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天翔る獣

 藁葺きの建物の中央からに入ると馬の匂いが身を包んだ。

 家畜と干草と糞の独特のこの匂いは慣れぬ者には顔をしまめるものだったがリステリカにとってはむしろ心が落ち着く匂いだった。

 この土地の子供は皆もの心が付く頃になると天馬の背に乗せられる。最初は大人の鞍の前に乗せられるが、すぐに一人で手綱を持たせられる。当然天馬は空を駆ける獣なので落馬は命にかかわるが、だからこそこの土地の誰もが天馬の扱いを心得なければならない。

 リステリカはクルイルの手を引き左奥に向かって進む。いくつもの馬房の前を通り過ぎ最奥の馬の前で足を止めた。

 中にいる白銀の一角天馬がリステリカを認め顔を寄せる。その尾の先で長柄の箒を動かしている人間に声をかけた。

「ご苦労さま」

 腰をかがめて中の寝藁を掻き出していた初老の男が振り返った。

「リーヤの調子はどう?」

「これはこれは、リステリカ様。まったくコイツは昨夜の異界渡りなぞなかったのように気が有り余っておりますわ」

「今日はもう外に出した?」

「ハイ、昼前には。しばらく見ておりましたが他の馬と並んで気持ちよさげに駆けておりました」

 そういって男は白馬の背に手を当てる。リーヤと呼ばれた天馬はぶるっと首を振ってたてがみを揺らした。

「お乗りになりますか?用意いたしますよ」

「うんん。今日は仔馬の様子を見に来たのよ。どう?幼角が抜けた仔馬はいる?」

「幸い、まだ。恐らくあと10日ほどで生え変わりはじめると思いますが。しかし姫様、仔馬のことを気にされているということは例の異界人はうまく宿主の血統に連なったのですか?」

 不安げに問うた男にリステリカは小さく微笑みかけた。

「うまくいったわ。これでいつ天馬の角が生え変わっても大丈夫」

 ああ、と男は深い皺の刻まれた手を胸にあてて安堵のため息を漏らした。

「よかった、本当によかった」

「今年の仔馬48頭。すべて来年の春までには人を乗せられるようになるわ」

 リステリカは不思議そうに二人の会話を聞いていたクルイルにも笑いかけた。

「お前も天馬を持つことになる。しっかり乗馬の練習をするのよ」

「僕が馬を?本当に?」

「王家の人間だもの。誰より上手に一角天馬を乗りこなせなくては。お姉様だってクルイルの歳にリーヤをお父様から頂いたのよ」

 クルイルは瞳を輝かせた。

 現在、グラスレイルの王族は自分を含めて4人しかいない。国王である父ガレルドに弟のクルイル。そして父の後妻でありクルイルの母コーネスカ。傍系でさえ何代も前にその血脈は絶えてしまっている。

 子に恵まれないのではない。すべては皇都エランジェを守るために奉げられてしまった命だ。

 ホロルに抱かれたこの国は高原の土地である。

 そびえる岩山から続く礫まじりの土では当然麦は育たず、川の近くを時間を掛けて掘り起こしてわずかな芋を栽培している。あとは南の傾斜地に寒さに強い姫林檎を植えてはいるものの、とても多くの収穫は望めない。

 グラスレイルの民のほとんどは山羊を飼育し日々の糧をしているのだが、それでも小麦は必要で穀物の多くは隣国から一手に買い入れている。

 貧しい国だが、ここには唯一他国が欲しがる貴重な生き物を擁していた。

 天翔る獣。一角天馬である。 

次回、隼人はどうなる。

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