ臭そうに目を伏せる。
「う、うむ。混ぜてもらうとしようか」
裕香からの昼食の誘いを受けるいおり。
裕香はそんないおりの様子に笑みを深めて頷く。そうして教室の中、机のそばで待っている愛へ振り返る。
「愛さん、場所を変えようよ。いおりさんも一緒に、三人で食べよう」
「あ、うん。いいよ、今行くね」
愛は頷き、自分の包みを両手に持って裕香達の元に小走りに駆け寄る。
「どこにするの?」
三人で一まとまりになって、行き先をたずねる愛。
「外なんていいと思うけど、どうかな?」
裕香は言い出しっぺとして、二人を交互に見ながら提案。すると愛といおりは揃って首を縦に振る。
「うん。私はオッケー」
「ああ、構わんよ」
「ありがとう。じゃあ行こうか」
了解する二人に頷き返して、裕香は先導する形で足を踏み出す。
なびく裕香の後ろ髪。それに続いて愛といおりが歩き出す。
「あ、ふきが……」
「させねえよ!?」
「テメ、鈴森このヤロウッ!」
三人が歩き出したところで不意に背後から声が上がる。だが別の声が皆まで言わせずに、それを遮る。
「吹上のけしからん爆発ボディは、俺たち男子全員のお宝だろうがッ!!」
「あの胸に実った、特産ダイナミックメロン二つを独占しようとか……コイツはメチャ許せんよなぁああ!?」
「戦争だろうが! ちょろまかしとかやらかす奴がいたら……戦争だろうがっ……!」
教室から響くいくつもの怒号。
そのあまりにもセクハラじみた内容に、呆ける裕香。だがすぐに頬を赤く染めると、豊かな胸を守る様に腕の下に隠して、その中学生離れした体を縮める。
「ま、全くもう……! ダイレクトすぎるよ……」
恥じらいのままにぼやく裕香。その両隣りで、いおりと愛が拳を握りしめる。
「ちょっと、男子たちをすり潰してこようか」
「……気が合うな。私も根こそぎ捻り切ってやろうかと思っていた所だ」
二人は頷き、殺気を滲ませながら教室へ戻ろうと一歩踏み出す。そんな二人の背中を見て、裕香はあわてて追いすがる。
「ちょ、ちょっと待って二人とも!?」
後ろからいおりと愛を捕まえて引き止める裕香。それに二人は、揃って訝しげな眼を裕香に向ける。
「どうして? 今のうちに止めておかないと、どんどんエスカレートするかもしれないのに」
愛の言葉に従って、いおりも頷く。
「その通りだ。裕香自身があのような下劣な話の中心となっているのだぞ。嫌悪感を感じぬのか?」
そんな二人からの言葉に、裕香は前髪の隙間から教室を一瞥し、口を開く。
「確かに恥ずかしいけど、突き詰めたら健康な生き物なら仕方ない話だし……気にしないほうがいいかなって、思うんだ」
裕香の言葉に、納得いかないのか眉根を寄せるいおりと愛。
「とにかく、私は良いから。行こう? 時間もなくなっちゃうし」
裕香はそう言って話を打ち切ると、不満げに唇を尖らせた二人の手を引いて歩きだす。
「裕香さんがそう言うなら……」
「この場は矛を収めるとするか」
渋々といった様子で拳をほどく愛といおり。
「裏切り者は消毒だぁぁッ!」
「目だ! 耳だ! 鼻ぁッ!!」
「よせ! やめろォ!? 洗濯バサミでそんなッ……アッー!?」
昇降口へ向かう一行を、重なり合った怒号と涼二の悲鳴が追い抜いて行った。
階段を降り、昇降口から表にでる裕香たち三人娘。
それから三人は、日の光が降り注ぐ中を、正面に広がるグラウンドに向かって進む。そしてグラウンドとその外を仕切る、低い段差を降りて足を止める。
「ここにしようか?」
裕香は友人二人を交互に見て、意思を確かめる。
「うん。いいよ」
「良かろう」
愛といおりから賛成を得て、裕香はポケットからハンカチを取り出す。そしてそれを一段高いコンクリートの上に敷き、その上に腰を下ろす。
裕香が横を見れば、右にいおり、左には愛と、裕香を挟み込む形で、同じようにハンカチを敷いて即席の椅子にした段差に腰をかける。
横並びに腰を落ちつけた三人は、それぞれの包みを開け、膝の上に弁当を広げ始める。
「愛さんの、可愛いのね」
愛の膝を覗きながらいう裕香。それに愛は頬笑みを返す。
その膝の上には、縦長の丸い弁当箱が。
小振りなそれの半分には白米が敷き詰められ、残りの半分は炒めたウインナーに、ゆで卵交じりのサラダ。バランで仕切られた兎リンゴといった彩り豊かなおかずで埋まっていた。
そんな昼食を膝に並べた愛は、裕香の体越しにいおりの弁当箱を覗きこむ。
「大室さんのもおいしそうよね。お母さん、料理上手なのね?」
「否、私の手製よ。さすがに大半は夕食の残りや、夜中に仕込んだものであるが」
そう言ういおりの膝の上にあるのは、黒い筒と小さな箱が二つ。保温効果のある筒に詰められた主食である白いご飯。
副食用の箱には、唐揚げをメインにきんぴらごぼう、きゅうりを詰めたちくわが並ぶ。もう一つの箱は果物類様なのか、プチトマトとサクランボがいくつか詰められている。
その友人の弁当箱の内容に、裕香は前髪の奥で目を見開く。
「いおりさん、自分で作ってるの? へぇ、料理得意なんだ……?」
裕香の口から出る感嘆の言葉。愛もいおりの膝を覗いたまま、繰り返し頷く。
そんな友達二人の反応に、いおりは唇に薄く笑みを浮かべる。
「必要に迫られた上でのことよ。別に難しい事ではない」
どこか照れの交った笑みを浮かべて箸を取るいおり。そしてそれに続いて、裕香の膝へ目を落とす。
「それにしても、裕香のは……」
「ああ、うん」
いおりの言わんとすることを察してか、愛も裕香の弁当を見下ろし、強張った笑みを浮かべて頷く。
「え? 何?」
そんな両脇の友人を見比べる裕香。そして自分の膝、そこにある白い大振りの弁当箱に目を落とす。
箱の半分を埋め尽くす、胡麻の振りかけられた白飯。主菜の塩鮭。その脇を固める卵焼きに刻み昆布。ほうれん草の炒め物といったおかずの数々が箱狭しと敷き詰められている。
愛の倍近い量のそれに、いおりは詰まらせていた言葉の続きを口にする。
「食べた分だけ育った、と言うわけだな」
「大きくなるわけよね」
二人揃って呟きながら、裕香の体を眺めるいおりと愛。
頭の天辺から爪先。そして今一度胸元まで昇る視線に、裕香は軽く頬を染めて身を縮ませる。
「も、もう、二人まで……恥ずかしいことは恥ずかしいんだからね!?」
前髪の奥から、目で友人を咎める裕香。
対していおりは、箸を握った手でサムズアップして見せる。
「女同士ならば問題ない!」
「うん、ただ裕香さんの発育の秘密に、好奇心が抑えられないだけなの」
堂々と言い放ついおりと愛。開き直りにも似たその態度に、裕香は小さく笑みをこぼして、箸を親指に引っ掛ける形で手を合わせる。
「もう、分かったから食べるよ?」
そう言って裕香は、いただきますと付け加えると、箸を持ち直して弁当へ伸ばす。
裕香に続いて、いおりと愛も食前の挨拶を済ませて昼食に箸をつけ始める。
「あ、ねえいおりさん。私の卵焼きと唐揚げを一個づつ交換しない?」
「む? 良かろう。交換にならば応じるぞ」
「ありがとう」
裕香の提案に快く頷くいおり。互いの弁当箱におかずが入れかわりに入って、交換が完了する。
「あ、私も私も! 私はウインナーを出すよ」
「あ、ああ……構わんぞ」
便乗する愛に頷いて、唐揚げを差し出すいおり。
交換した唐揚げを摘み上げ、揃って齧りつく裕香と愛。そして二人は口の中に入った鶏肉を噛み締めて、いおりに目を向ける。
「本当に料理上手なのね」
いおりの腕前を、実感を込めて褒める裕香。それに愛も頷き従う。
「手本を守って作ればこれくらいは慣れ次第だ。誰でもできる」
そう言っていおりは視線を泳がせながら、裕香と交換した卵焼きとご飯をまとめて口の中に放りこむ。
そんな談笑交じりに進む昼食。
だがそんな空気を、微かな空を裂くような物音が壊す。
「なに、今の?」
不意に響いた音と、足を襲う違和感に目を落とす裕香。
「ゆ、裕香!?」
「裕香さん!?」
いおりと愛の驚きの声が響く中、裕香の目に飛び込んできた光景。
「な、手ぇ!?」
それは、自分の右足を掴む、縄を寄り集めた右手というものであった。