交渉の切り札
嬉々とした声はもちろんユーアンのもの。
「父上はお出ましになられないのですか?皇都を離れられたとは聞き及んでいませんから、ここに居られるのでしょう。相も変わらずお部屋におこもりか?それとも神殿に?」
「陛下は病で臥せっておられる。お前こそ城を離れてここで何をしている。帰還命令は下っていないはずだが」
「僕は命令されたから辺境の守備任務に就いたのではありません。あくまで自分の意志であの地に居を移しただけ。この度はグラスレイルの使者殿を無事にエランジェにご案内したまで。なに、この宮殿に留まるつもりは毛頭ございませんので御心配なく。兄上」
「お前の七の宮は毎日女官たちが床の隅々まで拭き清めて主の帰りを待っていると聞くぞ。丁度良い。リステリカ、愚弟の宮で良ければ滞在中は自由に使われるのが良かろう。その方が家臣たちも喜ぶ」
水を向けられリステリカは曖昧に返事をする。
静かに牽制し合う兄弟のどちらにもつくことをためらっているのが手に取るように伝わってきた。
(都の宮殿に住む兄と、辺境の土地で共も連れずに野営をする弟か)
対峙する二人は耳や顎の形がよく似ている。やはり血のつながった兄弟なのだ。
こちらを見下ろすイーエンはおそらく30前後。落ち着き払った態度からは、この弟の挑発的な言動は所詮想定内なのだろう。喰ってかかるユーアンをまともに相手をする気はないらしく、そのままリステリカとの話を続ける。
「わざわざそなたがこの都を訪れたのだ。何があったのかは察せよう。翼便からの情報も昨日私の元に届いている。……ギルメの兵がグラスレイルに侵入したとか」
「恐れながら、その翼便は最も重大なことを運んではおりません。ギルメ兵は我が国の領土を侵したのみならず、グラスレイル王家の男子を……私の弟を、奪っていったのです」
己の胸を毟るようにしてリステリカは告げるとイーエンは瞠目した。
「盟約により自国ではギルメから王子を奪還するだけの兵を保持しておらず、この度東クロカースのお力を貸していただきたく私が王の名代として参った次第でございます。どうかグラスレイルのため、貴国の兵をお貸しくださいませ」
一息にそこまでいうとリステリカは膝をついて頭を垂れた。ウライたちも倣って平伏するので隼人もあわせる。ユーアンのみが相変わらず兄をまっすぐに見つめていた。
イーエンは頬杖をついていた顔を上げ、手をしっかりと組み合わせる。しばし考え込むような短い沈黙のあと、ゆっくりと口を開いた。
「連合の首長として今のこと、極めて憂慮すべき事態だと認識した。王族の誘拐ともなれば戦を仕掛けるも同じこと。それにそなたの弟といえばまだ十に満たないではないか」
「今年で八つになります」
「直ぐに父上に報告をしよう。詳しいいきさつは後ほど私が直接聞く。それからのち盟約の文言との照会を行うべく法官の元に使いをやることになる」
「兵をお貸しいただけるのですか?」
弾かれたように顔を上げたリステリカにイーエンは厳し顔を向ける。
「まだ私の一存では決められる段階ではない。分かっているとは思うが、我が国とギルメは現在議会による停戦期間が空けていない。本来なら戦になりうる行動はあってはならないはずだ」
「しかし、実際にグラスレイルは侵されました。どんな題目よりもその事実の方が…」
「その事実を認めさせるのは難しい。私とて議会を説得するのは容易ではない。彼らには明確な利益がなければ積極的に動かないものだ」
隼人は議会という言葉に首をひねった。どうやらこの国はグラスレイルのような専制君主制ではないらしい。皇帝の他に政治的な権力を持つ議会が存在するのだろうか?
リステリカは歯がゆそうに言葉を飲み込む。その肩にユーアンの手がそっと乗せられた。
「兄上。もしその利益とやらが提示できれば議会を説得する自信がおありか?」
問われたイーエンは怪訝な表情で弟を見返す。ユーアンはなおも言い募った。
「グラスレイルはひ弱な童のように単に大国に泣きついている訳ではありません。かの国の天馬が我が国にとってどれほど重要か。それに彼女等はグラスレイルにとっての至宝を我が国に持参してきましたよ」
ユーアンの視線が隼人を促した。隼人は小さくうなずくとリステリカを同じ所まで進み出て、その側で背筋を伸ばして仁王立った。
物珍しげにイーエンは隼人を観察する。後ろに控えた少女は更に興味を隠せない様子で珍獣でも見るようにしげしげと隼人を眺めた。
隼人はユーアンに目配せをすると事前の打ち合わせ通りに名乗りを上げた。
「俺の名前は日下部隼人という。グラスレイルの秘技「宿主」の血をこの身に宿した異界人だ」
次回、都の市井にまぎれて。




