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2. 既視感

 その朝、会議室にて議題を聞いたとたん、イオフェンは、あの出来事が決して夢などではなかったと、確信した。20年前のこの日の会議を、彼ははっきりと記憶していたのだ。


 先帝の暴政によって財政は破綻し、政は混乱を極めた。さらに天災や疫病が追い打ちをかけ、外敵までもが蠢く中で帝国は瓦解。諸勢力が割拠する内乱へと突入した。


 クラシオン、イオフェン、そしてベルトランの陣営は、有力勢力の一つとして、他の勢力と戦い続けていた。中でも東方のサエス侯爵派との緊張は日増しに高まり、武力衝突はもはや避けられぬ情勢であった。


 このとき、重要な課題として浮上したのが、南方のケニエトン公爵勢力を如何に取り込むかという点であった。有事の際に南の安定を確保することは、勝利のためにも欠かせぬ要となる。

 この日の会議の議題は、その重大任務を誰に託すか、であった。


「そこでだが、この件、エルストに任せてみてはどうかと思っておる」

 クラシオンの声に、イオフェンは思考から引き戻された。彼は視線を上げ、卓の向こう隅に座る一人の若者を見た。20代半ば、小柄で平凡な容貌の青年は、緊張からか目を伏せたままだった。


 ルーベン・エルスト。イオフェンの記憶にある未来において、クラシオン陣営の第一参謀として、幾度もイオフェンを窮地に追いやった、冷静かつ執拗な才覚を持つ男。イオフェンは、この男を心から憎んでいた。


 だが、今、目の前にいる男は、辺境で小さな商会を営む情報屋にすぎない。クラシオンの配下として、いくつかの功績を挙げたとはいえ、まだその真価を世に知らしめてはおらぬ無名の若輩であった。


 20年前のこの日。イオフェンはこの任務をエルストに任せることに強く反対していた。イオフェンが何より重視したのは、血統と資格だったのだ。


 あの日の記憶が、ありありと脳裏に蘇る。

「かような卑しき出自の者に、如何にして、このような重大な使命を託せと言うのか? いざという時、己ひとり命を守って逃げ去るような男であるかもしれぬではないか。

 それに、まともな縁故があるとも思えぬ。まさか肉屋や鍛冶屋と手を組ませるつもりではあるまいな?」


 イオフェンが露骨にエルストを嘲り侮辱すると、クラシオンは怒りを抑えながらも、説得を試みた。

「この任の重さは、君とて重々承知していよう。俺がエルストを推すのには、それ相応の理由がある。何よりも肝要なのは、才と覚悟だ」


「才覚にこそ、出自と背景、そしてそれに裏打ちされた教養が含まれる。名誉と責任感とは、その者が背負っている人生の重みに比例するもの。

 何も持たぬ者に、名誉などという言葉が果たして相応しいのか?」


「イオフェン!」

 結局、この件を巡って二人は激しい口論を繰り広げた。


 クラシオンは辛抱強く説得を試みたが、最後はイオフェンに押し切られる形となったのだった。南方の公爵との交渉役は、エルストではなく、イオフェンの家臣であるベンター男爵に任された。


 しかし、結果は惨憺たる失敗に終わり、ベンター男爵は自害。イオフェンは南方の脅威に対応せねばならず、肝心の決戦に参戦することが叶わなかった。


 そうした過去の出来事が脳裏に去来し、イオフェンが黙している間、会議の席には不穏な沈黙が流れていた。


 イオフェンは、自身の側に控えているベンター男爵に目を向けた。昨夜、彼に今回の任を任せると明言したばかりである。だが、結末を知っていながら、再び同じ選択をするのか?


 イオフェンは心を定めた。

「君がそう判断したのであれば、それ相応の理由があろう。……そのように致そう」


 張り詰めていた空気が、一瞬にして驚きに変わった。クラシオンのみならず、その場の全員が、イオフェンが当然反対すると予期していたのだ。

 誰よりも驚いたのは、当のエルストであった。彼は思わず顔を上げ、イオフェンを見つめた。


「……正直、意外だな。君は反対すると思っていた」

 クラシオンがどこか気の抜けたように言った。


「君は以前より、出自に囚われず、才ある者を積極的に登用してきた。その慧眼に賭けてみようと思う」

 イオフェンの言葉に、クラシオンは子供のように顔を綻ばせた。

「君にそんなふうに褒められるとは、嬉しい限りだ!」


 イオフェンは、次にエルストを見据えた。

「この任がいかに重大かは、そなたも重々承知していよう。最善を尽くし、クラシオンの信頼に応え、己の価値を証明してみせるがよい」


 エルストは声を震わせながら応じた。

「……ありがとうございます。粉骨砕身の覚悟で臨みます」


 和やかな空気の中で会議は終わり、上機嫌のクラシオンは一杯やらぬかと誘ってきたが、イオフェンは頭痛を理由にその場を早々に後にした。


 屋敷へ戻る道すがら、ベンター男爵は悲痛な面持ちで頭を垂れた。

「申し訳ございません。私が至らぬばかりに、公爵様の信頼に応えることができませんでした」


「そなたが足りぬのではない。どちらがより適任かという問題だ。

 クラシオンを通じて伝えておこう。エルストの補佐にあたり、この任を成就させるよう尽力してもらいたい。

 決して彼と張り合ったり、手柄を争ってはならぬ。事が成れば、そなたの功もまた然るべき評価を受けることになろう。

 成功の暁には、昨夜話したカンナイムの領地を褒美として授けよう。エルストの成功は、すなわちそなたの成功でもある。力を合わせ、誠心誠意あたってくれ」


 その言葉を聞いたベンター男爵の表情が変わった。カンナイムは肥沃な平原地帯であり、痩せた山地にわずかな所領を有する彼にとって、まさに垂涎の恩賞であった。


 彼は顔を明るくし、深く頭を下げた。

「……公爵様の深きお心を察することなく、軽々しく思い悩んでしまいました。全霊をもって命に従い、尽くす所存にございます」


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