第6話 死の宣告
エイデンから告げられた突然の死の宣告。
予想だにしない言葉に唖然とするエリス。何故、どうして、何を言っているのかと、湧き出る疑問と困惑に顔を歪めている。
彼女の表情の変化が見えているはずなのに、しかしエイデンに止まる様子はなかった。一方的に話を続けていく。
「猶予は半日……もは、流石に無いか。今からせいぜい3、4時間ってところだろうね」
(ちょ──)
「ああ、命乞いは無駄だろうから、最初から考えないほうがいいよ」
(いやだからッ──)
「相手は間違いなく最高峰の魔法士だから、死体は塵も残らない可能性が高いね。その場合は骨を拾ってあげることすら出来なそうだ」
(まッ──)
「とはいえ見過ごすことも見捨てるつもりもない。だから俺が来たわけだけど、その前にまずは君に尋ねたい2択があってね」
エリスは取りこぼしていた指輪を乱雑に拾い上げた。宝だとか言ってられなかった。
(待ちなさいよいい加減ッ!ぽんぽんっぽんぽんっ意味分からない情報で殴りつけてきて……勝手に話を進めるなッ)
「おっと……静かだったから、てっきり聞き入っているのかと」
"これはすまない"と、態とらしく謝罪する。絶対に気づいていた反応である。
ぴくりと、エリスの頬がヒクついた。
(このッ、さっきから止めようとしてたわよッ。指輪を落としてたから通じてなかったみたいだけどねッ)
「なるほど、道理でスムーズに話が進む訳だ」
"ははは"と、エイデンは軽く笑った。どうにも距離が近いというか、親戚のお兄さんのような雰囲気を醸し出している。
その笑みにも、恐らく悪気は一切ないのだろう。
(何笑ってんのよ腹立つわねッ)
しかしエリスには軽薄に映っていた。人の命に関わる話を切り出しながら笑っているのだ。当然の判断である。彼女の額には青筋が浮かんでいた。
詳しい説明もなく自分勝手に話しを進められて、怒るなという方が無理がある。一方的に情報で殴られた側の反応としては妥当だった。
「あっと……つい話が逸れてしまった」
エイデンは笑みを引っ込め、前傾姿勢を取った。
顔が檻に近づき、その表情に影が差す。
「悪いけど、時間に余裕はなくてね。悠長に問答する気はないんだ」
声はワントーン低くなり、真剣みが増していた。
しかし何事にも"場の雰囲気"というものがある。いきなりシリアスに持っていくのは無理があった。その証拠に、エリスの瞼が小さく引くついている。
(アンタ……碌な説明も無しに、私が素直に耳を傾けるとでも思ったの?)
「流石に無視は困る。俺も貴重な秘宝を使っている身だからね」
"元手が掛かっている"ということだろう。
エリスが握っている指輪は値段が付けられない。それだけの価値がある。
今現在もその恩恵を受けている身としては、無碍には出来ない。にしては落としたり乱雑に拾い上げたりと扱いに多少の問題があったが、エリスは無かったことにした。
(なら、せめて話し合いの姿勢を見せなさいよ。この秘宝のおかげで、ちゃんと会話できるんだから)
「そうしてるつもりだったよ。君が指輪を落としてたから、会話が成り立っていなかっただけで」
(普通気づくでしょ……壁にでも話してたの?)
"ははは"と、上体を上げながらエイデンは笑った。よく笑う男である。
「死ぬとまで言われてその態度……肝が据わってるね。いいじゃないか。芯のある女性は好きだよ」
(きもい)
即答。
しかしエイデンは傷ついた様子もなく、余裕の態度で受け入れた。どころかアドバイスまでし始める。
「お世辞は軽く受け止めた方がいい。褒められ慣れてないのがバレバレだから」
(うっさいわねッ)
「軽くお礼を言えるくらいじゃないと、一端のレディとは言えないよ?」
(余計なお世話よッ)
"ははは"と、エイデンは再び笑い声を漏らす。ツボに入っているのだろう、腹に手を添え、肩は小さく震えていた。時間に余裕が無いと言った口先も乾かずにこの態度。本当なのか疑わしい姿である。
"こいつは性格が悪い"と、エリスは思った。
「ふぅ……話しを戻そう」
一息つき、落ち着きを取り戻したエイデンが切り出した。
エリスは不満げに睨みつける。
(脱線させたのはアンタでしょ)
「場を和ませる冗談だよ。アイスブレイクは重要だろう?」
(何よそれ、知らないわよ。新手の氷魔法?)
エリスは本気で不思議そうに首を傾げていた。
思っても見なかった返答に、エイデンは顎に指を添えて軽く撫でる。
「お互いの緊張を解す為の儀式みたいなものだけど……ほら、俺たち初対面だから。そういった者同士が打ち解け易くする為の手段のことだよ」
(ああ……だから"氷を砕く"ね。緊張を砕くってこと。随分と乱暴なやり方ね)
エリスの脳内では、巨大な氷の塊が拳で粉砕されるイメージが思い浮かんでいた。
もはやそれは魔法ではなく物理である。
エイデンは思わず苦笑した。
「いや、そんな暴力的な行為ではないんだけどね……まさかアイスブレイクの説明をすることになるとは思わなかったなぁ」
(しょうがないでしょ。私はこんなだから、人と話したことなんてないもの)
「君は神に声を奪われているから、なるほどそれも当然か」
生まれながら損失している"声を発する機能"についての指摘だった。明け透けというか、遠慮のない言葉である。
しかしエリスは不快感を感じなかった。むしろ違和感、疑問を感じていた。エイデンの言葉のチョイスが気になったのだ。
(奪われた……? 禁じられたでも、取り上げられたでもなく?)
「ん……まぁ、普通はその認識になるのか……ならその辺りから軽く触れていこう」
エイデンは椅子に深く座り直す。"話をしますよ"という分かりやすい姿勢だった。
「失落紋は生まれながらの大罪人に刻まれる。その証を持つものは、神に体の一部を没収される。それが世間一般に広がっている認識だ。君も馬車の荷台で聞いてただろ?」
(いやでも聞こえてきてたけど……違うって言うの?)
「順序が逆なんだよ」
エイデンは右手を上げて人差し指を指す。向かう先はエリスの首の根本。失落紋がある場所だった。
「真実はこうだ。神は特定の人間から体の一部を剥奪する。その爪痕として紋章が刻まれる。罪があるから取り上げられたんじゃない。大罪人なんて触れ込みは、自分と異なる相手を恐れた、民衆の勝手なレッテルに過ぎないんだよ」
(勝手なレッテル……)
エリスは首元に手を伸ばし、"口"を思わせるデザインの黒い紋章に爪を立てた。
ゴリッと、抉るような音が鈍く響く。
(もしそうなら、今までの扱いは、苦労は……)
「神の勝手と、人の弱さが産んだ理不尽でしかない」
エイデンは断言した。嫌悪感の溢れる声音で、唾すら吐き出しそうな侮蔑の声音だった。
ともすれば自分以上に強い苛立ちを感じている様子に、意外にそうにエリスは首を傾げる。伸ばされた手からも力が抜けていた。
(……随分、はっきり言うのね。根拠があるわけでもないのに)
「言葉が全て真実になるわけではないけど、言葉にしなければ無いのと同じ。それは、君こそが一番良く分かっているだろう?」
(そうね……確かに、そうだった)
エリスは村での生活を思い出していた。既に彼女は体験し、実感している。
食料の窃盗、道具の破損、庭が獣に荒らされた時も……何か問題が起これば真っ先に疑われ、そして罰せられてきた。
"真実を言葉にできない"せいで、いつだって嘘に塗りつぶされてきたのだ。共感されたことなど初めてだった。
エリスは気の抜けるような笑みを溢す。肩の力も抜けていた。
(知ったようなことを言うのね)
「君の過去を見ても聞いてもいないけど、察することくらいはできる。それに話した時間はまだほんの少しだけど、多少なら人柄も分かるしね」
(私は全然、アンタのこと分からないけど。正直言って胡散臭いし)
「正直だなぁ……初対面だとそんなものか。君はまだ会話初心者。これから慣れていけばいい」
受け止めるような態度もエリスにとっては馴染みないもので。なんだか無性に気恥ずかしくなり、フイっと視線を逸らしてしまう。
(……時間が無いと言っておきながら、随分と悠長ね)
「おっと確かに。ついつい楽しくてね。また脱線してしまった」
(……私も、まぁ、悪い気分ではないわ)
「そいつは結構。順調に仲良くなれているようで俺は満足だね」
(でもその軽い態度は嫌いね)
「ごめんだけど、そこは諦めて」
(何でよッ)
反発しながらも頬が小さく笑みを模っていたことに、エリスは気が付いていなかった。
彼女は軽くなった心持ちで気になっていたことを指摘する。
(それにしても神だなんて、恥ずかしげもなく良く口にできるわね。私には真似できないわ。真似することも出来ない体だけど)
ちゃっかり挟まるブラックジョーク。
エイデンが重く受け止めないことを知った今となっては、ネタとしての毛色が強くなっていた。
期待に沿わず、彼は肩を竦めるだけで流している。
「神が居てくれないと困るからね。理不尽への怒りをぶつける相手になってもらわないと」
(都合良く使ってるのね……)
「それくらいしてもバチは当たらないさ。それに、神でも居ないと紋章に関して説明できないことが多すぎる」
(まぁ確かに、喋れないだけならともなく、吐息の音すらしないのは不思議だけど)
エリスは荒ぽく息を吐いてみる。空気は確かに流れているのに、しかし音はしなかった。
本当に不可思議な現象である。
「だろう? もはや理に反している。ならそれを実現できるのが誰かというと……」
(神様……ってことになる、のかしら?)
理をねじ曲げる、あるいは新たに生み出す。そんなことができるのは神様だけだと、エリスも思った。
頷き、エイデンはニヤリと笑った。
「君の存在が神の証明……と言ったところかな」
(うわッ……胡散臭さが大きくなったわね)
「人聞きの悪い」
(私の声は誰にも聞かれないもの。良いも悪いもないでしょう?)
言ってやったとばかりにエリスは胸を張った。渾身のドヤ顔もセットだ。
パチリと瞬きを挟みエイデンは苦笑する。
「これは一本取られたね」
──パンッ!と、柏手が打たれる。
「脱線し過ぎた。話を戻そう」
エイデンは緩んだ頬を引き締める。一纏う空気も引き締められた。
吊られてエリスの背が伸びる。膝を抱え込むようにしていた手は、今は膝の上に置かれていた。顔もエイデンの方を向き聞く姿勢が整えられている。
無事、アイスブレイクは完了したようである。
「君は神によって声を奪われた声の失落紋。これまでの人生、相当苦労したと思う。声が無ければ言葉を交わせず、言葉が無ければ心を交わせない。そして心が無ければ人ではない。周りにはそう思われるだろうし……きっと、味方はいなかっただろうね」
(今更の話でしょ。私が可笑しいのは本当のことだもの……何、同情でもしてくれるの?)
当たり前のことと受け入れているのか、エリスは小さく首を傾げるだけだった。19年の人生で常に付き纏っていたハンデは、もはや諦めと自虐によって受け止められている。彼女にとって、本当に今更のことなのだ。
エイデンは首を横に振って続ける。
「同情なんてしない。少なくとも、君は今を生きている。極端な話だけど、それだけで羨ましがられる立場と言える」
(本当に極端ね……)
「何百年も戦争が続いている時代だからね。"同情されたきゃ死んでからにしろ"ってのは、結構言われるかな」
(外の世界って野蛮だわ)
カルチャーショックにエリスは目を細めていた。
戦争を長期間続けるのは容易なことではない。戦士、兵站、補給物資……様々なものが必要で、それを生み出す土地と経済の余裕が必須となる。だからこそ、戦地は限定されていて局所的だった。戦う場所と戦いに備える場所を分けるのは、共倒れを防ぐためにも重要なのである。
おかげで、アーケードなどの農業が主体の都市などは穏やかな気風を保てている。しかし一歩踏み込めば、死体が生まれては消える地獄が待ち受けるのがこの時代だった。戦地にて命とは生者にとって軽く、死者にとってこそ重いのである。
「それだけ命が軽いってことだ。なのにハンデのある君は生きている」
"不思議だね"と、エイデンは付け足した。
魔法士であるからには戦地を経験しているであろう彼の言葉は重かった。
(……何でまだ生きているのか、なんて答えられる人はいないでしょ)
「そうだね。"生きているから生きている"ってのは普通の話だ。態々深掘りするのは暇人くらい。だから君の場合に合わせて言葉を噛み砕くなら、"死ぬ理由がないから生きている"ってところかな」
(何が言いたいのよ?)
要領を得ない。エリスは眉を顰めた。
"つまりだね"と、エイデンはまとめに掛かる。
「君には味方と同じく、命を奪うような敵もいなかった訳だ」
(それは……)
咄嗟に否定しようとして、しかしエリスは飲み込んだ。一理あると感じたからだ。
周囲に敵はいた。むしろ敵しかいなかった。村の人達はもちろん、家族だってそうだった。そのせいでここに放り込まれたのだから。彼女にとって敵であることは紛れもない事実だ。
でも、命を狙われることはなかった。それも確かな事実だった。
音の鳴らない舌打ちを打って、エリスは唇を尖らせる。
(見透かしたようなことを……ムカつくわね)
「聞こえてるんだよなぁ。別にいいけど」
気にした風もなく、エイデンは話を再開する。
「失落紋は神の理不尽を証明している。けど基本、命を直接的に奪う効力は持たない」
(声がなくても生きていけるって、私が自分で証明しちゃっているものね)
エリスは頷いた。
頷く他なかった。生活は難しくても、それでもこの時まで命を繋いでいるのだから。
「俺としては素直に尊敬だよ。誰でもできることじゃない」
(そう。それはどうも)
「本心なんだけどなぁ」
"まぁ今はいいか"と、袖にされた思いを胸に仕舞い込む。
「とにかく今重要なのは、失落紋の対の存在。その理不尽と"同等の祝福"を授かった存在がいる事実──」
(──祝福紋)
被せる形でエリスが告げた。
神に祝福された超越者に刻まれた紋章の名前である。
「なんだ、知ってたか。いや、馬車で御者君が話してたのを聞いたのかな」
(最初から知ってたわよ)
「それは博識だね。エルフは村から出ないことが殆どなのに。でも本の種集が趣味でもあったか……どこかの文献にでも残ってたかい?」
エリスは首を振って否定した。
(妹がそうだったのよ。私と同じ場所に、同じ形の紋章があったわ。ああでも、色は白かったけど)
妹の姿を思い出す。
自分よりも淡い緑色の髪を備えていて、大きな瞳と唇の隙間から覗く長い犬歯が特徴的だった。
随分前に村からいなくなった、世界でたった1人の妹。
そして何より、世界で1番──
「……そうくるか」
エイデンの苛立ち混じりの呟きが、エリスの思考を遮る。
(はぁ? 何よ急に……妹に何かあるの?)
「質問を返すようで悪いけど、君達はもしかして、双子だったりしないかな?」
エリスはパチリと瞬き。なぜ知っているのかと、その表情が物語っている。
つまりエイデンの言葉を肯定していた。
(そうだけど……私達、もしかしてどこかで会ったことがあるかしら)
「これは、本格的にのんびり出来ないね」
記憶を掘り起こしながらのエリスの問いを、エイデンは無視した。
椅子から立ち上がり、足早に牢へと近づいていく。
(急にどうしたのよ。やっぱり妹に何かあるのね? 理由を話しなさいよ)
急な途切れ方に、慌ててストップをかける。妹の話題になった途端の代わりように、少しの苛立ちも感じていた。無意識ではあったが、関心の移り変わりが無性に腹立たしかったのだ。
ムクれる彼女に、しかしエイデンは配慮しなかった。
「悪いけど結論から述べる」
言いたいことだけを口にしていく。
「君の妹が、これから君を殺しにくる」
それはあまりにも予想外のセリフで。
(だからッ!理由をッ!述べろッての!)
苛立ちをぶつけるように、エリスは拳で柵を殴りつけた。
お読み頂きありがとうございます。
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未沱 鯉