都への使者
「むやみやたらと下を覗くな。落馬しても知らんぞ」
イザルクの穏やかな笑い声で注意を促された隼人は慌てて姿勢を正した。
遥かな足下には淡い緑の斜面とそれを這うように流れるソテス川。ホロルの娘たちの灰青色の岩肌はすぐ横に迫っている。
乗馬の経験などない隼人にとっては軽やかな天馬の乗り心地でさえ、頭が上下して何とも危なっかしい。しっかりと鞍の前を掴み他に遅れまいとしているが、実際足手まといになっているのは良くわかる。
手綱は前のイザルクに引いてもらい左右と前を囲まれるように空を行く。
当然、一行の先頭は白銀の天馬のリステリカだった。
グラスレイルの飾り帽子をはためかせたその小さな姿は、今は遠い。
防寒用の手袋と鳶色の厚い外套を身にまとっているのは他の者と同じだが、ひとり張りつめた気配を漂わせていた。
日も天高くなってきた昼、今は皇都エランジェを目指しての旅の途中である。
グラスレイルの王城を出たのは昨日の早朝。襲撃の翌日のことだ。
同盟国である東クロカースの都におもむき、今回の詳細の報告と王子奪還のための助力を乞うためである。
この世界のことはまだぼんやりとしか分からない隼人でも、戦争状態や政治的な駆け引きが国同士であるということに少々驚いた。
なにせユニコーンが空を飛ぶ世界である。もっと幻想的な神秘の世界を想像していたのも無理はない。
実際は空飛ぶ獣と日本で見た女の化け物以外は、魔法や妖精などといった非現実的な光景は見当たらなかった。代わりに文明の遅れた中世ヨーロッパのような封建的な世界の断片が垣間見える。
(世界史で言えば15世紀ヨーロッパってところか。石油とか使ってる様子ないし)
いろいろ考えては見るものの、いかんせんグラスレイル自体が貧しい国であることはすぐに分かったので、皇都がどのような場所なのかは想像するのは難しい。
リステリカは幼い頃に一度訪問したことがあるらしく、綺麗な宮殿がある所、とだけ教えてくれたのみ。
今回の旅には王の名代としてのリステリカ王女、その近衛としてイザルクとサイオン、侍従長のウライ老師、最後に隼人が加わっている。
一刻も早く皇都に着きたいリステリカはむっつりと押し黙ったままだ。
当たりを見回していたサイオンが不意に声を上げた。
「姫様、沼があります」
指差す方に眼を向けると確かに白く光る水辺が見える。ソテス川の水を満たしている小さな沼。
「これはちょうど良い。爺は姫様ほど馬術が得意ではないもので、ちと休ませてくだされ。それに馬にも水を飲ませてやっても良いかの?」
やんわりとした口調でウライ老師が訊ねると、それまで前方しか見ていなかったリステリカがこちらを向いて苦笑いした。
「私こそ、気づかず申し訳ありません。あそこで食事にしましょう」
そういって窪地の小さな沼に天馬の首を巡らせた。
***
驚くほど冷たく澄んだ水を隼人は自分の革袋に詰めた。隣では鳶色の天馬が静かにのどを潤している。
都まで天馬を全力で走らせれば丸三日だとい聞いた。しかし今回は全六日の日程で進んでいる。
老人と素人が道連れでは仕方ないのかもしれないが、それでも隼人が一番馬の扱いが下手なのは明白だ。
(こんなことなら残っていた方が良かったんだろうか)
不安が首をもたげたが、隼人は頭を掻いてその考えを振り払った。
『俺も一緒に行く』そう告げたときの周りの反応を思い出すと隼人は吹き出してしまう。
皇都の力を借りるのだからそれなりの対価は必要だ、と聞かされとっさに思いついたこと。
それは隼人の「宿主の血」。
グラスレイルの秘技とまでいわれ、命の危険を侵してまでも守ってきた天馬を操る技。
恐らくギルメの狙いもそれだ、と聞かされ改めて自分の負わされたものの重大さを知った。
だからこそ、対価としての価値がある、隼人はそう考えたのだ。
『自分の血は貴重なんだろう?その俺が質草にでもなってやれば相手もこっちを信用して力を貸してくれるんじじゃないのか』
我ながら、突飛な発想だと思う。自分に底までの価値があるのか。
まだ良くわからないこの世界の常識や掟。
しかしほんの少しでもあの少年を助けるために自分が出来ることがあれば力になりたい。
それはクルイルに弟の面影を重ねてしまったからかもしれなかった。
そしてリステリカ。
彼女が勅使として遣わされるならば、いつ戻るとも知れない彼女をただ待っているだけなどありえない。
自分はなんとしても日本へ帰ると決めているのだ。
万が一、彼女が春節に戻らなかった時、自分はまた一年待たなければならない事態に陥ってしまう。
現在グラスレイルでまともに乗れる天馬はリーヤを含めて全て今回の皇都への騎乗となるときいた。
出来る限り天馬とリステリカから離れてはならない。
そうすることが元いた世界へ帰る可能性が一番高いということを、このとき隼人は既に心得ていたのである。
次回、邪魔者。




