序章 中国自動車道下り
人も馬もいろんなものかかえてる。学生の青春って複雑だ。
「もう冷たいんやな。それになんか硬い。」
そんな風に言わないんだよ。と叔母にたしなめられた。
どんな言葉が適切なのか。誰に何を伝えればよいのか。どんな表情をすればよいのか。私の手は次に何を触れればいいのか。
――私は今、どんな感情なのか。
考えてもいなかった別れ。初めて身近に起きた、死というのもの。
取り乱す家族を横目に、私は自分の頭の中にあるこの感情が何なのかよくわからなかった。
中学三年生の時、父が出張先のホテルで突然死した。死因は心臓発作との事だ。近所に住む叔父が運転するマツダのワゴン車にゆられ、母と兄、叔母との五人で連絡のあった長崎県の警察署にむかった。
車内では母が涙をぬぐいながらずっと自分を悔いていた。あの時止めていたら、私がついていっていれば……考え得るタラレバを全て言い尽くしたろうか。
兄はMDウォークマンのイヤホンを耳に突っ込み、うつむいていた。表情を見られたくないのか、父との思い出を振り返っていたのか、母のタラレバを耳に入れたくないのか……感情は定かではなかったが、ウォークマンの電源がついていない事にはすぐに気がついた。周囲と自分を隔てるモノは無音のイヤホンで十分だったのだろう。
そんな母と兄を傍目に私は泣き出したいけどどこか冷静で、叫びたいけど声にならない。フワフワと宙を漂ってはスッと窓の外に吸い込まれる叔父が吐き出したタバコの煙のように、掴みどころのない感覚をいだいていた。
真っ暗な山中が続く中国自動車道。ワゴン車は闇へとまっすぐ進んだ。
長崎県の警察署から連絡があったのは二十時だった。
長期滞在していたビジネスホテル、外側のドアノブにかけられた『清掃は結構です』と書かれた札。父が前夜から掛けていたのだろう。
「身の回りのことは自分で」と日頃から言っていた綺麗好きな父。そんな言葉を具現化するようなこの行動が、結果的に死体の発見を遅らせたようだ。
発見が遅れたこと、陸路での長崎までの道のり。一ヶ月ぶりの再会は死亡推定時刻から四十時間がたった頃だった。
手に触れた遺体の冷たさ。当然、体温はすでに失われていた。硬いと感じたのは人の温度とは思えないその冷たさからだったのだろうか。
脳内を通さず、直接口から発せられた私の言葉。叔母の一言だけが返ってきた。皆、言葉を発する事もつらかったんだと思う。
私の目にはなぜか蓋をされたようで涙なんて一粒も出なかった。ただ兄も、母も叔父も叔母も、涙を流し続けていた。これがいたって普通だろう。それはよく理解できた。多くの人から愛された父だったから。私も父を愛した一人だったから。
いつも笑顔でいただきますと言っていた父。私がカップヌードルのレギュラーかシーフード、どちらを食べようか三十分悩んだ時も笑顔で待ってくれた父。カレーの日は母に見つからないように私の苦手なニンジンと自分のお肉を交換してくれる父。阪神タイガースが勝っていると晩酌が一杯増える父。すき焼きは最初の一枚目が一番大事と家族に甘じょっぱいお肉をふるまう父。
父との思い出はご飯の事ばかりだった。家族でご飯を食べることが大好きな人だったからな。
食事にまつわる父との思い出が蘇ると共に、もう四人でご飯食べることも無いんだな。という現実に打ちのめされたっけな。
そんな小さな記憶の変化を思い出しても、自分の感情がどんな有様だったのかやっぱりよくわからない。涙が出ない理由も、家族たちを冷静に見る事ができることも。
それでもなお言葉で表すとすれば、夜間山中の中国自動車道だろう。私の乗った車が向かった闇の先には何もない。言葉も涙も全て闇に吸い込まれたのだ。私の心はまるで暗闇に迷い込んだようだった。
眠れるはずのない部室の布団の中、八年前の出来事を思い返していた。私は布団を抜け出しアンサンブルの元へ向かった。
あの時の父の顔よりも冷たくなった馬体に触れながら私は話しはじめた。反応はない。聞こえているわけはない。それでも私は話し続けた。アンサンブルが暗闇にのみ込まれないように。安らかな朝を迎えられるように。
ちっぽけで短い自分のエピソードだ。話が途切れないよう頭の中の引き出しを全てひっくり返して話し続けた。自分の為か、アンサンブルの為か。最後まではっきりしなかったが、今までの自分を話し続けた。
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