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一角獣に乗った少女

 柔らかな月光に照らされて春の雲海が広がっていた。満月は天高く妖しいまでの姿を惜しげもなく晒している。眠たげに広がるその雲の切れ目から、不意に小さな渦が巻き起こった。またたく間に周囲を巻き込みその半径を広げると、その雲の渦の中心部から一頭の獣が飛び出してきた。

水面から跳ねる魚のように、垂直に夜空を駆け上がったかと思うと、空を力強く蹴り上げ体の向きを変える。

 月の光に照らされ白銀に輝く体躯は見事な駿馬。額には植物の蔦のように捻れ、先端が鋭く尖った角がついている。よく見るとその一角獣の背には外套をなびかせた小柄な人物が鞍に張り付くように跨がっていた。短く持った手綱を軽く繰ると、獣は雲海の上をゆったりと旋回を始める。

「時間がないわ……」

 一角獣をあやつる外套の少女が地上に瞬く街の灯りを覗き込みながら舌打ちをした。ついで満月を雲海を見比べる。雲の渦はすっかり消失し、また元の惰眠をむさぼるような滑らかさを取り戻している。

 少女が背に手を回してその荷を確かめる。小さな背中に背負われたのは弓と矢筒。腰には鞘に納められた長剣。なめした革に包まれた様子から相当使い込まれた物なのだろう。彼女の手も同じく使い込まれた褐色の革の手袋がはめられていた。

 緩やかな早足をしていた馬の腹を少女が蹴り上げる。主人の意を悟った一角獣は一声いななくと下界の灯りを目指して暗闇の中を踊るように駆け降りていった。

***

 「日下部。お前はやれば出来るんだから、進学真面目に考えろよ」

 日下部隼人はつい先刻担任教師から言われた言葉を考えていた。野球部の忘れ物である白球を弄びながらグラウンドを突っ切って家路に帰る途中だ。夜風に舞う優雅な桜の花弁とは裏腹に、高校三年の春は死ぬほど憂鬱な現実が隼人を待ち構えていた。

 進路希望書を適当に提出したのが不味かった、と隼人は苦笑いをする。こんな遅くまで懇々と諭されるなんて、今度の担任はよほど暇だと見える。勉強が嫌いなのではなかった。しかし無目的に進学も就職も選べない、そんなこだわりを感じているに過ぎない。

 周囲に、状況に流されて自分の身の振り方を決めてきた。正直、優等生キャラだとも思う。大きなこともしてこなかったかわりに、人並みから外れたこともないはずだ。

(俺って、すげーつまんない奴)

 そんな自分に自分が一番飽きている。この時期になってのどことないこの鬱屈した感情は、その十人並みの人生の小さな瘤のような物かもしれない。

 隼人はグラウンドの中央までくるとおもむろに漆黒の空をあおいだ。夜風に舞い上がった薄紅色の花びらが視界をいくつも通り過ぎる。ほの白い花弁にまぎれて、隼人の視線の先にそれは現れた。

 満月の光の欠片のように、銀色に閃き、やがてその姿を近づけてくる。

「なんなんだ?鳥か?」

 いや。鳥にしては大きい。そして早い。空の彼方からまっすぐにこちらを目指して降りてくるのだ。隼人が目を凝らして一歩近づいたときだった。

『これだから異界の殿方は可愛らしい』

 刺すような冷気が右の耳朶にふれ、冷たい妖艶な声がすぐ近くで響いた。

「な、なんなんだよ!?」

 あまりのことに隼人が振り返って飛び退く。しかしその二の腕にしっかりと食い込む物がある。女の指だ。

 隼人はその光景に目を疑った。月明かりで出来た隼人の影から女の上半身がずるりと這い出し、隼人の肘に白い腕を絡み付かせている。頬を擦り寄せるようにして隼人の腕をにじり登る。よろよろと這い出た腰から下は蜥蜴のような四肢。しかしそれは確かに血管の透き通った柔らかな皮膚をもっていた。

「なんなんだよ!止めろよ、何だよこれ!!」

あまりのことに隼人は腕が抜けんばかりに振り回し異形の女を引き離す。そのとき目の前を白い影が横切った。

 異形の女の絶叫とともに隼人の腕の拘束が緩む。途端、目の前の女の腕から鮮血がほとばしった。女は切り落とされた腕を恨めしげに眺め、次に白い影から飛び出た外套の人物を鬼の形相で睨みつけた。

「グラスレイルの姫様は礼儀も知らんのかえ。獲物を横取りするとはよほど男に飢えていると見える」

「黙れ」

 血の滴る長剣を無造作に掴んだまま外套の人物は隼人に向かって降り向く。小さな作りの顔と目が合った。

 金色の水晶という物があればこんな感じなのかもしれない。淡く輝く金褐色の瞳を濃い金糸の長い睫毛が縁取っている。肌は雪花石膏のように白く透き通り、細く小さな顎は奇跡のようなバランスを保っている。

 これまでの非現実的な出来事の中でも更に現実感のない少女がそこに立っていた。

 歳の頃なら16、7歳だろうか。神話の中から抜け出たような見蕩れるほどの美少女。細い手足に似合わぬ古びた外套と革の手袋、そして暗い色の帽子がその流れるような髪の大半を隠してしまっているが、月明かりに照らされた容姿は隼人の知るどんな人間より繊細と言って良かった。

 しかしその手には先ほどの化け物の腕を切り落とした生臭い刃物を携えているのだ。もはや何が現実的なのか分からない。

「小娘が。こんな異界まできて妾の邪魔をするとは。異界の人間の一人や二人、何をそんなに怒ることがある?」

「ウジ虫どもが。ふざけたことを……!」

 怒気を含ませた口調で化け物に近づいた少女は、ためらいなく女の首を薙ぎ払った。すぐさま隼人に向き直ると、あまりのことに地面にしゃがみ込んでいた隼人の襟首を握って引き立たせ、そのまま射抜くようなまなざしで隼人に問うた。

「歳は?」

「え……」

「齢を聞いている。生まれてから何年経つ?早く答えなさい!」

 彼女の剣幕に押され隼人は口を開いた。

「……17だけど」

 それだけを聞くと今度は「リーヤ!」と虚空に向かって叫んだ。すると近くで動物の鳴き声が聞こえたかと思うと、隼人の背後からすぐさま白銀の馬が軽い蹄の音と共に姿を現した。

 一体どこから、と疑問に思い、しかしすぐさま自分の見ている物を疑った。その馬には額には象牙色の角が生えているのだ。

「これって……ユニコーンじゃんかよ!」

 驚く隼人を尻目に少女はその一角獣の背に跨がると隼人をあっという間に引きずり上げた。

なんと驚いたことに一角獣も後ろ足を屈んで隼人を乗せるのに協力しているではないか。

「ちょっと、待てよ。なんなんだよこれ。お前一体誰なんだよ!何で俺、こんなのに乗せられてんの!」

 手綱を持った少女の後ろでとにかく騒ぐと、彼女は鬱陶しそうに振り返った。

「しっかり捕まってなさい。落とすわよ」

 言うや否や馬は何もない空中を蹴ったかと思うと、岩場を登る鹿のように見る見るうちに夜空へと駆け上がっていく。満開の桜並木が微かな白い線になって遥か下へと掻き消えていく。

やがて絹のような光沢を見せる春の雲海に出た。明るい月光を浴びて一角獣の毛並みが真珠のように輝いている。

「天馬に乗るのは初めて?」

 少女の細い腰にしがみついている隼人に答えられる訳がない。彼女の帽子の前に垂れている布飾りがはためくのを食い入るように見て、この高所の恐怖をひたすら紛らわすだけで精一杯だ。

「貴方、名前は?」

「……お前こそ誰なんだよ」

 やっとのことでそれだけ言い返す。少女は前を向きながら淡々とした口調で答えた。

「私はリステリカ。貴方を迎えにきたグラスレイル王国の第一王位継承者よ」


<つづく>

続きを書くように頑張りたいです。目指せ完結!

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