3.バーボンをあおる
タンブラーの氷が完全に溶けたのを確認して、僕はそれをそっと手に取った。
時計はそろそろ十五時を指す。傾きを増してる太陽は未だ夕陽と呼ぶには足らず燦々とその役割を全うし続けており、開け放たれた窓から侵入しカーテンを揺らす緩やかな風は落ち葉を乗せながら小さな世界に粛々とした清涼感を与える。歩く足取りが軽やかになるのは、そんな味方がましい追い風に押されるからだろうか。
キッチンへと立った僕は冷凍庫に入った袋から氷を取り出してタンブラーいっぱいに入れる。そして頭よりも高い場所にある棚からバーボンを取り出すと、それを半分ほどまで注いだ。正面に名も知らぬ花が描かれた瓶を棚へと戻しタンブラーを持って再び元の場所へと戻る。ソファーに腰をつき、バーボンをあおる。そしてテーブルにタンブラーを置いてから背もたれに寄りかかり一息ついた。
正面には自分の身長を遥かに上回る大きさのテレビが置かれているがその画面は暗い。故に反射する光によって自分自身の怠惰な姿がありありと映し出されていた。それはまるで自分に弱い自分への戒めのような、何者かの監視を受けているかのような焦燥感を覚えさせる。それなのに僕は体を動かすような事はしない。しかしそれなのに、暫く視線はテレビから離せなかった。
本当に暫く、何も付いていないテレビから視線を外してもう一度バーボンをあおる。三倍目の酒は心地良さと共に不安を胃へ誘う。それをかき消したくてもう一度、口に含んでは心に硬質な棘を作っていく。マイナス感情は走り出したら止まらないのが定石だ。喉を鳴らした僕は区切る意味を込めて鼻から抜ける長い息を吐いてからタンブラーを置き、徐にスマホを取り出した。
ロック画面に一瞬映った都会の夜景の写真を日常のものだと無視して電話のアプリを開く。そして連絡帳のとある番号へと具体的な目的を画面へ表示させたのち、しかし躊躇うように画面を暗くした。
そうしてもう一度、バーボンをあおる。
二時間もかからない、コンパクトな映画を身終えると心が軽くなった。アクションシーンの迫力も申し分なく、シナリオのこだわりも抜かりない素晴らしい映画だった。
内容は大まかにはシンプルだった。主人公を演じていた筋骨隆々の西洋系の男が、モデルのようにスラッとした同じく西洋系の女性へ恋心を抱き、結ばれるまでの流れを描くラブコメディ。しかしこの作品の特筆するべきところはコメディ部分への偏りの強さと作り込み方へのこだわりだった。普通、ただ恋愛するのに、アクションシーンが入る余地などないはずなのだが、主人公の取り巻く環境や舞台となる地域の治安の悪さが相まって、やたらとド派手に話が展開されていくのだ。その荒さや意外さ、そしてシュールさが恋愛と上手い具合に絶妙なコントラストでマリアージュを生み、唯一無二の独創性に仕上がっているのだと感じた。
エンドロールが流れ終わりフッと画面が暗くなると、自分の姿がその漆黒に再び映し出される。そこで現実に戻された。皿に手を伸ばすと、鑑賞中に食べようと思って作ったツマミが無くなっていた。つい一週間前までは残暑という名に恥じぬ気候であったというのに、今は窓から吹く風がやけに冷たい。肌寒さに身震いしつつ、タンブラーを手に取る。
そして本日、五杯目のバーボンをあおる。
スマホの画面には連絡先の表示された画面が付けっぱなしで裏向きにされている。その裏面を暫く凝視したのち、僕は外から吹き荒れる冷風を閉ざすため窓を閉じた。そしてまるでその画面から逃げるように早足で風呂へと向かった。
バーボンをあおる。
夜風も感じぬ閉ざされた部屋。七杯目のバーボンには何も感じなかった。
殆ど一日中体重を預けていたライトブラウンのソファーはよく見ると手元で揺らめくバーボンの色によく似ている。そんなどうでもいい事を考えてしまうのは、他に考えたくない事があるが故の逃避だという事を僕が一番よくわかっている。しかしきっと僕は今、僕が思っている以上に泥酔している。今の僕のコンディションで『やらなければならない事』をするのは些か危険であると伺える。そう思うと何も今日中にこなす必要は無いのではないかという気がしてきて、僕の棘つき冷えた心は徐々にアルコールの熱に解かされ始めた。
時計はそろそろ二十一時を指す。
こんな時間に行動を起こすのはかえって迷惑だろう。焦る必要はない。また明日でも、明後日でも、時間はある。
一気に残りわずかとなったバーボンをあおる。漏れるため息が不眠の前触れな気がして僕は視界の定まらぬまま暗闇でこちらを覗く自分を見た。