月夜の追撃
「なに……王国だって?」
「グラスレイル。東方の小さな国よ。連合に加盟はしてるけど」
隼人は頭を抱える。そんな横文字の国は聞いたこともないし、第一この状況で連合と言われても事態が飲み込めない。
それに空の上はとてつもなく寒かった。風に吹きさらされて剥き出しの手や鼻がほんのわずかな間に硬くかじかんでしまっている。
「とにかく、俺をおろしてくれ。この訳のわかんねー状況をどうにかしてくれ!」
「無理ね。もうすぐゲートが閉じる。時間がないの」
「ゲート?」
隼人がリステリカと名乗った少女を覗き込んだ時それが頬をかすめた。頬に鋭い痛みが走って手をやるとペタリ温かな液体で指先が濡れる。
「何……まさか血?」
「追っ手か!」
リステリカが大きく身をよじって背後を見やった。そこには月光を浴びて雲海に影を落とす宙を駆ける馬が3騎。濃紺の毛並みに灰銀の尾とたてがみ、そして今隼人が乗っているのと同じ長い一本の角が額についている。
騎乗した人間は大きく弓をかまえこちらに向かって弦を引き絞った。
「おい、お前!!……リステリカ!!」
手綱に集中した少女の気をこちらに向けるため大声でその名を呼ぶ。
「なあ、俺等殺されんの?なんでこんな目に遭わなきゃいけねーんだよ!」
「貴方は殺されないわ。異界人は生け捕りにしなきゃ意味がないもの!」
いいながらリステリカは背に手を回すと素早く矢を構える。手綱を口でくわえると鞍から腰を浮かせ、振り向き様に矢を放った。物凄い勢いで空を切り、矢が一番手前の一騎に吸い込まれる。
「やった!」
思わず隼人が歓声を上げる。すかさずリステリカの怒号が飛んだ。
「黙ってなさい!舌を噛みたいの!」
落ちていく仲間を追いかけもせずに残りの2騎が着実に隼人たちに追いついてきて距離を縮める。またたく間に挟み込まれるように追いつめられる。
よく見ると青い馬に乗っているのは簡素な甲冑をまとった若い男。彼らは真横に馬を並走させるとリステリカに狙い定めて弓を放った。
その瞬間、白銀の一角獣は大きく後ろに跳躍した。正確には目の前に透明の壁があるあのごとく垂直に空を駆け上がりそのまま一回転したのである。
隼人は振り落とされないように少女に渾身の力でしがみつく。世界が回転し、胃が浮き上がるような感覚。振り回された体が鞍から投げ出されそうになり血の気が引く。去年乗ったジェットコースターだってこんな恐怖は感じなかった。
しかしそんな同乗者のことはおかまいなく、リステリカはがら空きになった青い馬の背後に向かって矢を放った。
音もなく馬の上から男が滑り落ちていく。矢が刺さったまま足下の雲海に落下していった。
「なあ。あれ、殺したのか?」
恐る恐る訊ねると簡素な返事がかえってくる。
「そうよ」
そう答えた横顔を見て隼人は言葉を失った。瞳は奥に金色の砂をまいたように光り輝き、戦闘の興奮で頬には赤みが差している。形の良い唇はわずかに開き、呼吸をするたびに冷気のなか白い息が流れている。
リステリカは小さな舌で唇を濡らすと腰におさめていた長剣を抜き放った。最後の一騎はこちらに向かって一直線に突進してくる。同じようにリステリカも全速力で宙を駆ける。
2つの影が雲海の上で交差した時、青い馬の嗎が夜空に響いた。甲冑の男がずれ落ち、そのまま血をまき散らして落馬していく。
呆然とそれを見下ろしていた隼人にリステリカが声をかけた。
「まだ間に合う。しっかり掴まっていて。……リーヤ。お前の脚を信じてる。いけ!」
白銀の馬は首を叩かれると、前足を高く掲げまたたく間に疾風のごとく駆け出した。
風が刃物のように凍てつき容赦なく隼人の体温を奪う。限界を訴えようと顔を上げた時、目の前にぽっかりと空いた巨大な『穴』が見えた。
中空にあったのに穴だと認識できたのは、それが夜の闇とは全く異なる漆黒だったからだ。その穴に比べれば月夜の空は優雅な紫紺と言っても良い。それほどまでに異質な空間が眼前にあるのだ。
その穴の周りの空間がぐるりと渦を巻いて漆黒の部分を浸食していっている。間違いない。リステリカはあの穴を目指しているのだ。
「おい、冗談だろう!おろせ、おろせよ!!」
隼人は何も答えないリステリカの外套を鷲掴みにし何度も揺さぶる。しかし、彼女はわずかに隼人をみて顔を歪めると小さく呟いた。
「……許して」
それ以上は聞き取れなかった。漆黒が目の前に広がって隼人は目を閉じた。
次回いよいよ異世界。




