第13話 再訪の国境の大樹海4 銀影の観測者
大樹海のはるか上空、レリュートたちの姿を視認できないほどの高みから、銀髪の魔導師は眼下の大樹海を見下ろしていた。風にたなびく長い銀髪が揺れ、万物を下等な存在として見下すような傲慢な光を宿したその瞳は、地上で繰り広げられた戦いの結末を、冷徹な笑みと共に眺めている。
彼は、独り言のように静かに呟いた。
「……この時代の人間が、魔人を倒すほどの力を持っていたとは、想定外だったな」
その声には、驚きよりもむしろ、退屈を紛らわせる新たな獲物を見つけたかのような、冷酷な好奇心が混じっている。
大樹海の結界の「ほころび」から現れた魔人は、彼からすれば取るに足らない「下級の魔人」に過ぎない。しかし、人間を遥かに上回る危険な存在であるはずの魔人を、一介の傭兵たるレリュートが圧倒した事実は、彼の計算を狂わせた。レリュートの魔力量、剣の技量、淀みのない体の所作。それらの要素は、戦う前から彼の能力の高さを示していた。
銀髪の魔導師は、わずかな失望を滲ませながら、退屈そうに指先で銀髪をくるりと巻き付けた。
「あまり簡単に魔人を倒されても、舞台の役者としては面白くないからな。時停止で意識外からの攻撃を仕掛けてみたが、まだ甘いようだ」
―――時停止
この魔法は、火、水、地、雷、風、光、闇、力のどの属性にも該当しない。今はもう使い手がいないとされる、「時」属性の魔法だ。その効果は、対象の時間を一時的に停止させ、物理世界から隔絶する絶対不変の存在とすることにある。
いかなる攻撃も無効化できるが、時間が止まっている間は体も意識も停止するため、解除された時に大きな隙が生まれる。先ほどのレリュートが、まさにその状態に陥っていた。
彼は視点をユリアに移し、その姿をじっと見つめる。
「それにしても、ユグドラシルの正当な継承者をこの目で見ることができたのは僥倖だった。……やはり似ているな。容姿もだが、魔力の質も彼女と極めて近い」
どこか懐かしむような、それでいて嘲るような声が虚空に響く。
「計画通りこの時代にユグドラシルの正当な継承者が誕生した今、万が一の保険であったレオンハルトはもう不要だが、腐っても正当な王家の血を引く者であることは確かだ。王である間はせいぜい利用させてもらうか」
彼の真の目的は、強大な力で封印された『何か』を取り戻すことであった。そのためには、ユグドラシルが持つ封印解除の権能が不可欠であり、ユリアの存在は彼の計画の「鍵」となる。魔人が遺跡の封印に引き寄せられたのか、あるいはユリアの聖痕の力に誘われたのか、どちらにせよ、これらすべては彼の計画を加速させるために利用できる事象であった。
「下界の者どもは相も変わらず、愚かな争いを繰り返している。レオンハルトのつまらぬ野心、アルトカーシャの矮小な謀略……すべては、俺が世界を支配するための布石に過ぎぬというのに」
彼は退屈そうに呟き、手のひらをひらひらと動かす。まるで、目の前の事象が掌の上で転がす小さな駒であるかのように。
「あのエントラルトの戦士の剣技と魔力は確かに卓越している。この時代の人間としては異例の高みと言えよう。だが、所詮、俺が用意したこの舞台の役者に過ぎぬ」
彼にとって、レオンハルト王の野望やアルトカーシャ公爵の狡猾な計略、そして蒼清教会の二面性も、すべてはこの男の壮大な計画の一部に過ぎない。彼らは自らの意思で動いていると信じ込んでいるが、実際には彼が描く大いなる物語の「舞台の役者」でしかない。人々の争い、欺瞞、そして信仰は、彼にとってただの「燃料」であり、「駒」でしかなかった。
「……レリュート・レグナス、お前もしばらく俺の用意した舞台で踊ってもらおう。お前は舞台の役者の役目から外れてあの少女を、果たして護りきることができるかな?……フフフフフ」
男は不気味な笑い声を大樹海の奥深くに響かせ、ちらりと一行を見下ろしたあと、影のように姿を消した。
*
大樹海の遺跡の調査後、レリュートたちは数刻後、砦へと戻ってきた。砦が見えてくると、見張りの兵士とともに、彼らを待ち焦がれたように出迎えるバルドの姿が見えた。バルドは安堵に顔をほころばせ、駆け寄ってくる。
「レグナス殿!ユリア様!ご無事でしたか!」
バルドの明るい声が響く。しかし、レリュートの顔には疲労の色が濃かった。
「ああ、問題ない。無事に調査を終えたよ」
その言葉は簡潔だったが、レリュートの瞳の奥には、今回の調査で得た情報の重さが宿っていた。魔人の出現、そして不可解な攻撃の謎。なぜあの魔人はあの樹海に現れたのか、あの不可解な攻撃の主と魔人との関連性は? 考えることは山積していた。
ユリアの聖痕の秘密は、グナイティキ公爵以外の者には安易に話すべきではないと判断したのだ。
砦の中に戻った彼らは、バルドへの報告を簡単なものに留めた。バルドは三人の無事を喜び、すぐに温かい食事と休憩の場を用意してくれた。レリュートは、疲労困憊のユリアとティーユに食事を促し、一人周囲の警戒を怠らず、今後の状況について思案に暮れていた。
途中でレリュートは席を外し、砦の外の木陰で懐から、手鏡のような形の古代魔導器を取りだした。
この古代魔導器は特定の場所に声を届ける、いわゆる電話のような機能を持つ貴重な道具である。一般的にこのような機能を持つ道具は存在しておらず、エントラルトでのみ運用されている道具であった。レリュートは『遠話の珠鏡』を起動し、語りかける。
「こちら、調停者No.Ⅶレリュート・レグナス。導師ロウガに取り次ぎを頼む」
『了解しました。しばらくお待ちください』
しばらくすると、壮年の男性の温かい声が聞こえた。
『久しぶりだな。レリュート』
レリュートは一礼する。義父とはいえ、組織の幹部でもある相手に敬意を示すのは当然のことだった。
「はい、ご無沙汰しております。導師ロウガ」
『ふっ……そうかしこまる必要はない。わが義息子よ』
その言葉に、レリュートは安堵を覚え、かすかに口元を緩める。彼の警戒心が溶け、素顔が覗く。
「では、そうさせてもらいます。義父上」
『……で、何かあったのか?』
ロウガの声は、息子を気遣う優しさを含んでいた。
「はい、アルメキアの国境の大樹海にて、魔人と遭遇。交戦して仕留めましたが……」
レリュートは、魔人との遭遇、その際の不可解な現象についての報告を、そして上司たる義父に、ある決意を告げるのだった。
*
数日後、一行は無事にアルベルクの街に到着した。広大な邸宅の重厚な門をくぐると、グナイティキ公爵が彼らの帰還を待ち焦がれたように出迎えてくれる。
その日のうちに、レリュートは公爵の執務室へと通された。重々しい空気が漂う部屋で、彼は今回の樹海での詳細な報告を始めた。公爵は、机に積み上げられた書類の山を一瞥し、深く息を吐きながらレリュートの言葉に耳を傾けている。
「大樹海の調査、ご苦労であった、レリュート」
公爵の声は、静かでありながらも重々しい響きを持っていた。彼は両手を組み、机にひじをつく。その厳かな佇まいに、レリュートは背筋を伸ばした。
「報告にあった通り、結界の『ほころび』は確認できたようだな。そして……魔人がコキュートスから現れたと」
公爵の言葉に、レリュートは静かに頷いた。
「はい、本来ならばコキュートス大陸に封印されているはずの魔人が、件の『ほころび』から出現しました。その魔人との戦闘中に、捕捉不能な何者かから遠距離攻撃を受けました」
公爵は眉間に深い皺を寄せ、鋭い視線をレリュートに向ける。
「遠隔攻撃だと?」
その声には、驚きと、わずかな焦りが含まれていた。
「はい。あの攻撃を受けた瞬間、まるで時間が止まったかのような感覚に襲われました。その魔法が解けた隙を突かれて、魔人からの攻撃を受けてしまいまして……」
公爵は心配そうに身を乗り出し、レリュートの顔を覗き込む。
「時が止まった? 大丈夫だったのかね?」
「ええ、幸い軽傷で済みました。ただ、問題はその遠隔攻撃が『時属性』の魔法だということです」
公爵は困惑した表情で首を傾げる。
「時属性?」
聞き慣れない言葉に、公爵は驚きを隠せない様子だった。
「はい、かつてメルトラーム人が使用したとされ、現在には存在しないとされている伝説の属性魔法です。おそらくは、対象の時間を止める魔法、『時停止』だと思われます」
公爵は言葉を失ったように考え込む。やがて、その鋭い目がレリュートを捉えた。
「『時停止』……? そのような魔法は私も初耳だ。我々貴族にも伝わっていないような知識を、そなたは何故知っているのだ?……そなた、一体何者なのだ?」
これから話すことを前提とするために、レリュートはあえて公爵に通常では知りえない情報を提示することで、自身の素性を話すことにしたのだ。
この三年間、レリュートは、組織『エントラルト』のことを公爵にもユリアにも明確には伝えていなかった。しかし、聡明な公爵は薄々感づいているようだった。
これ以上隠し通すのは、お互いの信頼関係にも関わる。レリュートは公爵の信頼を確固たるものとするためにも、自分の意思を表明する必要があった。
レリュートは、ユリアを真に守り抜くためには、蒼清教会以上に、脅威になる敵対勢力に対抗するための公爵との連携と、自身の能力や背景を理解してもらう必要があると感じていた。
レリュートは覚悟を決めたように、静かに息を吸い込んだ。彼はまっすぐに公爵の目を見つめ、言葉を紡いだ。
「俺は、世界の秩序を護るために人々を導く組織、『エントラルト』に属する調停者の一人、レリュート・レグナス。ユグドラシルの継承者たるユリアお嬢様の身柄を他の機関や国に悪用されないために、彼女の護衛、そしてグナイティキ家を監視する為に組織より差し向けられた者です」
公爵は、わずかに目を見開いて言葉を返す。
「エントラルト……聞いたことがあるぞ。メルトラームに関する古代魔導器やその情報の管理をしているという、元メルトラーム人の生き残りが創設した秘密結社だな。……なるほど、君の異常な強さやその知識は、その組織が源泉というわけか」
「はい。組織で得た知識です。詳しくは語れないのは恐縮ですが、少なくとも組織はアルメキア王国及び、グナイティキ家に害を及ぼすような真似をするつもりはございません」
グナイティキ公爵はレリュートを見据えて、静かにつぶやいた。
「ふむ……それでそのような特異な属性魔法を行使できる何者かが、我々に危害を加える可能性があるというのだな?」
「はい。何者かは断定できませんが、公爵には蒼清教会以外にも、エントラルトでも把握していない謎の敵対勢力がいることを知っていただきたかった、というのもありますが……」
レリュートは、決意を込めた眼差しで公爵を見つめる。
「何よりも、これ以上素性を隠したまま、公爵にお仕えするのは不誠実だと考えた次第です」
公爵は、その率直な言葉に、満足したように深く頷く。
「わかった。そなたの事は信頼しておる。ユリアの救出から始まり、護衛任務だけでなく、私の仕事の補佐までこなしてくれている。だからこそ問おう。そなたが我々の……いや、ユリアの味方でいてくれるのは、組織の任務だからか?」
レリュートは視線を伏せ、少しの間、沈黙した。言葉を探すように、深く考え込む。
「……三年前は、そのつもりでした。任務の一環として、彼女に慕われていれば、任務の遂行も容易になるとすら考えていました……ですが今は違います。この三年間で、このグナイティキ家は私の居場所になってしまった。組織の意向など関係なく、ユリアを守りたいと、心から思っています。許されるのならば、俺は、彼女の傍にいたいのです」
公爵は、その言葉に、わずかに口元を緩めた。慈愛に満ちた眼差しで、レリュートを見つめる。
「それは、そなたがユリアに懸想しているから……と解釈しても構わないのかね?」
レリュートは言葉に詰まり、言いよどむ。頬に熱が集まってくるのを感じ、公爵から視線を逸らす。
「それは……本人に伝える前に、父親である貴方に打ち明けるのは、順序が違うと思うので、勘弁していただけると助かります」
公爵は楽しそうに、朗らかに笑う。
「ハッハッハ!照れずともよい。少なくとも私はそなたの事を気に入っている。あの子がそれを望むのなら、認めてやらないでもない」
レリュートは、安堵から全身の力が抜けるのを感じ、深く頭を下げた。
「恐縮です」
「言われてみればそうだな。物事には順序というものがある。しかし、意外だ。娘のそなたに対する態度を見る限り、てっきり思いを告げているものかと思っていたのだが?」
レリュートは再び顔を伏せ、ためらいがちに言葉を紡ぐ。
「……その、公爵の立場からすれば、俺のような身元の知れない平民が、お嬢様とそのような関係になるのは、ご不興を買うと考えていたのですが……」
公爵は静かに目を閉じた。遠い過去を思い出すかのように、穏やかな表情を浮かべる。
「ふむ……私も若い頃に君のような立場の友人がいてな。その男は貴族の娘と恋に落ちて結ばれたが、周囲に認められず、連れ立って国を出ていってしまった。以降、連絡が取れなくなってしまったのだ。彼と君を重ねて見てしまう節があってな……娘には、自身が選んだ相手と添い遂げてほしいと思っている。息子のジークフリードは反対するだろうがね」
レリュートとグナイティキ公爵は、互いの信頼を確かめ合うように、静かに語り合った。その中で一つの話題で話の流れが変わった。
「……だが、そなたの組織エントラルトとやらは、なぜ我がグナイティキ家を支援するのだ?」
レリュートは一瞬、言葉を選ぶように考えた。
「そうですね……組織としては、ユグドラシルの力を悪用させないための監視といったところですが、組織の幹部である私の養父が、公爵の友人だったからというのが、一番の理由かと」
公爵の目が大きく見開かれる。
「……!まさか……その養父というのは」
レリュートは、公爵の驚きに気づきながらも、あえてその言葉を待たずに告げた。
「―――ロウガ・サイトウ。このアルメキア王国で『不敗の剣聖』と呼ばれた、貴方の元側近にして友人でもあった方です」
公爵は、驚愕に言葉を失った。目には、かつての友を偲ぶかのような、切ない光が宿る。
「ロウガ……!そうか、お前はやはり、生きていたのか……!」
レリュートは、公爵の驚きをよそに、ユリアが持つ聖痕の重大性と、それが引き起こすであろう混乱について、改めて説明した。公爵は、娘が抱える宿命の重さを改めて痛感し、その顔には深い苦悩が浮かんでいた。嵐の前の静けさのような、重く冷たい空気が執務室を満たしていく。グナイティキ家を取り巻く運命の歯車が、ゆっくりと、しかし確実に回り始めたのだった。
第一章:運命の邂逅と聖痕の秘密 END
―――NEXT STORY
第二章:王都撩乱-黎明の王都フィーア
続きのエピソードをカクヨムの方で連載しています。
キャラクター設定の絵なども載せていますので
よかったらそちらの方でも読んでいただけると幸いです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882746106