その30:別れ
繰り越された入隊試験の日。試験日和とはいえない曇り空ではあったものの、ある意味では戦いやすい気候だった。
ようやく小鳥のさえずりが聞こえてきた早朝、城の中に足音を殺して歩く人影があった。一階の窓の一つに手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
「どこに行くんだ、ハンター」
ビクッと体を震わせた人影は、おもむろに振り向く。そこには壁に寄りかかりつつ、腕を組んでいるファリスの姿があった。
「なんだ、ファリスか」
「俺もいるけどな」
ファリスの背後から、シングマス王が姿を現す。ハンターは呆れつつも、窓を開ける動きを止めた。
「ほらな。言ったとおりだろ?」
勝ち誇るシングマス王が、右手を差し出す。そこにファリスは一万バッツ札を叩きつけた。
「おいおい、王様ともあろうものが賭博か?」
「まあまあ、硬いことは言うな。俺達の仲だろう?」
「仲というよりも、腐れ縁って気がするな」
「腐れ縁ならなおのこと、ここに残って試験を受ければいいだろ?」
真剣な眼差しで、ファリスが告げる。だがハンターはそれを茶化すように、鼻で笑った。
「悪いな。もう特殊部隊に未練はないんだ」
ファリスは無言でハンターの傍まで行くと、遮るように窓をふさぐ。心なしか、いつもよりも瞳が輝いてみえた。
「あの時、わたしがどんなに苦労したのか、知ってるのか?」
「さあな、辞めた後のことだ。知りたくもないさ」
「隊長も、レッシュも、ユリスも、バウンティも――だれもいない。シーバス部隊の中で一人残ってしまった、わたしの苦しみが……」
愚痴を遮るように、ファリスの口を塞ぐ。あっけに取られるファリスに、ハンターは照れくさそうに微笑んでみせた。
「会食場でまた、全員そろってたじゃないか」
「会食場で?」
「レッシュにファリスに俺、そしてバウンティもいただろ? それからバウンティの使っていた拳銃を思い出せ」
考える必要などなかった。ハンターの言っている意味が、一瞬で理解できる。
後ろを振り返ると、シングマス王が会食場で使っていた拳銃を、大げさに構えてみせていた。
微笑む二人に挟まれ、ファリスからも自然と笑みがこぼれる。
「くさいセリフだな」
「悪かったな。俺だって言いたくなかった」
「いや、その方がハンターらしい気がする」
ファリスの体を軽く押して、窓の前を空ける。それから窓のふちへと、足をかけた。
「それじゃあな」
「ハンター、忘れ物だ」
振り向くと、シングマス王がハンターの目の前へと、封筒が差し出していた。
「今回の報酬だ」
「やけに薄いな。もっと多かったはずだが……」
「俺とファリスが昔、貸していたお金を天引きしておいた。やっと返してもらえてホッとしている」
顔を引きつらせるハンターに、二人は必死に笑いをこらえているようだ。特にファリスは体を大きく震わせ、ハンターと目が合わないようそっぽを向いている。
「あのなぁ……」
「今回だけは無利子にしておいたんだ。文句があるなら利子も……」
シングマス王がハンターの持っていた封筒へと、手を伸ばそうとする。慌ててハンターは薄い封筒を懐へと入れた。
「分かった、分かった。ありがたくもらっておくよ」
受け取った後に、少し考えてからシングマス王に告げる。
「シェラの報酬もあるのか?」
「もちろんだ」
「あまり役に立ってなかった気がするが……そうだ、こういうのはどうだ?」
ひそひそと耳元で告げる。ハンターの妙案にシングマス王は、喜び勇んで手を打った。
「それはいい! ちょうど人手が足りなかったし、シェラなら安心して任せられる」
「それじゃあな、しっかりこき使ってやれ」
「ああ。ハンターのほうも頼んだぞ……またな」
シングマス王の横で、ファリスが遠慮がちに手を振る。
「またがあるかどうかは微妙だがな」
「あるさ。シーバス部隊もそれを望んでいるはずだ」
二人の期待する目を振り払うように、ハンターは窓から外へと飛び出していく。
「また、皆が揃う日が来る……きっとな」
呟いたシングマス王に、ファリスが無言で頷く。ハンターの姿が見えなくなるまで、二人はその場を離れなかった。
目を覚ましたシェラは、窓の外から城下を見下ろした。どうやら街全体は、今日に延期となった試験で賑わっているようだ。
頬を撫でる冷たい風に身を晒していると、入り口からノックの音が聞こえてくる。
「どうぞ」
窓を閉めながら、応える。ノックの主はレッシュだった。
「さっ、今日が本番なんだからね。気合入れなきゃダメだよ?」
「ああ、それなんだけどさ……」
バツが悪そうに、頭に手をやる。呆れたようすで、レッシュが首を振った。
「やれやれ、やっぱり棄権するつもりなのね」
「……ごめん」
「まあ、最初から腕試しと依頼が前提だしね。別にいいわよ。予想していなかったといえば嘘になるし……」
シェラが頭を下げて、荷物をまとめ始める。といっても、すでに戦闘態勢の格好なので、小さなナップサックを背負うだけだ。
「それにしても、特殊部隊になりたいって人は山ほどいるのにね……」
「自由のない生活は嫌いなのよ」
「特殊部隊はそれなりに自由の多い職業だと思うけどな……それに、オートエーガンでの仕事に自由があるの?」
「そう言われると困るけど……なにかあった時にはすぐに飛び出していけると思う」
「なにかって?」
「それは……なにかよ」
目をそらし、上ずった声でシェラが気まずそうに答える。レッシュは口をへの字に曲げて、それ以上なにも聞かずにドアの前から退いた。
レッシュの前を通ろうとしたシェラの前に、また新たな人影が現れる。ファリスだった。
「なんだ、もうお帰りか?」
「どうも、お世話になりました」
「そうか、残念だな。シェラならきっと立派な特殊部隊員になって、ゆくゆくは隊長にもなれる器だと思うんだが……」
言いながら、懐から封筒を取り出す。それはハンターに渡したものと同じものだった。ただし、ハンターに渡したものよりも、中身はぎっしり詰まっている。
「これは?」
「報酬だ」
「あっ、すっかり忘れてた……」
苦笑いを浮かべながら、シェラが受け取る。それを見てファリスはしれやったりと微笑んでいた。
「そうか、引き受けてくれるか」
「えっ?」
封筒を手に持ちながら、口をポカンと開ける。かまわずファリスは続けた。
「レティシアたちの集落へ、アクサ先生を連れて行く護衛の任務だ。引き受けてくれるんだろ?」
「ちょ、ちょっと待って。これはシングマス王の護衛の報酬じゃ……」
「そんなこと、一言も言ってないが……それに、シングマス王の護衛で、シェラは役に立ってくれたか?」
「ぐっ……」
一歩後ずさるシェラの横で、レッシュが息を殺して笑っていた。
確かに言われたとおり、シェラはなにも出来なかった。最初の二人の殺し屋を止めたのは、シングマス王とハンターであり、シェラはただ呆然と成り行きを見守っていただけだ。
それはフィメイル=レジスタンスを相手にしていたときも同じで、武器を没収されたまま、なすすべもなかった。ハンターのように時間稼ぎをしたわけでもなく、部隊長達のシングマス王奪還の作戦にも参加していない。
「だ、だけど……」
「大丈夫だ。その分の報酬もちゃんと用意してある。だが、もう一つぐらい依頼を受けてくれても、ばちは当たらないと思うが?」
「でも、オートエーガンの仕事もあるし、そろそろ戻らないと……」
「一週間の謹慎なんだろ? 明後日までに帰れば大丈夫だ。それに遅れても、ハンターがうまいこと言っておいてやるらしいぞ」
「ハンターが?」
「そうだ。これからわたし達は、試験のためにディヴァイナルから離れられない。信頼できて屈強な護衛といえば、シェラぐらいしか思い浮かばないから、頼んでみたんだが……」
褒め言葉を受けて、シェラがはにかみ始める。元々頼まれごとに弱いシェラが、そこまで言われては断れるはずもなかった。
「分かったわ。確かにこのまま報酬をもらうってのも、悪い気がするし……」
「ありがとう。恩に着る。レッシュ、案内してやってくれ」
「うん、こっちだよ」
レッシュの案内で、シェラは集合場所へと向かう。同じ装飾の鎧を着込んだ兵士が数人と、アクサが馬車の周りを囲んでいる。
「シェラが隊長だから、きちんと指示をしてあげてね」
「た、隊長? わたしが?」
「シェラなら大丈夫。わたしとお姉ちゃんが保障するよ」
「なんだかうまいこと乗せられて、利用されてる気がしてきた……」
嘆くシェラの肩に手を乗せて、背後から来たアクサも続ける。
「大丈夫よ。わたしも保証するわ。わたしも知り合いがいたほうが、なにかと気が楽だし」
「それもそうですね。んじゃ、早いところ行きましょうか」
アクサとシェラ、それに数人の兵士が乗った馬車へと乗り込むと、御者が馬車を発進させる。その姿が見えなくなるまで、レッシュは手を振って見送っていた……含み笑いを浮かべつつ。
シェラは隊長としての任務と報酬を考えつつ、優雅に馬車の旅を楽しんでいた。その途中、目的地まで片道で一週間かかるという事実が明らかになるまでは。
「そ、それじゃあ明後日までに帰るなんて、絶対に無理じゃない!」
「そうよ? シェラ、聞いてなかったの?」
「ううぅぅ、あの二人にまんまとはめられたわ……」
打ちひしがれるシェラをあざ笑うかのように、馬車はスピードを上げていく。目的地へを目指し、ぐんぐんと。
こうなってしまっては、あとはハンター頼みだ。でないと、今度は謹慎どころかクビになってしまいかねない。
どうかうまいこと言って、ごまかしてくれていますように――報酬よりも任務成功よりも、シェラはそれを願っていた。
どうも、水鏡樹です。
マスカーレイドに異常なし!?第7話 特殊部隊入隊試験 いかがだったでしょうか?
今回は少しハンターやレッシュなどの過去を出したかったため、少し長くなってしまいました。
といっても、第1話とおなじぐらいなんですけど。ちょっと多くの部分に分けすぎた気もします。
この作品を読んで、楽しい時間を過ごせてもらえたのなら、作者にとってこれ以上嬉しいことはありません。感想などありましたら、ぜひお聞かせください。
第8話の構想はできていますが、まだ執筆にはいたっていないので、少し遅れるかもしれませんが、気長に待ってもらえれば幸いです。
最後にシーバス部隊について。つづりはSYBUSです。これでなぜシーバス部隊と呼ばれていたか、分かる人もいると思います。
と、同時に、矛盾にも気づくと思いますが、それは今後の作品の中で解明していきたいです。
それでは、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。