第5話 指輪
(な、なんでッ!?)
上から降ってきた声に目を見開いて、エリスは後ずさった。
咄嗟のことだ。大した距離を稼ぐことはできない。しかし、手を伸ばせば届くような距離からは随分と離れることができた。適切な距離感とは言えないが、それでも多少は安心感が戻ってくる。
(び、びっくりしたぁ……)
素直な反応だ。彼女の心臓もドクドクと波打っていた。
未だ動揺の収まらない心持ちで、それでもエリスは視線を鋭くさせる。
(……どうしてコイツがこんな所にいるのよ)
「当然の疑問だね。何、少し君と話がしたくて」
エイデンは楽しげな笑みを崩さない。
エリスはぴくりと眉を跳ねさせる。
(よくもまぁ、そんなこと言えるわね。奴隷に堕とされた私の気も知らないで。まぁ喋れないから伝えようもないんだけど)
ブラックジョークを挟みながら、エリスの文句は止まらない。
(だからって予想くらいはできるでしょ。私のこと揶揄ってるの? それとも笑いに来た? 旅は人をこうも無神経に育てるのね。ああ、嫌だ嫌だ)
「おっと、君を揶揄うつもりはないよ。とはいえ確かに配慮に欠けていたかな。そこはすまない」
エイデンはサラリと頭を下げた。
エリスは唇を尖らせる。
(謝罪なんて誰でも口にできるのよ。まぁ私はできないけど)
「困ったな。今は言葉でしか謝意を伝えられない。今後に期待してくれないかな?」
(期待は裏切られる為にあるって知らないの? 私の人生が証明しているわ)
「期待は叶える為にあるんだよ。俺が証明してあげる」
ここで初めて、エリスは違和感に気づいた。
(……ちょっと待って)
「何かな。結構良いこと言ったつもりなんだけど。無反応は流石に恥ずかしいよ」
(……アンタ、私の名前を言ってみなさい)
唐突な要求。脈絡も無いその言葉に、エイデンは一度頷いて口を開いた。
「君の名前はエリス・グロッグ。又聞きだけど、合っているかな?」
商人から聞いた名前を、彼は口にした。
それは確かに、エリスの名前だった。いや、重要なのは合っているかどうかではない。そう、本当に重要なのは──
(──はぁッ!?)
会話が成立している。
いや、エリスは声を失っている身だ。会話は始まってすらいないのだが、しかしエイデンの言葉は、確かにエリスの内心とラリーを交わしていた。話が通じているのだ。
エイデンは得意げに頬を上げる。
「不思議だろう。あ、未知の魔法ではないから安心してほしい。安全性も保証するよ」
(それも大事だけどもっと聞きたいのは別のことよッ。さっさと理由を教えなさいよ!)
「うん。それもそうだ。ならそうしよう」
淡々と返答し、エイデンはゆらりと片手を持ち上げた。
伸ばされた人差し指がエリスに向けられる。
正確には、彼女の右手。
「指輪だよ。君が無警戒に握っているその指輪。心繋の環といって、言葉を必要とせずに心を交わせることができる」
(はッ……)
「おかげで問題なく、君とこうして話ができる訳だ」
"理解して貰えたかな"と、小さく首を傾げる。まるで常識を語っているような、軽い態度だった。
いや、原因は分かった。実際に効果も体感している真っ只中だ。
しかし理解できるかはまた別の話で、残念ながらエリスは理解できなかった。
(はぁぁああッ!?)
エイデンは眉を顰め、耳を抑えた。
「うん、うるさい。心がうるさい。これ便利だけど、受信側が情報量を調整できないのが難点なんだよなぁ。とりあえず、少し落ち着いてくれるかな?」
(落ち着ける訳ないでしょッ!何よ、これッ、そんなの──もっと早く見つけてればッ!)
"こんな人生じゃなかったのに"と、そう続く思いは否定される。
「残念ながら無理だと思うよ。一応それ、統一帝国由来の秘宝だから」
(は──)
絶句する。
(と、統一帝国って……あの?)
「"どの"かは知らないけど、十中八九思い浮かべているので合ってると思うよ。1000年前に突如として崩壊した、この世界全てを支配下に収めていた帝国のことだね」
(嘘でしょ……)
"それ本で見たやつ"……。
エリスの頭に浮かんだのはそんな幼い感想だった。
「ついでに、世界に7つしか存在しない限定品だ」
呑気に情報が追加され、もはや言葉も出ない。頭の中は真っ白だった。
その数はもちろんのこと、統一帝国由来というのがやばい。その国に所縁のある品は、歴史的にも価値がある。出土したのが小さな皿一枚であっても、値が付けられない程に。
(文字通り、世界の宝じゃない……)
その希少性は計り知れず、宝という表現には世界が納得するだろう。
それを所有していたエイデンは、"ははは"と朗らかに笑っている。
「ラッキーだね。その宝が今、君の手に」
("やったー"って呑気に喜べるわけないでしょッ。考古学者が血眼になって探してるモノよこれ!)
「だろうね。まぁ人生を賭けたとしても、見つけられる人はいないだろうけど」
(でしょうねッ)
小さな指輪1つ、どうやって見つけるというのか。
(つまりこれって……正真正銘の魔道具ってことよね)
「だね。統一帝国時代でも限られた数しか存在していなかったとされるものだよ」
その辺に転がっていることはまずあり得ない。
発見は無理だと断じるのも納得するしかない代物だ。エリスも激しく同意した。
(え、でもそれを私今握ってるのよね)
「ガッツリ」
(ひぇッ)
エリスの手からじんわりと汗が滲み出す。想像以上の貴重品に今更ながら緊張が顔を出した。しかし手放すことはしない。欲望に素直というかなんというか。
おかげで話が成立するのだから、その欲は悪いことではないだろう。
「指輪に関して説明し始めると長くなるから、また今度ね」
(ちょッ、そんなあっさりッ)
「言った筈だよ。俺は君と話をするために来た。本題は別にある」
"あとそれ、応対できる相手は1人だけだから"と、これまた情報を追加される。今度はネガティブな情報だった。
(……これで誰とでも話ができる、って訳じゃないのね)
「そこまで万能ではないよ。残念ながら」
(ええ……本当に、残念だわ)
夢を見ていた所に梯子を外されたような形だった為、急速にテンションが下がっていく。
おかげで多少は冷静さを取り戻していた。
(……なら絶対これ、返さないから)
恥も外聞もなくゴネる。
ギュッと握って胸に抱え込む姿は、イヤイヤと親に向かって首を振る駄々っ子を思わせた。
「話し相手を変える方法も知らずに、どうするの。今の所、俺にしか君の意思は届かないよ」
(ぐぅ──ッ)
誰かに使い方を解析してもらおうにも、そのお願いをするための意思表示すらできないのがエリスだ。
そもそも、誰にお願いするというのか。この指輪は価値を理解し、解析まで可能な人間からすれば眉唾物だ。エリスを殺してでも奪おうとするだろう。
つまり、エイデンから聞き出す他ない。
(お、教えてくれたりは?)
「あれ、もしかして期待されちゃってるかな」
(凄くしているわ。それはもう、本当にすんごいわよ!)
「なるほど。そこまで求められると教えてあげたくなっちゃうな」
(ならッ)
瞳を輝かせるエリス。
彼女を見下ろして、エイデンはニヤリと笑った。
「ごめんね。期待は裏切られる為にあるって、さっき教えられたばかりなんだ」
(はぁッ──!?)
口は災いのもと。これまで言葉を交わしたことのないエリスにとって、初めて実感した教訓だった。怒りやら後悔やらで白目を剥きかけている。
つまるところ、エイデンと話をする以外の選択肢は最初からなかったのだ。
流石に、エリスも立場を自覚した。相手が上、自分が下だと。
(……で、何よ)
それでも向ける瞳は鋭く、思念はおどろおどろしい。執着と好奇心と苛立ちがごちゃ混ぜになっている。
感情に振り回されるのは幼さ故か、それとも、初めてちゃんとした会話をできていることへの興奮からか。
エイデンは苦笑と共に肩を竦めた。
「いいね。聞き分けがいい子は好きだよ」
(え、きもい)
「今、何か言ったかな?」
(きもいって言ったわ)
エイデンは態とらしく耳に手を添えた。
「おかしいな。俺の耳には何も聞こえなかったけど」
(私が喋れないのを良いことにッ。それはライン越えでしょ!)
確かに配慮に欠ける言葉である。しかしエイデンは不思議そうに首を傾げていて、謝罪を口にすることはなかった。
「さっき自虐してたじゃないか」
(自分でやる分には良いのよ。慣れているもの)
「周りからも言われてそうだけど」
エリスの頭に浮かぶ、生まれた故郷での暮らし。
向けられる視線と言葉。
(……あれは罵倒や軽蔑であって、アンタみたいな冗談じゃなかった。傷つける気の無い揶揄いになんて、どう反応したら良いか分からないのよ)
痛みへの慣れ。それがエリスの自虐を引き起こしていた。
エイデンの言葉には配慮がないが、傷つけようとする意思も無い。それくらいはエリスにも分かる。だから戸惑っているのだ。
(痛みの伴わない言葉って、なんだか落ち着かないわ……)
「歪んでるなぁ」
素直な感想を漏らしながら、彼は近くにあった椅子を引っ張り出した。牢の近くに静かに置くと腰を下ろし、ゆらりと、長い足を組む。
見張りが使用する椅子は頑丈さだけが取り柄の素朴な作りで、汚れもこびり着いている。しかしエイデンが座っているだけで、歴史ある骨董品に見えてくるのだから不思議だ。
気さくな雰囲気でありながら、どこか気品のある。掴み所の無い男だった。
(……こっちは地べたに座ってるってのに、良いご身分ね)
エイデンの所作に見惚れていたことを隠すために、エリスは頑張って粗を指摘する。なんだか気恥ずかしかったのだ。
会話ができる、冗談を交わせる、初めての相手。心がフワフワして落ち着かない。
そんな彼女の聴く姿勢が整うのも待たずに、エイデンは言った。
「君、この後死ぬよ」
冷たい声が牢屋に響く。
硬直したエリスの手から、ポロリと指輪がこぼれ落ちた。
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