第10話 接敵
駆け足気味ですが、ひとまず第1章の完結を目指して頑張ります。
2章目以降のプロットは出来ているのですが、続きを書くかは1章完結後に考える予定です。
枷が外され、軽くなった手足。取り戻したしなやかさを十全に活かしながら、エリスは森の中を掛けていた。
エイデンほどの速さはなくとも、こと隠密性は彼女の方が優っている。木の葉はもちろん、砂埃すら舞うことはない。その滑走はエルフとしての本領を発揮したものだった。
引き締まった長い足で地を蹴りながら、エリスは先ほどの会話を思い起こしていた。
……
逃げるか戦うかの2択を問われ、エリスは思わず目を細める。
(この状況で、戦う以外の選択肢があるとでも?)
兵の足が速いと聞いたばかりだ。逃げたところで追いつかれるのであれば、戦う他ないだろう。
(実質一択しか無いじゃない。嫌なやり方だわ。でも私って喋れないから、言質は期待しないことね)
顎を上げる彼女に対し、エイデンは首を横に振った。
「逃げたいならそれでもいい。その時は、俺が時間を稼ぐから」
(はぁ? 本気で言ってるの?)
「そりゃもちろん。流石に冗談を言う場面は選ぶさ」
彼の口元に笑みはない。それを正面から確かめたエリスは目元に手をやった。ギュッと、目頭を抑える。
感動して泣いているのではない。意味不明すぎて現実逃避しているのだ。
(……牢に侵入してきた時から意味不明だったし強引だったけど、この指輪はくれるわ脱走は手伝うわ、更には私のために囮になるですって? アンタに何の得があるのよ)
「得は無い。でも損を拾うことはできる」
(どういう意味よ)
「君が生きてくれていることで、俺が助かるってことさ」
目元から頭に手を移して、エリスは頭を掻いた。女性にしては少々乱雑な動きである。
(余計に分からなくなったんだけど……)
「すまない。正直この状況だと結論しか伝えられないんだ。納得してもらうためには互いに事前知識と共通認識が必要だから」
(それを伝えてる時間は無いってことね)
「本当なら牢で話すつもりだったけど、かなりバタついたからなぁ」
エイデンは大きくため息をこぼす。
事態の展開速度に困り果てているのは自分だけでは無いことに、エリスは少しホッとした。
(……ここで駄々を捏ねた所で、絞まるのは自分の首よね)
疑問と不信をまとめて飲み込んで、エリスは頷く。
(いいわ。アンタのこと信じても)
「良いのか? 俺はまだ何も、君に利益をもたらせてないけど」
(思うところはある。当然よ。だから、この指輪を担保に信用を売ってちょうだい)
右の手の甲を向け、その人差し指を突き出す。移動中にしれっと嵌めていた指輪が、収まりよく輝いていた。
エイデンは一瞬呆けたように目を開いて、それからゆっくりと笑みを浮かべた。
「……安くついたね」
(けっこう無理を言ったつもりなんだけど……アンタ、この指輪の価値分かってる?)
「君よりも正確に。だから言ってるんだよ。安いって」
つまりエリスからの信用にこそ重きを置いているということだ。
(……分かったわよ。返せって言っても返さないから)
視線を逸らしながら了承を返す。
うまい言葉だと思いながらも、悪い気はしなかった。
「でもまさか、返事の前に"信じる"と言って貰えるとは思わなかったよ」
(何言ってるのよ)
視線を戻したエリスは胸を張って答えた。
(殿を任せるにしろ一緒に戦うにしろ、信用がなければ成り立たないでしょ)
エイデンから否定の言葉は出なかった。
……
そうして今、"1人"で森を走っている。
エイデンは置いてきた。彼はあの場で衛兵を迎え撃つと言った。その言葉に嘘はないのだろう。エリスが離れる時に合わせて、彼は魔法で森を薙ぎ視界を確保していたのだから。
当然ながら響く轟音と、木の背を超えて舞い上がる砂埃。
ここにいると言わんばかりの行動である。形跡を消そうとしていた道中とは打って変わって派手な演出だった。
エリスが意思を表明する前に、エイデンは言っていた。
「君がどちらを選択しても、俺は必ず君を助ける」
誠か嘘か、半信半疑だったのが正直な所だ。
しかしどうやら、嘘ではなかったらしい。その証明に──
──ドゥンッ!
──ギャリッィインッ!
風同士が衝突した時特有の破裂音と、金属の擦れる音が森に木霊した。戦闘が始まったのだ。
既にかなりの距離を確保したエリスにもしっかりと聞こえていた。
(……誰かを信用するって、心地いいものなのね)
"背中を任せる"という生まれて初めての事態に感謝と感動を感じながら。思わず弛みかけた口元を引き結んで、エリスは駆ける。
頭から目深く被った外套が、大きく翻った。
……
場所は移り、2人が別れた古木近辺。
エイデンは3人の衛兵と接敵し、その後一定の距離を置いて対面していた。
初手こ出会い頭に風魔法と剣の打ち合いが起こったものの、今は一旦の硬直を見せている。
エイデンは時間稼ぎの為に。衛兵達は、初手の奇襲が防がれたことによる仕切り直しの為に。双方共に手を止めて相手を確認している。
追ってきた衛兵は3人。魔法士が2人に剣士が1人。
先頭に立つ剣士の男が、代表してエイデンに問う。
「私は執行部3番隊の隊長、ヘレンである。ここにエルフの娘が来ただろう。どこにいるのか知っているな?」
「知ってる前提で尋ねるんだね。いきなり魔法は撃たれるし切り掛かられるしで、俺はけっこう混乱してるんだけど?」
「無関係の一般人とでも言うつもりか」
「その可能性を多少は考えてくれても良いだろうと、俺は言いたいけどね」
剣士の男──ヘレンは短く鼻を鳴らした。
「こんな森深くにただの迷い人がいる筈がないだろう。ましてや、我々の奇襲を防ぎ切った相手だ。少なくとも一般人の枠組みには収まるまい」
「褒められてるのかな、これは」
「警戒しているのだ、この愚か者が。顔を隠し臨戦態勢を解かないお前を、どうして無警戒に放っておける」
「ごもっとも」
エイデンはフードを深く被り、特徴的な赤毛と血のような瞳を隠していた。正面からは口元しか見えていない筈だ。
読み取ることが出来るのはおおよその体格と男であること。そして魔法士でありながら近接戦闘もこなせる器用さを持つことだった。
奇襲を完璧に防がれた時点で、ヘレンはエイデンを脅威であると判定していた。
「今なら、脱走者とは無関係であると判断しよう。その為にも答えろ。貴様は何者だ」
「期待には答えられないな。なんせ、脱走を手引きしたのは俺だから」
エイデンは即答した。そしてフード越しに頭を掻きながら続ける。
「それにここで名乗ったら、これから先の人生は逃亡生活になってしまうだろ。それはごめんだよ」
「そうか……ならばもう聞かん。捕らえ、吐かせるとしよう」
「悪いけど、俺の話し相手は予約済みなんだ」
この場を乗り切ることを前提にした返答は、衛兵としてのプライドを刺激した。人を狩る側としての実績と誇りを軽視され、怒りは敵意へと変わる。
ヘレンは荒々しく腰の剣を抜き放つ。ギャリンと金属の擦れる音が響いた。
「我ら相手に逃げられるとでも思ったか。笑わせる……ヒジリ!」
「──捕縛体制ッ!」
最後尾に立っていた魔法士──ヒジリと呼ばれた男が吠える。彼が戦闘時の司令塔なのだろう、全体を俯瞰して見れる場所に立つため、後方に距離を取っていた。
合図を受け、ヘレンともう1人の魔法士──フダイが動き出す。
ヘレンは前に。フダイは2人の中間地点に立ち、お互いにサポート可能な布陣を即座に組み上げた。
「……よく訓練されてるな」
エイデンは素直な関心を吐露していた。
実際、練り上げられた動きだった。淀みなく、美しくすら感じられる。
返答のようにエイデンも腰の剣を抜き、体の正面に構えた。
持ち手を握り直し、唇を舐めて湿らせる。
「これはなかなか、手強そうだ」
「我らの力……言葉ではなく、貴様の血でもって証明してやろう!」
宣言と同時に、ヘレンは強烈な踏み込みで一気に距離を詰める。その背に隠れる位置に立ったフダイは速度重視の風の中位魔法を詠唱開始していた。後衛となるヒジリも、指揮を終えて即ざに詠唱を開始している。拘束を目的とした土魔法だ。
ヘレンが剣で動きを抑え、フダイが態勢を崩し、ヒジリが捉える。順序立てて組み立てられた見事な連携だ。ヘレンと3合も剣を交わる間に、エイデンの体に風の魔法が叩きつけられることだろう。
その予想をエイデンは拒絶する。
「我示す──」
干渉節。詠唱魔法を使用する為の始動キー。
確かに魔法で対処することができれば、ヘレン達の連携を初手から崩すことが叶うだろう。
しかしそれは、ヘレンが亀のように鈍足であった場合に限る。
「未熟者が!ここは既に剣士の距離だぞ!」
距離を詰めながら彼が吠える。踏み込みは力強く、体は一気に加速する。剣を届かせることのみを考えた判断だった。
その判断は正しい。なぜなら魔法士は詠唱中にその場を動くことができない。これは世界のルールである。
詠唱魔法とは"声"という音情報を媒体に発動する。いかに正確に、そして明確に世界に言葉を届けられるかが、詠唱魔法の成功率に直結しているのだ。
だからこそ詠唱中の移動は御法度となる。移動中に響く雑音が魔法を阻害するからだ。
服の摩擦音。装備品の金属音。空気の擦れる音。そして何より呼吸の乱れ。これらは日常において気にかけるようなものではなくとも、こと詠唱魔法においてはありふれた失敗原因である。
だからこそ、魔法士は動かないことが常識となる。
ヒジリとフダイが距離を取って布陣していることも、近接戦闘をこなすエイデンに詠唱を邪魔されない為という理由があった。
「剣と魔法を中途半端に身に付けるから無様を晒すのだ!」
あと数歩の距離に近づいたヘレンが罵倒する。
戦闘において、判断の速さは生死に直結する。悩む者から命を落としていくのだ。だからこそ、手札を多くもっていることは必ずしもメリットばかりではない。
長く戦争の続く世でありながら、魔法と近接戦を両立させる者が生まれてこない1番の理由だった。ヘレンたちが役割を分担しているのもその為だった。
魔法と剣の両方を使用するエイデンは今、ヘレンの接近を許してしまっている。
己の役目に専念したヘレンの剣が詠唱よりも早く瞬き、エイデンの体に届こうとしていた。
「後悔しながら地に沈め!」
剣が振り下ろされる。
そして──グジュルッと、水っぽい音が唐突に響く。その音に飲まれるように、ヘレンの姿も消えていた。踏み込んだ勢いそのままに、地面に沈むようにあっさりと。
頭まで飲み込まれて、ヘレンの姿は視界から消えてしまっていた。
「ご高説どうも。地に沈んだ気分はどうだい?」
詠唱を途中で放棄したエイデンは、ヘレンの消えた足元を見下ろしながら剣の腹で肩を叩いていた。余裕綽々で、ついさっき剣先が迫っていたことにカケラも焦りを感じていなかった。
"そうそう"と、顔をあげて残った2人に目を向ける。
「逃げずに倒させてもらうから、そのつもりで頼むよ」
──"ねぇ、未熟者たち"
意趣返しのようにそう言って、エイデンはニヤリと笑う。
歪んだ目は罠にかかった獲物を見る狩り人のものだった。
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未沱 鯉