第12話 獣の狩り
「見境なしか」
エイデンは端的に文句を口にした。木々が投げ込まれた場所にその姿はない。そこから更に後方にて、目を細めて1人立っている。その鋭い眼光は、砂煙の更に奥を見据えていた。
チラリと足元を見やる。そこには倒れ伏した3人の衛兵の姿があった。
「とりあえず、命に別状はなさそうだけど……」
土に塗れてこそいるが、彼らに目立った外傷はない。息もしている。しかしヒジリと呼ばれた魔法士だけは、眉を顰めて脂汗を滲ませていた。
「乱暴が過ぎたかなぁ」
咄嗟に引っ張ったせいで折れた骨がズレたのかもしれない。もしそうなら体の中で筋肉が捻れ、千切れ、神経には焼けるような痛みが今も走っている事だろう。気絶から覚めた後に地獄が待っていることは間違いない。
しかし、それは必要経費として飲み込んでもらう事にした。エイデンが避難させてやったおかげで、降り注いだ大木をその身に受けることはなかったのだ。命を救ってもらったことに満足するべきだ。
"俺は何も悪くないな“と、エイデンは自己便宜を完了させた。
「しかし荒っぽいな」
投げ込まれた木々を見て感想を漏らす。数は10近い。地面に転がるものや突き刺さったそれらは、断面が捩じ切ったように乱雑だった。少なくとも人の手で伐採したものではない。
「言っても仕方ないか」
呆れ半分。残りは諦めだ。エイデンには敵の姿が分かっているからである。
「牢に現れた獣……やっぱり生きてたか」
答えるように獣が姿を現した。数百メートル先の木々の隙間から、のそりのそりと沈み込むような足取りで。周囲の枝葉の揺れと地の揺れが重量を感じさせた。
毛皮には焦げ跡が残っている。やはり牢屋に現れた獣で間違いない。地下から地上まで地面を掘り進める熱量を前に耐えたのである。信じられない肉体強度だった。
「早めにコイツらをノしておいて正解だったな」
ヘレンら3人との短期決戦の理由があの獣だった。流石にこの獣を相手にしている横からちょっかいをかけられては堪らない。それほどの脅威だった。
太陽の下でその姿を捉えたことで、獣の正体がやっと顕になった。
ジリジリと転がるヘレン達から距離をとる。
ここから先の戦いで巻き込まないためだ。最初から命を奪うつもりはなかった。どうせなら最後まで生きていて欲しいと思う。でなければ割いた労力が無駄になってしまう。
それは嫌だ。
「牢に最初に現れたのは避雷鼠。雷を誘導する特異体質を持っているが、力のない小型の獣だ。しかし稀に、こいつと共生関係を気づく獣が存在する」
予想はしていた。
最初に避雷獣の姿を見た時。そしてその姿が即座に消えた時に嫌な予感はしていたのだ。
候補はいくつかあったが、今回はその中でもとびきりのを引いてしまったらしい。
「その名を雷翔熊。雷の力を操る災害級の獣だ」
エイデンの頬がジワリと上がった。
ヘレン達を相手にした時には見せなかった戦闘への高揚感が笑みを形作っているのだ。
そして、珍しいものを見た興奮も混ざっていた。
「避雷獣を目印にすることで雷速移動を可能にする個体がいるとは聞いてたけど、まさかお目にかかれるとはね」
早口で言いながら、剣の柄をにぎにぎしている。
目は楽しげに輝いていて、若々しく見える。緊張感のある状況に反して、なんだか楽しそうだった。
──グル?
思っていた反応と違うのか、雷翔熊も小さく首を傾げている。その巨体に目を瞑れば少し愛嬌があった。
「しかし、うまく引っかかってくれて安心したよ」
言って、懐に忍ばせていたボロ布を投げ捨てる。牢の中でエリスが身に纏っていた服だった。狙いはエリスであり、距離を離されれば匂いで追ってくるだろうという予想が見事に当たっていた。いくら街を滅ぼすことを可能とする力を持っていようと、獣は獣。使ってくる手段は予想ができるのだ。
──グルゥウッ
雷翔熊は表情を歪めてエイデンを睨む。言葉は通じていないだろうに、しかし下に見られたことは察したのだろう。力ある個体としてのプライドが備わっているようだ。
口角が歪み、歯茎がぬらりと光る。熱のこもった吐息が、生え揃った太い牙の隙間から霧のように漏れ出ている。
明らかな敵意が、エイデンに向いた。
「さて、第二幕だ」
獣の狩りが始まる。
……
「──さすが、早いな」
エイデンは駆けていた。木々の隙間を走り抜けながら、背を追う獣を称賛する。
彼の足は現状の最高速を記録していた。エリスという荷物を下ろしたことで走行速度は跳ね上がっている。追手として現れた衛兵を無力化したこともあり、逃走の形跡に気を使わなくても良くなったのことも大きい。プライドの高いエルフの狩り人であろうと、頭を下げて教えを乞うであろう程に、その動きは洗練され、最適化されている。
しかしエイデンは人で、相手は獣だった。
──グゥルァアッ!
鳴り響く威嚇音。雷翔熊はぴたりとエイデンに張り付いていた。その巨体からは想像できないほどの走行速度だ。しかし移動速度自体はエイデンの方が早い。よーいドンで走り始めたらエイデンが先に立つだろう。
それでは何故距離を離せないのか。
エイデンは入り組んだ道を選ぶことで、獣の進行を妨害するように走っている。あの巨体だ。木々が隣り合うだけで立派な柵になる。ぶつかることで破壊しようと回り道を選ぼうと、エイデンとの距離は次第に広がっていく。その筈だった。
「さすがは災害級。いやぁ、ここが森でよかった」
バジジッ! ハヂンッ!
原因は、連鎖的に響く弾けた音だった。雷翔熊から避雷する雷である。
エイデンと獣の直線上に入り込んだ木々は、そのことごとくが雷によって弾け飛んでいた。雷の通った後は焼き砕くといった感じであり、まさに災害が通り過ぎたといった有様である。効果範囲が広くはないのか、エイデンを直接狙ってこないのは幸いだった。
「直線通路を確保されたら、飛び回ってる俺の方が不利だよなぁ」
ハードル走者と100m走者。どちらの方が早く走れるかという話だ。
エイデンが前者。雷翔熊が後者である。むしろ距離を詰められずにいられるだけ、エイデンは凄いと言えた。
しかし、魔法を使うほどの余裕はない。詠唱魔法は移動しながらでは使えず、法陣魔法は描いている時間がない。そして逃げ切ることもできそうにない。
となると残る手段は一つ。
「斬る他ないんだけど……」
刃が通るかどうか。何せ獣の動きは早く、そして荒い。更には法陣魔法の火炎をかすり傷に済ませてしまう外皮の耐久性もある。斬るにしても、命に届かせるには本腰を入れる必要があった。
「必要なのは速さよりも強さ。となると一振りへのタメがどうしても出てくる。かと言ってあの熊が親切に待ってくれるかといえば……」
そんな訳がない。大人しく切られてくれる命がどこにあるというのか。
雷翔熊の命に剣を届かせるには隙が必要で、それを生み出すには手が足りていなかった。
「この追いかけっこもいつまで持つか」
現状、決定打には欠けるもののエイデン焦りはなかった。距離は離せなくても詰められることもない。すぐにどうこうなる訳ではないからだ。
しかしその余裕を、獣は許さない。
──ゴォルゥァァアッ!
一際大きな叫びと共に振られる前腕。その動機は俊敏で、触れてもいない地面が抉れるほどだ。一瞬の減速と距離の確保を代償にして差し込まれた動きは、その剛腕の範囲内にあった木々を巻き取った。そして腕を振った勢いのままに木々が飛来する。
「それそうやって投げてたのか」
肩越しに振り返ったエイデンが目を見開く。木々がへし折れる音がしたかと思えば、宙に何本もの大木が浮いていた。最初に見た投擲と同じ景色だ。しかし今は互いの姿を見れるほどの距離間。つまり比較的近づいてしまっている訳で。
「ここで遠距離攻撃は性格悪いって」
飛来速度は先ほど以上である。
「あ、これはマズイ」
攻撃ではなく妨害としての一手であると、エイデンは察した。何故なら着弾予想地点はエイデンの進路先。道を阻むような形になると、容易に想像できた。
ゴズンッと、木々は地を抉りながら突き刺さる。獣とは思えないコントロールの良さで、即席の柵が生み出された。
「超えるのは問題ないが……」
そう言って、目前の障害を飛び越える。エリスを抱えながらでも城壁を越えることができるエイデンだ。有言実行は容易である。妨害にはなっても障害にはなり得ないのだ。
しかし確実に、余計な動きは走行速度に影響を与えるだろう。
「まいったな。存外に賢いぞアイツ」
エイデンは困り顔を除かせた。自分で作った柵をあっさりと跳ね飛ばしながら、獣が追って来ていたからだ。その速度に弛みはない。足跡のバリケードなどあってないようなものなのだろう。
「……距離、詰められたな」
僅かであるが、獣の姿が大きく感じる。詰められた距離は獣にとっては半歩。エイデンにとっては3歩。誤差程度のその距離は、回数を重ねられてしまえば決定的なものになってしまう。
両者が重なるのも、そう遠くない。
「……間に合ってくれよ」
希望を呟いて、エイデンは走る。今できることはそれだけだった。
獲物を捉える算段をつけた獣の嗜虐的な叫びが、背中を叩いた。
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未沱 鯉