兄と弟
隼人はその鼠色の石で出来たアーチを潜って感嘆の息を漏らした。
暗い色の外壁からは想像もできない春の色彩を集めた前庭が広がっているのだ。
若々しい黄緑の草に無造作に点在する小さな紅い花。暖かみのある石畳の隙間を埋める黄色の花弁が星形に顔をのぞかせ、小道を歩く人を奥へと誘うように釣り鐘の純白の花が所々に群れている。上を見上げれば天高く伸びた樹が透ける翠の枝葉を広げ、小さな綿をふわふわと舞い振らせる様はまるで春の雪。
マーブル模様の石畳には木漏れ日が踊っている。頬を撫でる風は微かに潮の香りが含まれていた。
隼人たちはその中を天馬を引いて歩いて行く。
「天国ってこんな所をいうんだろうな」
「なに、驚くのはこれからじゃよ」
この宮殿は慣れているのか、前を進むウライは落ち着いた様子でこたえる。
「今のは歓迎の門。ここはまだ宮殿の中とは言えん。あの審問の門を潜って初めて宮殿と言えるな」
ひょいと顎で示した先には四人の兵士が守る鉄の門扉があった。
リステリカが用件を告げ取り取り次ぎを頼む。脇の小さな木の扉を抜けて裾の長い中年の男があらわれて何事か告げる。彼女は懐から金属製の筒をとりだした。
「あれは?」
「グラスレイル王家の盟約の証書じゃ。中に絹の織物が入っておる」
「織物に文字が書いてあるのか?」
「紋章が織られている。エランジェ皇室とグラスレイル王室の融合紋章が。本来ならば事前に訪問の目的を文で御伝えするべきだが、今回は略式じゃ」
中の織物を見聞する男に痺れを切らしたのか、リステリカの前に長身の男が進みでた。
ユーアンは親しげに取り次ぎの男に声をかける。途端、男がかしこまって慌てた様子で奥に消えて言ったかと思うと、直ぐに奥から鉄の門扉は兵士によって開かれた。
「天馬が中に入れるのはここまでよ。宮殿の厩にリーヤたちを預けます」
振り向いたリステリカの後ろで褐色の顔が満足げに笑みを作っていた。
***
通されたのは審問の門を抜け、直ぐ右手の建物。乳白と薄墨色の石が交互に重ねられた柱、そして入り口のアーチ。上品で知的な縞模様はそのまま室内の装飾にも使われていた。
室内に入ると更に細かく分けられた部屋に案内される。通された部屋は一段高く、床一面に淡い白と淡い黒の複雑なデザインが施されている。
左右には細かく区切られ色付けされたガラスが嵌められ、決して広くはない室内に七色のまだらの光を落としていた。
「まったく。よりにもよってイーエン兄上の二の宮に通されるとはね」
眼を細めてユーアンはつぶやいた。
正面の台座には厚手の織物が敷かれており、その上に低い椅子と豪奢な肘掛けが用意されている。
「あんたの兄弟ってことは王子様なんだろう?仲悪いのか?」
「身内なんてものは何処の世界だって厄介なもんだと思うがな。まあ、お互い様だろうな」
きっと、高貴な身分の方々には隼人には縁の薄いややこしい事情があるのだろう。もちろん隼人の周りにも親族間のいざこざは確かについてまわっていた。
(母親が出て行った時も、親父の家族と揉めてたもんな)
他人事のように思えるのはもう五年も前の話だからだ。隼人の両親は離婚して自分は弟と一緒に父親の家で暮らしている。
父と母の不仲は事前に薄々感じていたので、最後の方は隼人は諦めていたほどだ。この妙に冷めた性格もその経験から来る物なのかもしれない、と自分では思っている。
しばらくすると部屋に長身の黒髪の男と、同じく黒髪のほっそりとした少女が入ってきた。
男は中央の椅子に腰掛ける。少女はその斜め後ろに小さく膝をついて静かに控えた。
対照的な二人である。
男は飾りが少なく白っぽい衣装、髪は絹糸のようにまっすぐで知性を宿した瞳はどこまでも涼しい。どことなく鷹を連想させる怜悧さを漂わせている。
逆に少女は朱と山吹に染められた布を折り重ねたワンピースに貴石の連なる首飾りが異国風で、豊かな髪は奔放に波打っている。こぼれ落ちそうなほど大きな瞳が小動物のようだ。
どちらの肌も浅黒いが、男は黄みがかった小麦色で、少女は肥沃な大地の色をしていた。
その二人の前に進み出たリステリカは交差させた手のひらを肩に添えて深く頭を足れる。
そのまま口上を述べた。
「古き誓いを元に、新しき言の葉を携えて。グラスレイルから東クロカースへこの娘を遣わす。これ、我等の次なる王となる者なり。……久方ぶりでございます。イーエン殿下」
「七年ぶりか。リステリカ・グラスレイル。あの時のそなたはまだほんの子供だった」
「はい。ふたたびお目にかかれて嬉しゅうございます」
頭を下げたまま答える彼女に殿下と呼ばれた男は脇息に肘をかけた。
「私もだ。さあ、そうかしこまることもないだろう。貴国の長年にわたる友情には感謝している。月日が経つのは早いものだ。そなたがグラスレイル王と共にこの宮殿へやってきたことが昨日のことのようだ」
「あのときは、まだ何も知らぬただの子供でございました。にもかかわらずあのときの殿下のお心遣いには感謝いたしております」
リステリカの声に柔らかさが加わる。
しかしそんな和やかな二人の会話に割って入るものがいた。
「会って早々思い出話とは妬けますね、兄上。僕の婚約者がこんな所まで足を運んだ理由を、貴方は薄々分かっているのでしょう?相変わらずお人が悪い」
再開。次回、主人公が動く。




