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第4話 牢の中

 

 ピチャリッと、水が跳ねる音が一定間隔で響いていた。

 他に聞こえてくるのは、通気口から流れてくる風の擦れる音。時折、ネズミの走り去る足音が小さく木霊する。

 とても清潔感があるとは言えない、暗く澱んだ地下空間。


 ジメジメとした空気と一緒に、エリスは地下牢に閉じ込められていた。


(どうして、こんなことになってるのよ……)


 部屋の隅で膝を抱え、エリスは現状を呪う。

 手首と足首。合計4つの枷が熱を孕み、ジトリとした汗を誘発させていた。

 それがまた不快で、彼女の心を逆撫でする。


(というかあの男、なんだったのよ)


 赤い男──エイデンという魔法士は、アーゲートに着くなりあっさりと姿を消した。

 随所で目線を寄越したのはなんだったのか。ただの好奇心だったのか。


(これだから根無し草の旅人ってヤツはッ)


 エリスは無遠慮に罵倒した。しかしそれは期待の裏返しでもあった。


(いえ……悪いのは私ね。勝手に期待して、勝手に失望して)


 もしかしたら、この訳の分からない現状から救ってくれるのではないか。そんな一方的な理想を押し付けていたことをエリスは自覚した。エイデンに向けていた理不尽にも近い不満が、今度は自分に向かう。


(バカみたい。見ず知らずの相手を助けるお人好しがいる訳ないじゃない。しかも私、奴隷よ? 白馬の王子様でも夢見てるのかって話ね。笑っちゃうわ)


 鼻を鳴らすように口元がヒクついた。しかし、音は鳴らなかった。

 失落紋フォール・インシグニアとは声だけでなく、意図的な音声発信すらも遮断するもののようだった。自虐すらままならない。



(久しぶりにお父さんとお母さんとご飯を食べて。気がついたら寝ちゃってて。起きたら馬車の荷台に転がされ奴隷堕ち……メルクとか言うあの商人の言葉が本当なら……どう考えても一服盛られてるじゃない)


 普段の警戒心はどこに行ってしまったのか、と。自分を責める。

 両親に愛されていなかったことくらい、分かっていた筈なのに。いやむしろ、憎まれてすらいただろうに。


(まだ夢を見ていたなんてね……恥ずかしい奴ね、私も)


 重たいため息。無音のため息。

 息というのは空気の移動だ。移動は振動を生み、音を奏でる。だというのに、いっそ奇妙なほどに、エリスの口からは何の音も響かない。

 ため息一つ、舌打ち一つすら世界に刻めない。それが、神によって声を剥奪された者に押し付けられた生き方なのだ。


(これほんと、どうしようかしら。監視は……居ないわね)


 ぐるりと押し込められた牢屋を見渡す。

 牢の中はもちろん、周囲にも人の気配はなかった。見張くらいはいても良さそうなものなのに、誰もいない。

 声を出せないエリスには詠唱魔法という手段は使えない。加えてエルフの、ましてや女の細腕では牢を壊すこともできない。警戒レベルを下げるのは理解できるが、しかしそれだけでもないだろう。


(大罪人とは関わりたくない、ってことなんでしょうね。今に限ってはありがたいけれど)


 生まれた時から背負ってきたものだ。エリスには慣れた反応であるが、舐められているようで多少のムカつきはあった。

 しかしそのお陰もあって、牢からの脱出自体は──


(いけそうね。でも、逃げきるのは……)


 カチャリと、硬質な音が響く。

 四肢に付けられた枷。重く、硬いそれを破壊することは可能だろう。エリスの"得意とする魔法"ならそれができる。しかし自身の体を傷つけることになるのは必定だ。牢を抜け出すのも静かに、とはいかないだろう。


(傷を抱えながら逃げ切るってのは、現実的ではないわよね)


 痛い思いだけして連れ戻される。そんな未来が容易に想像できた。


 無理。

 そう結論づける。


(ほんと、何。この状況。私が何したっていうのよ。人様に恥じることは……まぁそれなりにしてきたけれど)


 してるんかい。


(理不尽は跳ね除けられるやつだけに降りかかりなさいよ。融通が効かないわね。これだから神様って奴はッ)


 その後も思いつく限りの罵倒を親に、神に、世界にぶつけていくエリス。

 物に当たるようなことはなく、胸の内だけで済ませるのだから、側から見れば何を考えているのかさっぱり分からないだろう。まぁ、誰もいないのだが。


 次第に、罵りの矢印は自分自身に向き始める。


(なんで親だからって油断するかな……周りに味方がいないなんてこと分かりきってたんだから、この程度の理不尽、対処する手段くらい準備しておきなさいよ。ほんとバカ。この無能ッ)


 その後も自身に向けた罵倒を重ねていく。


(……はぁ。時間の無駄ね。私がどうしようもない奴なんて最初からじゃない)


 レパートリーが底をつき始めたところで、エリスも冷静さを取り戻しつつあった。自虐的というか自罰的なところは変わらないが、それでも頭は回っている。


 彼女はチラリと床を見下ろした。


(とりあえず、今できるだけの保険は掛けておいたけど……一時的な物でしかないのよね)


 せめて、一緒に荷台に放り投げられていた自身の荷物を取り戻すことができれば、多少は安心できるのだが。


(それか、さっきまで着ていた服でもいいわね。あれ1枚でも、多少は動きの幅が広がるもの)


 それこそ、見事逃亡できる可能性だってゼロではなくなる。

 が、その服も手元にはない。見下ろす先にあるのは、ボロ切れのような粗悪なワンピースだった。


(ここに来た時に取られているのよね……奴隷ってこんな扱いされるものなの?)


 ワナワナと肩を震わせる。

 牢に入れられる前に剥ぎ取られた羞恥と嫌悪を思い出し、改めて怒りが再発し始めていた。


 ──コツンッ、コツンッ……


 唐突に、牢の中に音が響く。

 小さな金属でも跳ねたような、そんな音。


(今、何か……?)


 反射的に音の方に顔を向けたエリスは、それを見つけた。

 仄暗い牢の中で、小さく炊かれた蝋燭の光を反射する、金属製のリング。円環の一部には、深いエメラルド色の小さな宝石が嵌め込まれていた。

 この場で明らかな異物である。


(え、怪しい。いや、これ確実に罠か何かでしょ。なんで牢にこんな物があるのよ。しかもすごい綺麗だし、絶対高級品じゃない。おかしいでしょこれ。場所も、物も、タイミングも──でも気になる)


 あっさり釣られたエリス。

 生まれた時からハンデを背負い、周囲にも恵まれなかった彼女。喋れないエリスに話し相手なんている訳もなく、本を読み漁る日々。慰めになるのは魔法の研究くらいだった彼女は、世間をまるで知らない。


 そんな彼女は可哀想なことに、実にチョロかった。


(綺麗な宝石のついた指輪なんて、本の中でしか見たことがないわ……そう、これは勉強の一環よ。やっぱり知識だけじゃなくて実物も体験しておかないとダメよね)


 好奇心で動く旅人を罵っていたことは、既に忘れている。

 そんな彼女はあっさりと手を伸ばして、指輪を掴んだ。


(…… 銀、じゃないわね。何かしらこの材質。この細やかな装飾も、どの歴史書でも見たことない。いやまぁ、私が知らないだけかもしれないけど。私の知識なんて本だけだし。でも相当腕の良い職人が作ったに違いないわッ。それに何よりこの宝石ッ。森を閉じ込めたような深い緑色……私の髪と同じ色……こ、こんなの、絶対私に似合うじゃないッ)


 彼女は現在19歳。エルフとしては幼いながらも、色を知る年頃である。初めて触れるという興奮も合わさり、美しい装飾品に目が釘付けだった。


(ほわぁ……ほんとに綺麗)


 さっきまでの苛立ちを忘れ去るほどに、目の前の指輪に夢中になっていた。

 だから驚いたのだ。

 ──その声に。


「気に入って貰えたようで何よりだよ」

「──ッ」


 エリスは慌てて顔を上げる。

 目前に、牢の柵のすぐ側に、その男は立っていた。

 赤い男──エイデンが楽しげに目を細めて、エリスを見下ろしていた。















お読み頂きありがとうございます。

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