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王女の帰還

 目を開くと巨大な満月が目の前にあった。金色に輝く真円。それは先ほどまで隼人の頭上に輝いていたそれとは明らかに大きい。それに足下にあった雲海も見当たらない。

 眼下には細い筋が大地を走っている。きらきらと反射して見えるので恐らく川面か何かだろう。右後方にかけては黒い塊が連なっている。山頂には薄紫の影を落とす雪化粧、その木の葉の縁のように凹凸のある稜線が雄々しく広がり、頼りなげな川を抱く形で大地を刻んでいる。

「もう大丈夫。ここまでくれは追っ手は来ないから」

 下界を凝視する隼人に気が付いたのか、リステリカが体をひねって声をかけてきた。

「どういう意味だ?」

 先ほどとはうってかわって穏やかな口調のリステリカに隼人は問う。

「ほら、あれがホロル山。山から流れる川にそって里があるでしょう?ここはもうグラスレイルの領内なのよ。だから奴らは追って来れない」

 言われて隼人は目を凝らす。確かに川の縁にへばりつくように小さな灯りが見え隠れしているが、つい先ほどまで足下に広がっていたの隼人の街に比べたらその規模はほんのささやかな集落と言った程度だ。

「……人がいるんだな」

「もちろん」

 リステリカはその灯り目指して一角獣を操り徐々に高度を下げていく。

 川筋にそって里に近づくといくつもの建物が見て取れた。一番高い建物は中心部の塔らしく、簡素な作りのそれのなかでランタンに似た灯りを掲げた人間が腕を振っているのが見えた。

 リステリカがそれに応え手を挙げると直ぐに高い鐘の音が響き渡る。川に面した広場の上までくると、そこには多くの人間が群れをなし空を見上げ歓声を上げていた。

 里の人間だろう。夜だというのに小さな子供から老人までリステリカたちを見上げている。

「俺たちの出迎えなのか?」

「私の、出迎えよ。今から降りるわ。……逃げようなんて考えないことね」

 低い声でそれだけ告げると彼女は静かに広場の中央に馬を着地させた。

***

「姫様!姫様、よくご無事で!」

「おかえりなさいませ、リステリカ様!」

「お怪我はございませんか?リステリカ様」

 あっという間に集まった人々が隼人たちの騎乗した一角獣の周りを取り囲んだ。まるで隼人などそこにいないかのように、人々が口にするのはリステリカのことだけ。

 当のリステリカは笑顔でそれに応じている。

「ただいま、みんな。無事還ってきたわ」

 よく通る明瞭な声で告げると人々に笑みが広がった。

 多くの人がリステリカと同じような飾り布のついたかぶり物をしている。顔つきも髪の色も日本人ではあり得ない。

 みなリステリカ同様、金に近い薄い色。強いて言えばヨーロッパ人のようだ。

 服装も女性は長いスカートに刺繍の入った襟のないブラウス、男性も簡素なズボンと同じような上着。どこかの民族衣装のようだが、隼人には全く見覚えがない。

 その人垣をかき分けるように駆け寄ってきたのは50を過ぎたくらいの恰幅の良い女性。どいてどいて、と息を切らせながら近づき、リステリカが馬を下りるや涙目になってその体を抱きしめた。

「ああ!姫様、本当によくお戻りになりました。本当に良かった。もし姫様がお戻りになられなかったら、いえお怪我でもされようものならと、生きた心地がいたしませんでした!」

「マリシカ。心配をかけたわね。でも私は大丈夫よ」

「いいえ!姫様一人で異界の地へ行かれるなんて危険極まりないことです。本当に恐ろしい。もし連中に遭遇でもしたらと思うとぞっといたします」

 リステリカは困ったような笑みを浮かべた。

「……それは仕方のないことよ。彼らも異界の人間が喉から手が出るほど欲しいはずだもの」

「まさか、遭ったのですか?」

「ええ。傀儡を一匹切って、追っ手を3騎落としたわ」

「なんということ!」

「大げさね、マリシカは。私を誰だと思っているの?腕ならこの里で一番よ。それにリーヤの俊足はあなたも良く知っているでしょう?」

 しかしマリシカと呼ばれた中年女性はジロリと隼人を見上げた。

「でも、こんな荷物を後ろに乗せていたのでは天馬の脚も鈍るというものです。それに何です、この異界人は。まるで南方の狒狒のような顔をしておりますね」

「それは否定しないわ」

 嘲笑を込めた言い草に隼人は眉を上げる。いきなりこんな所に連れてこられて、この言われようは何なのだ。

 この理不尽極まりない扱いに沸々とした怒りが込み上げ、隼人は馬の背から飛び降りると無防備なリステリカの肩に手をかけた。

「おい、お前。さっきから聞いてれば勝手なことを……」

 その途端、隼人の頬が弾かれた。一瞬の出来事に隼人は打たれた頬に手を当て呆然とリステリカ見つめる。

 誇り高い目が怒りをたたえて隼人を見据える。

「わきまえなさい。異界人」

「なんだと」

 隼人は気色ばんだ。

 こんな屈辱は生まれて初めてだ。日本で暮らしてきた普通の高校生にとって、同い年くらいの少女に平手打ちを食らうなど滅多にあることではない。ましてや訳の分からない世界に連れてこられ、追っ手に殺されかけるなんて。

「異界人異界人って、お前等こそ一体なんなんだよ。ここはどこなんだ。俺を元の場所に返せ!日本に帰せよ!今すぐに!」

 頭に血が上り、周囲に向かって誰かまわず怒鳴りつけた。幼い子供が母親のスカートの影に隠れ怯えるのが見えたが、そんなことはもはや関係がない。

「姫様、如何致しますか?」

 隼人を見つめるリステリカに耳打ちししたのは屈強な若い男。その男に金目の少女は迷うことなく命令した。

「しきたりに従い『宿主の間』へ。それと、とにかく黙らせて」

 逃げる隙もあらばこそ、隼人は男に制服の襟首を鷲掴みにされると間髪入れずに鳩尾に激痛が走った。経験したことのない衝撃。

(これは、夢だ)

 ありふれた日常を嫌っていたはずなのに。

 ……次に目が覚めたときは平凡な世界が目の前に広がっていること。

 ただそれだけを願いながら、隼人の意識は闇に落ちていった。 


次回、新キャラ。

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