第2話:記録のない街
その街の名は、どの地図にも載っていなかった。
いや、それどころか――王国の記録保管庫にも、旅人の記憶にも、その存在は見つからなかった。
それなのに、私はその街の場所を“知っていた”。
正確には――前世でプレイしたゲームの隠しマップ、『ミラージュ』という存在を、記憶の底から引きずり出したのだ。
「ユアン、準備はできてる?」
「ええ。転移座標の干渉を解除しました。これで“本来行けない場所”にもアクセス可能です」
私は満足げに頷く。
この世界の魔術は、本質的に“アクセス管理型”だ。座標、時間、座標系の存在証明……それらの制限を一つずつ解除すれば、ゲーム内では絶対に到達できなかった領域ですら、干渉可能になる。
それが、私が“最強”と呼ばれる理由。
単純な火力や魔力の量ではない。ルールそのものに手を伸ばせること――それが、私が“断罪”を跳ねのけられた本当の理由。
「座標接続……成功。移動開始します」
ユアンが術式を発動すると、空間がぐにゃりと歪む。
そして、私たちは“記録にない街”へと降り立った。
「……これは、廃墟?」
視界に広がるのは、灰色のレンガ造りの街並み。整然とした道。石造りの噴水。どこを見ても、それは明らかに“人の手で整備された文明”の痕跡だった。
けれど、すべてが静まり返っている。音も気配もない。
しかも奇妙なことに――
「おかしいわ。ここ……時間が、止まってる」
木々の葉が揺れない。風が吹かない。太陽の位置がまったく変わらない。
私は時術で確認した。やはり、この街全体が、“時間の流れ”から切り離されている。
まるで、セーブされたゲームのデータのように。
「アリステリア様……」
ユアンの声が震えている。彼の視線の先、噴水の縁に腰掛けるようにして、一人の少女が座っていた。
白いドレス。金色の髪。どこか儚げな、けれど見覚えのある姿――
彼女は、こちらを見た。
そして、微笑んだ。
「やっと……来てくれたのね、“もう一人の私”」
私の背筋がぞわりと凍った。
「あなた……誰?」
「わたしは、かつて“処刑された悪役令嬢”よ。
この世界の“別ルート”で、正しく断罪されたはずの存在。
あなたが、破滅を跳ね除けたその瞬間から――私は“存在しないこと”にされたの」
彼女の周囲に、ノイズのようなエフェクトが走る。
髪が揺れ、輪郭が一瞬だけ崩れた。まるでデータが壊れかけているかのように。
「でも、覚えていてくれた。あの場所も、この街も。だから私は、ここで待っていたのよ」
「……何のために?」
彼女は静かに立ち上がり、私の前に歩み寄った。
「あなたに伝えるため。
この世界はね、アリステリア。“断罪”がループするように設計されているの。
破滅のシナリオは、プレイヤーの選択ですらなく、“世界維持のための強制イベント”。
……あなたが逃れた瞬間、代わりに誰かが処刑される構造に、書き換えられたのよ」
私の心に、冷たいものが落ちた。
断罪が、世界を保つための“修正装置”――?
「……第二の破滅ルート、始まってるってことね」
「ええ。
そしてあなたは、“ルールを壊せる唯一の存在”。
その力がなぜ与えられたのか、もうすぐ思い出すわ。
あなたはただのプレイヤーじゃない。“世界の書き換え権限を持つ者”……」
彼女がそこで、ふっと口を閉じた。
時間が再び止まる。
次の瞬間、街全体がノイズのように崩壊し始めた。
「っ、時空転送、今すぐ!」
「了解!」
転送の光の中で、私は最後に彼女の声を聞いた。
「“その真実”を知ったとき、あなたは、もう元の世界には戻れない……」
――記録のない街、ミラージュ。
そこは、世界のバグが押し込められた“断罪の収容所”だった。