少女の手にした夢~その1~
アクセスして下さった皆様、ありがとうございます。
拙作が皆様の一時の楽しみになれば幸いに思います。
それでは、本文へどうぞ。
白煙の立ち上る荒野。
深く抉られたクレーターがいくつも並ぶ、圧倒的な暴力の振るわれた跡。その中心に歪な巨体がそびえ立つ。
口の端から伸びる二本の太く鋭い牙。額の物も含めた鋭い三つの目。丸く恰幅の良い体格に、太い丸太の如き両腕。その分厚く巨大なトドのような肉体を、金色の装飾や色取り取りの玉で飾られた鎧が包んでいる。
トドの怪物は漂う白煙の中、その太い両腕を組んで体を揺らす。
『いかに貴様と言えど、これだけの攻撃を受けては最早立ち上がれまい!』
鋭い牙を供えた口から響き渡る哄笑。
怪物の視線の先には倒れ伏した人影が一つ。
白銀色に輝いているはずの装甲には無数の亀裂。その下で体を覆うスーツには血が滲んでいる。そして銀色に輝く鋼の顔。その上を覆うシールドバイザーは左半分しか残っていない。
その姿はまさに満身創痍。怪人の言葉通り、もう仮面の戦士が立ち上がることなど不可能に見える。
『ぐ、うう……』
だがうめき声と共に、鋼鉄の戦士の指が動く。
四肢を震わせて力を込め、腹、右手、膝と順に地面から放す。
『ば、バカな……立ち上がれるはずが!?』
腕組みを解き、驚きの声を上げるトド怪人。
戸惑い、怯む怪人を見据える戦士の目。それは一点の曇りもない金色に輝いている。
『今日を……明日を生きる人々の笑顔、それを守るためなら、俺は何度でも立ち上がるッ!!』
荒野を力強く踏みしめ、叫ぶ鋼鉄の戦士。
足元に血だまりを広げながらも、その構えには微塵の揺らぎもない。
『おぉおおおおおおおおおおッ!!』
そして雄叫びと共に身をかがめ、跳躍。
『ぬぅ!?』
飛翔する戦士の姿を追い、顔を上げるトド怪人。その視線の先で、鋼鉄の戦士は暴風を纏って身を翻す。
『ゲイルスティンガアァァァァァッ!!』
轟く裂帛の気合。同時に、銀色の風となった戦士が蹴り足を突き出し、怪人目がけて急降下。
直撃、そして光が爆ぜる。
爆炎に埋め尽くされたテレビ画面。それに二組の目が釘づけになっている。
「格好いいなあ。なあ、裕香?」
「うん!」
膝の中に収まった小さな娘に声をかけるのは、眼鏡をかけた男性。
白いシャツにジーンズ。短く整えられた黒い髪はすっきりとした顎と相まって、清潔感と大人の落ち着きを感じさせる。だがテレビのヒーローを見るその目は、まるで年端もいかない少年のように輝いている。
そして裕香と呼ばれた女の子もまた、父を凌ぐ程に輝く大きな目を画面のヒーローへ注いでいる。
艶のある黒髪を飾る赤いリボン。そのリボンと対照的な淡いクリーム色のワンピース。そんな姿の裕香は、父の膝の中からテレビのヒーローへ熱い視線を送り続けている。
「拓馬さんったらヒーロー物ばっかり見せて、もっと女の子っぽいのも見せたら?」
そんな父娘の背後から、肩のあたりで黒い髪を切りそろえた、裕香の面影のある女性が声をかける。
「いいじゃないか純。裕香だって好きで見てるんだし。な、裕香?」
後ろに立つ妻から、再び膝の娘に視線を落とす拓馬。
頭上から降る父の声。それに裕香は、画面の中で佇むヒーローに釘づけになったまま頷く。
「うん! わたし、おおきくなったらヒーローになるの!」
そんな娘の言葉に、拓馬は柔らかく目を細め、娘の頭に手を乗せる。
「そうか。だったら、覚えておくといい。ヒーローに大切なことは……」
※ ※ ※
「行ってきます」
穏やかで落ち着いた少女の声が家の中へ向けられる。
その声の主、白を基調とした紺襟のセーラー服を着た少女は玄関のドアノブに右手をかけ、逆の手に鞄と布袋を提げ持っている。
目にかかった前髪に、背中の半ばまで届く長く艶やかな黒髪。
セーラー服に包まれたその体は、女性を強調する豊かな丸みを描いている。
そして紺のプリーツスカートの裾から覗く、スパッツに包まれた太もも。その先にもしなやかで引き締まった脚が長く伸びて、スニーカーへと続いている。
165cmの同年代の平均を上回る身長と豊かな発育と相まって、その落ち着いた雰囲気は14歳と言う年齢以上に大人びた雰囲気を醸し出している。
「行ってらっしゃい。裕香」
肩あたりで切りそろえた黒髪を揺らし、娘を送り出す母、純。
裕香よりも僅かに背が高く、トレーナーとジーンズの上から明るい黄色のエプロンをつけている。
「うん」
目に掛った前髪を揺らして頷く裕香。そうしてドアを開けて玄関から朝日の降り注ぐ外へ出る。
二階建ての一軒家を出た裕香。そのまま赤いレンガのタイルを踏み進むと、「吹上」と表札の掛った門を抜けて道路に出る。
「行ってきまーす」
するとそこで、左隣に並ぶ日野家から元気の良い声が響く。そちらを見やれば、黒いランドセルを背負った少年が、扉を勢いよく開けて飛び出してきていた。
「おはよう、孝くん」
裕香の挨拶に引かれる様に少年、日野孝志郎はこちらに顔を向ける。
「おはよー! 裕ねえ!」
手を振りながら、裕香に駆け寄る孝志郎。
上は赤い長袖のシャツだが、下は黒のハーフパンツ。短く刈り込んだ褐色の髪に山なりに弧を描いた眉。その下では大きな茶色の目が輝いている。
裕香はそんな頭一つ分小さい五歳年下の少年に、笑みを向ける。
「今日も元気だね、孝くん」
「うん!」
こちらを見上げたまま、紅潮した頬を掻きながらはにかむ孝志郎。
「じゃあ、途中まで一緒に行こうか」
「うん!」
そう言って車道側に裕香、その隣に孝志郎という形で並んで歩きだす。
朝の眩しい日差しが降り注ぐ中、通学路を歩く二人。その横を白い乗用車が後ろから追い抜いて通り過ぎていく。
「なあなあ裕ねえ、こないだ教えてくれた通りやったらさ、鉄棒ばっちりだったんだ!」
「孝くん、頑張ったもんね」
左手側からきらきらとした目で見上げてくる孝志郎。少年の笑顔に、裕香は前髪の奥で目を細めて頷く。
「じゃあ今日学校終わったらさ、公園で「アレ」やってよ!」
「うん、もちろん。新しいのも用意してるから期待してて」
孝志郎の期待を込めた目に、裕香は唇を柔らかく緩めて承知する。すると孝志郎は白い歯を見せて両手に拳を握る。
「マジで!? やったあ!」
ガッツポーズを取ってはしゃぐ弟分に、裕香は笑みを浮かべながら歩を進める。
そうしている内に、二人は大きな公園の入口に突き当たる。
「山端公園」と刻まれた門を見て、裕香の口から微かな声が漏れる。
「あ……」
「なんだあ、もう着いちゃったのか」
唇を尖らせ、つまらなそうに呟く孝志郎。それに続いて、公園の敷地に沿ってT字型に別れた道を、裕香は左、孝志郎は右に別れる。
「それじゃ孝くん、車や自転車には気をつけてね」
裕香は弟分に向かい合い、右手を顔の横に軽く上げる。
頷く孝志郎。そして後ろの道を一瞥すると、再び裕香へ顔を向ける。
「裕ねえ、皆で待ってるから!」
「うん、また放課後にね」
じっと見つめてくる孝志郎に、裕香は右手の人差指と中指を揃えて前髪を跳ね上げながら応える。
孝志郎はそんな裕香からの返事を確かめると、黒いランドセルを背負った背中をこちらに向ける。
離れて行く弟分の背中をじっと見つめる裕香。
「前は、私も向こうへ一緒にいってたのにな……」
裕香は小さく呟いて、無意識に孝志郎の背中へ伸びていた右手に気づくと、それを胸の前に引っ込める。
「……情けない」
本当の自分を遠慮なく出せる弟分との時間に縋る自分を切り捨て、振り切る様に踵を返す裕香。
早足気味に自身の通う中学校へ向かう道を歩く裕香。その桜色の唇からか細い溜息が洩れる。
「こんなことの為に、仮面を被りたくなんかないのに」
俯きながらの呟きに続いて、再び漏れ出る溜息。そんな中、裕香は前髪の隙間から差し込んできた光に顔を上げる。
「あれは……?」
空を見上げた裕香が見たもの。それは真直ぐに落ちてくる小さな流れ星。いや、星ではない。流れ星の軌道を描かず、隕石の様に燃えてもいない。そんな星のようなものはやがて削り落とすかのように纏っていた光を失い、白い獣としての正体を現す。
「……いけない!」
気絶しているのか、固く舗装された道路へ真っ逆さまに落ちる白い獣。無防備に落ちて行く獣の姿に、裕香は手提げ鞄を放り投げ、弾かれたように駆け出す。しなやかな足が地を蹴り、一蹴りの度に彼女の前進は勢いを増す。
一直線に加速する裕香。その前に不意に猫が飛び出す。
「ッ!」
猫へ届く前に体をほぼ直角に捌いてかわす。さらにそのすぐ前方にあった自販機を、身を捩り、スカートを翻して背中すれすれに避ける。
その間にも地面へ近づいて行く白い獣。裕香はその姿を前髪の隙間から確認し、遅れを取り戻そうと地を蹴る足に力を込める。しかしその前方に、今度は小柄な小学生男子が現れる。
「しゃがんで!!」
「へ? ええっ!?」
叫び、勢いを緩めるどころか更に力を込めて地を蹴る裕香。その様に戸惑いながらも、ランドセルの少年はとっさに身をかがめる。その頭がどいて、落下する獣が正面に現れる。
「ハアッ!!」
裕香は少年の前で踏切り、前のめりに飛び込む形でその上を跳び越える。眼前に近づく地面に両手を突き、鼻先が地面に触れるや否やと言う所で、肘に溜めたバネを解き放つ。その勢いに乗って空中で前転。足から地を踏んで、落ちてくる獣目掛けて跳ぶ。
空を裂き、白い獣へ手を伸ばす裕香。アスファルトの地面に向かう頭を受け止め、そのまま抱え込むように体を丸める。そこから子猫ほどのサイズの獣を胸に収めて一回転。片膝をついて歩道に着地する。
裕香は片膝をついた姿勢のまま、胸に抱きとめた獣を覗きこむ。
四肢と尾を畳んで猫のように丸まる体。白く柔らかな毛に覆われている事も相まって、猫を思わせる。
だがその背中には、折り畳まれた一対の鳥の翼があり、頭からは大きな耳ではなく太く短い角が伸びている。鼻先に向かって細まる顔も猫と言うよりは犬のそれに似ている。
裕香の腕の中に収まった、子猫サイズの不思議な獣。その双眸を覆うまぶたは重く閉ざされて微動だにしない。だが、その胸は確かに上下し、それに合わせた微かな寝息が漏れ出ている。
「良かった……」
自身の腕に収まった獣が生きていることを確信し、裕香は頬をほころばせる。瞬間、不意に背後から拍手が鳴る。
「え?」
それに裕香が振り返ると、そこには目を輝かせて拍手をするランドセルの少年の姿があった。
「お姉ちゃんスッゲェ! カッコイイ!!」
「あ、ありがとう」
不思議な獣を抱えたまま、裕香は尊敬の眼差しを向けてくる少年に照れ笑いを返した。
くろがね市立山端中学校。午前の授業を終え、生徒たちが各々に昼食を摂る昼休み。そんな中、裕香は一人、体育館の陰で腰をおろしていた。
その左手には、一般的な女子の物にしては大振りな、白いプラスチック製の弁当箱。中ほどに入った仕切りで分けられた片方は鶏そぼろが乗ったご飯。もう片方には卵焼きにアスパラガスのベーコン巻。そしてミニトマトが二つにポテトサラダと様々なおかずが盛り込まれている。
色とりどりのおかずの中から、ベーコンで束ねられたアスパラガスを箸で取る裕香。それを一齧りして元の位置に戻す。続けて鶏そぼろの乗ったご飯を箸で一摘みし、口に運ぶ。
「この子……一体何なんだろう?」
裕香はそう呟きながら、自身の左隣りへ長い前髪越しに視線を落とす。
そこには今朝受け止めた不思議な獣の姿があった。
子猫サイズではあるが、四肢に加えて翼、そして角を供えた姿は猫のそれとはまるで違う。しかし異物混じりの合成獣でありながら、白い体毛に包まれたその姿には愛嬌と神聖さがある。
「まだ、起きないのね」
午前中は、ずっと体育用の着替えを入れた布袋に入れて保護していた。だが白い獣はその間、鳴き声一つ洩らさず眠り続けている。
裕香は弁当箱を膝に置くと、傍らで眠る白い獣を左手で撫でる。
白い毛の柔らかさと温かな体温が、撫でた指先から伝わってくる。その感触に裕香は前髪の奥で目を細める。そして再びその背を撫でようと、獣のうなじに指先を添える。その瞬間、触れた指先から微かな震えが伝わってくる。
「ん?」
それに続き、白いキマイラのまぶたが震え、ゆっくりと重い物を押し上げるかのように持ち上がっていく。やがてまぶたに覆われていた澄んだ翠の目が露わになる。キマイラは二度、三度と瞬きを繰り返すと、小さな鼻をひくつかせて裕香を見上げる。
交差する両者の視線。
翠の瞳の焦点が合い、大きく見開かれる。
「良かった。目が覚めたのね」
裕香はそんな白いキマイラへ笑いかけながら、弁当箱の中から卵焼きを摘み上げる。そしてそれを蓋の上に乗せ、白い獣の前にそっと差し出す。
「食べる?」
キマイラは目の前に差し出された卵焼きをじっと見つめ、鼻先を近づけてひくひくと動かす。そして恐々と首を伸ばし、意を決したように卵焼きへ齧り付く。裕香はそのままがつがつと食いつく白い獣を眺めて、食事を再開する。
ポテトサラダを口に入れ、続いてそぼろご飯を箸でつまんで口に運ぶ裕香。そうして口の中の物を良く噛んで呑み込むと、白い獣の前に追加の卵焼きを置く。白いキマイラは二つ目の卵焼きに躊躇いなく食いつく。
「おいしい?」
柔らかい声音で尋ねる裕香。それに白い獣は顔を上げ、返事をするように鳴く。
気の抜けた響きのそれは、文字にすれば「るぅう」というなんとも締まりのないものであった。
そんな白い獣の鳴き声に、裕香は笑みを漏らす。
「キミ、変わった鳴き声ね」
そう言って裕香は何か思いついたように顎を上げ、再び白い獣に視線を落とす。
「キミのこと、ルーくんって呼ぶね。いい?」
呼び名のことで白い獣に窺う裕香。すると白い獣は再び顔を上げ、「るぅ」と短く鳴く。それがまるで「はい」と言っているように感じられて、裕香は桜色の唇を綻ばせる。そして白い獣改め、ルーの頭を左手で撫でる。
「お利口だね、ルーくん」
その裕香の手を受けながら、ルーはまた「るぅう」と鳴く。
何事もなく学校を終えて放課後。裕香はルーを隠した布袋を抱えて、通学路を逆にたどる。
やがて山端公園の前に着いた裕香は、敷地内の様子を覗きこむ。
「あ、裕ねえ!」
するとそれに気づいた孝志郎が、顔を輝かせて右手を上げる。それに続いて、孝志郎と同じか、少し幼い少年たちも揃って裕香に顔を向ける。
「お姉ちゃんだ!」
「まってたんだよ!」
孝志郎を先頭に駆け寄ってくる男の子たち。それに微笑みを返しながら、裕香からも公園の敷地に踏み込んで歩み寄る。
「ゴメンね。待たせちゃって」
「いいんだ! それより裕ねえ、早く始めようよ!」
「お姉ちゃん早く早く!」
「新しいのもあるんでしょ!?」
裕香を取り囲む男の子たちの輝く目。きらきらとしたそれらを浴びながら、裕香は頷く。
「うん。じゃあちょっと鞄を置かせてね」
男の子たちにそう告げながら、裕香はブランコの支柱に歩み寄る。そうして支柱の根元に鞄を立て掛け、ルーを隠した布袋をそっと並べ置く。
「ねえみんな、この前から始まった逢魔戦隊ヨーカイジャー。見てるかな?」
裕香は長い前髪揺らしながら、振り向き尋ねる。
「見てるー!」
男の子たちから帰ってくる元気な声の束。それを聞いて、裕香は軽く膝を曲げ伸ばしし、手首と足首を回し解す。
「じゃあ、今からお姉ちゃんがヨーカイジャーの変身ポーズをレッドからブルーまで、五人分全部やってみるよ」
「マジで!?」
「もうアレができるの!?」
口々に驚きの声を漏らす少年たち。その間に軽い柔軟を終えた裕香は、足を肩幅に開いて構える。
「それじゃあみんな、危ないから離れて見ててね」
そう言って裕香は深く、静かに息を吸い込む。そうして左手を親指、人差指、中指を伸ばし、手の甲を相手側に向けて立てる。同時にカードを持つ形にした右手を右へ伸ばす。そして右手を大きく回し、左手首を上からなぞらせるように通す。
「妖怪変現!」
声色を低く変え、鋭い気を吐く裕香。直後、素早く右掌を前に突き出し、左掌を顔の横に添えて歌舞伎の見得切りに似た姿勢を取る。続けて両腕を回しながらその場でジャンプ。着地と同時に右膝を立てた胡坐のような形に崩してしゃがむ。腕は左手を掌を上に胸の前に出し、右手は拳を握って肘から先を立てる。
「オニレッドッ!!」
酒杯を持ち片膝胡坐をかく鬼を思わせる姿勢で名乗る裕香。そこから素早く膝を伸ばし、再度肩幅に足を広げる。
リセットした姿勢から両腕を斜め下へ翼のように広げ、右足を左側から大きく回して振り上げる。そして頭を越えて伸びきったところで左足を入れ違いに振り上げる。両足が揃って地に付くと同時に上体を捻り、右腕の翼を半ば畳み、左腕で作った翼を前に伸ばす。
「テングブラァッ!!」
翼を構えた姿勢から、再度足を肩幅へ広げたものにリセットする裕香。そこから軽くジャンプして足の位置を前後に入れ替える。続けて軽く拳を握って作った猫手を上体ごと伸びをする猫の様に低く伸ばす。そして弾かれたように跳び上がると、左足一本で着地、同時に爪を剥いた猫のように指を広げた手を右手を前、左手を胸の横に添える形で構える。
「ネコマタイエローッ!!」
名乗りに続いて、またも姿勢をリセット。すぐさま両足を揃えてしゃがむ。すると胸の前で両掌を軽く合わせ、平泳ぎの要領で空を掻きながら真上へ飛び上がる。そして両足が地を踏むと同時に、右手を頭の上に乗せ、左手を腰に添えながら背筋を伸ばす。
「カッパグリーン!!」
裕香は首を傾げ、声色を少女のそれへ戻して名乗る。そして四度目のリセット。そこから両腕を大きく伸ばすと、優雅に右回りに身を翻す。そうして両手で口元を隠して首を傾げると、吐息を吹きかけながら左腕を伸ばす。そして今度は左回りに身を翻し、胸の前で掌を重ねる。
「ユキブルー!!」
少女の声のまま、五つ目の名乗りで舞を締める裕香。
そして締めの姿勢を解くと、左手を人差し指と中指を立てて胸の前に添え、顔の右半分を隠すように右手をかざす。そのまま右手を正面に伸ばしながら低い声で口上を述べる。
「人に仇成す悪神妖霊……」
口上の半ばで左回転。その回転の勢いでスカートが円盤鋸の様に翻る。
「退治てくれよう!」
左腕を目線に被せた形で正面を向く。直後、右腕で左腕を跳ね退けるように上に伸ばし、同時に右足を振り上げる。そして振り上げた右足が地を踏むのに揃えて、大きく回した両手を胸の前で打ち鳴らす。
「逢魔戦隊、ヨーカイジャーッ!!」
合掌の形で高々と戦隊の名を名乗り上げる裕香。
「すっげえ裕ねえ!」
「お姉ちゃんカッコイイ!」
「本物そっくりだったよ!」
裕香の鋭くキレのある一連の名乗りアクションに、少年たちは口々に喝采を上げる。
「うん、ありがとう」
地声に戻して孝志郎たちに笑い返す裕香。そんな裕香に、少年たちは興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん、次はまた怪人役やってよ!」
「えー! ロボ役やってもらおうぜ!?」
「ちょっと待った! 今度は裕ねえと俺でダブルレーサーだ!」
「ずるいよ孝志郎! だったら僕もダブルレーサーやりたいよ!」
口々に次の遊びでの裕香の役どころを提案する男の子たち。裕香は自分との時間を楽しんでくれる少年たちの姿に、前髪の奥で目を柔らかく細める。
そんな和やかな時間に、不意に低い唸り声が響く。
粟立つ背筋に従い、振り返る裕香。
そこにはこちらを睨み、唸り声を上げる黒い犬がいた。
「お、お姉ちゃん……」
「みんな、私の後ろに……!」
裕香は怯える少年たちを背後に隠し、唸る野良犬と向かい合う。
妖しく輝く焦点の合わない目。牙を剥いた口からは濁ったよだれが垂れている。明らかに尋常ではない様子の黒犬はじりじりとこちらへ歩み寄ってくる。
孝志郎たちを庇いながら、地面を踵で磨る様に後ずさる裕香。
呼吸音と唸り声が嫌に大きく響く。
身を低く屈め、四肢に力を込める野良犬。ぶつけられる殺気に裕香は反射的に身構える。だが次の瞬間、野良犬の顔が明後日の方向へ向く。
「え?」
裕香がその視線を辿れば、そこにはブランコの支柱に立て掛けた自身の鞄と、微かに動く布袋があった。
その瞬間、布袋を目がけて躍りかかる黒犬。
「ダメッ!!」
弾かれたように駆け出す裕香。ルーの入った袋へ伸びる、よだれ塗れの牙。それが齧りつくよりも早く、裕香は地面を蹴って飛び込み、袋を横合から攫う。
袋を胸の内に抱え込み、前回りに受け身を取る。白いセーラー服に薄褐色の砂埃がつく。だが裕香はそれを払いもせず、ルーの入った袋を抱えたまま、すぐさま軽く膝のバネを曲げた姿勢で身構える。すると、支柱に鼻をぶつけたのか、鼻血を垂らしてこちらを、いや、ルーの袋を睨む黒犬と目が合う。
腕の中の袋を一瞥し、それをしっかと抱き締める裕香。そしてすぐさま視線を上げて犬の向こうにいる孝志郎たちへ目を向ける。
「孝くん! みんなを連れて逃げて!!」
裕香が指示を飛ばすや否や、黒犬が唸り声を上げて躍りかかる。その牙を左へのステップでかわす裕香。
「ゆ、裕ねえ!?」
「早く! 私が引き付けてる内に!」
こちらへ踏み出そうとする孝志郎を、鋭い声で押しとどめる裕香。そこへ迫る牙の一撃をバックステップで避け、続く突進を身を捩って流す。そして迷っている孝志郎へ叫ぶ。
「早く!!」
すると孝志郎はびくりと肩を震わせる。そして歯を食いしばって踵を返す。
「行こう! 大人を呼ぶんだ!」
その孝志郎の言葉に頷き、公園の外へ走る男の子たち。その背中を一瞥する裕香。その間に眼前へと迫っていた爪を、上体を逸らしてかわす。そしてその勢いのまま後退し、男の子たちとは逆の方向へ逃げる。
少年たちと離れる裕香を追い、執拗に食らいつこうと迫る狂犬の牙。それが目の前で空を噛む度に固い音を立てる。
門から公園を駆け出る少年たち。その最後尾にいた孝志郎は、門の前で踏みとどまり、裕香へ振り返る。
「すぐに、助けに来るから!?」
そう言って孝志郎は、未練を振り切る様に勢いづけて公園の外へ駆け出す。
「これで私がルーくんを連れて逃げれば……」
孝志郎たちが公園から離れていくのを見て、安堵の息をつく裕香。その瞬間、裕香の体を衝撃が襲う。
「あうッ!?」
声を上げ宙を舞う裕香。その勢いのまま左肩から砂埃を上げて地を滑る。だが裕香は、袋を抱く腕の力を決して緩めることなくしっかりと抱きしめる。
「くぅ……」
痛みに唇を噛み締めながら立ち上がる裕香。その眼前へ追撃の牙が迫る。
「う!?」
狂気の顎を身を捩って避ける裕香。しかしその瞬間、逆側から伸びてきた何かが裕香の襟首を掴む。
「え?」
裕香の口から驚きの声が漏れたかと思いきや、その身を浮遊感が襲う。
「黒い……腕?」
半ば絞りだすように、自身を吊るし上げるモノを口に出す裕香。
三本の指と黒い毛を備えた太い左腕。その根元には筋肉で膨らんだ肩。逞しい胸板を挟んだ逆側には、同じように筋骨逞しい右腕とその先端にハンドパペットの様にくっついた狂犬の頭があった。
突如黒く大きな人型へ変わった狂犬。だがその肩の上には本来あるはずの頭が無く、肩と肩の間は平坦なラインを描いている。
肩の上ではなく、右腕の先端で唸り声を上げる犬の頭。鼻先へ近づいたその口から洩れる臭気が、裕香の鼻をつく。裕香は吐き気を催す悪臭と、襟首を掴まれた息苦しさに顔を顰める。怪物の胴に宙吊りの状態から蹴りを叩きこむ。
「あ、ぐ……!?」
だが犬の変化した怪物は蹴りをものともせず、襟首をつかむ手に力を込めて捻る。その為に裕香の首が締まり、苦しげな呼気が漏れる。
歯を食いしばる裕香。その鼻先で唸り声を上げて、牙を剥く狂犬の頭。黄ばんだ歯の並ぶ口が開き、裕香の視界を埋め尽くす。
「うぅわぁあああああああああッ!!」
だがそこへ、泣き声交じりの雄叫びが突っ込んでくる。そして怪物の体が僅かに震え、裕香の襟首をつかむ腕の力が緩む。
「あうっ!?」
緩んだ手から抜け出し、尻もちをつく裕香。黒い体毛に包まれた怪物を挟んだ向こう側には、目に涙を溜めて、震える手でバットを構えた孝志郎の姿があった。
「大丈夫!? 裕ねえ!?」
「ありがとう、孝くん」
勇気を振り絞って助けにきてくれた孝志郎に礼を言う裕香。そんな二人の間を、怒りに満ちた唸り声が切り裂く。
邪魔をした孝志郎を睨み、牙を剥く黒犬の怪物。
「危ないッ!!」
だが裕香はとっさに足を踏み出し、怪物の牙から孝志郎を救う。
ルーと孝志郎を抱え、再度左肩からヘッドスライディング気味に滑る裕香。
「ううっ!?」
「裕ねえ!?」
土に汚れた白いセーラー服の左肩に、赤い物が滲む。
「へ、平気よ、私の後ろに……」
だが裕香は孝志郎を背後に隠すと、左腕でルーの袋を抱えて怪物に対峙する。
右腕から唸り声を上げながら、一歩一歩、踏みしめるようにして迫る黒い怪物。それと向かい合う裕香の右手は怯え、震えている。だが長い前髪の隙間から覗く目は、真直ぐに犬の化物を見据えている。
「この子たちは絶対に守る……! お前みたいな怪物に、この子たちを好きにさせないッ!!」
裕香は腰に力を入れて吠え、震える右手を握り固める。
だがそんな裕香の叫びをあざ笑うかのように、黒犬の怪物は牙を剥いて躍りかかる。
微動だにせず、孝志郎を守る壁として立ちはだかる裕香。その喉笛を目がけ、狂気の牙が伸び迫る。
だが不意に溢れた光が怪物の突進を押し返す。
「へ?」
自身を包む輝きの中、驚きの声を漏らす裕香。その左腕に収まっていた袋が動き、内側からその包みを緩める。そして袋の中から、光を放つ白い獣、ルーが姿を現す。
袋から抜け出たルーは、その背に生えた白い鳥の翼を広げる。続いて広げた翼で軽く羽ばたき、裕香の目の前にふわりと浮かび上がる。
『ゴメンね……キミを巻きこみたくは無かったんだけど』
そしてルーは翼を動かして振り返ると、その翠色の大きな瞳で裕香を見つめる。
『ボクを、悪魔を助けてくれるつもりはあるかな?』
この部分では劇中劇ネタに時間を取られました。特にヨーカイジャーの名乗りですね。
それでは続きをお楽しみください。